玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*白洲正子と前登志夫

2008年09月30日 | 捨て猫の独り言

 名だけは存じ上げていた。私が白洲正子の文章に初めて出会ったのはつい先日のことで月刊誌NHK短歌の随筆 「羽化堂から」 の中だ。前登志夫がそこで白洲正子の文章を取り上げていた。槍玉に上がったのは郷里の吉野山に籠って、山人の歌しか歌わなくなったのは残念だ。再び中央の歌壇に戻って活躍して欲しいという意味の新聞コラムである。それを読み馬鹿馬鹿しく思ったという白洲正子の 「吉野山のもみじ」 という小文だった。そこには登志夫の短歌二首が引用されている。

 山道を行きなづみをるこの翁(おきな)たしかにわれかわからなくなる

フン、街の濁りきった空気の中で、右往左往したところで、忙しくなるだけのことで、彼が求めている『われ』と出会うことはできまい。前さんだって霞を食って生きているわけでないから、テレビにも出るし、講演もする。(中略)だが、テレビも、講演も、いわば自分自身を切り売りしているだけで、そんなところにはほんとうの『われ』は全面的には生きていない。吉野の山へ還る道で、翁となって行きなづみながら、『たしかにわれかわからなくなる』時間の中で、辛くも『われ』を取りとめているのだと思う。

 フリー百科事典『ウィキペディア』で白洲正子を調べる。薩摩志士の伯爵家に生まれた自らの性質や出自を強く意識した生涯であったとある。ついで白洲次郎について調べた。そのエピソードの項に、結婚当初正子を 「薩摩の奴らは、江戸に入場した時は・・・・・」 とからかったら、正子から横っ面に一発ビンタを御見舞いされ、それ以降薩摩を揶揄することはなかったとある。また名言集の項に、『わからん』(正子の「西行」を読んで) とか 『一緒にいないことだよ』(晩年、夫婦円満でいる秘訣は何かと尋ねられて) とあった。

 立枯れてすでにひさしき杉の木にあかあかと冬の夕日差しおり

立枯れの杉の木に美しい夕日がさしている、-ただそれだけのことなら、和歌と無縁な私にでも詠もうと思えば詠める。この中には子規の唱えた写生、折口信夫の無意味な故にこそ美しいやまと歌の味わい、それと共通するものもふくまれているだろう。だが、歌には形がある。調べがある。心がある。私は歌は詠まないが、陶器や絵画・彫刻、音楽からそういうことを学んだ。そして先ず語りかけてくるのは、不思議なことにいつも眼には見えない心なのであった。

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ハーモニカ教室2年生

2008年09月27日 | ねったぼのつぶやき

 定例行事として募集した6人の新メンバーが加わった。募集にシニアと謳ってあったかなと思える程の顔ぶれ。中に30代と覚しき男性もみかけたが、彼はいずれ遠のく予感がする。何せ”軍歌なら得意”という後期高齢者層が数人在籍しているのだから。

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 という訳で私は2年組となった。当初は家でも練習しそうしなければ間に合わなかった。今ではディケアーで帰宅前の15分間、合唱の伴奏が練習替わりだ。リコーダやピアノがつく日もあり、私との交替要員はオカリナを吹き出したらしい。 ディの方も多少は賑わって来た。ハーモニカ2年目の課題は伴奏入れと暗譜だ。

 定年を迎えた後の生活のありようは様々であろう。一気の仕事放棄は淋しい。多少の仕事と道ずれの生涯学習、地域デビュー、ボランティアの共存なら仕事も余暇も生きまいか。しかしこのシニア層も分厚い。一仕事終えた後のシニアは多様である。節度を保った”おつきあい”はどんな世界でも共通項だろう。

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*2つのインタビュー

2008年09月23日 | 捨て猫の独り言

 作者の日常的な声を聞いてその作者を身近に感じたいという欲求は誰にでもある。NHKのラジオ深夜便のインタビュー番組 「科学と短歌~ふたすじの道を歩む」 永田和宏(歌人・京都大学教授)が9月の中旬2夜連続であった。目覚ましを午前4時にセットして聞いた。こんなことは初めてだ。一方を趣味としてでなく歌人と科学者の両方を続けるには意地でも頑張らざるを得ない。短歌を読み返すとその瞬間瞬間のことを鮮明に思い出すという。

