眼圧を下げる目薬を手に入れるために、私は二か月に一度は眼科に通う。遠くの大病院で両目に白内障の手術を受けたあと、右の目に別の障害が見つかり治療を受けていた。目薬を手に入れるだけなら近くの町の医院でも十分である。自転車で50分と徒歩5分の違いは大きい。とにかくまずは診察してもらうことにした。開業したばかりの医院だから器具なども最新式のはずだ。
まず大病院で告知された気にしていた私の2つの治療結果について聞いてみた。この日の診察の結果、初対面の医師はそれらは何の問題もなくいずれも妥当な処置だったと結論付けた。つぎに現在の私の問題は左右の視力のアンバランスからくる眼の疲れである。できれば独眼竜正宗のような眼帯があれば楽になると訴えてみた。それに対しては左右の目で人は目の前のものを立体的に把握しているから、たとえ弱い視力でも貴重なのだとして私の申し出を却下した。
私はその場で決断した。病院を変えてこれからここに通院するが、どんな手続きが必要か聞いた。医師同士が連絡をとれば、一月ほどで前の病院からカルテが届くはずだという。そのように取り計らってもらうように頼んだ。これまで通っていた大病院の医者名一覧が私の目の前のパソコンに表示されていた。
版画家の棟方志功は57歳で左目を失明し、右目は極度の近眼だった。版木に顔をすり寄せながら作業している写真に強烈な印象を受けた人は多いだろう。特に私にはこれからも忘れられぬ写真となりそうだ。棟方は67歳で文化勲章を受けた時、「片目は完全に見えませんが、まだ片目が残っています。これが見えなくなるまで精一杯仕事します」と答えている。