玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

今時の整形外科事情

2008年01月31日 | ねったぼのつぶやき

 私の極親しい知人のお母上が、明日大学病院で上腕骨の再手術をうける。ガンや病的骨折は例外として、一般的な骨折の場合整形外科領域の手術は明快で治癒も時間の問題とされている。今回は再手術ということもあって難渋が予想され、8時間以上要するといわれているらしい。大学でも手を付けたくない程の症例だが、「現状がある以上ベスト尽くす」の言葉に託したと言う。

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 電話によると手術を受けて以来1年近く経つが、治癒どころか再骨折さえ繰り返し、ギブス下でパンパンに腫れ痛みも限界だったらしい。腕の手術の直前には胸部大動脈瘤の手術も受けているが、そちらは今回の手術には耐えられるとのコメントだった様子。自分の身分を明かして説明を受けたので術式、リスクいずれも詳細で、前の手術の後始末が今回のリスクをヨリ高めており、開けてみないと解らない部分も多いと言った。

 前回はよくよくの事情があって、チョット考え難い術式(隋内釘とプレートの併用)が選択された?前回の後始末(抜釘)は上手くいく?腰骨(腸骨)からの骨移植と新しいプレートで上手く固定できる?長時間手術によるダメージは?神経マヒ、新たな血管のトラブルは? 悩みは尽きないが、大学病院でそれだけの手を尽くしてもらってもよくならない手術なら止むを得ないと語っていた。そして何より「アンプタ(切断)もあり得る?」との質問に、「先が生きている骨を切り落とすことはしたくない」と、言い切ったDrの心意気に全幅の信頼を寄せたと言っていた。

 万能細胞の開発者も整形外科医で私には驚きだった。数日後整形外科の最先端の手術が成功したという朗報と、手術、骨移植を含めたこの難業をどう乗り切れたか、詳細を聞けることに大きな期待を寄せている。(写真はマイタウンの前庭で)

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*どぶろくに挑戦

2008年01月29日 | 捨て猫の独り言

 還暦を越えた頃から高校の同窓会は盛り上がりを見せている。関東在住の十数名が二ヶ月に1回以上は集まる。こんな状況になることはメンバーの誰も予想しなかったことだろう。拘束されない時間が増え、その気があればいつでも集まることができる身分になった。まだまだ現役もいる。それぞれの生活スタイルが互いの生活のヒントになり刺激になる。しかし最大の要因はパソコンメールの普及であろう。瞬時に連絡可能である。時代が後押ししていると言っても過言ではない。

 ある時その集まりでペットボトルに入った自家製どぶろくが振舞われた。その時私は自分でも作ってみたいと切に願った。大げさに言えば、日本の食料自給率の低さは政治の問題である。最近の物価上昇はこのことに起因している。口にするものは何であれ自ら作ることあれば、その機をとらえて挑戦することは国民として正しい行動である。

 そんな私の願いが通じてある時どぶろくのレシピが届いた。米と天然水の他に生こうじ、イースト菌、カスピ海ヨーグルトの素が必要という。これらの材料を調達する場所がさっぱり解らない。さて困ったことになった。何事も最初はてこずる。しかしなんだかんだで買うべき場所の追求を中断していた。

 そんな私に救いの手が差しのべられた。レシピの送り主がどぶろくの材料を私の分も一緒に注文して取り寄せるてくれることになった。そして1月31日の今年最初の同窓会で私が受け取ることになったのだ。そこで今回は必ず出席である。その彼は今でもIT企業の現役である。半島に住んで野菜作りはともかく海釣りもやる。さらに毎年のようにどぶろくと同時に味噌の仕込みまでやるという。驚くほどの高自給率である。注目すべきスタイルである。

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「雪よ!積もっておくれ」

2008年01月24日 | ねったぼのつぶやき

 雪だ!ヤット雪が降り出した。お願い。お印ではなくかってのように積もっておくれ。自然の力を示しておくれ。街の衰え行く人々に自然のもつ力を教えておくれ。自然しか持たない底力を見せておくれ。忍び寄る環境破壊を恐れる「私達に未だ間に合うよ」と警告を発しておくれ。

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 暖かい地方に育った私達は雪が降ると嬉しかった。早く学校に行き雪合戦をしたかった。南国の雪玉は固くは作れなかったけれど、それでも命中すると結構痛かった。玉の来た先にはイタズラ坊主がいて喜んでいる。どうやら「好意の一発」らしい。道路事情の良くない田舎道はいつまでもぬかるんだがそんな事など構いやしなかった。

 長じてスキーやスケート等練習したが、自転車や運転のように体が覚えこむ迄至らず。オサライをと思う頃には呼吸器官に自信がもてず踏み込めない。今や衰弱した街に積もった雪はトラブルの素だし、降り込められた町村のお年寄りのご苦労は察して余りあるが、それでも降れと念じるのは「大気よ元気でアレカシ」と願うから。ナレドその雪も1日もたず・・費えてしまった。

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*庭の小鳥

2008年01月22日 | 捨て猫の独り言

 1年と8ヶ月の孫娘のことだ。親に置き去りにされて週末に我が家に1泊または2泊することが習慣になった。夜中のほんの一瞬の泣き声で起こされる添い寝の私は寝不足になる。お目覚めは6時頃だ。冬の朝はまだ暗い。起きるとすぐに抱き上げて庭の見える窓近くの椅子に移動しなければ承知しない。暗闇の中をブラインドを開ける。2人で毛布にくるまってぼんやり外を眺める。次第に明るくなってきて小鳥が来るのを待つのである。このようにのんびりやってられるのも退職後ならばこそと改めて思う。小鳥のことをチッチと言う。

 そこで最近は私も庭木に飛来する小鳥を観察する事が多くなった。ことさら餌場を作らなくともよく集まる。つがいで行動する小鳥の姿はほほえましい。ヒヨドリ、メジロ、スズメは識別できる。あの華麗な小鳥はシジュウカラだろうか。図鑑を見るが確信をもてない。都心の明治神宮の森で冬に見かける野鳥としてマガモ、オシドリ、モズ、ルりビタキ、ジョウビタキ、トラツグミ、シロハラ、ツグミ、メジロ、アオジと図鑑にあった。

 普段は8階で生活しているので部屋から外の景色など見ることがない。そこで庭木が風にそよぐ様子などは新鮮に感じるのではないかと勝手読みする。冬の外出は寒いがいつでも遊びにおいでだ。子供はお散歩が大好きだ。近くの玉川上水の散歩道には小川も流れている。目にする草木はすべてハッパと言う。花はハナだ。犬や猫や鳩を簡単に見つけることができる。上からは小鳥やカラスの鳴く声が聞こえる。

 さてさて自分の子でもないのに余計なお世話ではないかと反省する。世の哲人は子守よりも思索を好む。私はもっと自分の時間を持てるはずなのに、避けることのできる子守に精を出してその時間を失う。また近いうちに異国に旅立つ予定である。その時は別れのつらさもあるだろう。墓穴を掘るとはこのことかもしれない。

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朝は冷水100回叩き

2008年01月21日 | ねったぼのつぶやき

 私の入眠は極めて悪い。時間を要しヤット寝入っても夜中も1~2回は決まって目覚めるので、せめて朝は気持ちよく起きたいと願っている。実は化粧品販売もしていた知人に勧められて、20年来朝は水を張った洗面台で数えながらキッカリ100回タッピングをしている。コレがなんとも気持ちいいのだ。

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 この時期我が家の寒暖計は外気温5度以下を表示していることが多い。起き掛けの体は未だ温かく、室内温もある程度の温度を保てているせいもあってか、冷水での100回タッピングはそう苦にならない。イヤ時にためらいがあってもエイヤッ!とやると何ともサッパリしてスッカリ生活習慣化してしまっている。洗面が遅れ温水に切り替えられるとサッパリ感とは程遠い。

 鏡に向かい顔を拭きながらフト思う。この習慣が続けられない時の私とはどんな私?一時的ならいいけれど永久的に途絶える時の私はどんな私?習慣は途絶えても途絶えていない私がいるとしたらどんな私?それでも私は幸せ?・・・・と。(一橋大前・地域のお祭り風景)

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*もっと笑いを

2008年01月15日 | 捨て猫の独り言

 新聞で笑える記事に出会うことはそれほど多くはない。1月5日付毎日のコラムの近聞遠見(岩見隆夫)につぎの様な話が紹介されていた。ある正月の七草を過ぎて残りの餅を雑煮にしようとすると、すでにカビだらけだ。弟子の一人が 「どうして餅ってカビが生えるんでしょう」 と何気なく言ったら、そばにいた師匠が 「バカヤロー、早く食わねえからだ」

 師匠とは落語家の林家彦六である。一刻者で晩年は声が震え、言葉がスラッと出てこない。それが不思議に芸になり格別の味わいがあった。何気ない弟子と江戸堅気のせっかちな師匠の意識のギャップが可笑しい。バナナの皮でホームレスが転んでも可笑しくないが総理大臣だと可笑しい。およそ笑いは差別化によって生じると説明される。

 江戸や上方は地方に対して人口の集中する中央だ。そんな場所で落語や漫才の笑いの文化が形成される。人多ければ複雑な人間関係を円滑に処理する必要があろう。日本の辺境である亜熱帯に育った者には眩いばかりの世界である。現在たまたま私が見続けているNHKの連続ドラマ 「ちりとてちん」 は上方落語界を舞台に展開されている。

 私は落語に詳しくはない。そんな私がこれまで抱腹絶倒させられた忘れられない二人がいる。それは今は亡き東の春風亭柳昇と西の桂枝雀である。これからは芸の中だけでなく自分の身近な生活の中にたくさんの笑いを見出したい。そもそも我々の生活は悲しみに満ち満ちている。笑いを得ることはやさしくない。笑いに対するアンテナの感度を磨くことが必要だ。 

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「中間報告です」の報告

2008年01月13日 | ねったぼのつぶやき

 電話が鳴った。取り上げると、当家を確認する丁重な挨拶ながら何処か冷たい響き。各種のCMがいつもこの手なのでツィ「何でしょう?」とこちらも切り口上になってしまう。

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 郵便局からだった。暮れにツレアイがお歳暮代わりに普通の封書に現金を入れて出したが実家に届かなかった。今までも写真同封や封書の際、少々の現金はソノママ同封して出しており殆んど届いていた。書留にしなかったのが当方の落度とはいえ、再々あっては困るので「事故届」を出していたのだ。

 年賀状が一段落ついたのだろうか? 電話の先で「未だ調査中です。もう少しお待ちください」という。「ドンナ調査でしょうか?」の問いに、「配達違いなどないか調べています」との返事。民営化元年。賀状配達も何とか乗り切った。通り一辺の調査で時間稼ぎし結局は「不明でした」の電話で終わるのだろうか?もし別の展開がなされたら報告したいと思います。(大河ドラマ「篤姫」に出てくる桜島)

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*年末年始のこと

2008年01月08日 | 捨て猫の独り言

 気付くとブログを始めてそろそろ4年目に入る。高校の同級生にパソコンの先達がいてその方の手ほどきで始まった。パソコン購入直後に我が家まで出向いてもらった。パソコンの配線から起動そしてブログの設定まですべてお任せだった。今ではこの先達のサポートで同級生の間にメールやブログでの交流が広がっている。貴重な楽しみのネットワークが形成されている。まことにありがたいことだ。

 ブログを始めてから私は日記(備忘録)を書かなくなった。ブログが日記にとって変わった。自分を振り返るという意味でこれからも週に一回のペースで更新を続けよう。さらにさらに肩の力を抜いて書くことを目指したい。これは私にとってとても難しいことである。まさに捨てることは難しい。

 賀状を出すのは最小限にと思う。勝手なもので貰うのは多いほうが嬉しい。貰った中に印象深いものがあった。まずその賀状には差出人の氏名と住所が無かった。毛筆で書かれてある。薄墨の何とも絶妙な色合いである。「逸我以老、息我以死」 の8文字だけが葉書きの半分にバランスよく書かれている。何かの境地に辿り着いたという雰囲気がある。しばらく謎解きが楽しめる。そのうち山を下りたら共にどぶろくを飲もうと連絡をくれたあの人である。昨年は実現しなかった。いつ再会できるか見当もつかない。

 暮れは歌舞伎町で映画  「北辰斜めにさすところ」 を見たぐらいだ。時には旅先で新年を迎えたいと思う。娘の出産が予定されていたので今回も出かけることはなかった。生の中に死があることもある。何かの時には役に立ちたい。予定より2週間も早く1月3日の夜に生まれた。病院には2泊しただけだった。このような気遣いはこれが最後であると確信している。一つ肩の荷が下りてやれやれである。

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10人で囲んだ正月の宴

2008年01月05日 | ねったぼのつぶやき

 普段2人で囲む食卓は新聞を両面開きにしても間に合っている。家庭持ちになると号令をかけなければ参集は不能だ。スペースが限られていてもせめて正月位はと2人の子供家族に声掛けし全員9人が集合した。こんな時代だからこそ親子、兄妹、従姉妹といった親戚意識を孫子の代に伝えたい。

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 さてこの人数になると食卓を囲むのは簡単ではない。家中のありったけの椅子を出しテーブルの周りに配置する。とりわけ子供達の席順はいつも悩ましい。子供なりに席にこだわる理由がある。「誰それの隣に座りたい」「誰の正面がいい」等。ヤット満足のゆく席順で大会食が始まった。

 小学3年の双子姉妹は祖父母の家を訪ねるといつにも増して賑やかしい。お稽古事や塾があって休暇以外は滅多に来れなくなりX’sのプレゼントと正月のお年玉が重なってニコニコだ。ゲームは制約されており注文は3本目というソフトだった。ゲームが始まると負けん気の強い妹が半泣きになって1回り大きい姉に食い下がる。青い目のオジサンとはどちらも引かず泣いてなんかいられなかった。

 そして翌3日、兄嫁さんから「さっきよりお腹が下がったのじゃない?」と指摘されていた通りBabyが飛び出して総勢10人家族(男3女7)でヨリ強固な「女上位の世界」が確立した。

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