玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*野火止用水あたり

2016年03月31日 | 玉川上水の四季

 夕刻になると鈴木さんはオープンギャラリーに姿を見せることが多い。そこで鉄棒ぶら下がり帰りの私は鈴木さんによく出会う。季節の狩人の鈴木さんは最新情報を少年のような情熱で私に話す。朝6時の散歩でカワウが漁をしているところに出くわした。大きな魚だったので悪戦苦闘していた。一橋大国際キャンパスで百羽ぐらいのイカルの群れに遭遇した。出歩く人には敵わないと思う。

 ギャラリーの観察会は昼過ぎに終わるのが常だが、27日の春分のそれは「ぐみくぼ公園」で昼食をとることになっていた。観察会では毎回その名を知るなどの新しい発見がある。「シキミ」という木が花をつけていた。仏事に用いるため寺院に植栽されるという。「バイモ(貝母)」が花をつけていた。地下の鱗茎は二枚の厚い貝状の鱗片が相対しているという。(シキミ、バイモ、ツクシ)

 

 公園の隣りは多摩変電所で鉄塔に「只見線」とある。福島の只見ダムで発電されて送られてきているのだ。柵の辺りにはオオイヌノフゲリの近くにツクシが顔を出している。多摩川の水を取り込んだのが玉川上水で、その小平監視所から枝分かれして埼玉に流されているのが野火止用水である。豊かな雑木林の野火止緑地の高い木の枝に小さいタカのツミが止まっていた。近くには小枝を寄せ集めた巣が見える。

 

 鈴木さんが用水の水面に張り出した木の内側を覗き込んでいる。ゴイサギがいないか捜しているのだという。また5月の連休明けにはカワセミの巣に案内できるだろうと話したことがある。その場所はこの野火止あたりではないかと私は予想する。残念にも公園の枝垂れ桜はつぼみのままだった。しかしフキの佃煮などいただきながら黒糖焼酎でいい気分になる。その翌日、私は一人あの場所に出かけてゴイサギに出会うことができた。このことはいずれ鈴木さんに報告することになる。

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*ことば遊び(二)

2016年03月28日 | 捨て猫の独り言

 池田晶子氏の著書から引用する。「現象でなく論理としての死、すなわち(ことばで)考えた死を考える。まず一人称の死というのがある。「死が存在するときには私は存在していない」そして「私が存在するときには死は存在していない」つまり一人称の死は存在しない、無いということになる。二人称の死は親しい人の死でいつまでも生きているという言い方が可能、三人称の死は一般的な死で誰それさんが死んだと我々は納得している。

 我々は現象と論理のはざまで生きていると池田氏は言う。関連する素適な詩と歌があった。「私たちはくり返すことができる 他人の死なら 私たちはくり返すことはできない 自分の死を(谷川俊太郎)」「わが死後の空の青さを思いつつ 誰かの死後の空しか知らず(内山晶太)」そしてまた解剖学者の養老先生は、一人称の死体は概念としてしか存在せず「ない死体」  二人称の死体は悲しみでみる死で「死体でない死体」 三人称の死体は無関心でみる死で「死体である死体」と解説している。(五日市街道のコブシ)

 

 近藤勝重氏の3月17日の夕刊コラムに興味深いものがあった。数学者岡潔氏は「自然の中に心がある」という仮定と「心の中に自然がある」という仮定の二つがあると断ったうえで、こう続けている。「十五年前にははじめの仮定を採用していた。しかしいまは後の仮定を採用している。心の中に自然があるのだとしか思えないのである」 そうだとすれば「自分」はある時は月に、またある時は花に変わるわけだ。いや、面白い。(ハクモクレンとシモクレン)

 「○○上手な○○下手」というフレーズがある。最初に目にしたのは、ある週刊誌の競馬記事のタイトル「予想上手の 馬券下手」だった。これとよく似た傾向のものに「商い上手の 仕入れ下手」がある。教訓的になると「話上手の 聞き下手」や「口自慢の 仕事下手」などがある。「病上手の 死に下手」は良く病気にかかる人は簡単には死なないということ。これは冷ややかにみているのかそうでないのか判断に悩む。

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*ある日の散歩

2016年03月24日 | 捨て猫の独り言

 季節を感じることができる散歩道が近くにあるのはありがたい。緑道は遠目にはまだ冬木立のままだ。その中のコブシやモクレンの白い花は私にはどこか寂しげに見える。(3月21日撮影)

 

 緑道の一部区間に街灯が設置される。これまで街灯が少なくて、夜になると真っ暗になり一昔前の田舎道のようだった。それはそれで良かったと思っていたが、通学路でもあり学校関係者の強い要望で実現したのだろう

  

 甲子園の高校野球のバックネット裏の最前列席に異変が起きた。運営委員会は少年野球チームを招待するために、最前列席をふくむ118席のドリームシートを設置した。招待者は1試合ごとに入れ替わる。いつもテレビに写っていた最前列席の8号門クラブの大人たちが画面から消えた。テレビには映らない席に引っ越さざるを得なくなった。確実な情報によると8号門前の野宿は継続しているという。

 

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*ことば遊び(一)

2016年03月21日 | 捨て猫の独り言

 「石に枕し流れに漱(くちすす)ぐ」というのは俗世間から離れて自然に親しみ隠遁生活を送るという例えだ。これを「石に漱ぎ流れに枕す」というのは負け惜しみが強く、屁理屈をつけて自分の間違いを正当化する例えだ。「石に漱ぐのは歯を磨いて丈夫にするため。流れに枕するのは俗事を聞いた耳を洗うため」と言ってこじつけた故事によるそうだ。

 このように前後をひっくり返して注意を喚起するような機知に富んだ表現がある。「みんなは食べるために生きているけれど、僕は生きるために食べている」というソクラテスの言葉は有名だ。「私が言葉を語る」と「言葉が私を語る」の後者の方は味わいがある。こんな歌もある。「いつかふたりになるためのひとり やがてひとりになるためのふたり(浅井和代)」

  

 「親の心子知らず」と「子の心親知らず」は両方のケースがありうる。欠点だらけだが中には良いところもあるのが「瑕(きず)に玉」で、申し分ないが少し欠点があって惜しまれるのが「玉に瑕」である。「知る者は言わず」と「言う者は知らず」この二つはたしかに異なる状況だ。「思し召しより米の飯」や「心もちより 搗(つ)いた餅」や「情けの酒より 酒屋の酒」などはひっくり返すと価値観が変わる。(フキタンポポとクロッカス)

 

 ひっくり返しても意味が変わらないものもある。「苦あれば楽あり」「健全なる精神は健全なる身体に宿る」「色足是空」。ことば遊びと言えば思い出す詩がある。 「海よ僕らの使う文字では、お前の中に母がいる。そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある」という三好達治の詩だ。mere(母)とmer(海)でどちらもメールと発語する。さて「ダメでもともと」と「もともとダメで」のような、思わず笑みがこぼれるようなものはないか、捜しているのだがまだ見つからない。

 

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*期限切れ

2016年03月14日 | 捨て猫の独り言

 昨年の冬は湯沸かし器の不調で、浴室で何度か寒い思いをした。とうとう昨年の2月中旬に買い替えたのだがなぜもっと早く買い替えなかったのだろう。今思うと不思議な気がする。何かの部品が壊れて、接着剤なんかを新しく買ってあれこれ悪戦苦闘しながらも、結局は修理を諦めるという苦い経験と似ている。機器などの耐用年数には限りがある。早めの決断が必要ということだ

 昨年で運転免許の更新は止めた。視力の問題ばかりでなく、運転には不向きという自覚もあった。今年でパスポートの期限が切れる。これから海外に出かける気はないが更新しておくのがよいだろう。5年と10年があるというのでしばし考えた。万が一のためだから10年用にしておこうと思う。先日、新しいクレジットカードが郵送されてきた。有効期限は5年先という。この時は「あと5年、はたして生きておれるか」と考えた。(写真は小平市中央公園にて)

  

 賞味期限が近づいた食品が値引きされて売られることがある。都のモデル事業として、値引きシールと合わせてキャラクターをあしらった「つれてって!それ、フードレスキュー」のシールを貼る試みが始まったという。売れ残って捨てられることから食べ物を救うという意味だ。見切り品を恥ずかしいと思う人も堂々と買ってもらえるようにと期待してのことだ。見切り品愛好者の私はバナナのそれに関心があるがなかなか出会わない。

  

 ひところ化石燃料の枯渇が取りざたされたことがあったが、最近あまりその話は聞かない。今は温暖化の話題でもちきりだ。さて、この地球上の生きものは確認されているだけで約175万種にのぼるという。それぞれが人知を超えて結びつき、作用し合って、豊かな生態系を作っている。ところが今や、日々100種ほどが消滅しているともいわれる。人類は地球を消費しているということだ。人類に残された時間を象徴的に示す世界終末時計というのも考えられている。

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*啓蟄の頃

2016年03月10日 | 捨て猫の独り言

 庭の梅は2月の中旬に一気に開花した。3月5日の啓蟄には梅の落花で庭の飛び石のあたりが白く敷きつめられている。ヒヨドリが飛来して名残惜しそうに梅の蜜を吸うたびに花びらが舞う。小さな蜂も飛び交っている。シジュウカラやムクドリはキンカンとサルスベリの木の下で何をつついているのだろうか。この時期は小鳥たちが頻繁に姿をみせる。

 蕗の薹が自生していた近くの空き地が今年は宅地に変わって悔しい思いをした。生のままが一番という説も承知だが、いつもは天婦羅や蕗味噌にしていただいている。その蕗の薹のシーズンも終わろうとしている。それを引き継ぐかのように鹿児島や千葉から立て続けにさつま芋が届いてその恩恵を受けている。最近は蒸かし芋を欠かしたことがない。私のおやつに最適だ。(マンサク、サンシュユ)

 

 オープンギャラリーの「立春」の観察会は沖縄旅行で参加できなかったが、続く「雨水」と「啓蟄」には参加した。鈴木さんはつぎの「春分」は27日に花見を中心とした観察会を計画して参加者に予告した。小平市のはずれにある「ぐみくぼ公園」は人の訪れることが少ない静かな公園だ。そこにみごとな枝垂れ桜がある。私は奄美黒糖焼酎「喜界島」を持参することにしている。(ムラサキシジミ)

 

 囲碁の井山祐太六冠(26)が1月25日に日本棋院を通じて、将棋の室田伊緒女流二段との3年半の結婚生活に終止符を打ったことを発表した。離婚の影響はみられず、昨年7月からの通算成績は31勝2敗と波に乗っている。囲碁界初の七冠独占なるかという「十段戦」五番勝負が8日から始まった。「今回逃すとチャンスはもうないかもしれないけれど非常に楽しみという思いが強い」と大勝負に挑む。

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*沖縄滞在八日間⑦

2016年03月07日 | 沖縄のこと

  座り込み現場が緊張の連続であるはずはない。時には音楽を流してダンスステップの指導もある、地元のユーモラスな蟹股踊りや、替え歌「ヒマジン」の独唱や、ゲート前名物男のなごやか踊りなどもある。一方向にしか向かない言葉は心を狭くする。血相変える県外からの闘士を見かけたが、私は機動隊や米軍兵士には穏やかに接したい。「戦争は二度と繰り返したくない」という80代、90代の沖縄戦経験者の人たちが、座り込みをしている。辺野古に新基地ができると、地元の人が認めたということになり沖縄の基地の位置づけも変わるという危機感がある。

 私は残り3日間の午後は休養にあてた。午前の座り込みが終わると、ゲート前を離れて基地沿いに60分歩いて地域交流拠点施設「わんさか大浦パーク」にある食堂で野菜たっぷりの昼食をとる。隣りの売店で調理済みパパイヤを連日購入する。一人のどかな大浦湾を眺めながら屋外のテーブルでそれを頂く。そこから湾沿いに30分歩くと宿である。温水シャワーを浴びて東南の角にある6畳で大の字になる。暖かい陽射しの中でしばしまどろむ。もったいない気がして3日目は世帯数が110ほどの瀬嵩の集落を散策した。

  

 三人のアメリカ兵による少女暴行事件があり、宜野湾市の海浜公園で8万5千人が参加した県民総決起大会が開催された。その翌年の1996年に橋本首相とモンデールアメリカ大使が官邸で記者会見して普天間基地の返還を発表した。そして返還合意後の新基地の移設先が検討されて辺野古が浮上する。そして今日まで沖縄の人たちはこの問題で分断され翻弄され続けてきた。沖縄から見ると本土では日米安保条約が憲法より上位にあるとしか見えない。しかし沖縄は変わった。13年の辺野古のある名護市長選で新基地反対の稲嶺進が再選、翌年の11月の知事選挙で翁長雄志が十万票差で初当選、直後の12月の衆議院選挙で沖縄の四選挙区ですべて新基地阻止を訴える候補が当選した。怒涛のような選挙だったと翁長知事は振り返る。

 

 昨年の7月に東京で「いま沖縄と本土を考える」のシンポジウムで開かれた。そこで翁長知事は基調講演を行い二つのことを訴えた。一つは「日本の安全保障は日本国民全体で考えてもらいた」ということ、もう一つは「今や米軍基地は沖縄経済発展の最大の阻害要因である」である。当選直後に官房長官や総理との会談にチャレンジしたがなかなか会ってもらえない。やっと実現した総理との会談で「基地負担軽減に努力していますと言いますが、みんな県内移設だから0.7%しか少なくならないのです」そういう話をしても総理からは返事がなかったという。説得する言葉を持たない政権は、何をなすべきか私たちも考えたい。(完)

 

               

 

 

 

 

 

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*沖縄滞在八日間⑥

2016年03月03日 | 沖縄のこと

 日曜日の午前6時のゲート前はさすがに人影もまばらである。雨がぱらつき始めると、いつもの事なのだろう、道路をはさんだゲートの反対側の広場に、手際よく塩ビ管とブロックと防災用シートで即席のテントが作られた。早い時間なのでテントの中に腰かけた二十数名のうちの大部分は県外からの人たちである。辺野古に来た思いなどを表明しあう。私は小学2年生の時に一年間だけ那覇で過ごした1950年代のことを話した。私が毎朝便乗させてもらう Iさん(66歳)は昨年の国会前デモで目覚めて「ひとりスタンディング」を始めたと話した。早々に雨はあがった。(ひとりスタンディングのIさん)

 ゲート前のリーダーである山城さんは、自治労沖縄県職労の副委員長などを経て04年から沖縄平和運動センター事務局長である。08年に県庁を退職し10年と13年の参院選に社民党から立候補するが落選している。その魅力的な人柄でゲート前をけれんみなくまとめあげる。辺野古に現場で歌える歌がほしいと自ら作詞したのが「沖縄今こそ立ち上がろう」だ。1968年フランス五月革命の中で歌われた「美しき五月のパリ」の替え歌である。リフレインの「今こそ立ち上がろう・今こそ奮い立とう」は今でも私の耳に残っている。そしてこの歌は「沖縄の道は沖縄が拓く」で始まる。

 悪性リンパ腫の医療を受けていた山城さんは、昨年の10月に約半年ぶりに座り込みの現場に復帰したという。どれだけの人が彼の回復を祈っただろうか。この週末の土曜と日曜は休養して旧正月の8日の月曜日には元気な姿をみせた。私の滞在中のその後も精力的に先頭に立ち続けていた。ゲート前には島袋文子さんの姿もある。85歳だろうか。私は「文子おばあ ですよね」と尋ねて握手をさせてもらった。若い二人の女性が前後して「海と風の宿」にそれぞれ2泊した。関西シールズの堺市からきた20歳と、立川市から来た無職の19歳である。20歳の方は昨年も来たという。ゲート前では、中学生や高校生の男女がグループで姿をみせたこともあった。若い人たちは大歓迎を受けていた。(ゲート前の島袋文子さん)

 

 9日の火曜日には機動隊の意表をついて第2ゲート前に移動して抗議活動を行った。山城さんが絶大な信頼を寄せるのが知恵袋的存在で沖縄平和市民連絡会の北上田毅さんだ。指名されて北上田氏は、この第2ゲートの近くに国道をまたいで土砂運搬のベルトコンベアーが作られると説明した。彼のブログ「チョイさんの沖縄日記」は読みごたえのあるレポートになっている。コンクリートブロックの投下を阻止するため抗議船に乗り、防衛局の作業を監視するなど幅ひろく活動する。この第2ゲートは弾薬を運搬する米軍車両が出入りする。アメリカのメーン州のジェイソン・ローン(42)さんは長期滞在して連日のように辺野古に姿をみせていた。この日の彼はギターを抱えて「Don`t Take Your Guns To Town」  を基地に向けて歌った。(指名された北上田さん と ジェイソンさん)

  

 

 

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