玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*下田のまち

2022年05月02日 | 捨て猫の独り言

 2日目は昨日と違っていいお天気だ。あさ5時ごろに水平線の彼方に朝日が昇った。見届けて露天風呂へ急ぐ。ホテルの6階からすぐ真下には伊豆白浜の海岸が続いていた。サーフボードで波乗りに興じる若者の姿がある。寄せては返す波に地球の律動を感じる。30分おきに出る無料送迎バスは下田駅に10分で着く。

 幼い頃過ごしたのが港町だった。下田はキンメダイ漁などが盛んで、港には数多く小型漁船が係留されていたが、なぜか滞在中に潮の香りや生臭いにおいを感じなかった。気象条件のせいなのか、いまだにいぶかしい思いがしている。まず駅を出て寺社の建ち並ぶ山手の大通りを歩いて、一番奥にある「了仙寺」を目指した。日米下田条約の調印式の行われた寺である。(白浜大浜海水浴場と了仙寺山門)

 

 その隣には日露和親条約の調印が行われた「長楽寺」があった。北方四島は日本領という国境が定まった条約である。その昔ペリー提督が歩いた港までの道筋はわずか約400mしかないが、いま石畳とガス燈が雰囲気の良い空間を作り「ペリーロード」と名付けられて人気の通りになっている。

 この通りの突き当りの「まち遺産」に登録されている「旧澤村邸」で一休みした。「伊豆石」の土台に「なまこ壁」という様式の建物だ。下田は山手の寺社通りと岸壁通りの区間を、通りが碁盤の目になるように町造りをしていると感じた。海を背にして了仙寺の方を眺めるペリーの胸像がある上陸記念碑のつぎは、この日最後の下田公園を訪ねた。かつて秀吉と戦った北条氏の山城のあった小高い丘にあり、そこからは下田港が一望できる。

 

 

コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« *開国下田みなと | トップ | *卯の花の季節 »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (領土と歴史)
2022-05-08 08:18:07
「日露和親条約の調印が行われた長楽寺があった。北方四島は日本領という国境が定まった条約である。」とのこと。戦争の結果、暴力的な国境線より平和時の交渉で定められた国境線が信用できるように思います。が現実はなかなかですね。確か南樺太以南は日本領と決めたのも江戸時代の平和時です。別件ですが、親子の生き生きオンライン会話、下記ブログ記事の下にコメント入力欄が消えた?のは残念です。
http://satumasuruga.cocolog-nifty.com/blog/2022/05/post-2b53c0.html
返信する

コメントを投稿

捨て猫の独り言」カテゴリの最新記事