 永田は今年還暦を迎える。短歌結社 「塔」 を主宰、京都大学再生医科学研究所の教授である。夫人は歌人の河野裕子で、今年からは夫婦で宮中歌会始詠進歌選者となった。長女永田紅も歌人だ。永田は鹿児島の南日本新聞歌壇の選者でもある。永田は私の想像していた通りに庶民的な語り口であった。家人からは 「あくび大明神」 と呼ばれている。私とは異次元の超人的な仕事ぶりなのだろう。

 岩波書店00年発行の前登志夫著 「明るき寂寥」 を市立図書館で発見した。その中に 「歌人の山住み」 と題したインタビューがあった。歌人の若い頃からの歩みの概括も興味深く読んだ。

八月の灼ける岩根の汗拭ひ絶倫といふ明るき寂寥

●この歌は性的なことをパッと・・・・

○そうではなくて自然や宇宙の魔力が主題になっています。デモニッシュですね。何か並外れて強い生命感をもっているもののある孤独みたいなものでしょうね。いける物、存在するものの汗の寂寥というか。

 このインタビューはつぎのような笑いで始まり笑いで終わっている。

●いま奥さんと二人なんですか?お嬢さんも?

○娘は今、勤めを辞めて帰っていましてちょっと賑やかでぼくも機嫌いいんです。そうでないと、奥さんの言うことはおおかたボヤキですからね(笑)

●お酒が好きだということは有名な伝説ですね。

○なんでそうなったんですかね(笑)ぼくはそんなに強くない。ところがぼくを酒豪だと思っているんですね。歌がどんなに下手でも何でも、ぼくは酒豪に対してそれだけで畏敬の念を表する(笑)

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暑さ・寒さも彼岸まで

2008年09月19日 | ねったぼのつぶやき

 朝夕すだく虫の音は秋の始まりを教えてくれる。暑さの為さぼっていた庭先が煩くなり手入した。一年が過ぎて今年もまたこの時期決まってスックと立ち上がる彼岸花が咲ていた。

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 オリンピックやパラリンピック騒ぎの中で、アメリカ経済の一角が突如崩れ落ちた。予兆はあったとはいえ全世界に波及し、芥子粒ほどの私達に迄その余波は及んでいる。眺めているだけでは了解しにくく、学習の手始としたのだが今でもその仕組みは私の理解を超える。

 それに比し草花は何と解りやすいことか。手入れをすれば応えてくれる。イヤ手入れしなくとも決まった時期に決まって顔を出す彼岸花などその典型だろう。萩やニラ(白くきれい)ガウラの花もそろそろ終わり、端境期のころになると野性味タップリの黄色い”つわぶき”が我が物顔をするのだが、あれはもっと後だったろうか。

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*歌人の名を知る

2008年09月16日 | 捨て猫の独り言

 現代短歌を一日に2首暗唱する。ふとした気まぐれでこの夏そんなことを始めたみた。40日続き、全部で20人ほどの作者の80首という数になった。後で分かったことだがこの20人の中には新聞の歌壇の選者が大方含まれている。短歌が身近になった。何であれ、その呼び名を知るとそれまでと違ってその名のものが向こうから近づいてくる。

 教育テレビで日曜の朝7時半からNHK短歌という番組がある。それと関連してNHK短歌という月刊誌がある。最近図書館からほぼ一年分のバックナンバーを借りて読んでみた。そして前登志夫という歌人の文章に圧倒された。彼の韻文も散文も読み応えがあると思った。その雑誌には前登志夫選による 「巻頭秀歌」 と随筆 「羽化堂から」 が毎号掲載されていた。

 毎号12首ある 「巻頭秀歌」 にはそれぞれ120字ほどの文章が添えられている。歌意である。前登志夫は吉野の山中に生活と文学の根拠を置く歌人である。見開き2ページの 「羽化堂から」 という随筆の題字は自筆のものである。中国では人間に羽が生えて仙人になり天に昇ることを羽化登仙というらしい。また酒に酔ってよい気分になることのたとえだという。

 随筆は4月号の第61回が最後となった。巻頭秀歌も6月号で終った。深みがあり歯切れのよい文章だった。同号の随筆のページには歌人の岡野弘彦による 「追悼前登志夫 中千本の花の下で」 が出た。歌人前登志夫が4月5日に亡くなったことを私は月遅れの雑誌で知った。享年82という。私はこの夏初めて多くの歌人の名を知った。前川佐美雄や山中智恵子はすでに亡く今年は前登志夫を失った。この意味はとてつもなく大きい。新参の短歌ファンとして不遜にもそんなことを感じた。

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終りよければ全てよし

2008年09月12日 | ねったぼのつぶやき

 同じディスクにCDとDVDの2種類があって区分を知らなかった私も確かに悪い。しかし何故修理現場とのヤリトリ中にCDは聞ける?DVDは見れる?と具体的に聞かない。そうしたら当方のミスや手間は防げた筈だ。

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 DVDは見なくて済む。いきなり音信不通になり心配しているであろう娘とのメール再開を優先した。気を取り直した私はBack-Upしておいた情報を戻すべくシャープの相談窓口に即Telした。前回同様指示通りに実行した。3~4回クリックを繰り返す。Back-Upした筈の画面が・・・出てこない。同じ操作を繰り返しても・・・ということは”ヒョットシテ取れていない??”「すみません。そのようです」 エ・エッツ。私は絶句した。

 すみませんと言われても困る。他は兎も角PC購入以来4年、全ての写真はPCにしかなくプリント出来ていない。航海中の写真はいいが孫との4年分は失いたくない。「納得できません!」と受話器を置いたまま2日ばかり気分は塞いだ。どう納得すれば・・・・こんな時の方程式を私は持っている。”命との引き換えじゃないんだ”。立ち直ったら作戦再開。師匠に相談し的確な指示を得た。そしてイタズラでいじって貯めおいていたらしいDドライブに、何と失った4年分の写真が残されていて、危うく炎上を逃れたのを発見したのだった。

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*首位攻防戦

2008年09月09日 | 捨て猫の独り言

 昨日は畑の夏野菜の残骸を片付けて土を掘り起こし、わずかな面積の芝生の刈り込みをしたりした。まだまだ残暑厳しくたちまちにして体温は上昇する。水分の補給を頻繁に行った。そして今日は珍しく雲一つない天気である。湿度は低く絶好の洗濯日びよりという。学校行事の関係で仕事には出かけなくともよくなった。朝8時からMLBの衛星放送がある。テレビの前に座った。家人はいつもいつも家の中にじっとして居れますねと批判がましい。

 MLBの地区優勝争いも残り20試合ほどになってきた。NHKは今日からアメリカン・リーグの東地区の首位攻防であるレイズ対レッドソックスの3連戦を放送する。レイズには二塁手岩村、レッドソックスには松坂と岡島投手がいる。昨年までは最下位であったレイズが大躍進して堂々の首位である。しかし直前のブルージェイズ戦に痛い3連敗を喫して2位のレッドソックスとは1.5ゲーム差と縮まった。ここまでくるとレッドソックスの昨年の優勝経験が物を言いそうな感じである。レイズがこのプレッシャーを乗り切ることができるか。

 プロ野球との違いがいくつかある。まずは応援スタイルである。鳴り物入りを用いる私設応援団は見かけない。誰かに強制はされないが勝負どころでは総立ちになって手拍子など送る。球団経営戦略というか文化の違いというか地域密着が徹底していてホームチームへの声援は強大である。たとえば今年の両チームはこれまでともにホームで3連勝し敵地で3連敗を繰り返しこれまで6勝6敗という。これもまた珍しい。他に気付いたことは選手がやたら唾を吐くことである。ベンチの中は汚ならしく見える。捕手もゲーム中にマスクをあげて足もとに吐く。シーズン途中に大物のトレードを果敢に行うのも驚きの一つだ。レッドソックスは電撃的な三角トレードでラミレスをドジャースに放出し、2004年カナダ人初の新人王となったジョーソン・ベイをパイレーツから獲得した。

