玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*辺野古5泊6日③

2017年11月30日 | 沖縄のこと

 新基地建設反対運動をめぐる沖縄の状況はめまぐるしい変化をみせる。この週は基地建設に使用する石材搬出のために、県が国頭村の奥港の使用許可を出していたことが明らかになった。沖縄防衛局は石材を海上から搬入しようというのだ。15日には大城博治さんを先頭とする市民団体は使用許可の撤回を県に要請した。

 16日は沖縄県うるま市で当時20歳の女性が元米軍属に殺害された事件の初公判が、那覇地裁で始まった。被告は海米兵隊に所属した後、沖縄で日本人女性と結婚し、シンザト姓を名乗った。事件当時は米軍基地内の企業に勤めていた。

 この週の後半はゲート前の車両の出入りはなく機動隊の姿はなかった。今回私がその姿を見たのは水曜日の1日だけだった。それでも県外からの参加者を迎えて座り込みは日曜日を除いて続けられる。この時期の沖縄は雨が少ないと聞いていたが、週末は降ったり止んだりのお天気だった。

 

 金曜日には6ヶ月滞在中という79歳のN氏の案内で、辺野古漁港のそばにある運動の拠点になっている浜の二つのテントを訪ねた。そこで新基地の計画の内容などの説明を受けた。N氏は持ち前の開放的な性格で辺野古で多くの知己を得ているようだ。彼は最近オープンした民宿にも案内してくれた。それはゲート前までは5分の至近距離にあり、一泊が二千円という。

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*辺野古5泊6日②

2017年11月27日 | 沖縄のこと

 交通の要衝の世冨慶(よふけ)で高速バスを降りる。そこのスーパーで日数分の食材をまとめて購入し、日に3便しかない午後5時のバスで瀬嵩(せだけ)に向かう。宿主は下半身麻痺の車椅子生活者だ。かつて2か月ものインド単独旅行をした際には、車椅子を改良してトイレ問題を解決したと話していた。障害をものともしないプラス思考の持ち主だ。

 宿の経営は64歳の彼が一人で行い、看護士としての仕事を持ちながら別居する奥様は必要に応じて宿に帰る。私はこれで3度目の宿泊だが、初めて奥様にお会いした。最初の夜の宿泊客は私だけで、これも初めてのことだった。この日の夕食は久米島の泡盛に、島豆腐とちらし寿司弁当で済ませた。

 私の旅は今回は5泊6日で、ゲート前の座り込みには4日間参加した。最近は8時に集会が始まり、工事車両出入りに合わせて、およそ9時と12時と15時に機動隊の実力行使が行われる。以前には早朝6時に集合する時期もあった。第一日目は大浦湾沿いを75分歩いて集会に参加して座り込む。そして午前中2回のごぼう抜きを受ける。

 

 この日の午後に北海道から来ているという、79歳の気さくな男性と知り合った。座り込みのためゲート前近くにあるワンルームマンション(全78室)に住んで6カ月になるという。何のためにか、彼は自分の部屋まで私を案内してくれた。そして不動産屋との契約書まで見せて説明する。正月は家族と過ごすために戻るが、まず1年、できれば2年は辺野古で頑張りたいという。ゲート前で別れて一人で歩いて宿に向かう途中に、後ろから来た軽トラックの見知らぬ方に呼び止められて乗せてもらった。その方は北海道の彼から声がかかり私を拾ってくれたのだった。

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*辺野古5泊6日①

2017年11月23日 | 沖縄のこと

 一番電車で羽田空港に着き、受付で最初は満席ですと言われたが、しばらく待って首尾よく直近の便に搭乗することができた。いつものJALのシルバー割引でこの日は1万6千円である。沖縄の11月中旬は高校生の修学旅行が多いようだ。後部座席の高校生たちが先に搭乗して一般客はその後である。

 那覇空港からモノレールで牧志まで行く。牧志駅の近くに壺屋小学校がある。また壺屋は、かつて琉球王府が各地に散らばっていた陶工を集めた焼き物の町である。現在も「やちむん通り」があり観光名所の一つだ。私は小学2年時の一年間を壺屋で過ごし、壺屋小学校に通ったという。

 

 私の記憶力は自分でも呆れるほど貧弱だ。おぼろげな記憶では、当時の小学校は床のないかまぼこ型の校舎で、住んでいた家は板壁造りで近くに急な坂道があった。そのあと幾たびか沖縄を訪れているが、今回初めて壺屋の辺りを65年前の面影を求めて散策した。住んでいた場所は分かりようがなく、ただ多くの坂道は存在していた。(国際通りと県庁)

 

 さすがに沖縄はあたたかい。コンビニに飛び込んで長そでを半そでに着替えた。壺屋小学校の正門で思いがけないものを発見した。創立70周年記念事業として昨年建てられた「戦後那覇市学校教育発祥の地」という石碑である。牧志駅から国際通りを県庁に向かって歩く。制服や私服の修学旅行の高校生たちの姿がある。県庁近くの旭橋バスターミナルから高速バスで名護へ向かった。

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*乃木大将

2017年11月20日 | 捨て猫の独り言

 立冬の日に「日展」を見学しようと出かけた。ところが国立新美術館の門は締まっている。そこで手元の招待券を見ると毎週火曜は休館日とある。最近これと似たような事態を経験したことがあるなと考える。あれこれ記憶をたどっているうちに、思い出すことができた。そうだ、夏に孫たちと出かけた東御苑だ。定例の月曜の休みでその日は東御苑の中に入れなかった。

 予定を変更して付近を散策することにした。まずミッドタウンにあるはずのサントリー美術館を探すことに。こちらも休館日だったが、それはビルの3階にあった。戻ろうとして、同じ階にどこか見覚えのあるステーキ店を発見した。息子の家族と一度だけ食事をした店だった。「ミッドタウン10周年」の垂れ幕で、その食事は10年前のことだと知った。

 それから外苑東通りを青山霊園を目指して歩いてゆくと、思いがけなく乃木公園と乃木神社に出会った。公園には漆黒に塗られた壁が印象的な乃木希典・静子夫妻の邸宅と、レンガ造りの厩が保存されている。ちょうど昼時で斜面にできた公園のベンチで食事をとる人を多く見かけた。坂の下にある乃木神社の宝物殿では、殉死にまつわる興味深い写真などで多くのことを知った。

 

 そして近くの青山霊園を訪ねて、乃木大将の墓所を探すことにした。霊園の案内板の右下に記入された「乃木将軍通り」の小さな文字に最初は気付かずに手間取ったが、何とか辿り着く。それは青山特別支援学校の近くにあった。その二日後に私は漱石の「こころ」を半日かけて読んだ。「私に乃木さんの死んだ理由が能く解らないように、貴方にも私が自殺する訳が明らかに呑み込めないかもしれませんが、もしそうだとすると、それは時勢の推移からくる人間の相違だから仕方がありません」「私は私の出来る限り此不可思議な私といふものを、貴方に解らせるように、今までの叙述で己を尽した積です」

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*辺野古へ

2017年11月13日 | 捨て猫の独り言

 かなり前から10月の末に今年二度目の辺野古行きを考えていた。ところが歯の治療やら、風邪気味やらで延び延びになっていた。それがついに11月14日出発の運びとなった。いつもの「海と風の宿」に電話で宿泊の予約をする。ケータイも運転免許証も私にはない。家人は食事や体調面を気遣って賛成しかねるという顔をしている。

 11月の沖縄は平均気温が22.1度、最高気温は24.6度、最低気温は19.9度(それぞれ平均値)だから日中は汗ばむこともあるという。さらに降水量も1年の中で少ないようなので、外出する(座り込み)にはよさそうだ。沖縄には小学2年時に1年間だけ暮らした。家族は奄美群島が復帰する年に沖縄から奄美に戻った。(ある日の散歩にて)

 

 今週は天皇、皇后両陛下が屋久島や奄美群島を訪問されるという。16日に鹿児島空港から屋久島へ、その日のうちに沖永良部島に向かい宿泊。17日は与論島で百合ヶ浜見学など。18日は宿泊地の沖永良部島で黒砂糖作りなどを視察して同日夕に島を離れ、鹿児島空港を経由して帰京という。

 17日の与論島の両陛下と、沖縄本島の辺野古の距離は海を隔てて、わずか約50㎞である。自主だの主権だの声高に唱えながら、実際は卑屈なまでにアメリカに従属する政策に固執するのは誰か。さらに言葉を愚弄しながらそれに気付かない劣悪な国家主義者が権力の座に居座り続けている。私は絶望するしかないのだが、政治に関する権能を全く有さない象徴天皇の、個人としての想いを聞いてみたい気もする。

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*継続していた!

2017年11月06日 | 捨て猫の独り言

 毎年秋に、小平市の中央公園を中心に開催されていた野外彫刻展を昨年は目にすることがなかった。小平市と連携し、武蔵野美大の彫刻家の学生が主体となり開催されて30年以上も続いている貴重な展覧会だった。今年も催される気配はない。やはり学園祭と時期が重なり何かと大変なのだろう。ものごとにはすべて終わりがあると諦めていた。(一泊旅行にて)

 

 ところが昨年から場所を変えて存続していることを知った。その場所とは隣の国分寺市の武蔵国分寺公園の円形広場だった。小平市から離れるにあたって、いろいろあったに違いない。昨年の国分寺市は6回目を迎える「ぶんぶんウォーク」という企画があり、それには2日間で1万人以上の来場者が見込まれていた。それにかぶせれば鷹の台駅前の中央公園でやるよりも見てくれる人は圧倒的に多い。

 作者からすれば、たくさんの人が来る場所に展示したいのは当然だ。「ぶんぶんウォーク」のメイン会場がまさに武蔵国分寺公園だから、予定来場者の半分が見るとしてもかなりの人に見てもらえる。大学主催であればともかく、完全な学生有志による自主企画なので、誰も強く止めることはできなかったのだろう。

 今年も同じ場所で開催されるという。「1987年に小平市で開催された小平野外彫刻展を皮切りに、時代に即して名称や会場を変えつつ、約30年にわたる歴史を刻んできた伝統のあるものです」と説明の表現に苦心の跡がみえる。公園が美術館に変身!「喚起 ムサビアートサイト2017」を開催。日時2017年11月11日~26日とあった。円形広場は、この夏の半日を孫娘たちと遊んだ場所だ。

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*武蔵美芸術祭

2017年11月02日 | 捨て猫の独り言

 冷たい雨の続く秋だ。せっかく蒔いたホウレンソウは、発芽したもののいつの間にか地上からその姿を消した。残しておいた種を再び蒔くチャンスをうかがうが、それも延び延びになっている。日照時間の少ない秋だ。それに比べて同時に蒔いたシュンギクの苗はどうやら生き延びている。

 武蔵美の芸術祭が今年も10月末にあった。3日の期間のうち2日は雨に見舞われたが、それでも相変わらずの人気で大勢の観客が訪れたようだ。その一部を記録しておきたい。先ずは関東圏の5つの美大(多摩美/武蔵美/女子美/ 東京造形/日藝)の有志メンバーによる「五美術大学交流展」から。これは芸術祭の期間中だけの展示だ。

 

 構内の美術館の展示室では10月16日から11月11日まで「戸谷成雄ー現れる彫刻」が開かれている。木、灰、アクリルを用いた彫刻だ。

 

 同じ美術館で9月4日から11月11日まで「やきものの在処・・ありか‥」と題して、大学が所蔵する陶磁作品が展示されている。(順に縄文、平安・9世紀、朝鮮半島・16世紀)

 

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