保守の立場から様々な事象を論じる佐伯啓思氏(74歳)の「トランプ現象と民主主義」と題した論考は興味深かった。(朝日3月30日異論のススメ・スペシャル)私はかつて、若き大富豪トランプ氏「いかなる状況においても自分は勝ち続ける。私が負けることはない」という意味の発言を聞き、度肝を抜かれたことがある。その言葉に噓はなかった。
ある言説が「フェイク」か否かは「事実」に照らせばわかるであろう。だが何でも事実によって検証ができるわけではない。多くの現象は厳密な検証は不可能で、それゆえ双方とも相手の言説をフェイクだと決めつけるフェイク合戦になってしまう。このような現状を佐伯氏は古代ギリシャのアテネの民主制を批判したソクラテスを引用しつつ論じる。
ソクラテスが一生を捧げて抵抗したのはソフイストの弁論術だった。弁論術は人々の心を動かす言葉の使用法であり、論議に勝つための論争術だった。勝つことだけが大事なのだ。ソフイストに対するソクラテスの批判は意見は違っても熟慮と節度をもった議論がなければならないというものだった。それは討論の「競技」ではなく言論の「問答」であり、それが真理に近づく方法だった。
投票によってことを決定する民主主義は絶対的な真理は存在しない、もしくは誰にもわからないという前提で成り立っている。つまり民主主義は最初からフェイクを内蔵しているといえる。大衆扇動は民主主義の異形というよりその根本的な性格のひとつであると考えることができる。トランプ現象はそれをあらわにしてしまった。
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