玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*白日会展

2017年03月30日 | 捨て猫の独り言

 昨秋の日展で美術団体「白日会」と「東光会」という美術団体を知った。どれほどの美術団体が存在するか調べてみたら30近くある。そしてそれぞれの団体がそれぞれの展覧会を開く。「日展」も美術団体の一つだが、その名に「会」とつかないということだ。知人から「第93回白日会展」の招待券が送られてきて、初めて3月の東京展を見学した。その後は4月に名古屋、6月に大阪で開催される。日展で覚えた一人の作者が今回の白日展にも出品していた。場所は日展と同じ国立新美術館だった。油彩、水彩の作品が多く、版画と彫刻もある。秋の日展に、春の白日会展という楽しみがふえた。

 

 

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*庭木

2017年03月27日 | 捨て猫の独り言

 燐家との境界には十数本のアラカシの木が並んでいる。もっと低くしてくれないかと隣人からの申し入れがあった。十数年前のことだ。そのときにチェーンソー(鎖鋸)を買ってきて、アラカシのすべての太い幹の上部を切り落とした。素人の無茶な作業だったのだろうか、アラカシは残った根元の幹も活力を失っていった。そのうちの何本かは朽ち果て、代わりに若木がその位置を占めている。そのため木立に多少の隙間ができている。(国立新美術館 白日展にて)

  

 燐家との関係ではなく、これから先々の自分の年齢のことを考えて庭木の樹高はできる限り低くすることにした。つぎにチェーンソーを使ったのはカキの木である。まず上に伸びている幹の先端を切断した。燐家に伸びる枝は切ってしまうため一方向にたなびく樹形になっている。毎年出てくる垂直に伸びる枝は切り落とす。カキの木の毎年の一番の楽しみは、その若葉に出会うことだ。秋のわずかばかりの収穫は二の次だ。

 つぎはクロガネモチである。常緑樹だが春には新芽が出て古い葉が落ち、秋には赤い実をつける。幹がどんどん大きくなり、根が盛り上がってブロック縁石を突き崩すのではないかと思うほどの大木になった。この木だけはチェーンソーをつかうのに何のためらいもなく芯止めをした。玄関先のウメの木にアブラムシが発生したときは、平常心を失っていた。太い枝をすべて切り落としまるでウメの木は電柱のようになった。チェーンソーを最後に使ったのはサルスベリだった。幹の先端を切った。

 これまで庭木の中でハナミズキと松だけには手を出していない。一時は亡きものにしようと思ったウメが新しい枝を伸ばし始めている。桜切るバカ、梅切らぬバカというらしい。私の庭木への関心が高まり、これから毎年開花後にはウメの剪定を行うことにした。好みの枝振りに仕上げる楽しみができた。またサルスベリの枯れ枝の剪定を初めて自らの手で行った。冬から3月までの間に付け根近くで小枝を切り落とす。その後のこぶしを握った形の太い枝先に、昨日よく見たら「ひこばえ」が出ていた。これは早めにかきとるべきものだという。どちらも若葉が待ち遠しい。

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*教材の準備

2017年03月20日 | 捨て猫の独り言

 私が参加している公民館の「碁苦楽会」に、地域連携講座の一つとして「囲碁のイロハ」を開設するようにという館長からの要請があったと聞いた。3週連続で各2時間の講座という。初回は参加者15名に全体講義、残り2回は受講者2人に指導員1人がついて「九路盤で基本のルールを覚える」というものだ。私も指導員として協力することになった。会の責任者からは、われわれ指導員の個々の持ち味でよろしくと言われ、教材が渡されることはなかった。

 安請け合いしたものの、やはり教材がほしい。適切な入門書を図書館で探すことにした。新星出版社の「はじめてでもよくわかる囲碁」に出会った。安易なやり方だが、この本のページを一緒にめくりながら碁石を並べることにしよう。それからあとは相手に合わせてその場で対応すればよい。そして今回の講座の経験をもとに、孫娘たちにも囲碁を覚えさせることを思いついた。2人の孫娘は今年もアトランタからやってきて、6月と7月は小学校に通う。(小川寺境内にて)

 

 子供たちは碁石で遊ぶことが大好きだ。ままごとでは碁石は豪華な料理に変わる。碁石がぶつかるジャラジャラという音もお気に入りだ。碁石を使って算数の問題を考えることもできる。小学5年と4年として通学する2人に碁を教えるために、先の新星出版の本を購入することにした。初めてアマゾンで注文したところ、950円の本が中古品ながら価格は1円というのにまず驚く。それに送料が加わっても合計258円である。コンビニに置かれている機械での支払いを店員さんに教えてもらった。

 日本では温度の単位に℃(セ氏)を使い、アメリカでは℉(カ氏)を使う。前者はスウェーデンの天文学者セルシウスが、後者はドイツの物理学者ファーレンハイトが考案した。氷点がそれぞれ0と32、沸点が100と212である。おのおの100等分と180等分されているから、180/100=9/5を使って ℉=9/5×℃+32 という換算式になる。人の通常体温について換算すると 36℃=96.8℉ となる。日本ではメートル法が普及したが、アメリカはヤード・ポンド法が根強く残っているようである。手の親指の幅をインチとし、足の爪先から踵までの長さをフィートとした。1㌅=2.5㎝ で1㌳=2.5×12=30㎝ など日本とアメリカの計測単位の違いなどを、孫と一緒に学習するよう準備を始めた。

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*政治とは

2017年03月13日 | 捨て猫の独り言

 ギャラリー主催者・鈴木さんの、啓蟄のパンフレットの一節を紹介します。「継続してきた展示が2004年の8月に突然体調を崩して歩けなくなり6か月間お休みしました。一時は止める覚悟でした。しかし周りからの励ましもあり、寝ている蒲団の中で考えました。これからは昆虫の観察を充実させて、生きものと植物の共生に重点をおいた展示にしようと考えて再開しました。それから3年目になりますがまだまだ満足していません」地域に根ざして生きるとは、鈴木さんのような生き方のことでしょう。(キタテハとコゲラ)

 

 最近の世相に心が乱れて、政治とは何かを考える際に参考にしたい発言をいろいろ捜してみました。「政治というのは、声が高いわりには非力で、人間を本当に幸福にしたことなどなかったのではないか(藤沢周平)」「朝、テレビをつけてニュースを見るが、公人らのいいかげんな発言が嫌で、消したりすることが珍しくなくなった。仕事柄、聞いていた方がいいのではと思う一方で、無理して聞くこともあるまい、とふさぎかかった心を外に連れ出すべく散歩に出るなどしている(近藤勝重)」

 「人間はよほど自分を律していなければ善良ではいられない。良識や思慮深さという重しがとれ、人は品が悪くなり、言いたい放題になり、他人に平気で迷惑をかけるようになる。トランプさんやドゥテルテさんなど10年前なら決して表に出てこられない人が出てきたのは重しがとれたからです。大衆がもういいやと重しを取り去った(高村薫)」「政治を行う地位の高い人は人格者であって当然であり、そうあらねばならないという考え方が東アジアおよび江戸時代の日本の一般的な考えだった(田中優子)」

 「人間関係を、上下、遠近、親疎を第一にしてとらえ、仲良しクラブの一人として生活することを大事にする日本社会をそのままにして、いわゆる民主主義が根付くだろうか。そんなことも問題になると思います(大野晋)」「そもそも民主政体というもの自体を私は信用していない。全員が平等に自分たちの代表を選び、全員で国政を運営するなんてことが可能であるとは思われない。我々はそれほど賢いものか。その証拠に、見よ、選ばれるのは芸能人であり、スポーツ選手であり、あるいはその他<知性あふれる>政治家たちである。民主制というのはそこに参加する全員が、同じくらい賢いのでなければ必ず堕落するというのは、ギリシャの時代にすでに出ている結論である。やっぱり自分が賢くなる方が先なのである(池田晶子)」

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*台湾2・28事件

2017年03月06日 | 台湾のこと

 市場価格の半額以下の紙芝居用枠をネット通販で購入した。購入先は岐阜県加茂郡東白川村だが、世界遺産の白川村とは遠く離れている。下呂温泉に近い東白川村は廃仏毀釈後に再建が行われず、日本で唯一の地域内に寺のない自治体として有名?という。地域内には神棚を製造する工場が多いらしい。その材料であるヒノキ材を使って作られた紙芝居舞台が届いた。その木肌は息をのむほど白かった。

  

 さて毎日夕刊に、鈴木玲子記者による「台湾2・28事件 真相を求めて70年」が2月23日から4日連続で掲載された。それを切り抜き、つぎに要約してみた。◇昨年5月に国民党から政権を奪還した民進党の蔡英文政権は事件の真相究明に本腰を入れる決意だ。事件は長らく台湾社会のタブーとされてきた。45年の日本の敗戦後中華民国(国民党政権)が台湾を接収、当初「祖国復帰」を歓迎していた台湾住民たちも次第に腐敗した一部官僚の横暴に不満を募らせてゆく。

 日本敗戦から2年後の47年2月28日に抗議集会への当局の発砲をきっかけに、デモが台湾全土に広がる。蒋介石が中国大陸から派遣した軍隊が3月8日に台湾北部の基隆から上陸、抵抗する住民らを次々と拘束し、殺害した。国民党が狙ったのは日本統治時代のエリート層だった。日本留学組の被害者は約100人に上がる。大学別では、法曹界に逸材を輩出した中央大学の卒業生が最も多く十数人が巻き込まれた。この2月28日に台北で行われる追悼式には、同大の酒井総長が初めて出席し、犠牲になった卒業生らに哀悼の意を伝える。

 基隆港に近い和平島には最盛期には沖縄出身者約500人が暮らしていた。島には2・28事件の無縁仏の遺骨を納めた霊廟「万善公廟」がある。昨年2月28日その霊廟前で与那国島出身の徳田ハツ子さん(79)=那覇市=が自作の歌詞をつけた民謡を与那国方言で歌った。事件に巻き込まれた父の遺骨を見つけるために何度でも台湾に出かけるつもりだ。ハツ子さんらは昨年11月に台湾当局に犠牲者として被害認定と損害賠償請求を申請した。事件では少なくとも沖縄出身の日本人4人が犠牲になったとみられている。

 3月1日の毎日新聞は「事件の被害者に名誉回復証書を手渡す蔡英文総統」という写真を添えて、台北での今年の追悼式典の様子を伝えている。

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