玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*ワールドシリーズ

2007年10月27日 | 捨て猫の独り言

 西武球場での野球観戦は今年は一度もなかった。球場のあたりは絶好のサイクリングコースがあって緑の季節には観戦をかねて出かけていたものだ。私のプロ野球熱は冷めてしまったようだ。テレビの巨人戦中継も回数が少なくなって静かな印象だ。

 このところ日本時間の午前9時半から放送されるワールドシリーズの実況中継を見ることが可能な状態にある。今年はそれぞれボストン・レッドソックスに松阪と岡島が、コロラド・ロッキーズに松井の日本人が所属しているので日本のメディアが盛んに取り上げるようになった。その波に乗って私も急速に大リーグに興味をもち始めた。やたら感化されやすくてこれでいいのかと思う。

 レッドソックスは1901年に創設された歴史ある球団で通算6回優勝している。その中に興味深い2人の選手がいた。まずマニー・ラミレスはドミニカ共和国出身の強打者である。選球眼がよく、打った後の姿は余裕があって美しい。レフトの守備ではほとんど無駄な動きをしない。今回の第2戦(26日)で6回に途中登板した岡島がピンチを完璧に切り抜けた。ベンチに帰ったラミレスが両手の人さし指でハの字を作って笑顔で岡島に話しかけている。一瞬映し出された画面を見た数秒後にラミレスの仕草の意味を悟った。あれは東洋的とも言えるハの字をした岡島の眉のことだ。岡島へのラミレスの精一杯の敬意の表現と見た。おとぼけのチョイ悪おやじといった面を見せてほほえましい。ヘヤスタイルやユニフォームの着こなしも個性的だ。つぎは第2戦の勝利投手カート・シリングである。アラスカ州出身でまもなく41歳になる。求道者を思わせる風格がある。松坂がひよっ子に見えてしまう。

 NOMOがロスアンジェルス・ドジャースで新人王に輝いたのは1995年のことである。シリングより2歳若い彼は今年からベネズエラリーグに所属しつつ12年間所属した大リーグへの復帰を目指しているという。その執念に驚く。私の近しいアメリカ青年は東部地区出身ながらなぜか中部地区のヒューストン・アストロズがひいきらしい。そこの二塁手で42歳のグレイグ・ビジオのファンという。ネットで調べてみると今年は141試合に出場し、打率0.251で本塁打10本の成績である。40歳台の大リーガーは果たして何人いるのだろうか。選手寿命の長さに驚く。

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夏~秋へ・季節は移る

2007年10月23日 | ねったぼのつぶやき

 暑かった夏も遠のき季節は変わりつつある。初めて味わった花オクラは終わったかに見えつつ、昨日1ツ今日2ツと花芽をつけ、種を宿しているであろう結実も見える。紅カナメ2本に這い放題に這った2本のニガウリは、30ケ位は収穫できたろうか。葉の色は一部変色しつつ未だ10ケ位はぶら下がって成熟に向かっている。

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 彼岸花は涼しさでスッカリ萎み、突っ立ている茎を落とすと吹き出した葉がヤケに目立つ。ハナミズキは落葉が始まり、箒でかき集めると真っ赤な実が顔をのぞかせている。(1日かけた松の手入れ)

 木陰を作ってくれた木々も、冬支度の為刈り込みを要し、すこぶる元気のいい白樫は先だって枝をおろした。高くなりすぎた柿の木も実を収穫したら摘めたい。春先新芽を摘まなかった松は今度はさぼれない。1本は何とかやっつけたが門被りはこれからだ。

 今年は種から撒いたという花オクラの苗をいただいた。来年こそは自分で花オクラとニガウリは種まきしよう。その為には先ずは種の収穫だ。上手くいけば来年は一から手がけた花オクラとニガウリが一層美味しく戴ける筈・・・なのですが。

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*どうなることやら

2007年10月20日 | 捨て猫の独り言

 高校卒業後に私が身近に感じた短歌と言えば 「銀(しろがね)も金(くがね)も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも」 である。植木等の歌を通してこの歌が万葉集にあることを教えられた。その短歌のあとに例の調子で ♪植木等の学のあるとこ~♪ と続く。そして現在は日本において短歌を詠む人の数が増えつつあるというのが私の見立てだ。

 ラジオの 「土曜の夜はケータイ短歌」 という番組をたまに寝床で聞くことがある。若者が中心に投稿している。素直に自由に気楽にそれぞれの想いを表現している。そのことに触発されたかどうかは定かでない。そしてこともあろうに自分がこれまで試みたことのない短歌創りを実践してみる気になった。職人さんがこつこつ修業して腕を上げるようにこんな自分でも継続すれば何とかなるのではないか。まずは踏み出してみよう。しかし確信が持てずに本気ですかと自問自答している。携帯を所有していないこともあってラジオ番組と関係することはしばらく敬遠することにした。

 手元に週に一回掲載の歌壇の新聞切抜きが3枚あるからこの思いつきは3週間前に浮かんだ。我が家の新聞の歌壇の選者は私の知る俵万智さんを含めた四人である。葉書き一枚に一首希望選者を書いて投稿することになっている。「けさもまた載ってませんねと妻の声いっぺんきみも参加してみな」 という作品がその切抜きの中にあった。私も肩の力を抜いてぼちぼち参加させていただきますといった気分である。そのうちにと思っているがまだ投稿はしていない。

 つぎのようなものがこの一週間でひねり出された。かなり我流で初級者によるものをここに公開することにした。

●孫一歳しぐさ真似よと挑みきてパントマイムに食卓弾ける

●悲しみなど知るべきもなき一歳児の子守の後にいとしさ募る

●途切れなき玉川上水に助けられ自転車通勤片道三里

●木犀の香り濃くとも桂林の旅の記憶は薄れに薄れ

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世界一周船旅の個展へ

2007年10月18日 | ねったぼのつぶやき

  旅で御一緒した方から銀座で個展のお知らせが届いた。ご夫婦で参加された方から個展を見た後グループで昼食会をし、その後セカンドハウスに案内しましょうと誘って戴いた。夜3回目の映写会もするという。「銀座で個展」。ウキウキ気分でマリオン向かいのギャラリーへ。

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 旅行中に題材を得たもの70点を含む80点が展示され、船友が20余名集って来た。絵は抑えた色使いながら、船上や寄港地での風物を丁寧に緻密に描写してあり、土地土地の人の表情や土の匂い迄伝わって来た。とりわけ船室の丸窓からイルカが乱舞する海を描いた小さな一枚は私の目を捉えた。表題だけで値段は付いていない。堪能させてもらい一反は会場を出たが「ヤッパリあの絵は欲しい」。取って返し画家に申し出た。彼は喜んでくれ自ら値引きした。私はスコブル満足したので届けられた際には本来の値段にするつもり。

 昼食後逗子まで足を延ばす。住いは海に面し船上にいる気分。海は静かだったが、台風時は波しぶきがビルを叩くと言う。ご夫婦と7人の客は宴やビデオを楽しみ、2人は帰り5人泊めて頂いた。翌朝浜辺を散策しマニュキア様の桜貝を拾った。

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お持ち帰りはゴッソリ

2007年10月13日 | ねったぼのつぶやき

 リンゴ狩りから帰った途端に決まった相談だったようで、泊まってゆく筈の娘がBabyの昼寝が住んだら急遽帰ることになった。普段なら時間をかけスーパーで品選びするのだが、そんな暇はない。大急ぎで生協に行った。手早い料理作りを身上とする私の出番だった。

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 買い物をしながら婿ドノに野菜フンダンを考慮。圧力鍋を使った野菜入り煮込みカレー、具沢山のスープ、野菜満杯のギョーザと焼きソバにした。今日は外食してソノママ帰そうと言ってる人に相槌を打ちつつ体は自然に動く。「2時間で仕上げねばならない」。

