玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*ルソー

2024年08月01日 | 捨て猫の独り言

 暇の中でいかに生きるべきか、退屈とどう向き合うかを問う「暇と退屈の倫理学」はパスカル、スピノザ、ニーチェ、ハイデッガーなどの先人の教えを読み解きながら実に多くの分野に間口を広げてゆく。 暇と退屈の原理論に始まり、系譜学、経済史、疎外論、哲学、人間学、最終章が倫理学と展開する。

 通読して私の興味をひいたのは疎外論の章に登場するルソー(1712~1778)とポードリヤール(1929∼2007)である。ルソーについては文庫本の「エミール」を最近読み始めたものの、序盤で退屈して読むのを放棄したばかりだった。国分氏はルソーの自然状態論を疎外概念の起源だという。マルクスは疎外された労働を批判し労働日の短縮にもとずいた「自由の王国」を考えた。

 ルソーは文明人の惨めさを嘆き、自然人という純粋に理論的な像を作り出すことで、人間の本性に接近しようとした。そしてルソーは疎外されているから、本来の姿に戻らねばならないという過去への回帰願望ではなく、人間の本来的な姿を想定することなく人間の疎外状況を描いた。いわば「本来性なき疎外」という概念だと評価する。

 国分氏は「新版に寄せて」という一文の中で、再度ルソーに言及している。たしかにルソーの自然人は人間本性のある側面を描いている。だがその姿は我々の知っている具体的人間とは異なっている。人間は誰かと一緒にいたいと願っているが、バラバラに生きたいとも願っている。この矛盾を解消するためには人間の本性(ヒューマン・ネイチャー)の概念では答えられない。人間の運命(ヒューマン・フェイト)から考えねばならない。人間はその本性ではなく、運命に基づいて他者を求める。

 

 

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*暇と退屈の倫理学

2024年07月29日 | 捨て猫の独り言

 近年、多くの大学生に読まれているという哲学入門書「暇と退屈の倫理学」(増補新版)を最近の新聞の広告で知り読んでみる気になった。初版は著者の国分功一郎氏が37歳のときで、その彼も今では50歳である。まえがきで「この本は俺が自分の悩みに答えを出すために書いたものである」と若々しく宣言している。国分功一郎は「こくぶ」ではなく「こくぶん」とよむ。

 小平市では、玉川上水を横断する都道328号線の建設反対の市民運動が盛り上がりを見せ、2014年にその賛否を問う住民投票が実施された。その際に小平市民である国分氏は若手批評家を小平に招きシンポジュウムを開催した。私もその会に参加して壇上の国分氏を知ることになる。そのあと偶然にも我が家の門前で、小学低学年の女の子を連れた国分氏と顔を合わせ、こちらから声をかけた。

 彼が近くに住んでいることや、千葉の出身であることを知る。我が家から青梅街道に出るときには、彼の家の前を通る。それは短冊状に建ち並ぶ閑静な住宅街にある戸建てだ。都道328号に関わっていた頃に、高崎経済大学に勤務しながら彼が考えていたことは「暇と退屈」ということになる。容貌も思考もシャープだが、率直な研究者だと思う。

 初版のあとがきに、彼はつぎのように書いている。「退屈の苦しさを自分もずっと感じていた。しかしそれを考察してみることはなかなかできなかった。斜に構えて世間をバカにしこの悩みをやり過ごそうとしたこともあった。哲学とか思想とか言った分野のことをすこしだが勉強して自分の悩みとどう向き合っていけばいいかが分かってきたのである。勉強というものはなんとすばらしものであろうか。この本は、人に君はどう思う?と聞いてみるために書いた。だから意見を伝えていただけるととてもうれしく思う」

 

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*珍しいチラシ

2024年07月22日 | 捨て猫の独り言

 つい最近、A4サイズのカラー両面刷りのチラシがポストに投げ込まれていた。2024年7月1日第15号の「〇〇きずなNEWS」で発行元は世界平和統一家庭連合〇〇家庭教会、所在地が西東京市田無町と小さく記されている。毎月発行とすれば第1号は2年前になる。安倍元首相の銃撃事件以降、旧統一教会と政治の関わりが注目され始めた時期と重なる。しぶとく反撃というところだろうか。

 チラシのトップ記事は協会創立70周年を迎えての韓鶴子総裁の写真入りのメッセージで、裏面は文鮮明総裁の著作からの抜粋が掲載されている。これまでこの類のチラシとしては、中国発の「法輪功(ファルンゴン)」や「富士大石寺顕正会」のものがあった。これらはその後続けてポストに入ることはなかった。さて今回の○○家庭教会からは今後どうだろうか。

 カルトとは違法行為を重ねる組織や団体のことである。統一教会の基本的な考え方はコリア民族主義であると言える。この世で幸せになることを肯定的に捉え、地域社会や職場など一般社会の中で信仰活動をしている宗教団体と異なり、統一教会は現世否定的な教えをもつ。この世に悪がはびこり幸せになるのは容易ではないと考える。また一般社会から距離を置く傾向がある。

  

 僧侶で宗教学者の釈徹宗さんは、こうした統一教会への対応についての考えを述べている。「権力による恣意的な運用がないように、質問権を行使した後に、その宗教法人を監視対象に指定して様子を見たらどうか。改善が認められなかったら最終的には解散命令請求をする」また「誤解している人も多いが、政教分離とは国が特定の宗教に肩入れしないことだ。各教団が特定の政治家、政党を支援するのは認められている」と注意を喚起した。

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*フェイク合戦

2024年07月15日 | 捨て猫の独り言

 保守の立場から様々な事象を論じる佐伯啓思氏(74歳)の「トランプ現象と民主主義」と題した論考は興味深かった。(朝日3月30日異論のススメ・スペシャル)私はかつて、若き大富豪トランプ氏「いかなる状況においても自分は勝ち続ける。私が負けることはない」という意味の発言を聞き、度肝を抜かれたことがある。その言葉に噓はなかった。

 ある言説が「フェイク」か否かは「事実」に照らせばわかるであろう。だが何でも事実によって検証ができるわけではない。多くの現象は厳密な検証は不可能で、それゆえ双方とも相手の言説をフェイクだと決めつけるフェイク合戦になってしまう。このような現状を佐伯氏は古代ギリシャのアテネの民主制を批判したソクラテスを引用しつつ論じる。

  

 ソクラテスが一生を捧げて抵抗したのはソフイストの弁論術だった。弁論術は人々の心を動かす言葉の使用法であり、論議に勝つための論争術だった。勝つことだけが大事なのだ。ソフイストに対するソクラテスの批判は意見は違っても熟慮と節度をもった議論がなければならないというものだった。それは討論の「競技」ではなく言論の「問答」であり、それが真理に近づく方法だった。

 投票によってことを決定する民主主義は絶対的な真理は存在しない、もしくは誰にもわからないという前提で成り立っている。つまり民主主義は最初からフェイクを内蔵しているといえる。大衆扇動は民主主義の異形というよりその根本的な性格のひとつであると考えることができる。トランプ現象はそれをあらわにしてしまった。

 

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*高校球児たちの夏

2024年07月11日 | 捨て猫の独り言

 この夏の西東京大会に出場する私立の桐朋高校は、プロも注目する最速153㌔の右腕・森井翔太郎を擁して期待されていた。大会初日の7日に府中市民球場における桐朋の初戦の見学は酷暑のため断念。そこで全国の地方大会のすべての試合をリアルタイムで知ることができるネットで試合経過を追跡する。桐朋は一回裏先発投手がいきなり5点を奪われ、森井投手が急遽マウンドに上がるも追いつけず7回コールド負けとなる。翌日の新聞によると、試合後多くの報道陣に囲まれた森井投手は、米国の大学で野球を続けるか、日本でプロを目指すかはこれから考えると答えたという。

 郷里の鹿児島実業高校にもプロ注目の選手がいる。175㎝、77㎏、154㌔の右腕の井上剣也は鹿児島市内の谷山中出身で鹿実に進学後、2年時の秋の新チームでエースの座をつかむ。その夏は鶴丸に1対2と3回戦で敗退。翌年春の県大会は鹿屋農業との決勝戦となり最速151㌔、3安打12kの1対0で完封して優勝。その後の九州大会で8強入りをはたし、一躍プロからも注目される存在となる。この夏の鹿実は神村学園、れいめいについで第3シードである。鹿実は7月9日の初戦の大島に辛くも逆転勝ちして、次の試合は13日に予定されている。監督は井上の難点は制球力と話している。

  

 かつての高校球児左腕の大野稼頭央(19歳)は、中学卒業後は本土の強豪私学の誘いを断り、島から甲子園を目指すとして地元奄美の県立大島高校に進学した。高校では1年秋からエースを務め2年春に県大会4強、同年夏は8強、秋の県大会に優勝して出場した九州大会では興南高校を完封するなどの活躍で準優勝を果たした。そして8年ぶりに2度目となるセンバツ出場を勝ち取る(1度目は21世紀枠での出場)。このとき私は甲子園球場近くの友人宅に泊めてもらいスタンドから観戦した。その初戦の明秀日立との対戦は169球投げて完投したものの8失点を喫して敗退。そして同年夏は県大会全試合を一人で投げ抜き決勝に進出するも、鹿実に敗れ春夏連続出場を逃した。

 大野稼頭央は2022年にドラフト4位で福岡ソフトバンクに入団した。人口6万人の奄美の高校から初めてプロ野球選手の誕生だ。西武ライオンズの松井稼頭央の大ファンだった父親が名付けたという。松井の名が登録名(本名は和夫)であるのに対して大野の場合は本名である。ファームの本拠地は福岡市内から南へ車で1時間ほどの筑後市にある。球場の施設は完備されているが、周囲に飲食店などがほとんどなく、選手には不満の声があるという。大野稼頭央は先発完投型を目指し、同チームの和田投手(42歳)のような寿命の長い選手になりいと話す。背番号は60。年俸は500万。一軍のマウンドに立つ姿を早く見たいものだ。

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*寂寥

2024年07月08日 | 捨て猫の独り言


 年金生活者となってほぼ15年が経過している。今さらながら、この社会あるいは世間というものはありがたい仕組みになっているとつくづく思う。農作物や海産物、畜産物などの食料品をはじめとして、身の周りのもので私が産み出したものは何一つない。にもかかわらず私は日々の暮らしを送れている。このことだけでも私が生きていることについて私は何者かに感謝せずにはいられない。

 これまで窮乏することもなく、退屈にさいなまされることもなく平和な時代に生活できることに感謝せねばならないだろう。物ではなく人間精神の領域に属するものが生活の中で大きな比重を占めていることに気づく。たとえばスポーツや囲碁将棋などのプロの技に魅せられる。また詩人や小説家や画家、音楽家たちの感性に驚かされる。何事においても受け身であることは残念だが、これが私と言い聞かせている。

 

 最近の我が家のトッピクの一つは、ショウヘイ・オオタニだ。これまでMLBに見向きもしなかった家人が、オオタニの活躍に注目するようになった。それはそれで慶賀すべきことだが、マスコミが勝負以外のくだらないことまでを取り上げてオオタニについて報道することに辟易している。こういった不満を含めて退屈することなく私の暮らしは続いてゆく。

 谷川俊太郎は1931年12月15日生まれの92歳だ。月に一度新聞に書き下ろしの詩が掲載される。6月は「昼寝」だった。「午後二時である ちょっと眠ろうと思う 雨がしとしと降っている 静かだ 静かはいい うるさいのは御免だ ・・今朝地震があった 思い出すが気にしない だんだん心の色が褪せてくる・・何もしない ぼうっと雨と電線をみている 言葉らしきものが 生まれては消えてゆく 遠くで銃声 人声に 若い笑いがまじる 世界は恙(つつが)ない」

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*沖縄米兵事件

2024年07月04日 | 沖縄のこと

 沖縄の地元民放が6月25日に嘉手納基地所属の米空軍の兵長ブレノン・ワシントン被告(25)が、昨年12月に16歳未満の少女を車で誘拐し自宅に連れ込み性的暴行を行ったという事件を報じた。翌26日の沖縄県内の各紙は一面トップでそのことを報道した。遅れて27日の朝日(本土紙)が、連絡なしの政府に反発する沖縄という記事を掲載、そこで私は今回の事件を知ることになった。

 米軍が身柄を確保し、県警は逮捕ではなく書類送検の手続きを取り、この事件を発表しなかった。本来なら事件が起こった直後に被害者が特定されないよう配慮したうえで明らかにすべき事柄だ。那覇地検は3月27日に起訴し日米地位協定に従って同じ日に日本側に身柄が引き渡され、外務省はエマニュエル米大使に抗議している。しかし外務省も県にこの情報を伝えなかった。

 4月には岸田首相の訪米。その後沖縄では5月17日にはエマニュエル大使が沖縄県与那国町などを訪問。6月16日は沖縄県議選で玉城知事を支持する県政与党が大敗。6月23日は沖縄慰霊の日で追悼式前に玉城知事と首相が会談。6月25日に今回の事件が発覚。6月27日の「海鳴りの島から」は「岸田・自公政権にとって、不利になる日程が終わってから公表するという政治的思惑が露骨に示されている。岸田・自公政権はどこまで腐っているのか」と怒り絶望しそして耐える。

 ところがこれで終わりではなかった。28日に地元紙が報じるまで県が把握していなかった別の事件が明らかになった。起訴状によると、5月26日午前海兵隊所属の上等兵ジャメル・クレイトン被告(21)は、屋内で性的暴行をしようと女性の首を絞めるなどし、2週間のけがをおわせた。この事件も県警は公表せず、外務省も県に伝えていない。県が報道によってはじめて知るということは、他にも公表されていない米軍の事件があるということだ。

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*江戸囲碁川柳

2024年07月01日 | 捨て猫の独り言

 文春新書「囲碁心理の謎を解く」の江戸囲碁川柳の章から。解説がないと理解不能な川柳も多い。理解が深まれば江戸庶民の生活感情がひたひたと迫ってくる。

 ●碁会所で見てばかりいるつよいやつ→強い人は弱い人と打つとつまらないので強い人がくるのを待っているということ。強い人に打ってもらって学ぶことが多い私などは、こんなつよいやつは好きでない。どうかお相手願います。

 ●先ず碁笥を引っ張りあふも礼儀也→下手が黒石を持つので、黒石の入った碁笥を引っ張り合って譲り合う風景。 

 ●目算に寝浜はさせぬ碁の上手(じょうず)→「寝浜」とはあらかじめ相手の石を隠しておいて、それを挙げ浜(対局中に取った石)として相手の陣地に戻して相手の地を減らすこと。不正な手段である。上手は目算ができているのでそういうインチキは通用しない。

 ●如来手は仏教にない碁方便→「如来手」とは死んだ石を救う妙手のこと。死んだ者を生き返らせるというのは仏さまでもしないことなのに、碁にはあるんだ。如来手を喰った者のなんとも悔しい気持ちが表れている。

 ●官職の征(しちょう)もぬけて百姓碁→「征」とは追いかけられて盤の端までいって、ついに取られる形をいう。つまり「逃げられない形」。堅苦しい官職を止めて、はれて自由の身になり百姓をしながら碁を打てる幸せ。しかし碁の中身は下手な百姓碁と自嘲ないし謙遜している。

 ●手見禁(てみきん)になさいと髪結待っている→「手見禁」とは「待ったなし」のこと。髪結の順番を待っているうちに、皆終わってしまって碁を打っている客だけ。髪結さんの方が待つことに。「待った」をしなければ死んで終わりのはずなのに「待った」を繰り返していて、なかなか終わらない。髪結はいらいらして「待ったなしにしなさい」と言う。

 ●盆暮は女竹男竹の先手後手→夏は七夕のとき男竹を使い、盆の飾りつけには女竹を使う。男竹が先で女竹が後。冬は暮の大掃除の竹には女竹を使い、門松には男竹を使う。この場合は女竹が先で男竹が後。このように夏と冬とでは使用する男竹と女竹が先手になったり後手になったりするという意味。

 

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*新札発行

2024年06月24日 | 捨て猫の独り言

 関東甲信は梅雨入りしたとみられるとの発表が6月21日にあった。平年より2週間も遅く、これまでの中で3番目に遅いという。鉄砲ユリが咲いて梅雨が明ける。さて今年の梅雨明けはいつになるだろう。7月3日に20年ぶりに新紙幣が発行される。偽造防止やタンス預金のあぶり出しがその目的という。

 タブロイド判の市報「こだいら」6月20号の一面は、新5000円札の肖像となる津田梅子の記事で埋められている。記事についての問い合わせは「市民協働・男女参画推進課」とある。1900年35歳になった梅子は友人たちの協力を得て女子英学塾を創設し「男性と協力して対等に力を発揮できる自立した女性の育成」を目指した。拡張のため英学塾は小平に移転するが、梅子は校舎完成の2年前に病没している。

 梅子の遺言により小平キャンパス内には梅子の墓がある。新札で脚光を浴びる前に見学したことがある。現代的で簡素な墓所らしくない墓所だ。墓所や津田梅子資料室は事前の申し込みが必要。1962年10月に市制が施行された際に小平町大字小川の地名は津田塾大学にちなんで津田町と命名された。

  

 梅子は1864年に江戸で生まれた。6歳という幼さで岩倉使節団とともにアメリカに留学し、17歳で帰国する。その後、友人のアリス・ベーコンに勧められ1889年(25歳)から生物学を専攻して再度3年間の留学をしている。この留学中に日本の女性の高等教育の夢が大きく膨らんだようだ。女子英学塾開校時の協力者たち、アリス・ベーコン、瓜生繁子、大山捨松と梅子の4人がならんだ写真が市報には掲載されている。

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*村上春樹のユーモア

2024年06月17日 | 捨て猫の独り言

 村上春樹には独特すぎるユーモアの感性がある。「ねじまき鳥クロニクル」を読みながら、それらに注目して気にいったものを書き止めてみた。親父ギャグと言ってもいいかもしれない。あるいは村上春樹のいわゆるバタ臭さというものはここから立ち昇ってきているのではないかと思ったりした。まあ、退屈しのぎに、ご覧ください。

 ●まるで世界中の冷蔵庫のドアが一度に開け放たれたみたい・・・冷たいものだった。

 ●渡り鳥が抵当用資産を持たないのと同じように、僕も予定というものを持たない。

 ●しばらくどっかに埋められて、さっきやっと掘りだされたばかりっていう感じの顔。

 ●人々はみんな難しい陰気な顔をしていた。それはムンクがカフカの小説のために挿絵を描いたらきっとこんな風になるんじゃないかと思われるような場所だった。

 ●どっかの犬が家の庭に入り込んできて勝手に芝生の上でねじ曲がったウンコをしているのを見ているような気持になっちゃうの。

 ●浅い池の中に落とした硬貨でも探すみたいに僕の目をのぞきこんだ。

 ●すぐそばにぐっすりと寝込んでいる神経質な黒豹がいるので今は声が出せなくて申し訳ない、とでもいうように。

 ●時代物のエンジンが主人に蹴飛ばされた犬のようにストロークの長い音を立てて動き始めた。

 ●ベレー帽の似合うおスモウ取りくらいに珍しいのです。

 ●世界中の野原を通り抜けたよりももっと遠くの場所から。

 まあこんなものです。

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