玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

通学事情とお稽古事

2020年01月10日 | アトランタ便り

 2学期が始まって以来、3人が出かけた後私達夫婦には東京と変わらぬ2人だけの日常が戻った。夜明け、日没は東京都より丁度1時間くらい遅い。8時には職場に向かう娘は起き抜けにシャワーを浴び飲物片手に出かける。夏ならプールで一泳ぎが入る。中学生の2人も前後して起き出し、それぞれ自分のランチを作り、シリアルかフルーツ等食してスクールバスで一緒に登校する。一昨年までは訪米中の私がランチを用意していた。ランチを残して帰宅すると私は悩んだ。「せめてランチ位作ってやれば?」という私に「自分で作ったほうが残さなくていいの」と娘は事も無げにいう。成程、双方ともそのほうが良いし教育的かもしれないと思う。成長するにつれ学業面では大変な事も多々あるようだが、生活面では楽になったようだ。

 学校は自転車なら10分もかからない距離だが先ず,近隣でも自転姿は見かけない。スクールバスは彼女らの住まうタウンハウスから15~6人、同じタウンで同業者が建てた個別住宅から粗同数の通学生と、更に近隣の住まいからの生徒を乗せ約60数名が中学校へ向かう。料金は無料で学校には20台余のスクールバスが常駐している。勿論家族が送迎している生徒もいる。運転手は時間で雇われていると思える主婦のようだ。朝夕各一便づつで、走ってバスに向かってくれば待つがそうでなければ置いてゆかれるらしい。職場に向かっている娘は、その為に近隣の専業主婦に頼んでおかざるを得ない。生徒らの服装やカバン等様々で楽器やランチボックス、水などかなりの重量で、私も詰め込んだカバンを背負ってみたらひっくり返りそうになった。10キロ余はあろうか?前傾姿勢とらないとバランスがとれない。走るなどとても出来そうもない。

 4時半頃にはスクールバスで帰宅しているから、部活というのはない?。楽器は学校でほぼ毎日1時間やる。お稽古事や学校でやる運動以外は、下校後夫々の家で何らかの手段で送迎しなければならない。運動も楽器もやらせたい娘と孫娘らは、母親が帰宅するまでに宿題(結構量)を終わらせ、曜日を順繰りでほぼ連日楽器かサッカー練習に通っている。そして週末には対外試合で、その都度変わる会場まで各自の親が送迎するのだという。私達が帰日する頃サッカーが再開されるという事で、その繁忙を極める生活を見せられないと娘は嘆く。日本から週一回程度はSkypeしているのだが、移動中である事が多いのも頷ける。学校区も良く成績も悪くないと自慢気味に話す娘は、一人で頑張っている所を余程父親に見せたいらしい。私は娘が話す英語は幾らか解るが、全く解らない夫は、娘が英語で生活できてるだけで充分と思っている様だ。日米事情を比較すると、日本の教師はあまりにも多くの雑用を背負わされていると思う。

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親は廃車で娘は新車

2019年12月30日 | アトランタ便り

 最近とみに高齢運転者の事故に対して世間一般の目は厳しい。そんな中、不本意ながら私自身も後期高齢者という立場に身をおくこととなった。今春までは、運転を辞める積りは毛頭なかったので車検を終えていた。それから順次、誕生日を迎えいよいよ後期高齢者という節目を迎える月が近づいてきた。肝腎の免許証、車の保険契約の切り替えの時期も近づいていた。しかも息子は、「母さん 頼むよ」という顔を向けてくる。注文の少ない息子の意向ゆえ止む無く免許更新を断念した。一方アメリカでは娘の自家用車の寿命がつき、買い替えが必要となっていた。そんな訳で先月は丸1ケ月、日本では車を手放す算段をしながらやっと終え、アメリカでは新車購入の算段をするよう娘に申し付け、アトランタにはサンタさんとしてやって来たのだった。

 私の車は購入後13年目に入ってるとはいえ、傷一つなくしかも総走行距離は3万キロメーターに過ぎない。ガタともビシともいわないのだが、売るとなると買いたたかれる。あまりの安値にウンザリして、いっそ知人に上げてしまおうと段取り迄整えていたのだが、ナンダカンダの騒ぎの中で10万円で引き取られた。簡単にフェリーで車を運べるなら、娘は喜んで乗っただろう。今夏私の大手術に立ち会った娘は娘で、「親孝行」とでも思ったのだろう。一足先に新車を購入し、空港で颯爽と私達を出迎えてくれた。私は毎年夏に訪れているのだが、夫の訪米は2度目。彼にとって娘宅の新居訪問は初めてのことで、丁度クリスマスイブの日に当たり、電飾で煌びやかに飾り付けられた街並を通り抜け暗くなって到着したのだった。

 翌日は近隣の散策を始めた。またその翌日には、遠出をして日本流にいえば片側5~6車線の高速道路に飲み込まれた。そんな中、スイスイと車線変更を繰り返しつつ娘はハンドルを裁く。私がそうであったように、夫も並行して走る大型車やタンクローリーに、はらはらしたことだろう。明後日は冬休みの家族旅行で片道6時間の長距離移動が待っている。その往復路の移動を終えたら、米国の車事情にも慣れてくるだろうか?

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もう少しでバイバイ

2018年09月01日 | アトランタ便り

 新学年がスタートし一ヶ月近く過ぎようとしている。学業(中国語は2年目の生徒と同じクラスは変わらないが、補習時間が始業前週2回加わる)もスポーツも軌道に乗りつつある。私に期待されていた大まかな用事はほぼ果たした。この10年近く、引越しの度に荷物もそっくり移動し、捨てたら?と問えば誰かに回すとか寄付するからと言いつつ、その形跡もなく古びていった電気機器や物品。それらが今もそう広くもない倉庫・アチコチの物入れ・クローゼットに幾つか未だ残っている。今回は倉庫内の数品は廃棄してから報告した。私にはその心理が不明なのだが、単に片づけないのは言訳に過ぎないだけ?娘は来米当初2人目の乳児も抱えており、元・夫は仕事の都合で先に帰国していた為、私は自分でも使ったことのない「自動パン焼き器」を購入し、子守り兼で訪米した。その後も、共働きを始めたので子守りもあって年に1~2回訪米した時もあり、その間4~5回アパートを変わった。パン焼き器は梱包されたまま冷蔵庫の上に鎮座しており、「捨てるよ」と断り即ゴミ置き場に投入した事もあった。今も学用品を始め、靴、鞄、バッグ、水筒等私には目一杯見えるが当然ながら私の知ったこっちゃナイ。

 さてさて私の残り時間は手料理の保存食を冷凍するだけ。買い物は週一回でのヤリクリ。たまに帰路スーパーへの寄り道を頼む。食材と食品庫や調味料の残り具合を見ながら、使える物の使い切り、古くなるのが予想される物は新品に入れ替えたりコッソリ廃棄したり。「余計なお世話」と承知はしてるが、一々指摘するのも疲れるし、コチラも根負けしたりついには感情的にもなる。冷蔵庫内の物でも時に「捨ててもいいよ」とアッサリ言う。下手に相談すると要るものだと宣うのでコッソリ捨てる。実情は気づきもしない。帰国後少々体重が減るのは「貴女が遣り過ぎるから」と連れ合いは常にそう言う。その辺が父親と母親の相違ではあるまいか。

 

 昨年の手伝いは、一応最終的な引っ越しとなり片づけの為1~3階を何度も往復し、初の事だったが動悸を自覚した。今回は最初にそれを伝え自分でも自衛している。その為かいつになく娘は私の体調を問う。最後の5週目に入り、これ迄の様に食料の作り置きをした方がいいのかな?とワザと聞いた。出来れば沢山と即答あり。娘のメキシコ出張中、孫達は元気よく食べはするものの娘の言う様に美味し~いとは言わない。娘は毎晩「美味し~い・美味し~い」と笑顔をこぼし食べてくれる。朝に夕に忙しい娘は共働きをして来た私と重なる。気遣いの足りなさや片づけの苦手意識には苛立つが、時に腹立さえ覚える率直さやその楽天性は決して私は真似出来ない。なればこその異国でのシングルマザーに「頑張ってるよね!」とエールと一種の敬意すら抱いている。

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私の周りのアレコレ

2018年08月24日 | アトランタ便り

 その為に昨年娘が選んで引っ越してきたこの新興住宅地は、いい学校区らしく建築ラッシュ中である。アジア人の親の教育熱心さはつとに有名だが、日本人は半年遅れで引っ越されてきた駐在員家族のみの様だ。幸運にも隣3軒目で、日中車なしの私を自分の用事のついでに連れ出し、落としてくださるので大いに助かっている。その方に誘われて教会での英語レッスンに2回同席させて頂き、次回(火)は最後のレッスンになる。

 その方が私を皆さんに紹介して下さり、ゲストとして迎えられた私も簡単な自己紹介をした。生徒は私を含め日本人5人・台湾・中国各1人とシニアの先生3人。ランチを含め約3時間。プリント2枚が配られた。ポエムの様だ。ヤバイ!!私は数字・歌詞・ポエムは難解なので、長年完全に距離を置いていたのだ。「early Morning Rain」と題され詩が配られ段落毎に解釈される。シニア3人の理解も時に微妙に違いがある様だ?ストーリーは展開するのだが、言葉がはしょられたり、例えがあったり、象徴化されたりで、例え語彙の意味がとれても文としての理解は容易ではない。やっぱり歌唱だった!。最後はペーパーを伏せ歌詞を聞き取る。ついで印字を追う。意味が取れると、歌は柔らかく心を打った。2回目は「Leaving on a Jet Plane」で前回より幾らかよく聞き取れた。歌唱は苦手意識があったけれど、柔らかい歌声は私を魅了した。どこかで入手すべくレコード盤を転記しておいたけれど、果たしてその手筈を取る所迄ゆくかどうか。

 

 さて私の滞在もあと10日間となった。先週末は娘の誕生祝に数人を呼んだ。今夜は、孫娘が中国語を習うことになった台湾人3人家族を夕食に呼ぶ。大の日本料理好きと聞き及んで私が振る舞うことになった。日本語が通じるご主人と通じない御夫人だ。隣の連れ出して下さる奥様とは水曜日にランチを我が家でする。使い勝手の違うキッチンや食材・鍋・事足りない茶碗・皿だけどそれも私のヤリクリ算段で乗り切っている。

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アトランタ・新学期

2018年08月20日 | アトランタ便り

 この時期は何かとせわしい。学校では担任・クラスメートが変わり第2言語の新教科(中国語を選択)も加わった。娘も私も、これからは中国語が必要と考えていただけに本人の選択を喜んだ。しかしいざ始まってみるとこれが難しいらしく、解らないとぐずりだした。やっぱりそうかと娘は痛く納得している。この地域は学校区が良くて教育熱心な親を持つアジア人が多く、ご近所にも米国人より韓国・台湾・インドの方が多いようだ。「話せる人もそうでない人も一緒に勉強するの」と本人は言い、今週中にテストがあると嘆く。私はそのテストによってクラス分けがなされる筈と見ているのだが、当初は「解るとドンドン進むからゆっくりでいいのよ」と呑気の構えだった娘が、子供の友達の親に助けを求めた。

