玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*旬の味

2010年02月22日 | 捨て猫の独り言

 庭の梅のつぼみがふくらんできた。よその庭の梅の木にくらべて開花はかなり遅い。秋に思い切って高い大枝を切り落とした影響だろうか。隣の家の沈丁花のつぼみもふくらんだ。緑の少ない季節だが小鳥たちはよく姿を見せてくれる。胸に黒いネクタイ模様のシジュウカラ、全身灰色のヒヨドリ、黄色のくちばしのムクドリなどである。茶褐色の胸のあの小鳥はカワラヒワだろうか。これは図鑑を見てもまだ確信をもてずにいる。

 一週間前に鹿児島から「奄美のタンカン」が10キロ届いた。タンカンの出荷時期は2月から3月下旬までだ。中国原産で、オレンジとポンカンの自然配合でできたとされ、柑橘系の中では糖度が一番高いといわれる。皮が薄くて?きにくいが、香りがとても良い。ぜひ多くの人にこの味を知って欲しいという気持ちが強い。毎日少しづつ大事にいただいている。

 この時期は蕗の薹が食卓に上がる。毎年我家の前の庭や、後の狭い敷地に芽を出す。道路に面したよその家の庭に、あきらかに放置してある蕗の薹を見かけることがある。そこで黄昏時を待ってその近くに散歩に出かけることがある。昨夜は蕗の薹のてんぷらをいただいた。生のままで味噌をつけて酒の肴にしたり、刻んで味噌汁などにふりかけるのもいい。

 大河ドラマ「龍馬伝」の時間だったが、NHK教育の「日曜美術館」を見た。これまでその名を耳にすることはあったが、どんな人物なのか知りたいという興味を持っていた。その名は「北大路魯山人」である。その生い立ちからくるのだろか魯山人は気難しい人だったらしい。陶芸をはじめ、書、絵画、篆刻など美術工芸のあらゆる分野で個性あふれる作品を生み出した。番組では京都にある何必館の魯山人コレクションが多く紹介されていた。京都に立ち寄った際には何必館を訪ねるのもよさそうだ。定説を「何ぞ必ずしも」と疑う自由の精神を持ち続けたいと願った。そこで館長の梶川芳友氏は何必館と名付けたという。

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オリンピックとサッカー

2010年02月17日 | ねったぼのつぶやき

 冬季オリンピックが始まった。競技は限られているが4年毎の大会となると見逃せない。例によって国旗を先頭に入場する開会式を見た。シドニー大会同様、カラフルな衣装をまとった先住民の踊りに続き、それをバックに85ケ国の参加者全員が入場しきるまで時間を要した。余りの長さに踊り手は疲労していたように見えた。

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 コンマ1秒以下を競う各種競技が始まった。白いリンクや雪を背景にしたカラフルな衣裳や道具類は一段と冴えて華やかな彩りを添えている。’楽しんで競技したい’と発言する彼等の胸の内を私は案じる。わが子よりも若い個人プレイで競う彼らを私は柔らかい母親目線で追う。

 片や先日より負け続けていたサッカーの日本代表団。’何ヤッテンノ!’と叫ぶ。メンバー交代もせず、負けてなお悠長なコメントを出している監督に怒りは向く。次回は在外選手を呼んで攻撃に出るという。’時間がナイ’ 荒波に揉まれ何とか出場機会を掴み取っている彼らと、選抜されるのを待っていただけで必死さ不足の国内選手。果して何処まで意思統一が図れるものか私のサッカーへの目線は固く厳しい。(全身喜びに包まれる2人加藤・長島)

 

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*連想

2010年02月15日 | 捨て猫の独り言

 18日(木)に行われるバンクーバー五輪スノーボード男子ハーフパイプ予選を注目している。開会式の不参加を決めた国母(こくぼ)選手が出場する種目だからだ。同選手は9日にバンクーバー入りする際に、ネクタイを緩めてシャツのすそを外に出し、ズボンをずり下げた「腰パン」姿だったことが批判された。「腰パン」はアメリカ生まれのファッションで日本の若者にも広がっている。その時の写真を見たがサングラスをかけてなかなか様になっていた。この青年がメダル獲得あるいはそれに近い結果を出し再び胸を張る時が来ることを願う。

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 そこで何故か思い出したのが、マラソンの円谷幸喜選手のことである。1964年東京オリンピックで銅メダル獲得後、つぎのメキシコオリンピックの年の正月に自殺した。今回の国母選手と比較して日本の若者気質の大きな変化だけでなく日本社会の大きな変化を感じる。円谷の自殺について三島由紀夫はつぎのような発言を残している。「傷つきやすい、雄々しい、美しい自尊心による自殺・・・・この崇高な死をノイローゼなどという言葉で片付けたり、敗北と規定したりする、生きている人間の思い上がりの醜さは許し難い」

 三島事件は円谷の自殺からほぼ3年後の1970年11月に起こる。小林秀雄は新潮社「感想」の中の「三島君の事」で、つぎのように述べている。「何か大変孤独なものが、この事件の本質に在るのです。素直な状態でいれば、誰もそれを感じていると思うのですよ。だけど、余計な考えや言葉がそれを隠してしまうのではないかと考える」 私は最近これらを読みながら小林秀雄の存在の大きさに思いを新たにしている。つぎに重ねて小林秀雄の引用をお許し願う。

 「人間を知るむつかしさを、今更のように痛感しました。人間の肝腎なところは謎だとはっきり言いきっていいのだね、きっと。三島さんは、反省的意識にかけては大家だったろうが、あの人にとっても、自分自身が透明だったはずはないだろう。やはり運命といったような暗い力と一緒にいたのだよ。謹んで哀悼の意を表すという弔電用の文句があるな。何故あるかと言うと、これはやはり、そういう空虚な文句を呪文のように唱える人が、その人自身の言葉にならぬ想いで、その内容を満たす為にあるのだ」国母事件に始まったバンクーバー五輪も2週間後には終わる。ちょうどそのころ私は永年勤務した職場を去ることになる。(写真は2月7日に玉川上水オープンギャラリーにて)

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即決を躊躇わせるもの

2010年02月11日 | ねったぼのつぶやき

 「合格おめでとう」と書かれたチラシ数枚が毎朝決まって入ってくる。そうだ。2月1日は私立中学入学試験が終わったばかりだ。午後から受験出来る学校もあるようで同日にダブル受験も出来得たらしい。かって自分達もその渦中にいた。そしていつの間にか当時の子供達がその頃の私達とすり替わっている。

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 「授業料を払っている頃が一番よ」と良く言われた。今私達はそのセリフを職場の後輩にソックリ返す。大学受験では親に出来るのは金の用意だけだが、中学受験は良くも悪くも親子一体だった。アレから四半世紀。マダマダ現役気分でいるけれど時は流れ私達は「確実な老い」に向かっている。

 外壁の吹替えの時期が来ている。折角だから一部改修もと考えるが「果して今後何年住まう事に」と?が付き思考が一瞬止まる。吹き付けや塗り替えの為足場を組む。この設置・撤収の費用だけでも全費用分の20%相当かかる。20%もかけるならと太陽エネルギーの活用を考えてみた。対価の回収には10~15年要すると知り即刻却下する。その内身体に不自由を来す事態が発生するかも知れず、再度改修が必要になるかもしれない。今まで即決していた事に時間を要するようになった。

 

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*刑事コロンボ研究

2010年02月08日 | 捨て猫の独り言

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 先週の月曜から木曜までNHK衛星第2は夜9時から刑事コロンボの4作品を放送、そのうち前半の2夜は「私が愛したコロンボ」と題したトーク番組も放送した。NHKハイビジョンは毎週土曜日の夜7時から刑事コロンボを放送している。それをふくめて私は先週5本の刑事コロンボを視聴したことになる。先週は金曜と土曜だけの勤務であったことが幸いした。振り向きざまに犯人に問いかける「あと一つだけ(Jasut one more thing)」という仕草を私の身体が真似ようとして困る。

 関根勤、デーブ・スペクター、三谷幸喜が出演したトーク番組も興味深かった。原作者はストーリーとセリフを分担してR・レビンソンとW・リンクである。二人の共同作業で創られていた。コロンボの性格はドストエフスキーの罪と罰に登場するペテローヴィチ予審判事からヒントを得た。刑事コロンボは1972~79にかけてNHKが放送した。対抗してTBSが1975~79にギリシャ系のスキンヘッドの刑事コジャックを放送した。刑事コロンボは旧シリーズ45、新シリーズ24の合計69の作品が残っている。内容異質だが日本における男はつらいよシリーズは全部で48作品である。

 放送にあたりNHKには、つぎのような不安があった。①最初から犯人がわかってしまう②主人公が小柄でよれよれのオヤジ③アクションシーンがほとんどない④ヒロインやレギュラーのサブキャラがいない⑤主人公が15分ほど登場しない⑥伏線が多く複雑で集中しないと筋についていけなくなる。考えられた不安要素は以上であるが、私は特に⑥の意見が興味深い。いわゆる両刃の剣(つるぎ)で、これこそ番組の最大の魅力と思う。犯人が医者や弁護士、会社重役など社会的成功者であることも、幅広い支持を得た要素の一つだろう。

 旧シリーズ45作品のすべてについて研究したサイトがあった。作品ごとに①キーイメージ②犯行の動機③コロンボはどこでピンときたか④犯行を裏付ける動機⑤コロンボはいかにして決着をつけたか等の項目について述べている。ネットの便利さにまたしても感じ入る。先週私が見たのは「別れのワイン」「逆転の構図」「二枚のドガの絵」「パイルD-3の壁」「ハッサンサラーの反逆」である。それらの中の「逆転の構図」に出てくるつぎの場面はしばらく忘れないだろう。シスター(慈善団体の一員)はコロンボのよれよれのコートを見てホームレスと思いこんだ。コロンボが警察関係の人間だというと、今度は変装しているのだと思いこんだ。コロンボは苦笑するだけだった。(写真は春を告げる福寿草)

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*つわる

2010年02月01日 | 捨て猫の独り言

 今は大寒である。玉川上水の木々は枝ばかりとなって、このまま朽ち果てるのではないかと心配するぐらいに殺風景である。ときおり名も知らぬ小鳥が鳴くのが聞こえる。私も以前よりは四季の移り変わりに注意できるようになったと思う。緑道沿いのオープンギャラリーの二十四節気ごとに変わる展示の影響もあるだろう。ところで四季の移り変わりということに関して、小林秀雄が吉田兼好の徒然草を紹介をしている箇所をつぎに引用してみた

 《「木の葉の落つるも、まず落ちて、芽ぐむにはあらず、下より萌(きざ)しつわるに堪えずして落つるなり」この「萌しつわる」はあの婦人の病気の「つわり」の動詞の形で、やはり内から萌すという意味である。四季の移り変わりを言う場合は、まだ余裕のある見方もできるから「なほ、定まれる序(ついで)あり」と言えるのだが、これが、人の一生の移り変わりとなると、そうは言えない事になる。・・・・生が終って、死が来るのではない。死はかねて生のうちに在って、知らぬ間に、己れを実現するのである、というのが兼好の考えなのである》

 辞書で「つわる」を引いてみると、(古語)とあって①芽ぐむ。きざす。②妊娠してつわりになる。と載っていた。芽が出るとか芽吹くという現代語は外から、その移り変わりの秩序を眺めていている印象である。それに対して「つわる」は突き動かしている何かを探って内部までもぐり込んでいる印象の言葉だ。

 不思議なことに普段誰も使わない言葉の一つに「ひかがみ」がある。人体のある部位を表す言葉だ。目にすることが多いのに、この言葉はあまり知られていない。「ひざのうしろのくぼんだ部分」を「ひかがみ」という。ひかがみは以前からひかがみでそれに代わる言葉は存在しない。「頤(おとがい)」という言葉は女性歌人のつぎの歌で私は知った。「両手にて君の冷えたる頤を包みていしは冬の夕駅」 頤とは「下あご」のことである。だからと言って、この歌で「頤」を「下あご」に入れ替えることは許されないだろう。

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