玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*昭和の香り

2016年11月28日 | 捨て猫の独り言

 20日に目覚めてカーテンを開けると濃い霧が立ち込めている。この辺りでは稀な気象現象に思わず外に出て玉川上水を歩いた。高原の別荘地を散歩している気分だ。映画かなんかの霧の中に消えてゆく男の場面をふと思い起こしていると、柴犬を連れた翁がこちらに向って霧の中から現れた。24日の東京は11月の積雪としては史上初という雪だったが外に飛び出すことはなかった。

 

 近くにある「まいどおおきに食堂」を昼食に利用することがある。学生食堂などと同じカフェテリア方式だ。地名+食堂という命名方式で「小川食堂」という。お米は毎日その日の分だけ精米している。発生する米ぬかを無料配布しているのでそれを持ち帰るという楽しみがある。東京には15店舗で故郷の鹿児島では2店舗を展開という。創業者の実家と見られる昭和時代の食堂の白黒写真が店内に掲げられている。

 

 地下25mを実際流れている下水道管を見学できる「ふれあい下水道館」で写真展が行われている。玉川上水のすぐ傍の施設ということもあり「玉川上水を守る会」が所蔵する写真がたびたび展示される。今回は昭和61年の玉川上水の清流復活のための護岸補修工事の様子や雪景色、昭和初期まで稼働していた水車の写真だ。ちなみに清流復活の年にはチェルノブイリ原発事故が起きている。(玉川上水の通船は明治初期)

 

 田中家に生まれて平櫛家の養子となった彫刻家「平櫛田中(でんちゅう)」は昭和45年に小平市に移転し、昭和54年に107歳で亡くなるまでの約10年間を玉川上水のほとりで過ごした。その邸宅の隣りに展示館が新築されて2館併設の美術館となっている。つい先日も知人を案内したばかりだ。私が玉川上水のほとりで暮らし始めたのは31歳の昭和50年だからそのとき平櫛田中は103歳だ。ちなみにこの年の流行曲は布施明の「シクラメンの香り」だ。

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*日展2016

2016年11月21日 | 捨て猫の独り言

 ネリネが咲き始めた。その横の小さな畑では10月中旬に種まきしたシュンギクとチンゲンサイの小さな葉が列をなしてひしめき合っている。 柿、サルスベリはほとんど葉を落した。ハナミズキの実にヒヨドリが来て残り少ない紅葉を散らしている。鈴木さんによると玉川上水は今年はエゴやマユミの実が少なく小鳥たちには厳しい冬になるという。庭の椿の木の下で小鳥が運んできたのか、今年から紫の小ぶりの菊が咲き出した。

 

 入場無料の「日展の日」に10時の開場に合わせて港区六本木にある国立新美術館に出かけた。私の日展見学は組織改革を行った平成26年の第1回からである。今年は「改組 新 第3回日展」ということになる。この日は土曜日で土日祝日は写真撮影禁止であることを会場入口で初めて知った。入場無料の日を狙ったのはケチな料簡だった。

 書は知人の出展がないので見学を取り止め、工芸美術はごく一部を足早に見る。おもに日本画、洋画、彫刻を見て回る。彫刻でその名を覚えたのは鹿児島県の中村晋也氏(90歳)である。今年の出品はその大きさでひときわ目立つ豊臣秀吉公だった。昨年は天障院(篤姫)だった。中村氏は偉人像で知られ甲突河畔の大久保利通公、鹿児島中央駅前の若き薩摩の群像の作者である。

 

 新入選の作品もあるが、常連の方々の作品が圧倒的に多い。特に絵画では、また今年もお会いできましたねと呼びかけたくなる作品が並んでいる。見学の数を重ねて少しずつであるが作者の経歴などを知りたくなった。ということで今年の洋画特選の中から無作為に二人を選んでみた。青春賛歌の「胎動」の作者である春日裕次氏(56歳)は出雲高校の美術教諭だ。若い頃オートバイマニアだった。古典絵画を連想させる作品の「「Bard’s Tale」の松本貴子氏は女子美大2002年卒である。それぞれ洋画団体「東光会」と「白日会」所属である。

 

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*菜根譚(二)

2016年11月14日 | 捨て猫の独り言

 家には掛け軸と色紙の二つの書がある。親交のある書家の筆によるものだ。掛け軸には「若拙」、色紙には「和敬」のそれぞれ二文字が書かれている。「和敬」は禅語に「和敬静寂」というのがあり、相手の個性をそのまま認めて一緒に過ごすのが和という意味のようだ。「若拙」は老子(紀元前6世紀)の「大功は拙なるが若(ごと)し」に由来する。能ある鷹は爪を隠すと同義という。(日展会場にて)

  

 菜根譚では「真廉は廉名なし、名をたつる者はまさに貧となすゆえんなり。大功は功術なし、術を用うる者はすなわち拙となすゆえんなり」とある。貧はむさぼるで、後句は老子の先ほどの名言からきている。菜根譚のキーワードは「拙」かもしれない。「文は拙をもって進み、道は拙をもって成る。一の拙の字に無限の意味あり」とあり技巧を捨てよという。

 その例として「桃源に犬吠え、桑間に鶏鳴く」など素朴で味がある文章だが「寒潭(かんたん)の月、古木の鴉(からす)」などは技巧が目立ち過ぎてかえって生気が失われていると続けている。ついでにこの条の解説によると拙は功の反対で、まずくとも修めていけば上達することは「拙修」、つたなきを守って己の分に安んずることは「守拙」、下手でも誠実なことは「拙誠」という熟語が紹介されている。

 悠々自適の意味を考えざるを得ない条もあった。「魚釣りは楽しい遊びだが生殺の心があり、囲碁などは上品な遊びだが勝負を競う心がある。そこで心を安らかにするのは事を少なくして悠々としたほうがよく、無能無才で一事に専心して自分の本来の姿を全うしたほうがよい」という。「碁仇は憎さも憎し、なつかしし」で勝負の結果に心乱れることが多い。素人碁なのに勝負を超越して楽しむという境地になかなか至らない。

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*菜根譚(一)

2016年11月10日 | 捨て猫の独り言

 ラジオで「サイコンタン」と聞いた時は、どんな字を書くのかさっぱり見当がつかなかった。録画しておいた「唯識で読む菜根譚」というテレビ番組を見てようやく知った。中国の古典の一つという「菜根譚」の存在をこれまで全く知らなかった。番組の話し手は興福寺貫主の多川俊英氏でぼろぼろになるまで読み込んだという文庫本の「菜根譚」をかたわらに分かりやすく解説していた。(ヒメアカタテハの幼虫の食草であるゴボウと成虫の蜜源であるウドの花)

 

 吉田兼好の徒然草から約300年後の明の末期に洪自誠によって著された随筆集だ。日本では江戸時代の武将から吉川英治、田中角栄、川上哲治などまで400年近くも読み継がれてきたという。儒仏道の三教がみごとに融合し、中でも禅仏教に関するものが多いようだ。堅い菜根をかみしめるように、苦しい境遇に耐えることができれば人は多くのことを成し遂げることができる。

 多川氏の語ったことで私の記憶に残っている二つのことを記しておこう。「悪をなして人の知らんことをおそるるは悪中になお善路あり。善をなして人の知らんことを急ぐは善処すなわちこれ悪根なり」これを紹介して善悪ははっきりと線引きできるものではないと多川氏は言う。「善悪の境界は、まあ点線だということ」と話す目が笑っていた。

 つぎは「人の小過を責めず、人の陰私をあばかず、人の旧悪を念(おも)わず」陰私とは私的な秘密のこと。こんなやさしいことに深く共感している自分に気付く。ここでいう人とはまずは自分のこと。寝床でよく思い起こすこれまでの小過、陰私、旧悪でいつまでも自分を追いこまないようにしよう。つぎに一番身近な人に対して心がけるとたしかに円満に生きていけるのだ。 

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*呪いを解いた監督

2016年11月07日 | 捨て猫の独り言

 映画館で黒澤明の「七人の侍」を見た。勘兵衛(志村喬)の声以外は聞き取りにくかった。終了30分前に途中退場した。7月の「アマデウス」の時は字幕を見て3時間はあっという間に過ぎた。字幕のある洋画なら大丈夫だ。テレビのスポーツ番組は音消しで見る。聴覚障害は私にかくのごとき影響を及ぼしている。

  

 日米の野球は北海道・日本ハムとシカゴ・カブスの優勝で幕を閉じた。そして今、来春の開幕まで待ちきれないぞという思いの野球ファンは私ばかりではないだろう。今回のMLBのポストシーズンでは私の予想はつぎつぎに外れていった。まずひいきのボストン・レッドソクスが敗れ続いてトロント・ブルージェイズがともにクリーブランド・インディアンスに敗れた。インディアンスを率いるのはフランコーナ監督だった。ワールドシリーズはエリー湖のクリーブランドとミシガン湖のシカゴの五大湖対決となった。

 7試合戦った末に優勝を果たしたのはカブスのマッドン監督である。日本の囲碁の名人戦でもMLBのワールドシリーズでも最終の第七戦まで戦われて盛り上がった。奇しくもこの二つの闘いが決着したのは同じ11月3日だった。私が定年退職してMLBを見始めた頃に両監督は激戦地のアメリカン・リーグの東地区でしのぎを削っていた。フランコーナはレッドソックス、マッドンはタンパベイ・レイズの監督だった。多くの注目選手と同じぐらいに私は両監督に馴染んだ。

 フランコーナは2004年にレッドソクスに86年ぶりの優勝(バンビーノの呪いを解く)をもたらし、2007年にもレッドソクスで自身2回目の優勝を果たしている。なぜか試合中にユニフォーム姿でいることはほとんどなく、トレーニングウェアを着ている。マッドンはこれまで3回もリーグ最優秀監督を受賞し、今回カブスに108年ぶりの優勝(ヤギの呪いを解く)をもたらした。自身は初めての優勝である。トロフィーを抱く姿が似合いますねと言われて、マッドン監督は「1人目のベビーを授かったんだ、最高の気分さ」と答えていた。

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