 放送の解説は元西武ライオンズの捕手で後に監督の伊藤勤氏である。伊藤氏はレッドソックスの36歳捕手バリテックに興味があり彼のリードの解説をすることが楽しくてしかたがない風である。私も伊藤氏もレッドソクスびいきのようだ。ボストンのフェンウエイパークは今日は記念すべきチケット完売456試合連続だという。試合前に選手が球場入り口でファンを出迎えてサービスに努めていた。今日の試合はレッドソックスが勝ち0.5ゲーム差になった。明日の松坂先発試合で首位逆転の可能性が出てきた。両チームはこの先レイズの根拠地タンパベイでの3試合も残している。

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PC・アァ~ついに炎上

2008年09月08日 | ねったぼのつぶやき

  DVDで”韓流のドラマ”を散々楽しんだ(2年前?)のに、最近私も参加し知人が手作迄して下さった祭りのDVDは見れないでいた。メールは可能だったので放置していたが、PC暦4年になっても未だマニュアル本も読解できない。ここらで”音声指導を受けレベルアップをはかろう”と一念発起した。(写真は北京駅ホーム)

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 相談窓口によると購入時の状態に戻すのでバックアップが必要という。不安も過ぎったがエイッ!とばかり挑戦、音声指導に従いフラッシュメモリーへの読み込みは2時間要した。「写真、アドレス帳、メール、お気に入りは完了。他は自分でインストールして貰います」。ご破算後DVDをいれても読み取り不能・・「本体の故障のようだから搬入を」となって宅送した。

 工場から「CDは読んでますよ。修理入要?。折角だから□□を取り替えますか?機器・手技料合わせて3万円・・」「エッ?操作ミス?そのままで・・」10日後帰ってきたPCにDVDをセット。ヤッパリ読み取らない。「読んでませんが・・」「CDと言ったからCDだけチェックしました。DVD?再送してください」「エ・エッツもう一度? イヤ!ンモゥ!」それから一騒ぎあったのです。つづく 

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*八月納涼大歌舞伎

2008年09月03日 | 捨て猫の独り言

 この年歳になって初めて歌舞伎なるものを見た。一等席が半額(六千円)という券を2枚手に入れて8月21日に出かけた。第一部の開演は午前11時である。強い日差しの中を有楽町駅から晴海通りを中央区銀座の歌舞伎座に向かった。歌舞伎座は明治22年の開場であるから今年で120年になるという。最も安いのは3階B席で二千円だという。

 2階の4扉から入る。着席すると膝が前の椅子に触れて窮屈だ。中ほどの席に入るとかなり圧迫感がある。この椅子は明治時代からのものかと考えたりしたが誰かに聞くのも面倒である。できるだけ白紙の状態で初めての歌舞伎を感受したい。そこでイヤホンガイドの受信器の利用は最小限に止めた。

 第一部の演目は 「女暫(おんなしばらく)」 と 「三人連獅子」 と 「らくだ」 であった。第二部は2時45分で第三部は6時15分の開演である。どの部の演目もすべて異なっている。私の見た 「女暫」 は古典歌舞伎で物語のあらすじは理解できない。衣装や所作に目を凝らしていた。その後の30分の幕間に歌舞伎座の外のドトールコーヒーで軽い食事をしてあわただしく席に戻った。なんと無粋だったことか。

 歌舞伎座でこんな作品を見るとは思ってもいなかったのが 「らくだ」である。らくだと仇名される馬太郎(亀蔵)は河豚の毒にあたって頓死する。遊び人の半次(三津五郎)は通りかかった紙屑買の久六(勘三郎)に死体を担がせて家主とその女房を脅して弔い金を用立てる。死体を前にして二人が重なって踊り、場内は異様な大爆笑に包まれる。そして半次と久六は酒盛りを始める・・・・・・。落語種の作品である。後日つぎのような新聞記事にも目がいくようになった。「歌舞伎に染まる東京。9月4劇場で多彩な作品」 4劇場というのは歌舞伎座、新橋演舞場、赤坂ACTシアター、三越劇場である。

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