玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

見出しだけ読む

2005年07月27日 | 捨て猫の独り言
デスマスクを検索してナポレオンのそれを見た。ブロンズの死面であった。更にもう一件はデスマスクを約20万で製作しますという石膏像製作所の広告があって、その中にゲーテの石膏の死面を見た。死は万人に平等に訪れる。私の死に顔はあまり多くの人に見て欲しくないなと思う。穏やかな死に顔である自信がない。死んだらそれまでなのに。

どうせ生きるならあまり不平不満を言わずに生きれたらいいなと考えていた。やはり死に顔にはその人のそのことが現れるのだろうか、あるいは死の恐怖の影響がどこか残るのだろうか、そのことについてのエッセイなどが見れないかと検索したのであった。その代償行為なのだろうか、婦人公論(8/7号)の新聞広告の見出しをじっくり読んだ。(550円なんだから買って読んだら良かろうに)

大テーマ「自分を愛して生きていますか」創刊90周年記念特集である。自分を愛することが如何に難しいか。〈足りないものを数える日々から卒業して〉不満地獄がいいはずない。〈KABAちゃんフェミニンなアタシでいいじゃない〉女性になりたい男性を認める。(女子アナの仮面を捨て、居場所を見つけた)男である私は見栄をはることあまりなし。(隣の芝生が青く見えるあなたへ)妬むこともあまりない。(自分嫌いを脱する大人のメーク)おっとこれは女性対象。(毎日を上機嫌に暮らす七つのヒント)毎日の不機嫌の時間を短くすることは意外と難しい。そのために睡眠時間を長くしている。(読者手記・永遠のコンプレックス*性格さえ暗くした音痴の苦悩*靴下を脱げない30年を経てこの夏久々にサンダルを買う)ひとそれぞれに秘めごとあり。

見出し逆読みすると、すべていい人生を送るための教訓になっている。そしてそれはいい表情で死ぬことにつながるのかも。あらゆる呪縛から逃れることは難しい。


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早朝に小鳥のさえづり

2005年07月25日 | ねったぼのつぶやき
  老いのせいで?(こんな言葉はまだ使いたくないが)か 、睡眠時間が少なくて済むようになり目覚めが早くなった。4時ごろになると朝刊がポストに配られているので、その時間を目安に置きだすことになる。

 毎朝の手順は決まっている。あらかたのブラインド、窓を開け風を通す。ポットに水を差しコンセントに差し込む。洗面をする。朝刊を取りに庭に下りる。仏様の花の水、お茶を変え、線香をつけ今日あることの感謝を捧げる。朝食であるお茶漬けの準備をしてテーブルにつく。

 ユックリと新聞を繰りながら、お茶漬けをすすり、漬物を食み、タップリのお茶をいただく。私の朝食はすこぶるシンプルだ。たったそれだけで充分なのだ。たまにはヨーグルトや果物も食するが本来はいらない。テレビは勿論ラジオすらも、この時間においては一切が雑音と化す。

 聞こえてくるのは開け放った窓から小鳥のさえずり、交歓の声のみ。車の往来はもとより、人の気配も全くない。この、時にうるさいと思えるほどの小鳥の交歓のさえずりが心地よくて、早起きがちっとも苦にならない。小鳥のさえずりが途絶えた一瞬の静寂の時間さえも、より深いしづけさを教えてくれる。

 そんな中、朝刊を一時間以上かけて読む。あっちのページ、こっちのページと行きつ戻りつしながら。その時間こそが至福の時間といえようか。それにしても暗いニュースばかりが多くて気重になるのが実態だけれども。

 7時を過ぎる頃からご近所のゴミ出しの音や、通勤を始める靴音などが混ざり合い、8時ごろになると通学の生徒で賑わい始め、そうなるとさえづりはピタリと聞かれなくなる。喧騒な時間に差し掛かる前に、彼らは自分たちの楽園である上水路のほうへ移動していく。しかし果たしてそこは楽園だろうか?。人間の都合で段々狭められつつ・・・・でなければいいが。

 

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恐ろしいものは?

