シイタケ菌床の収穫は順調だった。傘が黒くて大きなきのこがつぎつぎに発生して、1回につき8個ほどを3回続けて収獲すると小休止となった。1週間ほど経過してつぎの発生が始まった。傘は白っぽくやや貧相になった。それでも数は前と同じくらい収穫があった。
2月19日の朝日歌壇に(垂水市)岩元秀人の名をみつけた。もちろん選者は永田和宏だ。「ゆびというさびしきものをわがもてば硝子のコップに朝の水飲む」どのような心境を詠んだものだかいろいろなことが想像された。澄み切った諦観のようなものだろうか。
この1月から、ラジオ体操の担当が1967年生まれの多胡肇が去って若い鈴木大輔と岡本美佳の2人体制になった。その事情をネットで調べてみたが知ることができなかった。普通ならば去就についての挨拶なり、説明があるはずだ。ちょっと気になることではある。
経済学者の成田悠輔氏が急激に進む日本の高齢化社会の対処方法について唯一の解決策として「高齢者の集団自殺」と発言したことが世界中に拡散した。養老先生は、今という断面で考えれば不満はいくらでも出てくる。ものごとは長いスパンで考えるべきで、この世は順送りであることを忘れるべきでないと答えていた。