玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*滞在54日

2021年07月29日 | 捨て猫の独り言

 孫たちは明日の飛行機でアトランタに帰る。まさかコロナ禍の中で来日するとは考えてもいなかったが、いつのまにやら来てしまった。なんだかだまし討ちに会ったような気分だ。合理的な判断を欠いて、受け入れたといえる。日本政府のコロナ対策を批判する資格はない。

 二人ともスポーツは、サッカーからラクロスという馴染みのないものに乗り換えている。その道具を持参してきた。日課の中にラクロスのパス練習を計画していたようだが、練習する姿を見たのは滞在中に2回しかない。それに市民体育館のプールの回数券は1回使っただけだ。

 それでも来日の意義はさがせばいくつかある。姉は数学の問題集を持参していて、まいにち少しずつ解くことを続けた。解くことができなかったものをジジが解説した。数学のノートが一冊できた。それを持ち帰るという。帰って母親に自慢するのだろう。それと皮膚科に3回通院した。

 

 妹の方は「子ども新聞」をババと一緒に読んで日本語の勉強だ。本人はひらがなを読むのが速くなったと自慢する。妹は絵を描くことが得意だ。二人だけで電車で出かけるようになった。乗り違えて青くなったことが二度ほどあった。搭乗前3日以内のPCR検査は陰性だった。予定通り帰国の途につく。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*「おじゃま政権」

2021年07月26日 | 捨て猫の独り言

 田中優子(前法政大総長)が「週刊金曜日」に「おじゃま政権」と題するコラムを書いてた。「おじゃま虫」という言葉に倣って、その場にいては困る政権のことを「おじゃま政権」と表現した新語である。菅義偉政権が、新しい時代を作っていこうとする国民の邪魔をしているという。

 まず、選択的夫婦別姓を通さないことだ。反対する議員は「日本の伝統的家族に反する」と言う。日本の夫婦が同姓になったのは明治31年(1898年)である。どうせ言いくるめるなら、せめて「日本の伝統に戻してはならない。明治時代の日本を死守せよ」と言うべきだろう。

 つぎに、LGBT理解増進法案も見送られた。LGBTに対して「種の保存にそむく」「道徳的に認められない」という発言をした議員たちは、オリンピックの存在そのものを否定すべきだ。そもそもLGBTが種の保存にそむくなら、江戸時代に日本人は滅びていたし、「不道徳」という議員は、日本の武士は不道徳だったと断言すべきだ。

 安倍政権時代に、ごまかし答弁を指す「ご飯論法」を広めたのは法政大教授の上西充子だった。「朝ごはんはたべたか」と聞かれ、パンを食べたことを隠して「ご飯(白米)は食べていない」と説明することの例えだ。こんどの菅政権になると、詩人まど・みちおの「くろやぎさんたらよまずにたべた」から想起して、質問を食べてしまったかのように、質問とかみ合わない菅首相の答弁を可視化する「やぎさん答弁」という新語ができた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*いまも、君を想う

2021年07月22日 | 捨て猫の独り言

 愛読していた二つのブログが中断している。一つは「自分自身のことではありませんが、身内に心配事が起き・・・ちょっとの間お休みさせていただきます」という昨年11月24日の記事が最後のもの。もう一つは芥川賞作家の目取真俊氏の「海鳴りの島から」(辺野古新基地反対運動の報告)が6月30日を最後に途絶えている。

 大活字本で「いまも、君を想う」に図書館で出会った。著者は川本三郎とある。その名はどこかで目にしたかもしれないが、この作者のまとまったものを読むのはこれが初めてだ。簡潔で気負いのない文体にどんどん引き込まれて一気に読み終えた。登場する街はすべて私が歩いたことのある場所であることもそれを助長した。

 それに評論家の川本氏は私と同じ1944年生まれだ。2008年に6歳年下で57歳だった妻の恵子さんと死別した。恵子さんは武蔵野美術大学に入学し、愛知県一宮から上京して吉祥寺のアパートに女友達と一緒に住んだ。二人はその頃に出会い27歳と21歳で結婚。最初に住んだのは三鷹市。夫妻に子どもはいなかった。(7月のアカマイ畑、ボタンクサギ)

 

 恵子さんの墓所は小平霊園にある。「公園墓地という霊園で亡き妻を思い一人弁当を食う」桜や新緑の季節に墓の前で弁当を食べると少し元気が出てくる。二人で歩いた善福寺川緑地に東京都にしかるべき代金を払って「思い出ベンチ」を置いてもらおうと思っている。あの公園の日々は、家内との最後の楽しい思い出だから。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*法話グランプリ

2021年07月19日 | 捨て猫の独り言

 10月30日に奈良で「H1法話グランプリ2021」というものが毎日新聞社などの後援で開催される。宗派を超えて45歳以下の若手僧侶たちが集まり、仏の教えを説く「法話」でナンバーワンを目指す。2019年にも神戸市で開かれた。

  便利なもので、その時の様子はYouTubeでいつでも見ることができる。ところで今回選考委員長を務めるのは内田樹氏だ。これは親交のある宗教学者の釈徹宗氏の依頼によるものだろう。実行委員長は今回も天台宗能福寺住職の雲井雄善氏である。(無念!ラッキョウのようなタマネギ)

 

 実行委員会はあえて優勝者を決めることで、緊張感や責任感を共有することができるとしている。釈徹宗氏はどこかで内田氏を「言葉が上手に使える人」と評していた。選考委員長の弁として毎日新聞の記事の中で、内田氏はつぎのようなことを述べている。

  「何十年も心に残るのは、生々しい素材をドンと置かれ、教訓も落ちもないような話。整理できないまま机の上に乗っかっているような話こそが人間の精神を活性化させるのでは。僧侶も、一般人では経験しがたい宗教的な深みに触れた経験がきっとあると思う。その断片を一つ残していってほしい」

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*欅

2021年07月15日 | 捨て猫の独り言

 郷里の南九州では高木といえばクスノキだ。由緒ある場所の多くにはクスノキが聳えていたという印象がある。ところが職を得て移り住んだ関東で、真っ先に気づいた高木はケヤキだった。おうぎ形に広がる樹形はこれまで見たことのないほどの美しさだった。

 落葉樹の少ない南九州に育った人間にとって、ケヤキが新緑から秋の紅葉へ、そして落葉し冬空に凛としてそびえる小梢へと姿を変えてゆくのを見るのは、とてつもなく新鮮だった。ケヤキは北海道を除く全国に分布しているが、シンボルに指定している市区町村は関東地方が圧倒的に多い。

 

 東村山駅の東口には「志村けんの木」がある。「東村山市の知名度を高めた」功績による感謝状授与の記念に植樹されたものだ。これがケヤキの木だ。彼が新型コロナウイルス感染による肺炎で亡くなる前のことである。

 このたび「志村けんの銅像」が同じ場所に設置され、6月26日に除幕式が行われた。東村山青年会議所などでつくる実行委員会が、クラウドファンディングで製作費を募った。和服姿の志村けんが「アイーン」のポーズをしている。梅雨が明けたら見に行くつもりだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*身辺瑣事

2021年07月12日 | 捨て猫の独り言

 二ヶ月だけの滞在だが、孫たちを国民健康保険に加入させる。保険を適用して、15歳の孫が首筋のイボを近くの病院で処置することになった。無くなる前にそれを見せてもらった。その直後、食べていたスイカの種を一つ腕に付けた孫が「ここにはホクロが」と私をだました。

 今回の都議選で小平市選挙区は立憲の女性候補と自民の男性候補の2人が無投票当選となった。都議選での無投票当選は58年ぶりという。自民候補は先の市長選挙で敗退し、今回横すべりの出馬だった。2人はいずれも元小平市議である。選挙に運と不運はつきものと、かみしめたことだろう。(多摩湖とネムの花)

 

 毎日歌壇で郷土の霧島市の久野茂樹さん、垂水市の岩元秀人さんの2人が入選しない月はほとんどない。6月の入選作は、久野さん「娘は孫をフルネームにて叱咤する海外暮らしを終えてもどれば」岩元さん「窓辺には花を飾ろうなんにもない五月の昼はなんんんんにもない」だった。一方私の作品作りは完全に止まっている。

 畑のキュウリは現在毎日4本ほどの収穫がある。食べるのが追いつかずにピクルスにしている。トマト(桃太郎)も大きな実をつけて、ようやく熟し始めた。ゴーヤも屋根の高さまで葉が茂りこれから収穫が見込める。スイカは葉が繁るだけで収穫ゼロが確実、カボチャはかろうじて1個は収穫できそうだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*雨とカタツムリ

2021年07月05日 | 捨て猫の独り言

 雨上がりの朝にカタツムリが散歩していた。彼は車庫に敷かれた方形のコンリート盤のところで引き返そうとしている。車を手放してから久しい。雨にぬれたコンクリートの上は滑りがよさそうだ。霧雨がときおり舞い降りる。

 湿気をたっぷりふくんだ大気の中で、かがみこんでしばらく彼の行為を観察することにした。今度は、ぬれた玉砂利の上を全身を伸ばしてアジサイの咲いている草むらを目指して悠然と進んで行く。雨に誘われて、わが身の危険を忘れて散歩に出たらしい。

 

 童謡に「つのだせやりだせあたまだせ。おまえのあたまはどこにある」とある。謎は深まるばかりで調べてみた。カタツムリには「でんでんむし」という呼び名がある。カタツムリをツンツンして楽しむ子供たちの「出よ出よ」のはやし言葉が由来という。

 周囲の障害物を察知するための小さな目玉が、4本の触角のうちの大触角の先端にある。カタツムリはサザエやタニシなどと同じ巻貝の仲間で、陸上で生活できるように進化したのがカタツムリだ。歌詞の中の「ヤリ」は交尾の際に相手を突き刺すのに使うという。ヤリを目撃するのはむずかしそうだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*おばあさん仮説

2021年07月01日 | 捨て猫の独り言

 皿洗いをしていると、背後のテレビから面白そうな話が聞こえてきた。「おばあさん効果」に対して「おじいさん効果」はないのかで盛り上がっていた。最後まで熱心に番組を聞いたわけではないがおおよそつぎのような話だ。

 基本的に生物は寿命と生殖年齢は一致している。人間の「メス」のように生殖力を失ったあとも長いこと生き続ける生物は例外的な存在だという。人間の「オス」の場合は生殖力は衰えるものの死ぬ間際まで『原理的』に生殖は可能だとする。

 おばあさん仮説(効果)とは「女性が自らの出産育児を終えたあと、その知恵と経験を生かして自分の娘や血縁者の子育てを援助することにより集団が維持されてゆく」とうものだ。要するに、おばあさんは年老いてから出産して母子共に生命の危機にさらされるよりは身内の子育ての手助けをした方が進化上おトクだったのでは?ということだ。(東村山市の北山公園5・31)

 

 おばあさん効果(仮説)を知ったあとでネットの記事で、石原慎太郎東京都知事の「ババア発言」裁判に行きあたった。知事の発言についての損害賠償の請求、および控訴は東京高等裁判所で2005年に棄却されている。そして4期途中の2012年まで彼はその地位にとどまっている。そんなつまらぬことが思い出された。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする