玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

⑮インド洋津波その後

2006年02月28日 | ピースボート世界一周

 平成4年12月スマトラ沖で地震が発生し、インド洋全般に津波が押し寄せ、広汎に甚大な被害を及ぼしたことは記憶に新しい。瞬時に20万人以上の死者、行方不明者を出したこの惨劇も、毎日押し寄せるニュースにかき消され、忘れ去られたかに見えるが、未だに多くの人々が苦難にさらされている。
Peace_boat_124_1

 「インド洋航行中の今、もう一度この出来事を見つめなおすことで、こん後私達にできることは何かを考えてみませんか?」 と題して9月18日に報告会が挙行された。過去スリランカ滞在経験があるスタッフや、ツナミが起きた際に現地に滞在していたGETteacher、救援活動を行ったpeaceboatのキャンペーンを含め当時の情報や体験談を聞いた。誰がどんな被害を受けたか?国際社会と地域社会はどう協力していったか?地域communityの住居や、生活基盤の再建対策は?失敗例と成功例、その分かれ目にあるポイントは?など。

Peace_boat043

  共同通信社によるとこの2月19日ツナミ後、国からバンダアチェ州の(元)市長に任命されていたヌルデアン氏がNGO関係者の招待で初来日し、今までの支援に対して感謝の意を表明をすると同時に、引き続きの支援を要請している。当初木の墓標やツナミと命名された幼な子や、人を救う仕事がしたいと発言していた子供達の話から、国は復興途上で、観光客も戻りつつあるが、未だ7000人がテント生活を強いられている現況報告もあった。
Peace_boat_610_1

 その後もパキスタンの大地震、日本の大寒波、フィリッピンでの地滑りと絶え間なく大災害に見舞われている。先日もTV特集で見たが、地震はともかくこれらは疑う余地もなく地球の温暖化や環境破壊と密接に結びついている。個人的な努力には限界があるが、例えささやかでも待ったなしの現在、一人ででも出来ることをしていくしかないと買い物のたびにmy-bagの持参や、環境美化のゴミ拾いをしている。

写真は「サクラ」の伴奏をした三線を弾いてみる外国からの観光客。 航海中の中日〈大西洋上)の行われた洋上大運動会。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝日と夕日

2006年02月27日 | 捨て猫の独り言

 この地球をアドバルーンに見立てる。するとジェット旅客機の飛行する辺りまでの空気の層はどうか。それはアドバルーンに付着した埃ほどの厚みしかないそうだ。そのように考えると、人はいかに狭い圏内で生活しているかがわかる。この見方は空気と水は無尽蔵でないことを私達に実感させてくれる。

 人が正月元旦に山や海に出かけ初日の出を見ようとするのはなぜか。そのとき建造物が視野に入らないほどよい。太古よりそうであった風景を人は見たいのだ。水と空気と太陽によって生きることを年に一度ぐらいは確認したいのだ。

 私は毎日のように水平線を太陽が昇るのを見て、水平線に太陽が沈むのを見ました。こんなことを地球一周の船旅を経験した人から聞いた。地球の断面図である円を考えてみよう。船はその円周上の一点である。その点において接線をひこう。光は直進するから船からは他の地球上の何ものも見えない。例えば地中海を航海中においてもである。見えるのは近くの海ばかり。だから船では太陽は昇るときも、沈むときも水平線上にある。

 またこんな話を聞いたことがある。東シナ海に面したある町ではいつでも夕日が水平線に沈むのが見られる。季節は夏であろうか。遠来のお客があると家族みんなで砂浜に出かけてつつましい夕食を広げる。水平線に沈む大きな夕日がなによりのご馳走であったという。まだ日本が貧しかった頃のお話である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

⑭インド洋航海11日間

2006年02月24日 | ピースボート世界一周
 シンガポールからケニアまでの11日間。セイシェルに寄港したとはいえその日のうちに船内に戻ったので、ほぼ11日間はクルージングになる。こういった長いクルージングになると何らかのイベントが組み込まれており、シンガポール明けには当地で仕入れたフルーツパーテイが催された。
Peace_boat_035

 果物がふんだんに用意され、1000円のチケットを事前に購入する必要があった。入場制限つきなので即完売したようだ。今までデパートなどで見たことはあっても食べたこともないようなフルーツや、食べたことも見たこともないようなフルーツまで様々だった。さしづめ 「ドリアン」 などは全く始めてお目にかかり賞味したものの一つだ。美味しいのだけどその臭いことといったら・・・・。幾らくるんでも臭う。清潔を誇る本国ですら公共の乗り物への持込は禁止されているぐらいだから。
Peace_boat_016_3

 乗船15日目は満月の夜 「フルムーン・パーティ」 と称して、世界の音楽と映像を流しながら、デッキで満天の星空と満月を眺めてリラックスする催しがあったようだ。この航海中船は4回赤道を横断するのだが第1回目を記念して、翌日は赤道通過記念の夏祭りが行われ、様々なコンテストや盆踊りが行われた。プールの上にヤグラが組まれ、大太鼓を老若男女が連打する。1歩も前に進めないぐらい踊りの輪は広がった。
Peace_boat136


 その他生演奏会やダンスパーテイ、囲碁大会、カラオケ大会,果てはオカマバーまで。ちなみに英語で同じグループの好青年がオカマバーで優勝したらしいので、どんな事をするのか聞いてみたのだがニッコリ笑っているだけで教えてはくれなかった。ともかく昼間はレクチャやカルチャー、夜はイべントと結構盛りだくさんでヒマを持て余すヒマもないのだった。写真は横浜港の出航風景とイベント時多用されるプール、ジャグジーのあるデッキ。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

⑬セイシェルの浜辺で

2006年02月20日 | ピースボート世界一周
 18世紀まで無人島だった島に、世界各地から移民が入り、多種多様な文化が混ざり合い、影響しあって独自の文化が根付いたという。地元の人々や人気ミュージャンにここでしか出会えないクレオール音楽や、「サッガ」 と呼ばれるダンスを習い、土地の人々がいつも召し上がっている素朴な昼食を浜辺でご馳走になった。
Peace_boat_104

 海は青く、広く、遠く、水は透明で澄み切っており、海水越しに見る足は艶めき、冷たさも素足に心地よい。木陰には入ると涼しいが陽射は強く、それでも砂浜からず~と遠く拓けている海を前にしていると、海に飛び込みたくなる。浅瀬ではあったけれど海につかる。強い陽射しに小1時間海にいただけで肩に水着の跡がクッキリついた。素足に水の感触は心地よかったけれど、珊瑚は何としても痛かった。

Peace_boat_114
「サッガ」 もやはり上半身はシッカリ保持して、下半身を小刻みにウンと強く振るのがポイント。上、下半身の動きのバランスを持続させるのは意外と難しい。途中でバランスが崩れるか、腰全体が回ってしまう。この手のダンスは下船するまで上手く踊れなかった。キット遺伝子が組み込まれていないことと、そういった類のダンスを踊る機会がないからだろう。

Peace_boat_125
 それに較べれば、日本からのダンスのお返しは 「さくら、さくら」 の踊りで皆がセンスをもち、沖縄の三線の伴奏に合わせて俄か仕込みの踊りを披露した。練習不足の感は否めなかったけれど正式に砂浜に正座をし、お辞儀からはじまって立ち上がり、センスを広げソロリソロリと舞い、最後は皆のセンスが更に大きな扇形になるように決めて、再びセンスを閉じ正座してお辞儀をした。正反対の踊りや静かな音楽を現地の人々はどのように受け止めたことだろうか?私自身も練習段階から大いに楽しめたし、稽古ではテレ気味の男性仁も本番では大真面目でそれも愉快だった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

頭のさがる思い

2006年02月20日 | 捨て猫の独り言

 ときどき朝の洗顔のときに感じるようになった。今朝は水が冷たくない。水ぬるみ春近しである。17日の金曜の夜は寒かった。帰宅途中に氷雨が頬に刺さった。あれを氷雨というのかどうか自信はない。傘をさす人はほとんどいない。ごく細かい氷の結晶が空中を舞っている。珍しい気象現象だ。頬にチクチクあたるのでふるさと鹿児島の桜島の降灰を思い出す。そんな寒い夜、私のパソコンアドバイザーはご自分の勤務終了後に3時間のパソコン講習会(有料)を生徒として受講したという。ご自分の仕事は組織のホームページの作成や管理、これまで残っているアナログ情報のデジタル化などだそうだ。自分にとって最も興味あることを仕事にできるとはうらやましい限りである。それにしてもパソコンの機能には測り知れないものを私は感じる。

 翌日の土曜には朝から遠路はるばる我が家を訪れてくださった。我が家のパソコン導入、ブログ開設の手ほどきから1年以上が経過している。私のスキルはあれ以来さほどの進歩もない。なんたることだ。先生はさらに研鑚を重ね、生徒は遊び呆けているの図ではないか。そんな生徒に対してもいまだに忍耐強くおしえてくださる。スキルの伝播に貪欲である。真摯である。ほんとうに頭のさがる思いだ。教えが終わると先生から面白い話が飛び出す。おなかを抱えて笑うことしばしばである。さがった頭がすぐ起きる。これ!頭が高い。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

⑫船上で9・11を迎える

2006年02月18日 | ピースボート世界一周
あの日から今日で丁度4年の歳月が流れた。46回クルーズではグランド・ゼロ地点に立てたらしいが、今回は 「9・11後の世界を考える」 としてその日の夜、討論会が開かれた。主旨としては・・世界では同様の悲劇は数多く起きているにも関らず、9・11だけが 「人類の悲劇」 として突出して強調され、その後アメリカは国際法を無視して戦争に突入していった。もう一度時計の針を4年前に戻し、これまでの4年とは違う今後の未来を紡ぎだすキッカケになれば・・というものだった。
Peace_boat132

 この事件の直後視察団として現地入りしたスタッフは、「このテロ攻撃は世界の警察として君臨するアメリカの軍事力と経済力への攻撃であると直感した。その後、アフガニスタンを訪問し、そこで9・11を支持する人々が大多数いることに驚いた。9・11を考える時、単にアメリカを批判するだけではこの戦争の全容は見えない。なぜこのような非人道的なテロ攻撃が、イスラム社会で支持されるのか考えるべきだ」と発言した。

 また米国本土にいたGETteaterは 「テロ直後、身の回りではアラブ人は怖いと感じる人や、軍隊を補強し強い国家が必要と唱える人が多くなった。もちろんブッシュ大統領の支持は急上昇した。この戦争に反対する私のアイデンティティはゆらぎ、世界の人々がアメリカをどう見ているか不安になった」と発言している。

 また当時日本で英語教師をしており、今はこのboatで英語教育のマネージメントをしているK氏は、当初TVをみて事故だと思った。休暇で帰国し自分の国が変わっていってるのを実感した。アメリカの国は変わらないが、アメリカ人は変わりつつある。国論は2分しているがやっぱり私は自分の国を愛している。ピースボートではアメリカが敵国視している所でも、受け入れられ訪問できている国もある。アメリカ人にももっと世界を知らせる教育が必要である」と発言している。

 確かに被害を受けた国の数が多いことや、経験したことのない形のテロという意味においては,特異的ではあるけれど、今までと決定的に違っているのはアメリカの地でおこったから・・・といってしまえば言いすぎだろうか。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

⑪トリノ五輪参加国旗

2006年02月15日 | ピースボート世界一周
 第20回冬季オリンピックが開幕し、冬季五輪史上最多の80の国と地域から参加して(前回は77)17日間行われることになり、11日早朝にセレモニーが始まった。このところ目覚めも早いので運よくチャンネルをいれた。この手の式典はつねにそうだが、あそこまで派手に賑やかにやらないといけないかと思えるほどに趣向を凝らし、饒舌ともいえるほどに長い時間が費やされた。
Peace_boat_091

 セレモニーには、世界を驚かせるような仕掛けがいくつか秘密裏のうちに用意されており、今回はオノ・ヨーコさんによる夫ジョン・レノンの 「イマージン」 の朗読と呼びかけがあって、同世代の歌手がその歌を歌った。前半の演出が強く全体が盛り上がっていただけになお、何の装飾もなくとてもシンプルでありながら、しかも強くみんなの胸を打つものがあった。

 さて私はといえば、今回の船旅で国旗に現されたそれぞれの国の歴史的意味合いや、托された願い、思いを少々学んでいたので、にわかに思いついて、国旗を先頭に入場する各国の国旗の色の組み合わせや、模様、参加者の大まかな人数をチラシの裏に書き取りながら行進を見た。参加者の少ない国では、すぐ次の番になり書き損なったりしたけれど。

 そんなわけで当日はほぼ丸一日、書き取ったメモを見ながら正確な国旗の色や、国旗の由来や托された願い、どの辺りにあるかなど、世界地図帳にのっている地図や国旗とニラメッコをして過ごすことになった。

 大雑把な言い方をすれば国旗には赤色が多用されており、それは独立のために流した血を、緑は豊かな自然や大地を、黄色は大地や地下資源を、白は寛容、平和、希望を、その他宗教的な意味合いをこめた色や紋様、独立した国は以前の色に更に色を入れ替えたり、模様を加えたりといった具合で興味は尽きなかった。

 そして今までは見過ごしたかもしれない参加者の少ない国や、参加できないでいる国の国情にも、思いが行くようになっていた自分にも気づかされた。写真はインド洋上で裸足でスパニシュダンスの特訓を受けているところ。各地で色んなダンスを見たり、踊ったりしたがアフリカやラテン系のダンスは腰を強く振ることがポイント。日本の無表情で動きを抑えるのとは全く逆。

















コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いいできだった

2006年02月14日 | 捨て猫の独り言
 娘がころがりこんできた。それは去年の10月のはじめだった。窮鳥懐に入るだ。つわりがひどいという。あいにく母親は長旅に出ている。自活するのだと娘が家を出てアパート暮らしを始めて2年近くたっている。私は娘が迎えている今の状況をすべて受け入れよう、祝福してやろうと思った。遠慮のない娘で激しく親と衝突したりもした。天晴れなほど我を通した。どんな結婚をするのか、しないのか少しばかり気になっていた。

 アパートを引き払うという。新居が決まるまで荷物を預かることになった。私の寝室は物置状態である。それでもよっかった。最初は週末だけの帰宅だったが、そのうち完全に我が家からの出勤になった。出もどりである。年若いアメリカの青年が時々訪れて一緒にビデオで映画を見た。新しい息子に手作りの料理も食べてもらった。一度は三人で病院に行った。あのとき私は何も求めなかった。素直に生活を楽しんでいた。娘が安定した精神状態でいることを望んだ。

 いつのまにか、つわりも治まった。母親も長旅から帰った。クリスマスの頃アメリカの母親をまじえて、我が家で食事会を開いたりした。ついに若い二人の新居も決まり我が家にあった荷物もそちらへ移された。再び私たちにはもとの静かな生活が戻った。あのとき私は、いさぎよくすべてをあるがままに受け入れて生きたと思う。それはそれでよかった。私にしてはいいできだった。当然ながらあのときのことはもう二度と戻らない。とかくこの世は常ならずである。


コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

⑩若者たちと街を歩く

2006年02月11日 | ピースボート世界一周
横浜を出航して10日目。ヤット陸に降り立った。当地では8ケ組まれたツアー(いずれも事前にパンフが配布され申し込みを済ませておく・・・フリーとしていずれのコースにも参加せずともよい)の中から自分の申し込んだコースに参加した。

 GETといって英語、スペイン語の有料受講者(ちなみに受講料12万円+各寄港地でのツアー料金加算制で、51クルーズでの総申込者は160名余)のみ参加できるコースも全旅程の中に4ケ所組込んであり、シンガポールはGET生にとっては初めての寄港地であると共に、自分の専攻する語学の試運転地でもあった。ツマリ自分の言葉がどれだけ通じるか、通じないかを理解させ、モチベチベーションを高めさせるネライだと思う。
Peace_boat_061_1

 GETコースはGET生でなくては参加できないが、GET生であっても参加しなくてもいいので,その企画の参加者は常に最大160名となっていた。オリエンテーションでは新学期が始まったばかりで、学生も途中から学校に行ったり、授業を終えては入ってきたりすると聞いていたがその通だった。

 さていよいよ対面式。大学生とGET生双方がカードをもって、同じカードの相手を捜し合い組み合わせが決まる。学生2人にGET生2人で近くの観光地や街、彼らの大学に行った。大学は新しく受け持ちの学生は誇らしく学内を案内してくれた。また学生らが普段行くであろうような簡素な食堂でお昼も取る。この国は海外から多くの人を招くために清潔で安全な国を目標としており、法律が非常に厳しく、ゴミのポイ捨てや、決められた所以外での喫煙、飲食は罰金に相当する。地下鉄や街並は聞きしの通りきれいでゴミもなく、夕刻の地下鉄構内では複数の警察官がアチコチ往来しており、安心感はあったが威圧感も否めなかった。
Peace_boat_064_1

 最後は私達のお供をしてくれた学生全員を船に招待した。その企画に参加したくて、案内役を引き受けた学生もあるやに聞いた。船上では船内の案内と、お喋り、歌の交換会など。彼らの態度や言葉遣い、振る舞い、通学の様子などからみてとても真面目で好ましい印象を受けた。日本の学生さんヨ。アジア圏の学生さんに遅れをとらないよう学んで下さいネ。写真は案内してくれた学生の通う大学近くの食堂。ともにラーメン風の昼食をとる。殺風景で少々小汚いが味は美味。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

⑨出会いはビンゴ大会

2006年02月07日 | ピースボート世界一周
Peace_boat_1351
 9月10日 前日全員に1枚づつ配られたビンゴカードを持参して参加しました。勿論別売りもあって複数枚持参しても良し。全員集合の行事(食事、パーテイー、説明会など)は常にピンクとグリーンに色分けされたカードによって、2班に分けて行われました。

 この種の催しは、仲間作り、話題づくりを意味しており会場が盛り上がったのは言うまでもありません。しかも景品を前にしてゲームは進行されるので、おもわず熱がいってしまう。その景品はいづれもシンガポールでの超老舗ラッフルズホテルで・・・・。豪華中華料理ペアご招待、ニュートンサーカス、屋台村ガイド付き食べ放題、動物園ナイトサファリ、船内でのマッサージ、ワイン、バアー、居酒屋○○○○円の招待、寄港地名や地図がプリントされたTシャツなどなど。景品も2班分用意されたことになります。

 司会者のアナウンスに従ってカードの色を削る。アチコチで 「ヤッタ~」 「ア~レ~」 の声が漏れる。ついには 「ビンゴ」 の声が上がりだす。複数の正解者があるとジャンケンで勝負を決する。年齢層や友人の数によるのだろうか?意外にも現地よりも船内でのサービスを選ぶ客もあったりした。

 確かに色を削りながらお隣も気になる。 「どんなぐあいですか?」 と気安く声をかけられる。こんななんでもない芸当は男性陣には難しいかもしれない。ましてやカップルで・・・の景品を獲得出来たとしたら 「何かが変わる」 可能性もある。そうなのです。51回クルーズにしてピースボートで初めて挙行された 「中年カップルの洋上結婚式」 は、こうした出会いから始まったのでした。彼女らはパナマ運河通過日に記念として婚約発表をし、後日挙式しました。詳細はまたイズレ。

写真はクリックで拡大・・・朝のtea-timeや頻繁に昼食をとったセルフサービスのトパーズダイニングルーム(夜は居酒屋に変身する)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする