玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*夏目家の糠みそ

2016年06月27日 | 捨て猫の独り言

 4月に掃除機を買った。これまで使っていたアメリカ製の水フィルター掃除機が使用不能になった。たまたま領収書が出てきて判明したが16年前に訪問販売で高額で買わされたものである。私は生来の気の弱さから、よく訪問販売の餌食になっては家人にさんざんなじられたものだ。掃除中に孫がまたがっておもちゃにもなり得る大型の掃除機だった。今回は軽量で集塵容器を丸ごと水洗いできる国産の掃除機にした。

 

 ところで漱石没後百年に学校法人二松学舎は前身の漢学塾で学んだ漱石のアンドロイドを製作するという。声で協力することになった漱石の孫でマンガコラムニスト・学習院大学教授の夏目房之介(65歳)さんは「僕も父も漱石も人の好き嫌いが激しいので、寄ってきて欲しくない人には不機嫌。でもいったん敷居の中へ入るとユーモアがあって優しい。私としてはアンドロイドに笑って欲しい」と希望を述べたという。

 連載中の「吾輩は猫である」を時折吹きだしそうになるのをこらえながら読んでいるが、なかなかどうして難解だ。それとは別に、大活字本の「夏目家の糠みそ(上)」に出会った。著者は漱石の孫である半藤未利子だ。父は漱石門下の松岡譲で母は漱石の長女筆子である。夫は昭和史研究家の半藤一利だ。曾祖母、祖母、母から著者へと受け継がれてきた糠床を紹介している。鉄の古銭などを入れる、肉や魚の煮汁の残りを入れる、水気が増してきたら糠と塩を足し、その時一緒に出し昆布と大豆一摑みを入れる、一日一回はかきまぜるなどとある。(ネムとハス)

 

 父が生まれた土地に疎開者として十年あまりも住んだ長岡は著者の第二の故郷という。不謹慎を断りつつ20年8月1日の長岡大空襲について、その規模といい、華やかさといい、後にも先にもあれほど壮観な光景を見たことがない、息をのむほどに美しい眺めだったと書く。男女共学がめずらしかった昭和27年に長岡高校に入学、数少ない女子生徒は過保護な特別待遇を受けたという。因みに半藤利一は長岡高校の同窓生だ。正確には長岡中学校卒の先輩である。「僕の女神サマ、あなたの奴隷になりたい」という殺し文句に釣られてうっかり結婚したと公表している。

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*秀逸なる広告

2016年06月20日 | 捨て猫の独り言

 どの日本の新聞も16日夕刊と翌日の朝刊はイチローの「日米通算4257安打」を大きく報じていた。17日の朝日新聞の朝刊に偉業達成の記事に挟まれて「イチローが教えてくれたこと」という全面広告があった。稀に見る秀逸な広告だと思った。若きイチローがナイトゲームにおいて緑の芝生の上をライトの守備位置へと向かう後姿の写真が使われていた。その写真の縦半分に白抜きの比較的小さな文字が2行づつ縦に8連並んである。

 <ヒットの数に注目するという、新しい野球の見方> <個性は教えられるものではなく 自分でつくるものだという事実> <打つ、走る、守る、投げる、 すべてがハイレベルの選手を見る喜び> <パワーとパワーがぶつかり合うベースボールに スピードで勝負するという挑戦>

 <徹底的に自己管理し、 万全すぎる準備をして臨むという意識> <道具にこだわり、 それを大事に手入れして使うことの大切さ> <子供の頃から大好きなことを 大人になっても追求できる幸福> <絶対に破られるはずのない大記録でも 破ることができるという奇跡>

  

 まるでコクのある詩を読んでいるかのような心地がした。詩の最後に「祝 日米通算4257安打 オリックスグループ」とある。気になって調べるとこの広告は朝日だけで他の有力紙にはない。イチローのトレーニングマシンを作っているのは、動作科学の研究者である小山裕史(59歳)氏が経営する鳥取市にある会社だ。イチローは小山氏の考案したスパイクを15年から使用している。一塁に到達するまでの平均タイムは昨季ベスト5に入る3秒98で、マリナーズに入団した01年よりも速いという。

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*渋谷おはら祭

2016年06月16日 | 捨て猫の独り言

 「渋谷・鹿児島おはら祭」は鹿児島の「おはら祭」の渋谷での再現だ。なぜ渋谷なのか不明だが、ともかく当時の渋谷区長の協力で平成10年に始まった。渋谷109前を交通止めにして、道玄坂・文化村通りを60以上の踊り蓮がパレードする。毎年5月中旬に行われているが、今年の第19回は梅雨入り後の6月12日に行われた。5月末の伊勢志摩サミットの影響である。

 当日に街頭で配布されていた60ページほどのパンフレットにはつぎのような紹介がある。渋谷と鹿児島の縁は古く、鎌倉時代に渋谷氏が所領を得て、一族をあげて薩摩に移住した。そのうちの一つ東郷家から七百年後に出た連合艦隊司令長官の東郷元帥の東郷神社は渋谷にある。また忠犬ハチ公の銅像の作者は、あの鹿児島市城山の西郷隆盛像を建立した安藤照である。

 アトランタから来日中の二人の祖母は昨年まで「おはら祭」に参加して踊っていたが、そろそろ引退を考えていた。しかし祭が6月にずれ込んだことで5月末に来日した孫たちと一緒に参加することが可能になった。二人にとっていい思い出になるに違いなかった。二人とも参加に乗り気であることを確かめた後に、引退を取り止めて急遽参加を願い出る。そして事前の全体の練習にも出かけたが、二人は楽しかったと言いながら帰宅した。

 祭りの当日は会場のアナウンスで水分補給が連呼されるほどの好天に恵まれた。朝は7時前に出かけて、パレードはお昼ごろから3時間も続く。二人が参加したのは「関東二甲会踊り連」である。連の女性陣と男性陣に挟まれた中ほどで二人だけ並んで踊る。二人の前には女性陣の最後尾の祖母がいる。二人がよどみなく最後まで踊り通したことにギャラリーの私は感心しきりだった。二人の参加は遠く離れた鹿児島のMBCテレビでトピックとして当日に放映されたという。

 

 

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*米国の学校事情

2016年06月13日 | 捨て猫の独り言

 二人の孫娘の母親は成田空港からアトランタ市へ帰ってしまった。乗り換えが一度だけなのがいいと、武蔵野線の東松戸経由で新小平駅から一人で空港へ向かった。バッグには来日中国人の爆買いとは異なり、日用雑貨の安価なものばかり詰め込んでいたようだ。来た時よりも帰りのバッグが重いのは毎度のことだ。

 ジョージア州は日本の総面積の40%の広さがあるという。アメリカではカリフォルニアに次いで日系企業が多い州で、娘もその中の一つに勤めている。鹿児島県と姉妹州(県)提携をしてるということは最近知った。緑にあふれる美しい町だというアトランタ市を私は訪れたことはない。にわかに不動産取得に関心を寄せている娘によるとアトランタ市の不動産価格は上昇気味という。

 

 米国の学校(小中高)の夏休みは、およそ3カ月もある。あまりにも長いため、親たちは子供たちと一緒にやることも尽き、学校で学んだことを全て忘れてしまうのではないかと心配しながら、学校が再開する日を指折り数えて過ごす。共働きの親も、専業で母親業もしくは父親業をしている親も、長い夏休みの間、子供たちの面倒で右往左往する。すでに2月初旬からキャンプの申し込みが始まり、人気のキャンプ場はあっという間に定員オーバーになる。キャンプの出費も負担になることだろう。(オカトラノオ)

  

 仕事をしている親が、夏休みの間、子供の面倒をずっと見るのは不可能なのだ。こんなに長い夏休みになったのは、 米国の人口の大半が農業に従事していた頃、子供たちが収穫の手伝いをするために「長い夏休み」ができたという話が広く信じられてきたが、授業日数を減らすという目的(教育実験?)のためというのが真相に近いようだ。かくのごとき事情でシングルマザーの娘は、日本の私たちに2ヶ月間も二人の子供を預けているわけだ。

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*空港へのアクセス

2016年06月06日 | 捨て猫の独り言

 今年もまた二人の小学生の孫娘とその母親がアトランタからやって来た。小学4年と3年のクラスに編入して日本の学校の一学期終了までの約2ヶ月を過ごす。それぞれ小学一年生からこの制度のお世話になっている。シングルマザーの母親は12日間の滞在で先にアトランタに戻る。市役所で手続きが済むと翌日から登校となる。三人とも国民健康保険にただちに加入できるのはありがたい。

 昨年は羽田空港に車で迎えに行き帰宅できたのは深夜だった。今年はデルタ航空の直行便で成田着15:10だという。我家から成田まではあまりにも遠い。前に車で成田まで出迎えに行ったことがある。今回は私が初めて一人で出迎えに行くことになった。もちろん電車である。パソコンの路線情報で調べると必ず日暮里経由で「スカイライナー」の料金1240円が表示される。

  

 有料のスカイライナーに乗らないとどうなるか。違いはスカイライナーは20分毎だが、まぎらわしい名称の「アクセス特急」は40分毎と本数が少なく15分余計にかかる。1240円を払わせようとする京成電鉄の戦略に乗るまいと決心した。それに空港までの路線がスカイアクセス線と京成本線の2本あるのことにとまどう。行きとおなじ日暮里、高田馬場を経由して西武新宿線で19時過ぎに帰宅した。

  

 帰宅途中の電車内で思わぬ気付きがあった。スカイアクセス線の東松戸駅で「武蔵野線は乗り換え」のアナウンスを聞いた。首都圏の外環状線である武蔵野線の新小平駅は我家からも利用可能な位置にある。我家から成田空港へ行く新しいルートが発掘されたのだ。調べてみると日暮里経由と比べて料金はほぼ同じだが、時間は30分も短縮できる。武蔵野線沿線の方にはお勧めである。東松戸駅という現場に身を置いたからこそ知り得たことだった。

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