玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*勝負観戦の楽しさ

2009年06月29日 | 捨て猫の独り言

 蒸し暑い日本の夏がまためぐってきました。ある日の新聞紙上で思わずにっこりの川柳に出会ったので書きとめておきました。「見ちゃだめといってたころもあった妻」 たった17文字で人生の機微をほほえましく描写しています。これは数ある中で私のイチ押しでしたが、なんと他の句がこの日の最優秀作品でした。滑稽味と風刺に欠けるとでも言うのでしょうか。

 24日に将棋の名人戦第7局の二日目の大詰めの模様をテレビ観戦しました。勤務のない日でしたので朝1時間の放送と夕方の2時間の放送をじっくり見ました。その後もテレビは7時過ぎの勝負の決着まで、こま切れに中継するという想定外のサービスぶりでした。私は将棋の門外漢ですが、解説者が示す何通りかの駒の進め方を聞いていると比較による理解が深まり、興味深くてなかなか目が離せませんでした。今回はあまり知らない将棋においてもプロの勝負の迫力を楽しめたような気がします。

 いま流行の数独と将棋盤のマス目が全く同じであることに気付きました。たてよこ9マスずつ合計81マスです。人間はこれからも81マスなどを用いて何か新たにエキサイティングなゲームを発明することができるでしょうか。囲碁と将棋に不思議な相違点があります。囲碁では先手と後手では先手有利として先手は6目半のハンデを負います。将棋にはそれがありません。門外漢の私にはこれはとても信じがたいことですが、ある年などは将棋では後手のほうが先手よりも勝率が良かったという統計もあるそうです。今回の名人戦の敗者の 「第6、7局は後手番の戦い方で課題を残しました」 という短いコメントの中で 「戦い方」 という3文字になにがしかの興味を覚えました。

 楽天の岩隈とレッドソックスの松坂の二人の投手の変調が気になります。ともに3月のWBCの日本優勝の立役者です。両投手が現在の自分の変調をWBCのせいにすることは決してないでしょう。しかし私はWBC参加に臨んでの悲壮なまでの日の丸(国家)意識のようなものに辟易しています。あらゆる国から選りすぐりの選手が集まって活躍するメジャーリーグという檜舞台があるのに、それをなぜ国対国というレベルに引き下げる必要があるのかという松井秀喜ウオッチャーの村松友視氏の意見に賛成しています。

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生らっきょうの酢味噌付

2009年06月26日 | ねったぼのつぶやき

 広~い休耕田を借り受け、週末農家をやっている弟から朝メールが届いた。「らっきょうを送った。今日には届くでしょう」とあった。「有難う。嬉しいわ」と返信して程なくチャイムが鳴った。

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 小箱に梱包されたらっきょうは自家作とあって大小様々だ。そのまま3掴みビニール袋に入れて出勤した。朝の例会で「生らっきょうの酢味噌付けを食べた事は?」「エッ 生で?」の反応が大半だった。職場で水洗いし、千切りにし、酢味噌ダレを作りランチ時に出した。散歩から帰った後の昼食時。シャキシャキと口当たりがよく、懐かしい味噌味は食欲を引き立て概ね好評であった。

 生らっきょうは漬物を作る今しか食べれない。今年はその作業を終えていたが2度賞味出来た。らっきょうと格闘した人なら解るが、シッポ様にすぐ青い芽が伸びるし薄皮は何度でも剥げる。手早く拵えないと手間暇かかることこの上ない。しかも漬物用としか販売されておらず、小口販売は皆無。つまり「生らっきょうの酢味噌つけ」は漬物用の寸借で成立するしかないのだ。それ故にか生らっきょうは殊更に私には美味なのだ。(きれいに咲いたⅠ本目は踏んづけてしまい、ヤット見つけた小さな2本目のねじり花)

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*7割の憂鬱

2009年06月22日 | 捨て猫の独り言

 今年の3月に出版された 「7割の憂鬱」 を偶然手にしました。副題は 「松井秀喜とは何か」 です。著者は 「私はプロレスの味方です」 や直木賞受賞作品 「時代屋の女房」 などの村松友視です。著者がこれまでに 「ぞわぞわ」 したスーパースターの系譜は、力道山、プレスリー、モハメド・アリ、長嶋茂雄そして松井秀喜といいます。高校球児のときの松井秀喜の五打席連続四球のシーンがその出発点のようです。「べつに気にしません。ボクがピッチャーでもそうするでしょう」 と敬遠した相手ピッチャーに対する気遣いと、自信に満ちた大人びたコメントに多くの人達は舌を巻きました。

 ここ数年ほどの間に私の関心は日本のプロ野球からメジャーリーグに移りました。私のようなぼやけた移行ではなく、著者は松井秀喜という一人の日本人選手を通してヤンキースにのめりこんでいきます。松井秀喜のヤンキース2年目の04年には120近い数の試合をテレビ観戦し、分厚いノートにメモをとりながら松井秀喜ウオッチング続けたといいます。その度外れた入れ込みように私は励まされます。

 松井秀喜は、06年にはレッドソックス戦で左手首骨折、07年には右膝の損傷、08年終了間際の左膝の内視鏡手術をするなど重苦しい時間が続いています。打者は打って三割なんぼ、残り七割を消したいというのが普通ですが、大人びた松井秀喜にはその七割の憂鬱に滋味があり、雅味があり、奥行があると怪我をかかえながらのプレーに声援を送り続けるのです。

 インタビューに見る日本人選手の個性についてつぎのように表現しています。野茂の屈託、伊良部の苛立ち、佐々木の緊張、イチローの言葉のワザのようなものが松井秀喜にはない。この人だけはインタビューで炙り出すことができぬ、不可解ともいえる類まれなる自然体、平常心の持ち主といいます。そこにはインタビューをする者とされる者同士が、互いに相手の気持ちを忖度し同じレベルでの心の交流が一瞬にして生じていると著者は解読しています。

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受刑者が盲導犬の育成

2009年06月19日 | ねったぼのつぶやき

 昨夜英語レッスンのスピーチで聞いた話である。官民協働の刑務所「島根あさひ社会復帰促進センター」で、盲導犬となる子犬の育成をする国内初の受刑者矯正プログラムがスタートした。「受刑者の矯正と盲導犬の育成は、社会貢献という面で共通している。社会に役立っているという自信を持ってもらいたい」と推進者は語っている。 

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 生後3ケ月未満のレドリバー3頭が、希望者から選ばれた受刑者(5人1組で1頭担当)に手渡され、満1才になるまで24時間寝食を共にするのだという。個室にゲージを持ち込み、作業中に子犬がトイレに行きたい素振りを見せたら、刑務官に許可を受けトイレに連れてゆくのだという。「犬も人間と同じ。人間が好きになるように育ててほしい。そのためには人間がその子犬を好きにならなければいけない。幼い時に誰かといつも一緒にいることが心の安定につながる」としている。

 国内で盲導犬は1000頭。必要としている視覚障害者は4700人とされる。訓練士は犬とも人ともコミュニケーションをとる仕事。1頭でも多く盲導犬を受刑者と共に育てたいと松本健太郎さんは言い、受刑者側も甘やかしすぎないよう育てたいと言っていた。久しぶりに聞かされたいい話だった。

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*公民館まつり

2009年06月15日 | 捨て猫の独り言

 「父・作家太宰治と一途で可愛い作家林芙美子」 と題した講演会が土曜の午後に開かれました。仕事帰りに立ち寄るには、場所も時間も好都合でした。出かけた一番のわけは太宰治のわすれがたみを見たいという軽い好奇心であったことは否定できません。なぜなら私は講演者のこれまでの仕事ぶりなどは全くの知らなかったからです。

 花小金井南公民館まつりのプログラムの一つでした。老朽化した建物の二階の狭いホールでは直前までハーモニカなど各種の発表会が行われており、講演会に来た人達はトイレの臭いのする廊下に並んで待たされました。このまま観客の入れ替えはなく、立ち見になることはもちろん、入場できない人が出るかもしれないという噂が流れたりしてどうにも落ち着きません。

 太田治子さんは小柄で顔の大きい、率直な人柄の方でした。最近二つの作家論をものにしたそうです。まず林芙美子については筑摩書房から 「石の花」 を、続いて太宰治については朝日新聞社から 「明るい方へ」 です。それぞれ3年と2年を費やしたそうです。作家の戦争責任ということでは芙美子は誤解されており、むしろ太宰などに猛々しい発言があったと言います。母は未婚の母だったが、これは道徳革命だと言えないこともないと振り返ります。現在は58歳で、離婚して娘と暮らしていますが、これも結果としては未婚の母と同じことと自問自答していました。

 講演会のあとで、私はつぎのようなことを知りました。太宰が入水してまもない頃に、芙美子は太宰の愛人である太田静子との間に生まれた赤ん坊の治子をぜひ養女にほしいと神奈川の曽我を訪れたそうです。「あなたを抱っこした林さんは顔色が悪くて小説家というより疲れた女親分の感じがしたわ」 と母は治子に語っています。その3年後 「浮雲」 が刊行された直後に芙美子は急死しています。太田治子さんが遠くからご平安をお祈り申し上げるしかない津島家の方々のその後について、この機会に調べました。太宰の次女で、作家の津島佑子(里子)の夫は詩人の藤井貞和で、長女の園子の夫は自民党代議士の津島雄二だそうです。

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セッセと出掛なくっちゃ

2009年06月12日 | ねったぼのつぶやき

 3月以降、どこかで何らかの形でご一緒した方々と集まる機会が多々あった。食事会をメインにしたものが多く、往復ハガキやメールが舞い込んだ。知己からの呼び掛けは週末が多く、他用と重なったがそれでもアレコレ工面してイソイソと出かけたのだった。

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 昨年初参加して今年も念願していたお祭りは、仙台で催された船友との2泊3日の旅と重なり諦めざるを得なかった。例年参加させて頂いてた個人宅での食事会も、他用で断念せざるを得なかった。そして思い出す。今年はどこそこで戦友会、来年はあっちで戦友会と私やツレアイの両親が出掛けて来た事を。そしてそのまま決って我家迄足を延ばしていた事を。

 我が家でしばし休息をとる彼らは、戦友会の流れそのままに誰それは元気そうだったとか、聞いてきたばかりの訃報にまつわる続きの話をしながら感慨に耽っていた。今私の両親は既に亡く、ツレアイの両親は健在なれど高齢ゆえに上京は叶わなくなっている。時を重ね、それはイズレ私達の通る道。今しばらく、イヤもっともっとイソイソとセッセと出掛けなくッチャ。

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*映画「東京物語」

2009年06月08日 | 捨て猫の独り言

 学校の図書室から借りてきたDVD小津安二郎 「東京物語」 を自宅で見ました。小津作品をじっくり見るのは初めてのことです。ごくごく平凡な家族の物語です。血湧き肉躍る活劇でもなく、また奇想天外な夢物語でもありません。「1953年の日本の家族を記録した映画」 という印象でした。俳優は常にカメラを向って話すので、その眼差しにこちら(観客)がたじたじとなるのです。 

 尾道に住む笠智衆と東山千栄子の老夫婦が東京の子供たちを訪ねて上京します。しかし長男も長女も仕事で忙しく両親をかまってやれません。二人を慰めてくれたのは戦死した次男の妻の原節子でした。尾道に帰郷してすぐに東山千栄子が死去します。葬儀が終わると原節子以外の子供たちは即座に帰ってしまいます。笠智衆は上京した際の原節子の優しさに感謝を表し、そして原節子に再婚を勧めるのでした。

 随筆「羽化堂から」に小津作品全般について述べた文を偶然見つけました。喜び勇んでその箇所を読んだのはいうまでもありません。「小津安二郎の作品はなんとも退屈にすぎると、若者はいう。率直な感想だとおもう。複雑な世界ではないが、決して単調ではない。今日から見ればすこぶる単純ではあるが、単調ではない。その単純にみえる世界は、意味に変えがたい陰翳や明暗や情趣が、日常性を超えた時間を創造している」

 小津作品の「家族」というテーマと関連して思い浮かんだのが 「全世界を愛することは簡単だが、隣人を愛することは難しい」 という皮肉のきいたことわざです。家族こそは逃れることのできない隣人ゆえに、たびたび困難さが生じることは誰もが感じています。家族よりもゆるやかな関係として族(うから)があるといえます。現役を引退して同窓会という集まりが盛んになるのは、家族でないゆるやかさの中に遊んでいるのでしょうか。

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聞いてる?覚えてる?

2009年06月05日 | ねったぼのつぶやき

 早朝の4時。朝一番の手順に従って窓をあける。庭や道路向いから数戸軒を連ねた緑道の方から ”チッ チッチ チッ” と小鳥の囀る声が賑やかしい。洗面に向かえば裏庭の垣根に沿った木々の間からも同様のさえずりが聞こえる。イヤそれ以外は何の物音もしない。心地よい冷気の中で小鳥たちが全てを支配し、満喫している。

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 知人の中に小鳥に詳しい人がいる。彼女はさえずりを聞いただけで小鳥を識別できる。私は姿を見てもなお言い当てない。最近この地域に係っていらした人が、私費を投じて緑道沿いに「オープンギャラリー」を作り、植物や鳥達の生態をプロ級の写真と解説付きで展示して下さっている。予告に従って展示は入れ替わり常に ”今 この時期” を写し取っていて興味は尽きない。よき解説を得て私は益々緑道を好きになり、モット知りたいと思う。(仙台にて ユリネラン)

 目覚めたばかりの幼子は体を大人に預けたままボンヤリ庭を見やっていた。動く者に対して目敏い幼子は小鳥が視界に入ると途端に目で追いはじめた。小川のせせらぎや鳥たちの囀りの交歓。風の頬をなでる感触や木々のざわめきなど。限りある時間の中で精一杯与えたつもりだが、幼子の記憶のどこかに仕舞われているだろうか?たまにはそんな時間を持ててるのだろうか?

 

 

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*随筆「羽化堂から」

2009年06月01日 | 玉川上水の四季

 「青梅の実が地面に落ちて黄色を帯びている。麦秋の香りの一つだ。杜鵑(ほととぎす)の声が山霧の白いカーテンを引き裂くように、向こうの稜線を越えてくる。桜桃、枇杷、紫陽花は、わたしを蒼いみどりの時間のなかに眠らせる」 前登志夫の随筆集 「羽化堂から」 の引用です。麦秋とは麦の熟する頃すなわち初夏の頃のことだと知りました。

 玉川上水オープンギャラリーにおける二十四節気の小満(5/21~6/4)の記事に重なります。「玉川上水の右岸は日当たりがよく初夏にはイネ科のカラスムギ、ネズミムギ、カモガヤなどが群生する。観察のポイントは八左衛門橋から貫井橋の間は毎年多くのイネ科の植物を見ることができる。麦が熟すと野鳥の貴重な食物となる」 

 出勤途中に下流に向かって右側すなわち玉川上水の南側を観察すると約2kmの区間は指摘通り道端に麦が群生しています。日ごとに黄色に熟していくのもわかりました。これまで長い間この時期における麦の存在を全く気付かずに過ごしてきたことが不思議です。見る目がないとはこのことだと思い知りました。

 再び随筆集からの引用です。「こんなにのんびりと山霧の景色を眺めていても、わたしの五体からは苦悩の瘴気が立ちこめていよう。わたしの五体はその瘴気の霧に包まれた苦しみの器である。ただ今のわたしの心配事を数えれば数十にもなる。それでも郭公の声に目覚め、山霧の空を渡る杜鵑の道を耳で辿っているいのちのかすかな揺らぎをありがたいと思う。たとえ餓鬼阿弥であっても、世界の根底に触れているからである」

 

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