 その方は、私も進級の手続きのため孫等と共に学校でお会いした際挨拶を交わしていた。ご両親共々台湾の大学を出た後、米国で更に学ばれ大の親日家でご主人は日本語も話せるという。昨日テニスの後になったが、初めてそのお宅での個人レッスンが始まった。お返しに娘がその方に日本語と教えることになったようだ。近場で子供同士が行き合いするなか家で、又はプールサイドでこういった関係が築けるのは都合がいい。その方ニューヨーク方面から転入されており、「この辺りは日本の食材が入手しにくい」と嘆かれる程日本食が好きらしい。娘もお呼ばれした事はあるけど、逆は未だないから是非私のいる間にお呼びしたいと言っている。

 ほぼ毎週末、父親宅で過ごす孫2人は今回はコチラで過ごした。先ず9時から初テニスが始まった。プールサイドにあるテニスコートに、小学生後半の生徒が順次集まり(計6~7人)練習が始まった。コーチは外部からやってくる中国人の30代後半の男性。私は約1時間ベンンチサイドに座り、子らの練習とコーチの指導ぶりを観察していた。他の子供に球を配給しながら2人にはコート周りを走らせる。次いで打球する子の後につかせ見せる。ついで配給し打たせる。初心者である孫らの打つ球は真上に上がる。”グッド・エクセレント”と連発して褒める。暫し後、自分が打ち分けてラケットの向きと球の方向をみせていた。練習の終わりには子供同士やらせていたが、コーチの配給下にない球の為お互いに全く返球できないでいた。今・来週から今までフルート一つだったお稽古に、近場ではあるが中国語・サッカー(夕方)・テニスが加わることになってサテどうなる事やら。運動がストレス解消になることを願わずにはいられない。

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アトランタ2018

2018年08月11日 | アトランタ便り

 毎年8月はアトランタで過ごし6年目を迎えた。訪米して丁度2週間になるのに、未だ安定しない睡眠時間が私を悩ませる。その原因は、遅い日の出と遅い日の入りというサイクルの違いだろう。夜は8時過ぎても明るく、朝はその分夜明けが遅い。眠剤に頼っても思うほど奏功しない。たまたま昨夜はビールから赤ワインに変え軽い酩酊を覚えたので、これ幸いと11時前飲んでみたが目覚めたのは3時前。その間すらトイレに起きるのだから、熟睡感が得られないまま起床する。私の眠り様は日本でも同様だが、日本ではNHKの「ラジオ深夜便」に救われて再度眠りに陥っていた。つくづくとラジオが恋しい。

 今日は土曜日。新学年初の週末に当たる。孫の在日中の2か月間、私は日本の生活習慣に沿ったルール,躾を通してきた。しかしここは娘の生活の地アトランタ。私は身内と言えどもあくまでも第3者でしかない。私と娘を超えた孫に至っては猶更そうだろう。広いアメリカで大らかに暮らす人々、対、長らくの習慣に捕らわれ頑固の鎧をまといつつあるに違いない私。娘の為を思えばの発言もおせっかいになることもあるようだ。孫に対しては躾は完全に放棄した。うっとおしがられてはコチラだってたまらない。母親が仕事から帰宅するまでは全くの自分時間を過ごしている。私は傍らで見ながら夕食つくりに励む。

 当地の習い事は全て保護者の送迎付きが鉄則だ。従って仕事を持つ親の都合も加味する必要があって厳しい。体育会系だった娘は自分の子にサッカーをやらせたいと念願していたのだが、やっと子供達の同意と自分の都合が合致し3か月間トライすることになった。今日はそのグランドで、大学生の試合を見学することになっている。緒レッスンでいいのは3か月間のトライ期間に自分に合った競技を見極めるられる事だろうか。しかし真夏の外気の中を走り回るサッカー。練習衣、器具を揃えるのはいいとしても、娘の念願に沿って長らく続けたいと言ってくれるかどうか? サッカー少年として育ち続け、今も尚サッカーを楽しむ息子を持つ親として、気のもめる事である。

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補修工事(その2)

2017年08月17日 | アトランタ便り

 残すは本日を含めて4日間となった今3階ではすべてのカーペットを引きはがし、カーペット下に敷いてあった下敷きの取り換えが始まった。先程は別のペインターが来て、手入れした壁や階段の補修個所にペイントした。時に作業現場を覗くと、ポルトガル語?で問うてくる。理解不能で苦情受付担当のマネージャーを探し伝える。彼はiPhoneを駆使して和訳した日本語を私にかざす。たった今PCに向かっていた私に、PCが’途中で止まるかもしれませんともかざした。例の玉手箱はどうにも変と彼がその業者を呼んだらしい。PCが止まらない内に私もブレイクしよう。 

 夕刻6時前小学生の妹を迎えに寄りヤット娘が帰宅する。今日は都合5件の業者が来訪した。娘は常にマネージャーと電話連絡し合い、彼女の希望に沿って彼は配下の業者に指示を出す。業者はマネージャーと一緒だったりもするが単独来訪も多い。英語圏の業者でもコミニュケーションは難しいのに、ポルトガル語だったりして夕方には私もクタクタに疲れている。それから夕食の用意だ。残った弁当箱があると疲れは増す。

 ほぼ希望に沿った補修がなされており娘の機嫌はいい。そして一言「やればできるじゃん!」誠に然りである。残るはPCの弁当箱の撤去と内、外壁に開けた穴の補修と、階段まわり洒落た作りの継ぎ目のコーティング、壁穴の大きさに合ったカバー(蓋)位だろうか?今回の出番の多くは予定には全く入っていなかった作業に追われた。かって娘は私に言った事がある。邦人が赴任してきた場合先ず最初のオリエンテーションで言うセリフは「米人でもちゃんと仕事をする人はいる。しかし日本人の様に5言えば10することは期待しない方がいい。10言って5位と思った方がいいと」

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新築の補修工事

2017年08月16日 | アトランタ便り

 そろそろ帰国しようかという段階になってやっとPCが開通した。例年私の夏は、アトランタに孫娘を何とか連れ帰り、その後シングルマザー歴数年目に入った娘の家事援助を凡そ一か月やってヤット終わる。その間私は当地よりブログを2~3回の投稿していた。直近の3年間は同じアパートだったから、PCその他環境の激変はなくそこそこの片付けで済んでいた。しかし今回は1LDKのアパートから3LDKのタウンハウスへの大移動で1ケ月たった今でも何一つするでもスッタモンダの連続だ。

 当地は都市化が凄まじくアパートの更新の度に値上げを迫られていたし、長姉は中学校進学で、落ち着いた生活をさせてやりたいという娘と私の願いは一致しており昨年からリサーチしていたのだ。この一年間、娘と私の主たるヤリトリは住まいに関する事だった。2人の共通項は、学校区のよい新興のタウンハウスで(日本流にいえば3階建て長屋形式)少なくとも一側は樹木に面している事だった。そしてやっと念願の我家を入手したのだった。夜着いて朝目覚めて初めて見た風景は娘の自慢に値する物件ではあった。しかしそれからがある。

 これまで複数回我家の新築、改築を繰り返し半分趣味化している私の目には色々と見えてきた。[ここは娘の住まい。本人は気に入ってるのだから口出しすまい」と自戒していた。そしてトイレ内の壁やパイプ回りの接続部位を探ってみたら。。。「貴女の住まいだからケチはつけまいと思っていたのだけど」と切り出すと、ドコドコと言い出し表に出ているところしか見ていなかったらしい娘も唖然となった。1年以内なら無償で補修する契約だそうで、逆に粗を見つけ出してくれという。何事もそうだが、取分け家が’建ち挙る迄には多様な業者が専門分野で夫々の仕事を責任をもって行っている。それがどうなっているのだろうこの国は。4000万になんなんとする金を出しながらコレかよだ。

 現場はメキシカンらしく仕上げが荒い。配管の回りはこんな具合だ。壁や床にドリルで穴を開けっぱなしで、繋いではあるが穴と繋ぐ管の長さや終了後穴を覆い隠す固定具のサイズが合わなくても平気らしい。私の滞在中にと娘は業者を急かすがそれがマタマタで私のストレスは拡大するばかりだ。PCで宿題をやるから早くと急かした挙句が、何かの不都合でガレージの隣の部屋には外に通ずる壁に穴が開けられ、玉手箱様の突出物が設置されていた。敷き詰めジュータンも、キュッキュッと鳴る箇所があって敷き詰め直しとなり、私が孫達と約束していた学習机も未だ搬入出来ていない。

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新聞のない日々

2016年08月27日 | アトランタ便り

日本での私の毎日のスタートは朝一番、新聞の取り込みから始まる。それを知っていた姉の孫娘は「私のジョブ」としてその仕事を決して妹に譲らなかった。その習慣から離れておよそ1ケ月。今やPCでヤフーを開きトップニュースを見ている。昨今は台風の影響がアチコチに及んでいる様で、仕事で日本から帰国する筈だった社長の飛行機が欠航になり、娘は事後処理に追われていた。夕刻スカイプをしていた下の孫娘が、台風の話題にジジにそこの新聞を見せてとせがんでいた。日本にいる時に傘をもって登校するかどうか、自分たちで朝刊一面の天気欄をチェックしていたからだ。

私は午後3時過ぎになると、青空の元木陰を作るプールサイドの長椅子で過ごす。1ケ所に滞っていてさえウッカリ転寝してる間に傘のテントを雨が叩く。当地に来ていつも思うのだが、特に車中に居ると日に何度も雨の襲来に合うはどうして?広範な国を1人1台づつの車が、縦横に設けられた片側2ー6車線を行き交う。しかもスピードと言えば高速並みで、信号も郊外ではナイに等しいからその距離は半端じゃない。本来の気象状況に排気ガスが加わって、半端じゃない移動距離の間に何度も雨の襲来を受けるのじゃないだろうか。

さて今日は滞米最後の週末。娘の車で再度の住まいの下見、韓国人経営の野菜、魚豊富なマーケットでの買い出し、土産物の再確認をする。昨日冷凍庫を整理したら可成りのスペースが生じた。この分では予定以上の作業が必要とされそうだ。

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タウンハウス下見の予定

2016年08月17日 | アトランタ便り

来年の夏になると、上の孫娘が6年生になりこの州では中学校へ進むことになるらしい。小学校もそうでプレスクールといって5才児から入学していた。小学校は良い方だが中学はそうでもないらしく、転居を考慮してるので私も日曜日の午後下見に行くことになった。私も知る娘の友人が仲介業の資格を得たそうで、地域、予算、職場との距離等希望に沿った物件を送信してくれている。ここバックヘッドとはお別れだから、街へ出て一歩きしてみることにした。

道路沿いにはタウンハウスと思われるどでかい建物がソチコチ建築中である。この手の労働者の多くはメキシコやキューバからの移住者らしい。例年訪れるモールは迷路の様で出入り口を間違うと大ごとだ。私は家具店やキッチン用品店を見て回るのが好きだ。店員は少なく店内は広いから、バックヤード用品が置いてあるコーナーでゆっくり腰を下ろし外を眺めつつ長らく休んだ。通り過ぎた店員も、スマイルを送り用があったら呼んでくださいと言う。過日訪ねたイケアとは大違いで、調度品は重量感があり品格に満ちて心地よかった。

私が訪ねた事のある娘の友人の2軒の家も調度品はいずれも磨き込まれて手入れが届いている。さてさて片付け、整理整頓が苦手な我が娘・・・。少なくともキッチンだけは使い勝手のいい物件(作業の流れに沿って冷蔵庫、洗い場、調理台、ガス台、配膳台)をとアドバイスしなくては!!来年中にはMYハウスを入手する事になるだろうから。今回は下見だけだからいいけれど、本番の際はどんな事態になるのヤラ。シングルマザーの娘に心強い味方が近くに居てくれたらとつくづく思う。

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