玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*あゆみ

2008年04月30日 | 捨て猫の独り言

 時代が変わり成績通知表はあゆみと呼ばれるようになった。父母と園を結ぶ連絡表もあゆみである。裏表紙には児童憲章と児童福祉法(抄)が印刷されている。我が家の寄宿人たちのあゆみを覗いてみた。一日一頁で上段が家庭の生活、下段が園の生活となっている。まず保護者が記入し保育士がそれに呼応するという形だ。2冊あるがまもなく2歳になる子の方の3月14日の記事をここに無断で転載する。この子の父親は4月3日にアメリカに先発帰国している。

 (家庭から) 真似っこが得意な○○ちゃん。よーく見てるためママは下手なことができません。隠れて何かしていると必ず見つけに来て真似します。ママのチョコレートもすぐ見つかってしまいます。先生も気をつけて下さい。今日は大声で 「ちょうちょ」 を歌っていました。

 (保育所から) 観察力がすごいのですね。保育士が新しい遊びを始めるとすぐ見つけ飛んできて私もやりたいと言う○○ちゃん。よく見ています。今日は公園までお散歩に行きました。今日もご機嫌でたくさん歌っていた○○ちゃん。近くを歩いていた人にたくさんかわいいねと言われていました。

 同一家庭の2人目の子は半額になるなどこの保育所の保育料は格安である。実は分娩費もなんとなんと無料ですませている。オムツとミルク代だけは自前で、衣料品その他乳母車などほとんどを贈り物でまかなっている。我が家に寄宿する限り食費も不要だ。調子良すぎることこのうえない。アメリカ行きの家族の2ヶ月のずれは夏季賞与が目当ての一つというからチャッカリしている。もっともその計略のおかげで私は疲れながらもなんとも言えぬ孫達との時間を持つことができている。

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おはら祭天気にな~れ

2008年04月29日 | ねったぼのつぶやき

 「渋谷でおはら」。私が卒業した高校は古く、旧制を含めて100周年をへ「踊り連」も繰り出している。同期5名が参加を申し出て初練習に参加した。遠くは群馬から、イエイエついでとはいえカナダの友も。昨年の50名から今年は倍増の由。先輩の店に参集後、練習場は「あの赤坂議員会館」となった。

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 「おはら節」「鹿児島ハンヤ節」「渋谷音頭」の3曲を約1時間に亘って習い踊った。難しくはない踊りでも、1度に3曲マスターは混乱する。順番を覚えるのが先決でフリを決める余裕など今の所ない。とりわけ男性人は必死の様相(失礼)で微笑ましい。練習の際に詳細な説明を聞く。「揃いの編み笠、ゆかた、足袋、ぞうり」。1度見たことはあるがコリャ”踊らにゃ損!損!”だ。

 本場鹿児島の「おはら祭り」は市制60年を記念して昭和24年に始まり、今年57回目で2日に亘り延べ人数2・4万人を越える大イヴェント。「第11回渋谷でおはら祭り」は、5月18日「道玄坂通り」「文化村通り」で踊り手は2千人を超す。先ずは何より”天気にな~~れ”

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*桜の園

2008年04月22日 | 捨て猫の独り言

 小金井公園は小金井市と一部が小平市、西東京市、武蔵野市にある広さ77ヘクタールの都立公園です。上野公園の1.4倍あるそうです。20日の日曜日にそこの 「桜の園」 を目指して全員で出かけました。思っていたより人影少なく公園の広大さを味あうことができました。私の自転車通勤経路のほぼ中間地点にあります。それなのにこれまであまり立ち寄らなかったことを後悔する一日となりました。

 関西から東京に移り住んで暮らし始めたのが西東京市でした。風呂のないアパート暮らしであったことが懐かしく思い出されます。長男はアパートから比較的近いこの公園のサイクリングコースで自転車に乗ることを覚えました。その後小平市に住むことになり今度は孫達とこの公園を訪れることになりました。

 公園には52種類、約1800本の桜があり、3月中旬に花開くカンヒザクラ(寒緋桜)に始まって5月上旬のミヤマザクラ(深山桜)まで一ヵ月半に渡って桜を楽しむことができます。公園の西の外れにはソメイヨシノ(染井吉野)が葉桜になった後に咲き誇る幾種類ものサトザクラが集められています。そこが 「桜の園」 です。例えばサトザクラの代表的なフゲンゾウ(普賢象)は花は直径約5cmの大輪で淡紅色または白色で、花弁は30~35枚あります。ところがまもなく2歳になる孫娘の関心は桜にはなく、広々とした草地にタンポポが群生して黄色の絨毯のように見える風景の方に向かっていきました。

 非常勤2年目の今年は持ち時間が4割減となりました。このような好条件のもとで、今年は5月の桜を見届けるためにもこの公園に立ち寄る機会を多くします。この神様の贈り物と言ってもよいような孫娘との2ヶ月の暮らしもあと40日ほどです。一年の一番爽やかな季節も幸いですが、今年の新緑はまた格別です。これから先公園を訪れるたびに20日の日曜日に孫娘と遊んだ情景を思い出すことでしょう。

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念願の望郷のバラード

2008年04月17日 | ねったぼのつぶやき

 7~8年も過ぎたろうか。TVで心に沁みるドキュメンタリーを見た。その中で演奏されたバイオリンの音色は更に心に染み渡った。それは「望郷のバラード」と題され、決まって演奏する音楽家天満敦子氏の存在も知り、いつか聞きたいと念願していた。

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 数年来切望していた演目で私の心は逸る!ヤット取れた席は5列目で近すぎた!しかしそれが幸いして弦を滑り、はじく左手の細かな動き。弓を飛ばす右手。瞑想する表。しなる体。と全力投球の演奏者を真近に聴き入った。

 彼女の微に入り細に入る音色の使い分けは、クラッシック通ではない私でも充分に聞き分けられ堪能できた。拍子抜けする程に飾らない衣装や語り口。普通のおばさん風。ワンピース姿でストラディバァリウスのバイオリンを左手に、巨匠イザイの弓を右手にぶら下げて登場し弾いた。最後の「望郷のバラード」は、亡命せざるを得なかったルーマニア人のバイオリニストが、母国を偲んで夜毎弾き続けた曲で哀切に満ち私は感涙した。

 CDを求めたのは当然として、珍しくサイン迄頂いたのだが、その時はスッカリ普通のおばさん(といっても東邦音楽大学大学院教授だが)に戻っていて、小学生が差し出した楽譜にサインをしながら、「ガンバリナ」と励ましていて更に気に入った。帰宅後PCを紐解き、かってのドキュメンタリーが微かに蘇った。記念すべきその楽曲がどういった経過で天満氏に託され、万人の知る所となり、ロングセラーに繋がったかを知って更に大事な一曲となった。(ローマ・パウロ寺院近くの公園)

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*ゆうびん

2008年04月15日 | 捨て猫の独り言

 四月も半ばハナミズキやヤマボウシの季節です。暮れに現金を封筒に入れて郵便局の窓口で投函したが届きませんでした。作業のどこかの過程で抜き取られたと直感しました。それにしても封書が無断で開封され破棄されるようなことがあってはなりません。たまに盗癖という厄介な病気の人が存在します。ことの困難さを認識しつつ事件の再発防止を願って届け出ることにしました。

 事故届けには現金のことは書かずにおきました。結局2ヵ月後に予想通りおざなり回答が電話でありました。その時に現金同封を打ちあけたところ、再度届けを出したらどうかとの仰せでした。先延ばし戦略と思いつつしばらくしてから窓口に出向きました。来ましたよと言うと責任者はまるで永年のつき合いであるかのように満面の笑顔で私を迎えました。この3月下旬に電話で中間報告がきました。もののはずみで、どんな調査をしたのか文書で回答して欲しいと意地悪な要求をしてしまいました。まだその回答はありませんが、いまさら何の期待もしていません。

 孫娘たちの保育園の行き帰りは車で片道30分はかかります。親子の童謡というCDをプレゼントしました。2枚のデイスクに25曲ずつ入っています。一枚は車に、もう一枚は自宅に配置しました。自宅用は眠りに就く時に聞かせます。その中の 「やぎさんゆうびん」 が私のお気に入りとなりました。これは上記の事件とは無関係です。なにか夫婦一般のちぐはぐな有り様を描写しているように思えて身につまされるからです。思い入れが過ぎるでしょうか。

 ♪ しろやぎさんから おてがみついた くろやぎさんたら よまずにたべた しかたがないので おてがみかいた さっきの てがみの ごようじ なあに ♪ (作詞:まど・みちお/作曲:団伊玖磨)  2番はしろくろ入れ替わりです。童謡のCDもいいものです。いろいろな歌声がありますがとりわけ少年のそれは、けなげさとか純粋さとかなんだか懐かしいものを感じてしまいます。

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*前後ありといえども

2008年04月08日 | 捨て猫の独り言

 4月と5月の2ヶ月の期間限定で新しい暮らしが始まった。生まれたての0歳と、5月に誕生日を迎える1歳の2人の女の子と、その母親が我が家に寄宿している。2人の幼児は土日祝日を除いて保育園に通う。毎晩私の肩の上で寝入ることが習慣になった。夜泣きがあるとこたえる。暗闇の中を引き戸を引いて私の寝床まで突進してくるから付き合わざるを得ない。

 その孫が物を落としたり、こぼしたり、こわしたりした時 「あ~あ」 と言うことを覚えた。過ぎ去って還らないという想いこそが人生を最初から最後まで貫いている基本的な情調であることを私達は知っている。その 「ああ」 と孫の 「あ~あ」 に類似があるようでないようでなにやらおかしい。

 文庫本ソクラテス三部作の中には2度にわたり 「前後ありといえども前後せつ断せり」 という道元の言葉が登場する。何のことだか理解できなくて困った。その前後につぎのような文章がある。そこから推理するしかない。 「全存在は電光石火で僕なのだ」 とか 「私という現象は仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明です~これは賢治ですな」 というものだ。

 「生の前後と死の前後」 のことを道元は 「前後ありといえども前後せつ断せり」 と表現したに違いないというのが私のひとまずの結論だ。例えば14歳の子とその親との関係は14年前にはまるで関係はなかったのである。この当たり前のことの不思議に今さらながら気付く。「無」 とはあるといえばある、ないといえばない。

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カナダ女性達と桜愛で

2008年04月07日 | ねったぼのつぶやき

 そろそろ桜も盛りを過ぎ散り初めている。3度目の風邪をひきグズグズしていたが、カナダ女性達と愛でた「桜尽くしの一日」は時を得て圧巻であった。約束されいた日に向かい桜は日毎に咲き、丁度その日は満開となった。電車の窓からも、行く先々の名所の桜も今ぞとばかり咲き誇っていた。

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 電車が遅れ急いで出口に向かった先に、何と小ぶりな「もみじ模様のカナダ国旗」が翻っていた。やや遅れてカナダ在住の日本女性を含む4人がフフッツと笑いながら集い、男性4人を含む小集団となった。

 英語圏で勤務した男性は一人。私は思いの半分も口に出ないものの気持ちは通じ合った。平日で混みあう事もない鎌倉。小旗はヤボ?イエイエ珍しい景色は彼女らの歩みを鈍らせ、友好の小旗は有用であった。寺の境内であどけない園児達が階段に整列した。と、カナダ女性がカメラを構えたら保育士がバツサインを出した。間違ったプライバシーの保護。愛らしい子供たちにカメラを向けるのはバツ?そこ迄する必要ありますか?

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*ただいま休暇中

2008年04月01日 | 捨て猫の独り言

 初めてどぶろくを仕込んだ。仕込んだ一週間後に試飲したが少し酸味が強い。ぐいぐい飲むには勇気が必要だった。そこで春休みに入ってから飲むことにした。3月中旬いよいよ飲んでみると相変わらずコクがない。まがりなりにも酒は酒であって酔うことはできる。2?ボトル5本に貯蔵してある。毎日というわけでなく、少しずつ飲むことにした。とりあえず沈丁花と桜に乾杯だ。

 朝の連続ドラマ 「ちりとてちん」 が終了した。もののはずみで見続けた。一週間分を土曜日にまとめて再放送することも知った。塗りばしやら上方落語やらという日本の伝統芸術の世界を生きる人達の物語である。また主役がいわゆる主役らしくないのだ。自分の人生は常に脇役ばかりと後ろ向きに悩み続けるという設定だ。自分の役割をしっかり生き切る。このあたりまえのことの難しさを伝えたかったのだろうと解釈した。

 この休み中に3冊の文庫本を読むことにした。「帰って来たソクラテス」「ソクラテスよ、哲学は悪妻に聞け」「さよならソクラテス」である。かつてソクラテスの名だけは教科書で覚えさせられた。この年になってやっとソクラテスが何者なのかをある程度知ることになった。むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろくというのはこのことかと思った。

 ある店で偶然ある商品に目がとまった。手に入れようと決断するのは速かった。スタンドルーペである。台座およびステンレス製のアームにアクリルレンズが付いた2つの部分からなる。台座にセットしてスタンドルーペとなり、とりはずして手持式ルーペとなる。取り外したアームの端を軸足にして滑らせる。アームは好きなだけ曲げることができるからこれまでと違い手首の硬直はない。しかし両手フリーのスタンドルーペとして使うことが多くなるだろう。フチなしレンズなのが新鮮な感じだ。暮らしを便利にする道具の製品化に携わる人たちに思わず感謝である。商品のルーペを使用している写真が箱に印刷されていた。それが若い女性だったことには苦笑いである。

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