2005年07月24日 | ねったぼのつぶやき
かっては恐ろしいものの代名詞として地震、雷、火事、親父といわれました。それらは今やスッカリ大量輸送機関の事故、局地的な自然災害の多発、予測不可能ともおもえるテロ、果ては戦争などに取って代わられ、 個人的には防備のしようもない不安な中で、生活しなければならない世の中になってしまいました。

 昨夕は首都圏を中心にかなり大きな地震がおこりました。我が家にお越しいただいていたパソコンの先生も、その時間帯に巻き込まれかなりの苦労をさせてしまいました。TVや朝刊をみるかぎり、点検箇所の多さと確実性を期すためには多くの人手と時間が必要のようです。
 
 先日は終戦〈敗戦〉記念日をまじかに控え、記録を通してしか知りえない戦争展を見に行きました。当時は勿論今もなお原爆の後遺症に苦しんでいる人たちがいる。苦労の果て帰国は果たしたものの言語の獲得、生活の自立に困難をきたしている人たちも多い。ある方は思い出したくないと出かけず、同行したご老人はオイオイと泣かれました。

 今や混雑している場面に遭遇すると、「ここにバクハツが起きたら」と考えてしまう習性が身についてしまっています。勿論対策など在りようもないのに・・・・・。今年も夏休みに入り、多くの人が移動するシーズンがやってきました。出国組より国内組の方が多いのは久方ぶりらしい。私は自分の人生は充分に生きて来た。せめて将来のある息子一家、娘だけは無事でありますようにと願わずにはいられない。

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2つの記念碑

2005年07月19日 | 捨て猫の独り言
沖縄県は92年に平和の礎(いしじ)建設委員会を設置した。その3年後終戦から50回めを迎えた6月23日の慰霊の日に糸満市摩文仁の平和祈念公園にて平和の礎の除幕式典がおこなわれた。戦没者の追悼と平和祈念、戦争体験の教訓の継承、安らぎと学びの場の形成の3つが基本理念。

私はこれまで、99年と00年の2回ここを生徒と共におとずれ、この8月で3回目となる。平和の「壁」でスタートしたが、早い時期に「礎」にしたらしい。

デザインのコンセプトは平和の波永遠なれ。太平洋に面した平和の広場の平和の火が中心である。6月23日の日の出の方向と平和の火を結んだ直線上にメイン通路が配置されている。海側の平和の火を中心として半同心円状に刻銘碑が並ぶ。黒光りする花崗岩の刻銘碑は充分な間隔を保ち整然と公園側に広がる。碑は屏風のようだ。5つ折りと3つ折りのタイプがある。刻銘可能数は約25万名という。

もうひとつの記念碑については5月の新聞で知った。

『ベルリンのホローコースト記念碑は、東京でいえば、丸の内あたり、首都のど真ん中に建てられた。サッカー場2つ分の敷地には高低さまざまの石碑2700あまりが格子状に配置されている。墓標を思わせる板には何も書かれていない。設計者が一切の象徴性を放棄したというように、訪れる人の解釈にすべてを委ねる趣向だ。88年に建設を呼びかける市民運動が起きて17年で完工した。敷地の一角の地下にある情報センターでは、展示の冒頭にいかなる予想も裏切ってそれは起きた、だから再び起きるかもしれない、という言葉を掲げている。アウシュビッツを生き延びながら後に自殺した作家プリーモ・レーヴィの言葉である。』

写真で見る記念碑は確かに不揃いで、しかもその間を誰かと連れ立って歩くことはできそうもない。まるで資材置き場のようだ。2つの記念碑のことを知り靖国に代わる国立の追悼施設について考えた。まず場所は立川市にある昭和記念公園の中でどうだろう。ここなら外国の元首を案内するのにも便利だ。

