玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*非日常は分からない

2007年05月28日 | 捨て猫の独り言

 中国へ旅することになった。一人ではない。目的があってのことではない。ことさら理由づけするならば、来年のオリンピックを控えた北京の活気みたいなものを肌で感じたい。今は二人暮らしだが、当時家族四人で海外に旅行したのが一度だけある。それが中国だった。ちょうど20年前のことである。その後の中国の変化を見てみたいと、まあそんなところである。

 中国は得体の知れない大国で、漢字と仏教の文化圏として古くから日本は多大な影響を受けた。そんなことなど頭の片隅に押しやって、今回の四泊五日の旅はことさら紹興酒に執着しよう。毎夜目の前に紹興酒が現れるかどうかは分からない。漢詩には飲酒の詩も多いと聞く。まさしく良き友と飲む酒こそ、喜びと悲しみに満ちた人生の最高のひと時であるという主張に共鳴する。

 焼酎を愛用しているが最近は甘口の日本酒にあこがれるようになった。近いうちに誰かに教わって自宅で醸造酒を作ろうかと考えたりもする。そして招いた友と飲むのだ。酔うと私の悪い癖で何度も何度もこれは自家製の酒であることを念押しすることだろう。今回の旅のお土産宅配便で帰宅翌日に紹興酒7本が届くように注文した。旅行中は酒以外にお金を使うことはないだろう。

 分身を意識する訓練の旅にしたい。分身とは自分の行動を自分の背後から見ているもう一つの自分のことである。非日常ならばこんなことにも入りやすく、日常よりも多くの時間分身術が継続可能な気がする。最後の北京の二晩はオプショナルツアーとして雑技と京劇鑑賞となっている。これらはパスして夜の北京の街を分身と共に徘徊出来れば良い。これも実現するかどうか行ってみなければ分からない。

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多彩な人達に囲まれて

2007年05月23日 | ねったぼのつぶやき

 このところメールを開くのが心楽しい。「集いませんか」と誰かが声を上げるといつ・どこで・誰が・何時に・何持参でとタチマチに話はまとまり、馳せ参じる。取り留めのないお喋りながら1つの話が次から次へと繋がって皆で興じる。

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 これは大方それ以前にメールで語られた話題が多く、ほぼ共通のベースができているからだろう。それをもとにアアデ、コウデと虚実をない交ぜにしたりして話を面白く発展させてゆくからだ。そこにいない第三者の話題にしても、少々の羨望を混めて語られることがあっても、悪意が込められていることは先ずない。それゆえに楽しさだけが残るのだと思う。この辺が大人たる所以だろうか。

 メンバーの中にエキスパートがいると楽しみは倍加する。夫々が色んな種類のエキスパートであると一層盛り上がる。入り交う雑談の中にそのエキスパート振りが滲み出てくる。本人は全く気付かないのに仄見えてくる。どの方の話にも大なり小なりのエキスパート振りを発見する。先日はそんな集まりを身近に持てて楽しかった。こんな集まりだからこそまたいつかと心待ちの気分にさせてくれる。

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この頃のゴミ回収車

2007年05月16日 | ねったぼのつぶやき

 五月は芽吹きのシーズン。青葉は目に風は肌に心地よい。窓を開け青葉越しの風には色、匂いすら感ずる。日毎にそれらは増しウッカリすると繁茂し過ぎて重苦しくさえなる。

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 この時期我が家では例年の如く小さな諍いが繰り広げられる。折角の緑を私が刈り込むからだ。広い庭なら放置もできよう。広くもない庭で草木の繁茂を放置するとオオゴトになるのを理解し難いらしい。

 剪定作業は今日はここ、明日はあそこと少しづつ何日か要する。その度毎に枝葉のゴミが発生する。ゴミの収集場所は数ヶ月前までは我が家の門扉斜めハス向かいで、前のお宅の裏側だったので気軽に置けた。回収場所は自治会でもモメルことが多く、最近持ち回りと決まり移動した。そんな訳で回収場所とはいえこの種の嵩張るゴミは置き難い。

 回収場所以外は回収しないという男感覚と、我が家の門扉前に置いて回収車が来たら頼むという私とで又モメル。毎朝ほぼ定刻に訪れる回収車の音色に飛び出すと「了解」といった表情の運転手さんの笑顔に出会った。民活は生きていて、市民である私は気持ちいい。

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*思い違い四題(2)

2007年05月15日 | 捨て猫の独り言

 やまと歌は人の心を種として、よろずの言の葉とぞ成れりける(古今和歌集) NHKラジオ 「土曜の夜はケータイ短歌」 という番組を聞くことがある。短歌が立て続けに紹介されるので記憶し復唱することは不可能だ。そこで買ったばかりのラジカセである日の土曜夜に録音することにした。そしてテープを何度も巻き戻しながら、その日の放送分の短歌を残らず文字に記録した。音を文字にする作業だからこれでいいのかなという不明な箇所も出てくる。

 面倒な作業を終えた時点で何か悪い予感がした。「ケータイ短歌」 をインターネットで検索してみたらどうか。やはりあった。番組に届いた歌で、その日放送されなかった歌までもがネット画面に表示されていた。ネット社会とはかくのごときものかと改めて感じ入ったものだ。しかし今回のテープ起こしが無駄な作業であったとは思わない。音を聞くことは文字では伝わらないその人の息づかいを感じ取ることができる。

 番組の雰囲気をお伝えするために16歳で野球部という高校生の短歌を紹介してみよう。 ●現実に彼が投げてたこの場所で我は一瞬ウエハラになる(修学旅行) ●坂道を登った先が幸福の絶頂だなんて、そんなのウソだ(坂道) ●別れても共に過ごした思い出は無にはできない、いや、したくない(無)              いずれも同一作者がカッコ内に示されたテーマに対して詠んだものである。

 退職の餞別に職場からDCカードというトラベルギフトカードを貰った。この金券を一部利用するつもりで 「杭州、蘇州、上海、北京5日間」 というパック旅行を申し込んだ。5月末の出発である。費用の振込用紙が届いて自分の思い違いに気付いた。かなり大手のはずだが申し込んだ旅行業者が、金券の取り扱い加盟店ではない。面倒なことに金券は使えないことが分かった。退職後6ヶ月以内に金券を使わねばならないという制約がある。旅行後には代金の領収書を添えた一枚の簡単な報告書を出すことになっている。今回の中国旅行とは別に金券を消化するための旅行をいずれ計画せねばならなくなった。

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*思い違い四題(1)

2007年05月13日 | 捨て猫の独り言

 桜が玉川上水の南側にだけ植えられているというのは思い違いであった。北側にも桜は植えられていて、しかも南北ほぼ同数で総計は約千百本である。まず小平市の自宅近くで、桜に巻かれたプレート1111番を確認した。そこで1番がどこにあるか突き止めずにはいられないのが人情というものだ。

 なんと1111番のすぐ近くにそれは存在していた。上水を挟んで北側に1番を発見したのである。つまり番号はつぎのように打たれていた。小平市のはずれあたり上水の北側からスタートして下流に東へ向かい、武蔵野市の境橋でUターンして今度は南側を小平市に向かっていたのである。上水の北側を街道が走っているので南側の桜並木の方が風情がある。

 その区間のほぼ中央に名高い小金井桜がある。またその近くに広大な都立小金井公園もあって、四月は花見客でにぎわう。プレートが巻かれているのは上水と五日市街道が完全に接近かつ並行している区間だけであった。上水と街道が離れてしまうと、私有地が上水に迫って桜のための通りを確保できないからと考えられる。この区間は私の通勤路にすっぽり入っている。この快適な区間があるために片道13キロの自転車走行が苦にならない。

 テレビがテレビ体操と称してラジオ体操第一と第二をやっているとは知らなかった。他愛もないがこれが思い違いの2つ目である。日月水金に第一を火木土に第二を取り入れてやっている。テレビの指導員は鍛えられた筋肉の持ち主で、若い女性ばかりである。しかも複数だ。確かにラジオ体操第一と第二は、いずれも似たような動きが続くので単調だ。そこでテレビは工夫したのであろう。ラジオの方が雑念が湧くことなく集中して体を動かせる。ラジオは昔ながらに第一と第二を毎日きちんとやっている。

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お屋敷とちひろの世界

2007年05月12日 | ねったぼのつぶやき

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 小さくしゃくれた鼻。つぶらな瞳。ポッとふくらみ紅さした頬。ぷくぷくとして思わず触りたくなるような手、足、ほっぺ。細い線で縁取られ淡い水彩で描かれた子供達の絵はいずれも柔らかく、見る者の心を解してくれる。

 3日目車で南下して「安曇野のちひろ館」へ向かう。途中道に迷い屋敷口で草むしりしていた老夫婦に美術館への道を尋ねた。そのお宅は生垣が廻らされ、門には手入れした樹齢100年を超える立派な松ノ木がそびえていた。

 車窓から見たお屋敷は通り過ぎるには惜しく見せてもらった。中庭は植え込み、小石、竜のヒゲで作られ、玄関前は滝仕立ての池、裏は防風林、奥には作物が植えられ遠方の山並みを借景に据えて見事だった。

 ユッタリ設計の美術館は、遠景に北アルプス近くに川を従えた草原にあった。喫茶室兼食堂、読み聞かせ室、中庭や屋外には寛げる長椅子が沢山あって、800円の入場券は同日なら何回でも入場可能。何度も知人を案内している主は別の所で待った。ちひろの子供達にモット触れていたかった。次は1日がけで訪ねたい。

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長野の別荘に招かれて

2007年05月09日 | ねったぼのつぶやき

 長旅の船の上ではツイゾ見も知りもしなかった方々と、下船した後同艇会を通して知り合いお付き合いが始まる事がある。そんなお1人から信州にある別荘へのお招きを戴き連休中に行って来た。

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 立川で乗車した「あずさ」は中央本線で甲府に向かうにつれ葡萄の花が臨まれた。甲府を過ぎると北西の方向に北上しりんごの花に変わり、遠くに見えていた北アルプスの連山が冠雪の姿そのままに迫り私を迎えてくれた。

 別荘の窓越しに見える冠雪した連山は、南国の暖かい平地で育った私にとって異国の心地だった。初めての訪問で珍しがった私をその主はアチコチと案内した。裏山を登りきった山頂からの眺めは北アルプスから眼下の盆地迄全望が臨めて一層雄大であった。山あいの温泉郷の露天風呂や「安曇野のちひろ館」も訪ねた。

 毎朝小1時間散歩し途中で摘んだ木の芽を天ぷらにした。今迄も蓼科、清里、信州大町と招かれた別荘は全て長野であった。かって清里に呼んでくれ共に退職した同僚と我が家で会食の予定だったが、別荘の手入れは完了したろうか。再度声かけしなくっちゃ。

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*生活変化のせい?

2007年05月05日 | 捨て猫の独り言

 定年退職をした音楽愛好家がラジオカセットテープをMD(ミニディスク)へ録音し直している。作業を終えたテープを何本かもらった。だいぶ前に自分で録音したものもある。それらを廃棄する勇気はない。これまでのものが故障したので、五月の連休中に五千円で小さなラジカセを新しく買い求めた。その時の気分により家の中の好きな場所で気軽に聞くのに便利だ。同じく囲碁のビデオテープも見直したいが、これはまだまだ先のことになりそうだ。さらに山と積まれた本も読まれるのを待っている。

 何年ぶりだろう。ラジオ体操の放送に合わせて体を動かしてみた。この動作でよかったか自信のない部分がかなりある。気になるので翌日もやってみた。四、五日してやっと指示通りに動けるようになった。飽きるまでは続けてみよう。

 食卓の近く、毎日のように目に触れる場所にジューサーがある。これまで使われることなく長期間放置されていた。なぜもっと野菜ジュースを頻繁に作ったりしなかったのか不思議なくらいだ。さっそくバナナと牛乳を入れて攪拌してみた。これも飽きがくるまでは続けてみよう。

 五日市街道と玉川上水が平行して走っている区間を、私は今でも自転車で通勤している。上水自体は高く伸びるケヤキやクヌギやコナラで覆われている。桜は上水の南側の通りに東西にかなり長い距離にわたって植えられている。決して上水の北側ではない。遅まきながら最近になってこのことをはっきりと認識した。さらにそれらの桜の一本一本にナンバープレートが巻きつけられていることに気付いたのも最近のことである。プレートには平成4年東京都教育委員会の文字が見える。「小金井桜」 の名は江戸時代から知られている。現在武蔵野市の領域には桜堤という町名があり、小金井市には上水桜通という通りがある。だんだんと西に、自分の住む小平市に向かって桜のプレートに書かれた数は増えている。帰宅途中に1111番まで確認した。千百本桜ということだ。 

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「あかね空」と浜本監督

2007年05月02日 | ねったぼのつぶやき

 先日玄関口に来客アリ。2案件を持って高校の後輩が名簿を頼りに来た様子。過日の選挙選での候補者名を言い映画「あかね空」の宣伝もした。いい作品で監督も同級生。同じく後輩だから見て欲しいと言う。

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 先日、元職場の昼食会の通知が来ていたので出かけた。創立75周年を終えていたが退職者の集いは初めての由。名称通りシニアー以上が対象で今後の積極的参加は? 昼間で年齢もあり皆の酒量もソコソコ。会場がホテルでキッカり2時間で解散となった。

 半端な時間。流れで「お茶」という気分にも遠い。そうだ!と映画館の前へ。「あかね空」のビラの上に「本日限り」のビラが重ねてある。Lucky!!

 江戸時代の豆腐職人の夫婦、家族ゆえの愛憎など終盤につれ吸い込また。「風林火山」の内野が豆腐職人と賭博場の裏を仕切る親分の2役。脇役もいい。PCの動画で浜本監督はパーツ毎にバラバラだったストーリーが、1人2役の仕掛けによってスーッと繋がったと称していたが、内野は堅気とヤクザを見事に演じて魅せた。

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*詩と書の美術館

2007年05月01日 | 捨て猫の独り言

 大型連休の初日の土曜日は夕方に小雨の予報であった。赤ちゃんは昼前に我が家にやって来た。まだ歩くことは出来ない。「スミレちゃん、は~い」 と声をかけると、ややかすれ声で 「は~い」 と両手を上げる。上げたその片手にこちらからハイタッチのまねごとをすると上下それぞれ2本の歯を見せながら鼻にしわをよせて笑う。密かに重大視していた赤ちゃんにとっての最初の一年がそれほどの欠損もなく経過しつつある。「どこか出かけたいね」 と赤ちゃんの母親は呑気なことを言う。こんな時間からさてどこに出かけようかと考えた。

 めずらしくその日は早く目が覚めた。音量を絞った枕もとのラジオのスイッチを入れる。心の時代という番組を途中から聞く。詩人で書家である父についての思い出をその息子が語っている。東京に出ることなく栃木の足利に根を下ろし筆一本で生きた。渡良瀬川の釣りの帰りに、父と妹の3人で見た真っ赤な夕焼けは忘れ難い。自己のスタイルを確立したのは四十の頃でそれまでは試行錯誤の繰り返しだったそうだ。語り手は相田みつを美術館の館長である。私はその一途な生き方に心打たれる。時代の風潮に流され安易な選択で安逸な生き方をしてきた私のような者は恥じ入るばかりだ。

 まず有楽町駅を目指して出かけた。有楽町駅近くの晴海通りに面したところに、おらが郷土の 「かごしま遊楽館」 がある。そこで遅い昼食をとる。納得のお値段でいつも繁盛している。つぎに東京駅方向へ歩いて東京国際フォーラム地下一階に行く。予報どおり空は暗くなり始めた。赤ちゃん連れなのに傘も持たずに出て来たことに気付く。

 03年に開館した近代的な美術館は3人とも初めて訪れる。眠気でむずがる赤ちゃんを天井から通路に映し出される幻想的な映像のまん中に座らせたりした。滞在中赤ちゃんは寝入ってまた目を覚ました。私は売店で作品集の日めくりを買った。その第一日分には 「美しいものを美しいと思えるあなたのこころが美しい」 とある。今朝の放送の館長の声を思い出す。娘には 「夢はでっかく根はふかく」 と書かれたスタンド付き漆器飾り盆を買った。外国人はこの種類の置物を好むとつぶやいていた。外に出て見ると、歩道は濡れて光っていたが雨は止んでいる。何か得をした気分になった。

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