玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*進取の気性

2022年09月29日 | 玉川上水の四季

 日本テレビ「満天・青空レストラン」という30分番組が9月17日にあった。埼玉県日高市で「金ごま栽培」をしている鈴木香純さんが登場する。番組の前半ではゲストの牧瀬里穂さんらが作業着姿で胡麻畑に現れて、3人が畑で作業しつつ、現在に至るまでの香純さんの軌跡を紹介する。自然食品の店で働いていたときに農業に興味をもち7年前に21歳で、小さな畑を借りて一人で金ごま栽培を始めた。

 ごまを作っている人がいないので栽培マニュアルはない。本屋さんに行ったり、インターネットで調べたりした。鹿児島の喜界島でごまを作っていると聞いては、ごま作りを教えてくださいと電話をかけたりした。そのようにしてこまかい情報を集めて独学で始めた。ごまは種まきから100日で収穫となる。今は10か所の約7500坪の畑を借りて栽培している。

 オクラに似た1つのサヤに80粒のごまができる。大人の背丈以上に伸びた1茎から1~3万粒採れる。最初は刈り取りも1本ずつはさみで切っていたが、そのうち自分で機械を作り、改良を重ねた。収穫は緑のまま刈ってビニールハウスに立てかける。他の植物だと熟成しても簡単に落ちないが、ごまは畑だと弾けてロスになってしまうのだ。ハウスの中で耳を澄ますと、サヤが開く「ぱちぱち」いう音がかすかに聞こえる。(週に3日しか開かない花屋さん)

 

 2021年にIT関係に勤める早川雪舟さんと結婚してごま作りの協力者もできた。さらに小麦も作り始めて、昨年からはうどんの販売も始めた。番組の後半は金ごまを使った創作料理がいくつか紹介され参加者全員が舌鼓をうって終わる。その後私は ”国産ごまと小麦の「香胡園」” というブログの存在を知った。退職金を叩いて2009年から10年ちかく玉川上水に「オープンギャラリー」を開設した鈴木忠司さんのお孫さんが鈴木香純さんである。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*保守の精神

2022年09月26日 | 捨て猫の独り言

 保守の立場から様々な事象を論じる佐伯啓思(1949年生まれ)氏の「社会秩序の崩壊と凶弾」と題する投稿記事(8・27朝日)を読んだ。箇条書きにまとめてみた。①日本だけでなく世界的にも、「リベラルな秩序」が崩壊しつつある。それは「目に見えない価値」を重視する「保守の精神」が衰退したからである。

 ②「目に見えない価値」を醸成し維持するものは、人々の信頼関係、家族や地域のつながり、学校や医療、多様な組織、世代間の交流、身近なものへの配慮、死者への思い、ある種の権威に対する敬意、正義や公正の感覚、道徳意識などである。

 

 ③今日のグローバリズムで最大の評価を得るのは進歩へ向けた「変革」や「革新」であるが、それこそ「保守」の対極にある。かくて「保守の精神」が失われるのも当然であろう。大変に皮肉だったのは、近年最も強く「保守」を打ち出した安倍元首相のもとで、「保守の精神」が崩壊していったことである。

 ④グローバルな大競争の時代にあっては、政治はリベラルな価値を高く掲げ、技術革新を推進し、社会を流動化し変化させなければならないだろう。だがそのことが日本社会が保持してきた「目に見えない価値」を蝕むことにもなるのである。この皮肉は、時代の問題であり、日本の大きな課題である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*ネーミング

2022年09月22日 | 捨て猫の独り言

 エッセイストの酒井順子(1966年生まれ)さんのことを彼女が新聞に寄稿した文章を読んで知った。それは違和感から始まった。われわれは政治に関してもっとオープンに語り合うべきという思いとギャップを感じたのである。彼女は幼い頃に選挙の投票でだれに投票したかは聞いちゃいけないんだと父に言われたという。

 「誰に投票したしたか言わなくちゃいけないとしたら、自由な考えをもてないでしょう。だから親子でも聞いちゃいけないことはあるの。どれほど親しくとも、他人を自分の考えで考えで縛ったり、考えを認めなかったりするのは良くないんだ」(アキノノゲシ)

 

 彼女は2003年には自分を含む「30代以上・未婚・子ナシ」の女性を「負け犬」と名付けた「負け犬の遠吠え」を出版、大ベストセラーになった。選挙には行くが、政治的発言はしない。でも名付けの意味合いって大きい。私には問題を解決する力はないけれど、ネーミングならできますから。

 彼女が最近気になっているのは、シングルマザーの恋人や再婚相手が連れ子を虐待する事件だ。なぜ起こってしまうのか、論じられている様子はない。今この事象に名前を付けたいと思っている。名付けすることで注目されて、困窮するシングルマザーのケアにもつながるのではないか。なるほど、これには期待したいと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*二十四節気・白露

2022年09月19日 | 玉川上水の四季

 沖縄県知事選では玉城氏が再選された。政府は辺野古移設について「辺野古移設が唯一の解決策」と改めて強調した。現職知事が負けていれば「新基地容認が民意だ」と強弁していただろう。近頃は「アベスガに比べりゃマシの期待消え」の川柳に共感することが多い。

 

 朝夕に涼しさを感じるようになった。古くはとんぼを、あきつ、と呼んだ。秋の虫という意味。そして日本の国の名前も秋津洲(あきつしま)だった。白露の半ばの頃、久しぶりに玉川上水でスケッチを始めようとしていた鈴木忠司さんに出会って話をした。そして数年先の鈴木(81歳)さんの夢のプランを聞いた。

 これまで何度か姿を拝見していたが、スケッチを邪魔しないようひかえていた。近くに鈴木さんの自転車はなく、代りに箱型で車輪のついた木製工作物がある。その中から小型の折りたたみ椅子、魔法瓶とコップを取り出す。いつのまにか箱はテーブルにと変化していた。木陰でお茶会という趣向である。こうして顔なじみと話すのだという。

 鈴木さんには孫の鈴木香純(1994年生まれ)さんがいる。高校時代に拒食症を経験したことから農業に興味をもつようになる。そこで行き着いたのが「ごま」だった。胡麻は99.9%を輸入に頼っているという。国産胡麻をどんどん広げてゆくのが香純さんの夢だ。埼玉県日高市で2020年に「香胡園」を立ち上げ金ごまの生産および商品開発・販売に取り組んでいる。応援したくなる話だ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*長編小説「魔の山」

2022年09月15日 | 捨て猫の独り言

 トーマス・マンの「魔の山」は、とにかく長編だということしか分かっていなかった。読書のきっかけは村上春樹の「ノルウェーの森」に出ていたからという単純なものだった。文庫本(2社)があることは後で知った。最初に手にした集英社の全集は上・下2冊になっていた。かなり古い本でページをめくるたびに嫌なにおいが鼻を突いた。

 これはたまらんと別の図書館に行き、第5章からは筑摩書房の全集に変更した。これは比較的新しく、各ページ3段組みで分厚い1冊になっていた。翻訳者が変ったことに気付いたが、すぐに気にならなくなった。日数をかけて少しずつ読み進む。ひたすらページ数を消化することが目的になり睡魔に耐えながら読んでいる時もあった。2週間ほどかけて読み終えた。(国分寺の古美術店)

 大雑把にまとめると、スイスの高山にあるサナトリウムで療養生活を送る無垢なドイツの青年がロシアの夫人を愛し、理性と道徳に信頼を置くイタリア人の民主主義者と、ユダヤ人の虚無主義者の2人の「教育者」などと知り合い、主人公が樹木の年輪のような人間形成をしてゆくという、ドイツ教養小説の大作である。

 つまり西洋哲学入門書のような小説だ。とくに時間についての考察が鋭い。①ぼくたちは空間を視覚や触覚で知覚する。時間を知覚する器官はどれだろうか?②草が伸びるのが誰の目にも見えないのに草はひそかに伸びていてある日になるとそれが誰に目にも明らかになる。長さをもたない点ばかりが集まってできる線のような時間。つまり時間はゆるゆると眼に見えない、ひそかな、それでいて勤勉なやり方で、いろいろな変化を生じさせつづけてきたのである。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*上間陽子さん

2022年09月12日 | 捨て猫の独り言

 米軍支配が続いた戦後の沖縄では製造業が発展せず、ブルーカラーの労働者の多くは建設業に就くしかない。本土復帰から50年の沖縄は県民所得は全国最低水準で、貧困の連鎖が顕在化している。沖縄的な共同体からこぼれ落ちた人たちの現実に目を向ける人たちがいる。

 教育社会学者で琉球大学の教授である上間陽子(1972年生まれ)さんは2017年に「裸足で逃げる」を2020年には「海をあげる」を出版し、昨年5月にはそれらが評価されて第14回「(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞」を受賞した。そこでは「暴力や貧困の中の若い女性たち、軍機の爆音の下で沈黙する人々の、聞かれることのない声にひたすら耳を傾け、それを言葉にすることによって、こぼれ落ちるものを記そうとしている」と評価された。

 副賞の100万円は、その秋に沖縄に開設された10代で妊娠・出産した少女たちを支えるシェルター「おにわ」の準備金になった。施設名は「おきなわの」「にんしんしているおんなのこたちを」「わになってまもる」。三つに区切ったフレーズの頭文字をつなげたものだという。なんとすごい行動力だろう。(ハギとアベリア)

 

 今年8月24日の新聞で上間さんはつぎのように語っている。沖縄での生み育ての領域は脆弱です。復帰後も、本土では整備されたものが抜け落ちたままで来た。まずは沖縄の行政に改善を働きかけますが、本来は国がやるべきこと。でも、もう国が何かしてくれるという期待はありません。私はせめて目の前にいる人を何とかする。「おにわ」での実践があるから、この現実に絶望せずに気が紛れます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*テレビの処分

2022年09月08日 | 捨て猫の独り言

 不要になったエアコン、テレビ、冷蔵庫、洗濯機などは市では回収できない。市が発行する冊子にそれらの処分方法が示されているがなかなか面倒な手続きのようだ。家電リサイクル法の縛りがあるのだろう。このたび利用しなくなった「ブラウン管テレビ」を処分することに決めた。

 月に一度ぐらいの割合で不用品を回収という案内チラシが入る。どんなものでも回収しますという感じだ。今回も同じ業者かどうか定かでないが、前に自転車を無料で回収してもらったことがあった。指定された日にブラウン管テレビを庭先に出しておいた。(国立音大近く玉川上水右岸)

 

 チャイムが鳴って出てゆくと有料で回収しますという。細身の若者が最初は3000円と小声でいう。先月のお兄さんは2000円だったというと、いともかんたんにそれでいいですという。まだ使える「餅つき機」があるけど引きとれるかと問うと、現物を見るなり喜んで軽トラックに積み込んだ。

 チラシを配布したり、インターネットで広告を出したりする無許可業者もいるという。自転車のときと違って、こんどのブラウン管テレビのことは何だか気になるのである。あのテレビがどこか山奥に不法投棄されていなければと願う。まあ餅つき機はどこかのリサイクルショップに展示されて買い取られ、活用されそうな気がする。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*本来無一物

2022年09月05日 | 捨て猫の独り言

 かつてバブル時代に中野孝次の「清貧の思想」を吉本隆明が批判したことがあった。当時は吉本の真意を理解できなかったが、今ではつぎのように考えている。美しい国とか、武士道に従えとか品格を身につけろとか倫理やモラルでしばりつけて、うまくいった社会なんて歴史上一つもない。

 禅語に「本来無一物」というのがある。「空」とは有と無との両方を越えた次元を意味しているという。それはどんな次元なのだろう。実践的には身も心ももともと実体などない、と思いこむことだろう。しかし、うちのかみさんをまぼろしと思うのはむずかしい。(大谷投手11勝の日)

  

 人は思考や感情に惑わされやすい。すべてものごとはいいも悪いも好きも嫌いもなく「ただそこにあるだけ」。しかしつぎのことだけは分かる。いま執着しているものも、永遠にこだわり続けることはできない。いずれさよならする定めであること。

 断捨離が切実な年齢に達していると思う。まず目につくのは本類である。大部分は燃えるごみとして出すしかないだろうが、古書店に連絡して引き取ってもらえればそれが一番だろう。涼しくなったら連絡してみようと思う。本棚が空になったらどんな気分だろうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*政治家と家族たち

2022年09月01日 | 捨て猫の独り言

 松下幸之助が私財を投じて1979年に「松下政経塾」を設立した動機はなんだったのか。かつて経済は一流、政治は三流ということが言われていた時があった。「日本の政治家は魅力がない。近代化を支えてきたのは無名の人々の勤勉と工夫である(精神科医・中井久夫)」

 日本人の深層意識に「お上には逆らわず」と言うことが抜きがたく保持されているかのようだ。非自民党政権が誕生してもそれは短命に終わった。「政治は自民党これ日本の常識」は健在である。かつて自民党には魅力ある政治家がいたが、近年は皆無と言っていい。(国立市にて)

  

 「政治家と家族から見える日本の民主主義や有権者」という朝日新聞の記事がある。この先も続くことを期待している。ある政治家の妻は「あんたの旦那が自民党だったら、あんたが何もせんでも受かるのに。野党だからね」と地元の人から言われた言葉が忘れられないという。

 政治家の家族が、自分のキャリアを犠牲にし、あれこれ悩んだ末に選挙の応援や地元活動をする。それに対して「家族も一緒に頭を下げて頼んでくるから投票してやってんのに、地元に来るのに苦しんだとか、葛藤したとかどうでもいい。そんなやつに票を入れてやるか」 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする