玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*四葉のクローバー

2017年02月27日 | 捨て猫の独り言

 しばらく続けてみようと思う健康法に出会った。特段なことではない。湯冷ましを毎日2リットルを摂取するという単純なこと。1日に飲む水の量は1.5リットルが目安と言われているが、それより少し多い量になる。こまめに摂取することがポイントのようだ。さっそく2リットルのペットボトルに湯冷ましを用意した。

  

 一度に多くの水分を摂ると胃の中の消化液が薄められて消化が滞ったり、体内のナトリウム量が減少して疲労感を引き起こしてしまったりすることがあるという。手の甲や向こう脛の肌荒れに効くかどうかはわからない。風邪の予防には効果がありそうだ。水を飲むことで胃腸にウイルスを流し込んでやっつける。中でもこれが一番の動機なのだが、難聴が改善されるかもしれないという淡い期待がある。

 つぎはゴミ出しの話になる。調味料のペットボトルには開閉式の蓋が付いている。この蓋を取り除いてからゴミとして出したい。それができたら、どんなにか気分がいいことだろう。最初に考えた道具はペンチだった。つぎに考えたドライバーが有効だった。注ぎ口の中にドライバーを差し込んで梃子の原理を用いると蓋は簡単にはずれた。ひょっとすると本棚に埋もれている「HOW TO コツ」という本には紹介されているかもしれない。それを確かめたかった。

 その本は暮らしに役立つヒント、アイデアすなわ生活のコツと言われる情報を1000項目以上集めたものだ。定年退職後一緒に沖縄旅行した亡き同僚から「二冊買ったから進呈する」と頂いた。彼の家での夕食会で手渡された記憶がある。何十年ぶりかに開いた本の二か所に、変色した四葉のクローバーが挿まっていた。ご夫妻のどちらかが採取したものだ。その本には私が考案した蓋の外し方は掲載されていなかった。ページをめくっていると「マヨネーズは冷蔵庫に入れないほうが長持ちする」という項目があり、あわててマヨネーズを冷蔵庫から冷暗所に移したりした。

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*作家・平野啓一郎

2017年02月20日 | 捨て猫の独り言

  昨年の私の手帳に平野啓一郎(1975年生)の言葉が残っている。手帳には「取り返しのつかないものをどうするか、それが人間にとって大事なテーマだと思う。相手といる時の自分が好きだという自己肯定感がないと関係は持続しない。恋は自然に高ぶる感情だけど、愛は人工的だという三島由紀夫。関係性を持続する愛を重視する谷崎純一郎。」などと箇条書きしている。中央公論社から出た「かたちだけの愛」に関する記事の中にあった。(写真は小平ふるさと村にて)

   

 「マチネの終わりに」は15年の3月から16年の1月まで毎日新聞に連載された。連載が始まって2か月後に我が家では購読を朝日新聞に変更した。そのため熱心な読者である家人は連載を読めなくなった。そのことを私が知ったのは単行本が最近我が家に持ち込まれた時だった。マチネロスという言葉が生まれるほど好評を博した小説の単行本は16年の4月に刊行された。図書館に貸し出しを申し込んだけれども、予約待ちが続いたようだ。最近図書館から連絡があり、やっと家人は小説を読み終えることができた。

 私は平野啓一郎という作家の存在を気にはしていたものの、これまで彼の本を読んだことはなかった。返却期限が迫っていた「マチネの終わりに」を開いてみた。中年に差しかかった天才的なクラシックギタリストの男性と、理知的な国際ジャーナリストの女性の物語だ。作品に引き込まれ、かすんでくる目をしょぼつかせながら二日で読み終えた。主人公の二人が魅かれ合うことになる状況の描写がとても自然な感じがした。これまであまり読むことのなかった恋愛小説を読んでしまった。

 「変えられるのは未来だけではない。今この瞬間が過去を変えてくれる。未来は常に過去を変えている」という小説の中の言葉を多くの読者が新鮮に感じたようだ。「付随する出来事によって現在と過去と未来のエピソードの意味が変わる、なんてこれまでに考えたこともなかった。なんかすごいものを読んでしまった」というのが代表的な感想だ。書き終えて、作家はつぎのような抱負を述べている。「ページをめくる手が止まらない小説ではなく、ページをめくりたいけどめくりたくない、ずっとその世界に浸りきっていたい小説というのを追求したいと思っています」

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*遺体ホテル?

2017年02月13日 | 捨て猫の独り言

 このところ平櫛田中彫刻美術館は積極的だ。一月は「生前の秘蔵映像公開」があった。井原市田中美術館(岡山県)によってデジタル映像としてよみがえったものという。若き日の田中と期待したが作品は別として、本人の映像は98歳の小平転居後のものばかりだった。二月は特別展「ロダンと近代日本彫刻」を3月中旬まで開催する。期間内にはロダンをテーマに市民文化会館での講演会やコンサート、放送大学での講座などの連携企画が開かれる。

 

 牧太郎は毎日新聞の夕刊コラムの月曜の担当者である。「大きな声では言えないが・・・」という題のコラムだ。話のネタに料亭の女将であったという母親や、新聞嫌いの元官僚の言葉がときおり登場する。新年会で横に座った元官僚が妙な話を持ち出した。「毎日新聞社には倉庫はないのか?あれば遺体ホテル事業に参入すればいい。某印刷会社はこれで株価が上がっているらしい」遺体ホテル?がビジネスになる理由はこうだ。(多摩湖にて)

 

 団塊の世代が早晩、大量に死ぬ。2030年には年間160万人!に達するらしい。火葬場が足りなくなる。そこで遺体を安置するホテルが必要になる。「倉庫業やバス会社が新規参入しているらしい」と、元官僚は多死社会の一面を解説してくれた。牧はこの記事を「株はバクチと同じ。金持ちが勝つ!」と母親に教えられたと書き出し、日本人は内心バブルを期待しているのだろうか?と結んでいる。

 五木寛之は「子や孫に囲まれて息をひきとるようなことはもうあり得ないと思ったほうがよいのではないか。最期は一人でこの世を去る覚悟を持たないといけない時代でしょう。単独死、孤独死が悲惨だとは思いませんね」と語っていた。樋口恵子は名刺の余白に「回復不可能、意識不明の場合、苦痛除去を除いては延命治療は辞退いたします」と書いて日付、サイン、押印したものを保険証と一緒に携帯しているという。

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*さらに日本語勉強

2017年02月06日 | 捨て猫の独り言

 辺野古新基地建設反対のリーダーである山城博治(64)氏は威力業務妨害などで逮捕され拘留が約3カ月間続いている。国際人権団体アムネスティは27日に山城氏の即時釈放や拘留中に適切な治療を受けさせることを求めるメッセージを出した。またこのことを安倍首相や西川検事総長に送るよう呼びかけている。私は昨年の2月初旬に山城氏のもとで辺野古の座り込みに参加した。この頃は沖縄といえども早朝の冷え込みが厳しい。今年は空の便の閑散期でもある4月初旬に行くことにした。その時に元気な山城氏に会えることを願っている。

 

 井上ひさしの「ニホン語日記」の中に「カタカナ先習」とあった。カタカナは漢字の素になっている。イはにんべん、ウはウかんむり、リはりっとう、ワはワかんむり、そしてンはにすいである。小学一年生に、あなたがたはいま、じつはあのむずかしそうな漢字の勉強を始めているんですよと言ってあげる。そうやって勉強は「伏線だらけの持続」であることを理解させる。平仮名は似通ったものが多いが、カタカナの方は「ン・ソ」「シ・ツ」「ア・ヤ」「ウ・ワ」ぐらいなものである。(小金井公園にて)

 

 丸谷才一は「私の教科書批判」の中で「小学生のときから文語体を読ませろ」と主張したが、これも黙殺された。丸谷に「ウナギ文の大研究」というのがある。みんなで揃って食堂へゆく。「何なさいますか?」と訊かれる。そこで蒲焼を食べたい男が「ぼくはウナギだ」と答える。奇妙と言えば奇妙なこの言ひまわしは日本語では許容されてゐる。飛行機の中での会話「あなたはチキンですか、それともステーキ?」これもウナギ文。直訳した間違い英語は「Are you a chicken or steak?」

 また「像は鼻が長い」という文には主語が二つあるようにみえる。「ハとガ」は日本語文法の大問題のようだ。ここで大野晋はつぎのように説明する。日本語では誰がした彼がしたということを重く見ず、相手が知っているかいないかという、相手とのやりとりを重んじて言語を発達させてきている。その結果「は」で受ければその上はお互いに知っていることとして扱う。「が」がきた場合には「が」の上は未知のものである。「は」という助詞は主格とか目的格とかいう格には関係しない。「ぼくは(何を食べるかというと)ウナギだ」「像は(どういうものかというと)鼻が長い」昔々、おじいさんとおばあさん「が」ありました。おじいさん「は」山へ柴刈りに、おばあさん「は」川へ洗たくに行きました。

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