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ヤバイ!事前学習再開

2005年07月16日 | ねったぼのつぶやき
 アレコレ日常の雑事に紛れていたら、ヤバイ!出港までに50日を切ってしまった。

 何せ長丁場の船旅。旅程にあわせた服装や持ち物、船上生活での日用品は勿論、旅行中に期限切れになってしまう運転免許証の切り替えなど、スケジュールをつくり一つ一つチェックしていかないと、抜け落ちてしまいかねない。

 今までは、自分の中では以前から予定されていクルージングだったので、さしたる高揚感も無く事前学習としてパラパラと本をめくっていた程度であったが、今回「サファリへ行こう」という参考図書を読んで、ワクワク感が募ってきた。
 
 その本は、副題が「ヒサ版サファリマニュアル」となっており、写真、図鑑、手書きの絵に添えられた観察のポイントやメモ、文章など。全てが網羅されたマニュアル本でいて、堅苦しさは無く、楽しく書かれており実用書または読み物としてもとても実に面白い。JTBから発行された160頁のA4版の手軽な本だ。

 とりわけ導入部がいい。「サバンナがぼくらを呼んでいる」として、サバンナ暦10何回のヒサが、(私の大好きな)東海林さだお(はじめて)、サトウサンペイ(2回目)を引き連れてサバンナ行きを決行するのだ。ナンタッテ3人とも漫画家。旅の出で立ちからテントの内外、四輪駆動にのったサファリの様子まで全て絵入りでかかれており楽しい。驚いたり興奮したりと息ずかいまで伝わってくる。

 今回恐らく最後のチャレンジになるかもと思い英会話の特訓コースを選択しているので、イングリシュ・サファリになる。
現地の音楽、ダンス、ロッジ泊、イングリシュでのサファリ。たった1泊2日だけれどもモンバサの港から往復の飛行機代を含めて10万円。モトヲトラナキャ・・・モトヲ・・・・・・だけれども??。

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危機?脱出

2005年07月10日 | 捨て猫の独り言
くたくたに疲れていた。体の芯が溶解していくようだった。普通でないストレスだった。たとえば浴槽につかったままその栓をぬくと、いままで浮力を受けていた体がお湯が流出するにつれて重力を感じ始め、ぐいぐいと浴槽に押し付けられていく。そんな重力と類似したものとしてストレスを感じていた。

総合という新しい教科の評価を出さねばならないが、これまでやってきたことは提出物の管理ぐらいだ。1学期は生徒が各自のテーマを確定するところまで。面接と提出物2点で評価する。当初は3人1組の教師がそれぞれ担当の生徒の評価をそれぞれの責任で出すことにしていた。おしなべて私の評価は大甘のようだつた。

完結したレポートの形なら評価のしようもある。私にはとても出来ないと思ったのがいけなかった。そんな私を見かねて、3人の平均値をとることになった。3倍の仕事量になったわけである。残り2人の教師に蚊の泣くような声で、謝るのが精一杯であった。私には出来ません。ご迷惑かけましたと。ところがなんだかんだで、評価は出た。出すしかない。しかし気の進まないことを続けるのは大きなストレスとなる。閉ざされた心のままで、その日は眠りも浅かった。

幸運にも翌日9日の土曜の昼下がり市民ホールで「さとう宗幸」のコンサートを聞くことになる。東京多摩いのちの電話開局20周年記念とあった。ほぼ30年前に大ヒットした日本を代表する抒情歌「青葉城恋唄」で始まった。白のスーツに、ノーネクタイで、薄紅色のシャツに薄茶のベルトに薄茶の靴で、頭や口髭に白いものがみえる。56歳で小柄ながら男もほれるダンディぶり。舞台に近い席にもかかわらず望遠鏡でスポットライトのなかを追う。霧が峰高原の山小屋の主人や永六輔や90歳を過ぎた四国の詩人らとの交流などのトークをはさみながら休憩なしの100分であった。

その日はやらねばならない仕事を持ち帰っていたが、いいタイミングでコンサートのチケットがあったものだ。ねったぼさんが友人と行くつもりが友人の都合がつかず残っていたチケットだ。これで大きなストレスから逃れることができた。

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騙されそうな 予感!

2005年07月06日 | ねったぼのつぶやき
 世の中には色んな商売や、商法があります。家にいると色んな電話がかかってきます。庭仕事をしていて電話のベルに慌てて家に入り、コマーシャルだったりするとシャクにさわって、受話器を置いたまま一人勝手にしゃべらせて作業に戻ったりします。

 最も多いのがお金の運用法(不動産投資、金融投資) 。その他化粧品や飲料水の定期購入のお勧め。車のセールス。千円でクーラー一台清掃しますに始まって、ハウスクリーニング用品のお勧めなど数え上げたらきりが無い。ポストには連日ダイレクトメールや手配りのチラシも入ります。

 電話一つ、チラシ一つで商談がまとまるわけなど無い筈なのに、対面していないのをいいことに、相手の事情や時間などにお構いなく、商談を畳み込まれたりすると腹立たしさを超えて、憤りすら覚えてしまうので、先方様にはイジワル千万なのを承知で、一人語りをしていただくことになるわけです。

 ところが、数年前一度、デモ機でクーラーの掃除を一台1000円でやるという宣伝につられてやってもらいました。クーラーや床などアチコチ掃除して水貯に集塵するようになっており、肉眼で見える水は明らかに汚濁していました。今まで拡散させていた掃除法の過ちと、意外に多いゴミの量に驚かされました。掃除機は外国製でかなり高価ではありましたが効用の方に魅力を感じ、即座に求めたのでしたのでした。

 その後も年に一回ぐらい、同業者がアフターサービスと称して機械の掃除、点検、アドバイスなどをし、それは結構なのですが先方もあくまでも商売。何か売れるものを持ってくるのです。我が家でつまり一対一でデモをやってその効用を見せ奨めるのです。今度もまた買ってしまいました。勿論断りきれずに買ったものではなく、以前からいいカナと思っていたから求めたものですが・・・・・これからは・用心!用心!「この家は上手に奨めたら買う」と思わせてはいけない。・・・・ましてこちらは段々年をとり、相手は段々巧妙になっていくのですから・・・。

 

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理不尽なこと

2005年07月04日 | 捨て猫の独り言
小さな文字は裸眼では読めなくなった。この7月で一年間続いた内科の通院治療が終わる。これでやっと白内障の手術に移れる。どれほどの視力回復が望めるのか楽しみだ。そんな折、天眼鏡を用いて「死の棘」を読んだ。ミホさんのいう理不尽なことをこの本の中から拾い出したかった。こんなに丁寧な読書は久しぶりだ。引用ばかりで恐縮です。

妻は私が女にしてやったことをすっかりききたいという。それは数えられぬほど度かさねて、ききだされ、その度ごとに答えてきたことだからと言いわけをするが、もう一度はっきりさせたいという。「あたしはギモンがこわい。ギモンがおきてくるとあいつの顔が出てきたり声がきこえてきてキチガイになりそうだ。地獄のあたしを救ってくれるのはあなただけなの。・・・」

妻は全身を感じやすいためしの機械と化して私をつかまえ私はそれにかけられてつまずき、妻を飢えの砂漠のなかに取り残す。そうしてとにかくふたりは眠った。目がさめると、裏の工場の機械が動いていて、こどもらもまだ眠っていたが私はかさねて妻のためしを受けた。疲れが私を解きゆるめていたのか、そのとき見ちがえるようにふるまえ、私も妻もかりそめの安堵を得てまた眠った。

「あなた、あいつを喜ばせていたの?」とうつむいていう。「ねえ、喜ばせることができた?あたしはちょっとも楽しくないわ」「・・・・・・・・」「どっちだったの、言いなさいよ」「そんなことぼくにはわからなかった」私は逃げ出したいきもちをおさえ、やっとそれだけ言った。*******「あたしはそれをきくまではゆるしませんよ」「それはねえミホ、非常に個人的なことだろ。それにぼくはそれほど冷静じゃない」「うそ、どうしてあたしにだけ言えないの。******」

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