 テーブル上の食材に驚く人を尻目にサァ~開始。寝ぼけ眼の娘を起こす。次々刻んで放り込む鍋を掻き混ぜさせ、調味料の量、タイミング、火力を指示す。もう1人に鍋、皿、冷蔵庫からの出し入れを指示する。50ケのギョーザを包み焼く。3口のコンロ、2人のアシスタントはフル稼働。かくて本日の収穫はリンゴ、上記4品、炊きたてご飯、残り物種々、パン、果物、牛乳と紙袋3個分となった。本家の夕食は詰め切れなかった残り物・・。

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*あの人のこと

2007年10月10日 | 捨て猫の独り言

 私は幼い頃泣き虫だった。親とのわずかな時間の別れや、見知らぬ人との対峙や、夜の暗黒などが不安の原因だった。今でも泣き虫だった自分のことを誇りに思うことができない。一歳と五ヶ月のあの人はそんな私とはまるで違っている。外に出て走り回ることが好きだ。今は歩くと前のめりに倒れることが多い。しかしすぐに立ち上がり両手を後ろに揃える愛らしいフォームで走り出す。外で転んでも泣くことがほとんどない。二日ほど親と離れて暮らしても平気だ。「ダダとマミーは?」 と問うと こちらが教えたのだが 「イナ~イ」 と答えるだけである。私はいろいろあるその図太さが羨ましい。

 ちょうど一歳になった頃だった。私が食事中にあの人のちょっとした仕草を真似した。その時のことである。まるで手旗信号を送る人のようにあの人はいろいろな動きを始めたのである。今度は思わず私があの人を真似る番になった。両の腕や指を駆使してそれを対称あるいは非対称に動かした後で、さらにその手を頭の上や、顔の上に置いたり前方に突き出したりする。難問に挑戦する受験生のように私が本気で相手の動きを真似していくと何かに追われているかのようにあの人の動きはますます激しさを増し甲高い笑い声の後にゲームは終息する。この支離滅裂で原初的な豊かな表現力がいつまでも失われなければいいと思う。この楽しい 「真似ゲーム」 はふとした弾みでいつでも始まる。

 爺婆っ子状態の度が過ぎてないか心配なくらいである。今のところ言語に関しては完全に日本語圏の住民だ。母親は日本語で父親は英語と明確に分担すると子供は混乱しないと聞いたことがある。あの人がそのうち二つの言葉を自由に話せるようになればいいのにと願う。

 学生時代を除くと私には居酒屋であれ理髪店であれ馴染みの店というものを持たずに来た。そんな場所が持てるとどんなに楽しいだろう。その場合には店の主やら、店の他の客とは適度の距離が保たれないと長続きは難しいだろう。互いに介入しすぎると足が遠のく。そんなものではないか。それと同じように私とあの人の間にも適度の距離を置くことが必要だろう。現在あの人はその柔らかい頬に私が口づけすることを許してくれている。しかし心しなければならない。

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GODIVAチョコレートの味

2007年10月08日 | ねったぼのつぶやき

 月2回ながら何とか続けている英語のレッスンで、順繰りに2人が2分スピーチをすることになっている。先日当番がゴディバ・チョコの話をした。彼は日本語調発音ながら語彙は豊富でスラスラと話した。劣等生の私には半分しか伝わらない。そもそもゴディバが何か知らなかったのでムリからぬ話だった。

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 後日判明したが、80年の歴史を持ちベルギーの会社が作っている世界に販路を誇るチョコレートの名品らしい。1粒が300円以上もするという。つまり彼は「商標にある乗馬している貴婦人のいわれがどこからきたものであったか」という話をしたようだった。

 それから10日も経たないある日、偶然のことながら、我が家にその商標を戴くGODIVAのチョコレートが、さる人から届けられた。こんな経緯がない普段なら、パクパクと食べられていたであろう「この度の名品」は、恐れをなした世帯主のご辞退を受け、主婦である私1人の限定となった。「1日1粒ゆっくりと」の自主規制のルールに則り2週間はもつ筈であります。フフッ。

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*電子辞書で遊ぶ

2007年10月05日 | 捨て猫の独り言

 退屈な会議では電子辞書を持ち込むと絶好の暇つぶしができると言った同僚がいた。それを実行することなく定年退職した。会議と無縁になっている自分の生活を今更ながら思い知る。当然のことだが言葉はそれを使う私達の生活の変化と共にめまぐるしく変化する。死語になりつつあるもの、二重の意味を持つに至るもの、誤った用法が流布するもの、時を経て輝きを失わないものなどいろいろな言葉が存在する。今回の他愛ない電子辞書の一人遊びの中から目に留まったものをいくつか挙げてみる。

 嫁が産んで一緒に暮らしている内孫よりも嫁に行った娘の産んだ外孫の方がかわいいという意味の 「内孫より外孫」 は家族形態の変化で私などには内と外の区別がつかない。また 「一姫二太郎」 は子供を持つなら最初は女の子で二番目が男の子の方が育てやすいということらしい。これも誤解している人が多いのではないか。「あって地獄、なくて極楽」 は何のことだろうかと思う。金があれば盗難の心配、子供がいれば子育てに苦労はつきもの、金も子供もあれば地獄の苦しみ、なければ極楽のように気楽だということだ。これなどはまさしく現代の世相そのものではなかろうか。

 「君子は豹変す」 は立派な人物は過ちを速やかに改め善に移すことがはっきりしているということだ。今までの思想や態度が急に変わるという意味ばかりではない。「絶体絶命」 は絶体は体が逃れられないこと。絶対と書くのは誤り。絶命は命が逃れられないこと。

 「生者必滅、会者定離」=The first breath is the biginning of death.などは毎日のように心に浮かべたい言葉である。ずばり自分のことを指摘されたと骨身に沁みたのが 「酔生夢死」 である。まるで酒に酔っているかのように生き、あたかも夢をみているかのように死ぬの意から、生きがいのあることをせず、うかうかと一生を過ごすこととある。つぎのような四文字熟語がある。よく眠っていて何も気付かないこと。絶えず忙しく旅行していることを、それぞれ 「白河夜船」 「南船北馬」と言う。これらは消滅しても惜しくない部類に入る。

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ヘチマ、冬瓜、瓢箪

2007年10月04日 | ねったぼのつぶやき

 先の連休に弟がやってきた。彼は役所勤めの傍ら長年に亘り週末農業をやっている。かなり広い休耕田一枚を借り受け畑とし、年に1~2度作物を届けがてら碁打ちに来る。かって農業の経験もあった今は亡き母親も、年中行事の上京の楽しみの1つに彼の農作業を愛でる事も含まれていた。

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 持参した収穫物は写真の他、里芋、ニガウリ、根深ネギであった。私も冬瓜料理は1年に1回位は作る。どうせなら弟が来る日にと小ぶりのものを1ケ購入していた。時を同じくして北海道旅行時、車中レクで引き当てた玉ねぎ、ジャガイモの詰め合わせも届き、我が家は野菜で膨れ上がった。ネギは根の部分を土に埋め込み、ゴロゴロ成り7~8ケ届けられた冬瓜は、近所にお裾分けした残りは大根代わりにと備蓄した。

 冬瓜の固さに比べヘチマは皮がシナシナとしていた。ゴーヤチャンプルー風に炒めて美味しく食した後、「化粧水」という手を思いつき、PCで調べたり、知人に聞いて作ってみた。風呂上り冷蔵庫に保存した化粧水をハタキながら、当分葉物のみ調達すれば間に合う食材を頭に、翌日の献立に思いを巡らす日々が続いている。

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