玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*琉球新報より

2015年12月30日 | 無断転載

 本土紙が扱わない、つぎの琉球新報の記事を一人でも多くの方にお読みいただきたいと思いました。

辺野古最善は「侮辱」 米識者70人、

    ケネディ氏発言に抗議声明        

 2015年12月24日 05:04 【ワシントン=問山栄恵本紙特派員】 映画監督オリバー・ストーン氏や言語学者ノーム・チョムスキー氏ら米国の文化人や識者ら70人は22日、ケネディ駐日米大使が17日の日本記者クラブでの記者会見で米軍普天間飛行場移設に関して、名護市辺野古への移設が最善だとの考えを示したことに抗議する緊急声明を発表した。

<ケネディ駐日米大使発言への抗議声明全文>
 12月17日、東京の日本記者クラブでの記者会見で、キャロライン・ケネディ駐日米大使は辺野古が米海兵隊の新基地の場所として最善であるとのオバマ政権の主張を忠実に繰り返した。
 米国は「良き隣人」であろうと努力しており、また沖縄本島の約20%を占める何十もの米軍基地を抱える地域社会への影響については「気を配る」という丁寧なコメントをした後、ケネディ大使は沖縄の人々が容赦ない実力行使と威嚇にもかかわらず何百日も抗議活動をしている基地に対しての支持を表明した。
 (記者会見で)「基地建設に対する沖縄の人々の反対についてどう思うか。また米国は代替案を検討するのか」との質問に対し、ケネディ大使は「この計画(現在人口の密集する宜野湾に位置する米海兵隊基地を閉鎖し移設する)は人々が大変懸命に努力し、多くの選択肢を検討し、練り上げてきたものだ。だから私は今まで検討された計画でこれが最善のものと思っている」と答えた。
 米国が普天間飛行場を閉鎖し、辺野古に基地建設を一刻も早くすることを求めているというケネディ大使の発言は、この計画に激しく反対してきた沖縄の圧倒的多数の人々に対する脅威、侮辱、挑戦であり、同時に法律、環境、選挙結果を恥ずかしげもなく軽視する行為である。
 普天間飛行場は閉鎖されなければならないが、辺野古に移設することは解決策とはならない。この計画はより人目につかない場所に問題を移すだけであり、島の別の場所に新たな環境・安全の脅威を導入し、沖縄の米軍拠点としての役割を強化するものだ。
 ケネディ大使は日本記者クラブのゲストブックに、ジョン・F・ケネディ大統領による報道の自由についての発言を引用しながら署名した。しかし大使が引用するべきはむしろ、ケネディ大統領が世界平和について力強く、説得力のある主張を行った1963年のアメリカン大学卒業式での演説だったのではないか。
 ケネディ大統領は言った。
 「戦争に絶望し、平和をもたらすことを望む思慮深い市民は誰でも、まず内面を見ることから始めるべきだ―平和の可能性への自らの態度を調べることを…」
 ケネディ大使は沖縄の人々の懸念に対し、誠実に尊厳を持って取り組む勇気も度胸も持たないような米国の選挙で選ばれた公職者、政策立案者、軍の指導者たちの代弁者としての役割を果たしている。大使は父親が「アメリカの軍事力によって世界に強制的にもたらされるパックス・アメリカーナ(米国による平和)」を拒絶した演説をもう一度読むべきだ。
 もし再読したならば、ケネディ大使は父親が「平和とはつまり基本的に、荒廃の恐怖を感じることなく生活できる権利、自然の空気をそのまま呼吸する権利、将来の世代まで健全に存続する権利といった人権に関する問題ではないか」と問うたことを思い起こすことになるだろう。
 これらの言葉はわれわれにとってまだ意味があるために、われわれは米国市民として、米政府が自己決定権、健全で安全な環境で暮らす権利を含む沖縄の市民の基本的人権を否定することを止めるよう強く要求する。

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*わが道をゆく

2015年12月28日 | 玉川上水の四季

 多摩北部の五つの市は「広域行政圏協議会」を設立して幅広い分野で連携を深めている。その一つに「圏域美術家展」がありその28回目が小平市の市民文化会館で12月8日から6日間開催された。最初は清瀬市郷土博物館で始まり、16回目から巡回開催となり本年度は小平市で3度目の開催という。玉川上水緑道で偶然出会った鈴木さんに案内のハガキを渡されて、その翌日に美術展に出かけた。

 

 鈴木さんは「滅びゆく玉川上水のウラギンシジミ」と題した鉛筆画を出展していた。どこまでも「玉川上水の四季」から離れることはない。全38点うち8点が無所属で活動する画家の作品だった。さすがに開催市である小平市は他市のほぼ3倍の数も出展している。当番をしていた鈴木さんと会場で話をした。鉛筆画は「無所属」である鈴木さんの1点だけである。「鉛筆画はとても時間がかかるんだよ~」とにこやかに話した。

  

 小平市中央公園の噴水前広場は年に何回か市主催行事の会場になる。秋には武蔵美の学生が主催する小平アートサイトの本部テントが設置される場所でもある。広場のベンチでは暖かい陽射しの中で憩う人もいれば、夕方には三味線を鳴り響かせる人がいたりする。夏には幼い子供たちが丸裸で水遊びをする。その噴水前広場に多彩なパフォーマーが全国各地から続々と集まり始めたというのは私が見た夢なのか幻なのか定かでない。しかし昨年来じっと動かず彫像になりきる「スタチュー」のパフォーマーをこの界隈で何人も見かけたのは事実だ。

  

 タウン紙の一面で小平市在住のストリートパフォーマー・ジロー今村さん(38)が紹介されていた。「小平サーカスの12月公演」が噴水広場で20日の午後にあるという。「そこのお父さん」と呼ばれながら私は最前列に陣取って見物した。出し物は大阪からゲスト出演のパントマイム、俳優の笹野高史似のピエロの玉乗り・綱渡り、囲碁解説の稲葉禄子似の美女によるポールダンス、最後にジローさんが何段も重ねた椅子の上で「夢」と染めた布を両足で拡げてみせた。ジローさんはテニスの錦織圭似のいい男。北海道出身。日本福祉大で障害児教育を専攻。小平には8年前に越して来た。主に投げ銭と商店街のイベントの謝礼などが収入源。パートナーも仕事をしているが、3人の子供を育てるのは楽ではない。

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*歌壇にみる「沖縄」

2015年12月21日 | 沖縄のこと

 この年末の朝日歌壇には辺野古新基地建設問題で国家権力に立ち向かう沖縄県民の闘いを反映して、沖縄を詠んだ投稿が目立つ。他紙の歌壇も気になるところだが、とりあえず手もとにあるものを記録する。▼美ら海に降る晩夏光沖縄は泣く寸前の反り橋のよう(水戸市・中原千絵子)■耐えに耐え今にも悲鳴を上げようとしている沖縄。それは内地の誰もが、そしてどの自治体もが、その苦難を共有しようとしないことへの絶望感であろうか。重い問いだ(永田和宏評)

 ▼悲惨なる昭和に続き平成も沖縄の地に基地は居据わる(群馬県・小倉太郎)▼琉球の精神見るごと翁長知事生生堂堂「NO」を貫く(石川県・瀧上裕幸)■翁長沖縄県知事の断固たる姿勢の基盤をなす精神に光りを当てる(佐々木幸綱評)▼基地の文字全く載らぬ沖縄の観光地図の広き空白(北広島市・岩瀬義丸)■沖縄地図に占める基地の面積の広さに改めて驚き、しばし茫然(高野公彦評)。空白の広さの指摘が納得される(馬場あき子評)<写真は日展2015>

 

 ▼文子おばあ八十五歳きょうもまた辺野古を守るケガしてもなお(長野市・祢津信子)■島袋文子おばあ、辺野古移設反対の象徴的存在。沖縄戦では火炎放射器で瀕死の重傷を負ったが今も元気に反対運動を続ける(永田和宏評)▼報道の時代と云われその通りしみじみ思う沖縄のこと(東久留米市・田村精進)■沖縄問題の報道について切実な思いをうたう。東京に住む私にはよく分かる(佐々木幸綱評)▼威を振りて新手荒手で沖縄を敵国のごと追いつめし国(三鷹市・山室咲子)▼あなたならどうすると問う沖縄の苦悩を忘れて未来はあるか(秋田市・小松俊文)■基地問題は余所事ではない。私達の沖縄なのだ(永田和宏評)

  年が明けて二月の初旬に沖縄に行くことにした。すでに片道の航空券と一週間の民宿を予約した。民宿は6畳の個室という。帰りは単独行動のため成り行き任せだ。期間中には2月8日の旧正月、本部(もとぶ)八重岳さくらまつりなどの行事がある。沖縄にまだ旧正月が残っているだろうか。寒緋桜の開花時期にうまく巡り会えるだろうか。この季節の沖縄に興味が募る。調べてみると沖縄のこの頃の日の出は7:13、日の入りは18:13だ。

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*新9条論

2015年12月14日 | 捨て猫の独り言

 中央公園のサクラはすでに冬木立だが、金曜日の未明からの嵐でイチョウとケヤキも大量に葉を落した。さらにメタセコイヤの粉状の落葉は凄まじい。葉はモミに似て線のように細長く、それらが長さは6cm、幅は2cm程度で羽状に対生し、赤茶色に紅葉したあとに落葉する。朝の早い時間にシルバー人材センターの男たちが、黙々とかき集めてはビニール袋に詰め込んでいる。落葉の季節に、昔のヒット曲「川は流れる」の歌詞が浮かんだ。「わくらばを、きょうもうかべて、まちのたに、かわはながれる」

 しかし「わくらば」の意味をこれまで知らずに過ごしていたことに気づく。辞書を調べると①病気におかされた葉②夏に赤や黄に変色した葉。「わくらばに」という副詞もあって、偶然にとある。作詞は横井弘で、昭和36年に仲宗根美樹が歌ってヒットした。横井弘は今年の6月に88歳で亡くなっている。「川は流れる」は「あざみの歌」と並ぶ横井の傑作という。また「達者でナ」「さよならはダンスのあとに」なども作詞した。(写真は日展2015)

 

 機会があれば読んでみたいと思う本が紹介されていた。加藤典洋(1948年生まれ)著「戦後入門」(ちくま新書)だ。憲法9条は変えない方がいいというこれまでの考えを見直し、「国連との同盟」を目指す9条改正案を提起している。その内容は「戦争と武力行使は永久に放棄する/陸海空の戦力は一部を国土防衛隊、残りは国連の待機軍とし、交戦権を国連に移譲する/外国の軍事基地は許可しない・・・」などである。

 

 「今年の安保法制でも、印象に残ったのは、主権国家として米国と対等に交渉ができず対米追従する政府の姿だった」そのための方策が、9条改正による国連中心主義への転換だ。「日本が国際社会から理解を得つつ対米自立を果たすにはそれしか道はない。そのように観念して、死ぬ気で取り組めば、必ず世界は変えられると思います」 これは突破口を国連に求めていることにおいて琉球独立論と類似していると思った。

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*日展と激励集会と

2015年12月07日 | 捨て猫の独り言

 夜には雨の予報だった。12月2日は午後から六本木の国立新美術館で開催中の日展に出かけた。6日で東京開催は終わる。このところ三年連続で日展を見学している。それ以前には一度だけ、日展が上野の東京都美術館で開かれていた時代に、書の出展者に招待券をいただき見学したことがある。日展100回目の節目の2007年から現在の六本木開催になった。

 フラッシュ禁止で撮影が認められている。入り口で記名して許可のテープを腕に巻いてもらう。私は相変わらずのデジカメで日本画、洋画、彫刻と撮影していると枚数は100を越していた。何だか前年も見たことがあるようなと思わせるものは日展会員の作品である。喪章の付いた作品が展示されていることも多い。眼力不足もあって、工芸と書の部門は他にくらべて駆け足で見て回ることになる。素人の直観にすぎないが工芸は昨年より力作揃いではなかろうか。(写真は洋画会場にて)

  

 各会場でハガキ大の作品の写真が100円で販売されている。私が買うのはなぜか彫刻部門に限られていて昨年2枚、今年は3枚買っている。彫刻会場で天璋院(篤姫)に出くわした。日展顧問で鹿児島ゆかりの中村晋也の作品という。日展のホームページには入選者一覧がある。そして入選作品と会員作品のうち主な作品を写真で見ることもできる。今回の鹿児島県の入選者数は、日本画、洋画、彫刻、工芸、書がそれぞれ0、3、8、3、12だった。

  

 鹿児島県では彫刻部門で前田真里さんが女性像と猫の塑像の「風ひかる今」が特選を獲得している。この日は埋め立て承認を取り消した翁長知事を、国が訴えるという異常な訴訟の第一回の口頭弁論が福岡高裁那覇支部であった。6時半から首相官邸前で翁長知事を激励する抗議集会の連絡があったのは昨日である。6時の閉館直前に見学を切り上げた。美術館に直結している千代田線の乃木坂駅から二つ目の国会議事堂前駅に向う。集会には小雨の中700人以上が参加した。翌日の新聞には翁長知事が意見陳述の最後に「沖縄、日本の未来を切りひらく判断をお願いします」と述べたとある。

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*新聞切り抜き

2015年12月03日 | 捨て猫の独り言

 先月から新聞の購読は毎日から朝日になった。1年の契約である。そのうち相性のいい毎日に固定してもいいかなと考えたりするが先のことなど自分でもわからない。毎日の木曜夕刊の近藤勝重のコラム「しあわせトンボ」をスクラップするほど愛読している。これまで他紙を購読している期間は中断していたが、今回はスクラップを中断せずに継続しようと思った。

 どのようにして継続するか考えた。毎週金曜日は公民館の囲碁会だ。公民館と図書館は同じ高層住宅の一階部分にあるが、金曜日は図書館はお休みである。囲碁が終わると帰宅のコースを少し遠回りして、開いている隣町の図書館に立ち寄る。そこで木曜の夕刊をコピーすることにした。また高倉健が2012年の11月22日に近藤勝重が早稲田大で担当している文章の授業をお忍びで聴講したことを私はコラムで知った。(写真は11・3に薬用植物園にて)

 

 「政治的中立」考と題した近藤の11・27のコラムは「高校時代、友人のA君が校門前で政治を批判したビラを配っていたところ、生徒指導の先生が教育現場の中立性を理由にそのビラの配布を止めさせようとした。見ていた生徒たちが騒ぎ、生徒大会になった。ぼくも立ち上がって意見を述べた。《先生にはA君の行為に反対の考えがあったんじゃないですか。止めさせようと動いて中立だ!はおかしいと思います》」で始まる。

 朝日には「天声人語」を月毎に冊子にまとめたサービスがある。月末には「10月の言葉」としてつぎのことなどが取り上げられていた。▼「強権極まれり」沖縄県の翁長雄志知事の怒りに、民主主義が崩れゆくさまをみる。▼ノーベル文学賞のベラルーシのジャーナリスト「国家というのは自国の問題や権力を守ることのみに専念し、人は歴史の中に消えてゆくのです。だからこそ、個々の人間の記憶を残すことが大切なのです」▼再び沖縄。辺野古の抗議行動で県議の吉田勝広さんが「米軍相手に暴動が起きていた復帰前の光景のようだ。今の相手は自分たちの政府。情けない」。無関心でいられようか。

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