玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*同窓会に招かれて

2013年01月29日 | 捨て猫の独り言

 高校卒業10周年同窓会に招待されて出席した。土曜の午後2時半からで会場は大学キャンパス内にある10号館の12階である。見晴らしのよい会場からこの日は遠くに富士山が見えていた。開宴の前からあちこちで小さな輪ができる。K君が出張で北京に行ったという話をすると、周りからは大気汚染の質問が出る。K君は外の青空に目をやりながら澄んだ空気の有難さを強調した。卒業生および教師の出席率はともに50%ぐらいだった。どうしても2年間担任した諸君たちとの会話が中心になる。遅れて参加する人もいて別会場で午後5時半から2次会も設定されている。

 卒業時に悩みを抱えていたNさんは「結婚をして子供を産みました」と教えてくれた。Aさんは「結婚はしてないけれど同棲しています」と真顔で強調した。Bさんは「結婚してなぜ私が姓を変えなきゃならないの」と憤慨していた。「彼の身長は私より3cmだけ低く175cm」と教えてくれた。Cさんは会場に生後3か月の赤ん坊を連れてきていて私に抱かせてくれた。赤ん坊の父親はこの会場に来ているという。クラスごとの写真撮影のときに父親は赤ん坊を抱いて別のクラスの中心にいた。たしかこの2人は小学校以来の同窓生である。

 そのCさんは薬剤師の資格を得てこの4月から本格的に勤務を始めるという。子育てにはストレスはつきものだと余計な感想を述べると「愛しくて愛しくてそんなことありえません」と反撃された。公立の小学校の教師をしているDさんも同窓どうしの結婚である。この4月から出身校の私立の小学校に採用が決まったという。Dさんには彼女が高校卒業する直前に遠山啓監修の「わかるさんすう(1年~6年)」を贈ったことがある。「今でも活用してます」という。その出身小学校というのは遠山啓の「水道方式」の実践協力校でもあった。

 まず声をかけようと考えていたのがE君であった。10年前に彼の父親の写真集「あわごんしゅぎ」を私は彼から手渡された。お会いしたことはなかったが彼の父親は沖縄に魅せられて、単独であるいは友人や家族と何度も沖縄を訪れている。私が昨年の沖縄旅行で伊江島の民宿に泊る計画をたてたのもこの写真集の影響が大きい。沖縄のガンジーと言われたのが「阿波根 昌鴻 」である。私は今回の旅行の時にその写真集を持参し、同行の人たちに見てもらった。「お父さんはお元気ですか」という私の一言に不意をつかれた様子のE君が、一呼吸おいて「父は昨年亡くなりました」と低く答えた。65歳であったという。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日加合作映画・「Toilet」

2013年01月23日 | ねったぼのつぶやき

 22日のTV欄で映画紹介(BSプレミアム)に目が止まった。カナダを舞台に、それぞれ問題を抱えた3兄妹と日本人の祖母との絆を描く。プラモデル(ロボット)・オタクの青年が、母親の死をきっかけに実家に戻る。そこには引きこもりのピアニストの兄と勝気で我儘な大学生の妹、更に生前母が日本から呼んだ英語を全く話せない祖母と、センセーと名付けられた猫が残された。 バラバラだった家族が、言語でコミニュケーションをとれない「ばーちゃん」に、表情やボデイランゲッジで意志を伝えあう内、兄・妹、祖母・孫間で家族としての絆を取り戻してゆくストーリーだ。

002 荻上直子監督は1972年生れで千葉大学工学部卒後渡米し、カリフォルニア大学院映画科で学んだ。この作品は2011年トロントで20日で撮影されたという。3兄妹はカナタのオーデイションで選び、「ばーちゃん」と呼ばれる唯一の日本人「もたいまさこ」は荻上作品の常連のようだ。衝撃的な表題は、2006年ヘルシンキで「かもめ食堂」を撮影した際、スタッフが日本のトイレット(トイレ+ウオッシュレット)に感激した際閃いたという。今回日本のウオッシュレットを解説するインド人・オタクのくだりには笑いを誘われたが、確かにこの機器(設備)は秀逸だ。

 「ばーちゃん」は決して言葉を発しない。表情も乏しく頑くなでほんの少し微笑む程度だ。その「ばーちゃん」がパニック障害を抱えるピアニストが意を決してコンテストに挑戦し、まさにパニックを引き起こしそうになった際、会場で立ち上がりモーリ~・クールと大声を発し、親指を立て、我に返って演奏し万来の拍手を得たのだった。祖母の発語はこの一声のみだっただけに一入輝いていた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*囲碁のタイトル戦

2013年01月21日 | 捨て猫の独り言

038

 囲碁の「棋聖戦」七番勝負の第1局が17日と18日に那覇市であった。若き挑戦者の井山九段が先勝し棋聖奪取と6冠達成に向けて好スタートをきった。新婚パワー炸裂である。熱戦の進行はリアルタイムでパソコンで知ることもできるし、テレビ中継で詳しい解説を聞くこともできる。そこでは高いレベルの予想もできない難解な戦いが展開される。沖縄は囲碁の盛んな土地柄である。今回の棋聖戦の立会人は沖縄出身の時本壱(はじめ)九段だった。また宮古島出身の女流棋士知念かおり四段はその弟子である。

 私は囲碁界のこまやかな情報を高尾九段のブログ「たかお日記」から仕入れている。ざっくばらんな人柄がよく出ている親しみやすいブログだ。高尾九段は棋聖への挑戦者決定戦で惜しくも井山九段に敗れた。そのこともあってか、今回は関係者の一人として沖縄を訪れている。そのブログで初めて知ったのだが、那覇市から南へ車で40分の知念半島の斎場御嶽(セーファウタキ)の近くに「藤沢秀行記念館」がこの20日にオープンしたという。高尾九段はそこを訪れて、展示されている師匠の書を見てきたという。個性的な碁は「異常感覚」、自由奔放な生き方は「八方破れ」と言われたのが藤沢秀行である。

033

 なぜ沖縄の知念岬に藤沢秀行記念館なのか、そのいきさつを私は知らない。国際的に活躍するイギリス生まれの建築家ジョン・ボーソンが手がけ、シンプルな中に光と影を表現した建物だという。秀行の力強い書が展示されている記念館にはカフェが併設されていて、そのテラスからは「神の島 久高島」が目の前に見えるという。私たちが昨年11月に斎場御嶽を訪れた頃には記念館の建築工事が進行中だったことになる。書と言えばテレビに写った今回の沖縄の対局室の正面には書があった。ニュースでよく見かける沖縄県庁の知事の応接室にある漢文の書の「びょうぶ」を思い浮かべた。

 棋聖戦はこのあと山形、富山、香川、静岡、山梨と各地を転戦して3月までに決する。テレビの画面からもうかがい知れるのだが、タイトル保持者の張棋聖は私と同じ花粉症に苦しめられているようだ。今年の飛散する花粉の量は並大抵ではないという恐ろしい予報が出ている。うらやましいことに西日本は花粉の飛散が少ない。ここ一週間のこと私は午前中に鼻水が止まらない症状に見舞われた。そこで近くの医院ではじめて薬を処方してもらった。アレルギー反応を引き起こすヒスタミンなどの働きを抑制して、抗アレルギー作用をするアレグラ錠60㎎を朝夕食後に服用として20日分をもらった。昨日から飲んでいるがそれほどの改善は見られない。目はかすみ、鼻水が出て散々である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初めてのフットケアー

2013年01月16日 | ねったぼのつぶやき

 かなりの回数使えるエステチックのチケットを現役の頃買い求めていた。定期的な収入が約束されていた現役時代だったし、相当回数分だったから結構な出費を強いられたけれど、気分転換の意味もあってさほど躊躇いなく求めたと記憶している。その最後の一枚を、ポイント消化の為初めてフットケアーも加えて本日ヤット使い終えた。ヤ・レ・ヤ・レ! 当初は比較的熱心に通ったが、数年間に及んで消化したという事は、途切れがちだったことを意味している。

032 それは駅ビルの最上階にあり、フィットネスクラブ(さほど広くない)等も併設されている。当初はジャグジーやサウナや水風呂等もあり自由に使えたが、故障か採算性の問題か途中からシャワーのみとなった。シャワーを浴びるとクリーニングしたてのガウンをまとい、柔らかいBGMを流した個室で、ダウンライトのもとフェイスや肩・腕・脚に受ける90分のハンドマッサージは心地良く、最高のリラックスタイムである。受けてる最中はこの位の贅沢は許されるわと思うが、再度チッケットを求めるには高価過ぎるし・・。

 初体験のフットケアー。足浴をした後足底全体にヤスリ様の器具をあて角質を落とした。次いで脚全体にスクラブ用のクリームを塗り、両手で強くマッサージしながら表皮全体を時間をかけてピーリングした。全体を拭きクリームを塗り込んで、ラップで包みクリーム成分を浸透させた後ラップを剥いで再度保湿剤を擦り込んだ。起き上って確かめた40分経過後の脚は、もちもちつやつやとして柔らかい。現状は入浴後脚・踵にクリームを擦り込むのがヤットで、実行は難し・・・そう。「せめて脚にもクリーム毎日」を忘れまい!。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*いのち

2013年01月15日 | 捨て猫の独り言

010

 私がときおり参加させてもらう津田塾大学の今年度の公開講座の最終回が1月10日にあった。この日の講師は産婦人科医の池川明氏でテーマは「胎内記憶」だった。今年度の大テーマは「常識を考える」で、各分野から講師が招かれて年間ではその数が27名にもなった。企画と運営はすべて学生が行っている。その中のひとつに11月に行われた相模原の開業医師である小林國力氏の講演があった。40億年前に発生した「原始生命」が進化し分化して数百万種の地球上の生物になったというのには驚いた。

 たとえば死者は正者の記憶の中にしか生きられないということにはうなずけるが、講演で聞かされた地球上のあらゆる生物の始原が原始生命ということは、どうしても私の腑に落ちない。このことは私の想像を超える。高齢者医療に携わる小林氏は「生」「老」「病」「死」の関係を考えようと言う。またWHOの「健康」の定義に改正案が出て検討が始まっているそうだ。肉体的(physical)、精神的(mental)、社会的福祉(social well-being)がダイナミックな状態であることという定義に「spiritual」も加えようという提案だという。この「spiritual」を日本語では何とすべきか悩ましい。

020_3

 「いのち」とは何かを問い直す手がかりとなる視点として小林氏は、連続性と分断性、共通性と個別性、多様性と単一性、全体と個などを挙げる。ひとは死ぬために生きるという永遠のパラドックスを踏まえて生きているのだろうか。個体としては死ぬ人間が、繰返される生命をそれにもかかわらず肯定して生きていくのではなかろうか。そうであればこそ何でもない日常の情景であっても、限りなく深い意味を感じることができるのだろう。

 ふだんは囲碁の教科書ぐらいしか読まない私が、図書館で偶然借りてきた本は歌人・永田和宏の「歌に私は泣くだらう」だった。亡くなった妻であり歌人である河野裕子との十年の闘病生活の記録である。河野が一時精神的に相当に不安定な時期があり、その攻撃性から家の中が地獄のような様相を呈した時期がかなり長く続いた。永田は島尾敏雄の小説「死の棘」を思ったという。「わたししかあなたを包めぬかなしさがわたしを守りてくれぬ四十年かけて(河野)」「歌は遺り歌に私は泣くだらういつか来る日のいつかを怖る(永田)」河野が亡くなる前日の歌「手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が」河野が亡くなってからの歌「このひとを殺してわれも死ぬべしと幾たび思ひ幾たびを泣きし」当時の永田の実感であった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

力強い応援歌となれ!

2013年01月11日 | ねったぼのつぶやき

 昨年の大河ドラマは当初の2~3回見たものの以後は見る気がしなかった。今年の「八重の桜」は楽しみにしている。作者山本むつみ氏は、地震、津波、そして原発事故。あまりに大きな被害を前にして途方に暮れていた・・そんな時、背中を押してくれたのは被災者の「やり直そう。私達は生き残ったのだから」の言葉だった。どの時代でもどの世界でも、生きることは困難で理不尽に満ちている。とりわけ八重が生きた会津藩は、絶望的とおもえる状況に陥っており、賊軍の汚名を着せられ、命を落とし、家族を失い、故郷を追われた・・・大きな破壊のあとにより良い世界を作りだそうと立ち上がる人々の心は、幕末の動乱で無から立ちあがった人々の魂と響き合うのではないかと言う。

020 またプロデゥーサー山本氏は、3・11後海外メデアから称賛された「傷ついても前を向く志と、人と人との思いやりの絆」はどこから?と考えるようになった。52作目の大河ドラマも「面白いものより、今やるべきものを先行させた」と言う。「敗者」の烙印を押されていた会津藩出身者の中から日本の礎を築いた人々を多く輩出している。今迄も多く語られてきた明治維新の物語を、敗れた会津藩とまた鉄砲から知識えと新たな生きがいを得た女性・八重の視点から描くと発言している。

 劇中幼い子供達が「ならぬことはならぬものです」と唱和する「什の誓い」。子弟教育七カ条。そのいずれも現代に通ずるが、「戸外で婦人と言葉を交へてはなりませぬ」の項は時代遅れとなっている。鹿児島にも「郷中教育」という制度があった。いずれも上級者が年少者に授ける躾や教育。その精神を現代に活かすとしたらどんな型になる??今年のドラマは被災地に力強い応援歌となれ!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*年末と年始

2013年01月10日 | 捨て猫の独り言

001

 畑の春菊と小松菜は朝霜に身構えて、陽射しが出ると伸びやかになる。ネリネのピンクの花は年を越していまだに寒風の中で咲き続けている。この暮にはいただきものの柚子胡椒が食卓に登場して、これが鍋や焼き魚によく合うことを知った。また本を買わないと宣言していたひとが「日本の七十二候を楽しむ」という、絵がふんだんに入っている本を買ってきた。その帯に「日本には二十四の節気と七十二もの季節があることを知っていますか?」とある。節気を初侯、次候、末候に分ける。たとえば小寒の初侯は「芹乃栄う(せりさかう)」と季節それぞれのできごとを、そのまま名前にしているのが七十二候だと知った。

 年の最後の節気は冬至(12/21~1/4)である。オープンギャラリー最後の観察会のあとに、私は会の常連であるFさんご夫妻とともに鈴木さん宅にお招きを受けた。私にとっては2度目であるが今回も突然いわれてお邪魔することになった。鈴木さんの奥さんの煮込んだ「おでん」に熱燗の地酒をいただく。やや遅れて参加したFさんご夫妻は出来たての「れんこんのえびはさみ揚げ」とそのほかに一品持参した。鈴木さんが昨夜から用意したのは北海道産の粉で作った「うどん」だ。昼間の宴の仕上げは、いつもとは違う食べ方をしようと鈴木さんが湯がいたうどんに長ネギと鰹節をまぶして醤油をたらしていただいた。

011

 年の最初の節気は小寒(1/5~19)である。昨年から年の最初の観察会は小金井公園の木製のテーブルで手料理を囲んで屋外で新年会を開くようになった。女性スタッフのお一人が燗をしたお酒が一升入ったポットなどを用意して先回りして待っていてくれるのである。理由を思い出せないが、私は一年前の初回は不参加だった。昨年は公園のロウバイがちょうど見頃だったという。今年はそのロウバイも一輪だけでほとんど開花していなかった。風もないせいか昨年より暖かいという。この日の参加者は十数名でいつものことだが女性が多い。鈴木さんをふくめた男四人は紙コップのお酒を快調に消化した。

 今回の冬の青春18きっぷの旅は25日に大阪泊、26日は福知山線の重大な事故現場を通って途中下車の城崎温泉であわただしく湯に入り松江泊、27日は西小倉駅で途中下車して松本清張記念館を見学して博多泊、28日に肥薩線の吉松駅前の温泉に入り鹿児島駅で降りて市役所近くの名山掘りにある最近馴染みになった居酒屋へ直行した。年が明けて残った青春18きっぷ1回分をどうするかを考えた。昨年も同じように1回分を残す状況となっていてその時は横須賀から三崎魚港を回っている。今年は九十九里浜を訪ねることにした。行きは総武線各駅停車で帰りは京葉線快速になった。市川には妹が住む。車窓から見る蘇我駅周辺の活況は印象的。外房線の誉田(ほんだ)駅は2人の知人の最寄り駅だ。東金駅からバスで片貝海岸に出る。1月9日の海で2人がサーフィンに興じていた。(写真は小金井公園、片貝海岸)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*教え子・安倍君へ

2013年01月05日 | 無断転載

 

毎日新聞(2012年12月31日)より転載 

 首相として戦後2人目の再登板となった安倍晋三氏(58)は高校時代、日米安全保障条約に反対する先生に質問をぶつけ、「うろたえ」させたエピソードを著書の中で披露している。その先生は、安倍氏に倫理社会を教えていた青柳知義さん(73)=埼玉県狭山市。「彼が疑問をぶつけてくれたことには拍手を送りたい」と振り返りつつ、教え子にこんな言葉を贈る。「異質の思想や立場の違う人を大事にしてほしい」

 安倍氏は06年の著書「美しい国へ」で、成蹊高(東京都武蔵野市)時代、授業中に安保条約破棄の立場から話をした先生に「条約には日米間の経済協力がうたわれているがどう思うか」と質問したところ、その先生は「顔色がサッと変わり、不愉快な顔をして話題を変えた」とつづっている。詳細な理由には触れていないが、「先生のうろたえぶり」は「革新とか反権力を叫ぶ人たちのうさんくささ」を確信する決定的な出来事だったと記載している。

 70年安保の年に、安倍氏の入学と同時に同校に赴任した青柳さんは、1年生の安倍氏に週2回、倫理社会を教えていた。「特定の価値観を押しつけることは避けてきました。何かのきっかけで安保に触れ、彼がかみついたのだと思います。論破しては彼を傷つけることにもなるから、いなして済ませたのではないでしょうか」

 安倍氏が60年の新安保条約に調印した岸信介元首相の孫だとは当時知らなかった。「メンツをつぶされた気持ちはありません。彼が疑問をぶつけてくれたことには拍手を送りたい」と振り返る。安倍氏は放課後も青柳さんの研究室まで質問に来るまじめな生徒で、礼儀正しかったという。

 ただ、青柳さんは、安倍氏が「戦後レジーム(体制)の脱却」を主張し、憲法改正や自衛隊の「国防軍」化を目指す姿勢を心配する。憲法99条が国務大臣の憲法尊重義務を定めていることに触れ「成蹊を出た学生なら、首相が憲法に基づいて職責を果たさなければならないことを常識として知っているはず。日本の近代史を謙虚に学ぶべきです。沖縄の南部戦跡を訪ね、戦争の悲惨さに思いをいたして」と訴えた。そして、こう続けた。「国家が教育を管理したり、人の内面を問題視したりしてはならない。安倍君には健康に留意し、東北の全面復興に取り組んでほしい」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*年賀状

2013年01月04日 | 無断転載

023

 暮に年賀状10枚を投函したあと南へ青春18きっぷの旅に出た。10日間の年末年始の旅の最終日は1月3日になった。故郷の鹿児島からの帰りは当日シルバー割引券ねらいだ。空席状況を調べると3日の一番早い便に空席がわずかに残っているという。それ以降は6日までどの便も満席となっている。夜が明け初めた頃に空港に着いて、幸運にもその3日の一番早い便のチケットを購入することができた。帰宅すると届いた年賀状の中に珍しくも貴重なメッセージ性の強い一通があったので、それを記録しておきたいと考えた。賀状の主は昨年沖縄旅行をした4人のうちの一人である。

 『あけましておめでとうございます  昨年暮れ、突然解散・総選挙があって、この国の権力はまたぞろ自民党に戻りました。なによりも問題なのは政治権力の正統性です。衆院で不信任案が否決されたにも係らず解散がなされ、最高裁が選挙権の不平等は違憲状態だと判決しているのに選挙が行われ、自民党新政権は生まれました。この選挙で自民党は惨敗した前回に比べ、比例区で219万票、小選挙区で166万票も減らしたにも係らず、得票率40%台で約80%の294議席を得ました。自民党に投票した人は有権者の、選挙区では24%、比例区で15%でした。議席が民意を反映せず、基本要件に欠け、議会制民主主義の前提が崩れています。この政権は民意であるフクシマの徹底的検証ではなく、原発維持に戻り、東アジアの「反日」気運を梃として、戦争の出来る仕組みとそれを補完する教育体制を作ろうとしています。また、この民意をゆがめて反映する国会で、国民のものであって議員のものでもない憲法をいじろうとしているのはとんでもないことです。そもそも、日本国憲法99条に照らして、国会は「この憲法を尊重し擁護する義務」を肝に銘ずべきです。しかし、議会制民主主義が機能しなければ、主権者である私たち一人ひとりが、自ら直接意志を表明し正していくしかない。  皆様のご活躍とご多幸を心より願っております。本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます』 

026

 急に書き込まれたらしく最後の行につぎのことが印刷されていた。

 『2012年大晦日 毎日新聞 社会面は元成蹊高校青柳知義先生へのインタビュー 「教え子 安倍君へ」を掲載しています。ぜひ一読を』

 青柳氏も昨年の沖縄旅行の4人のうちの一人である。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする