私が初めて参加した公民館の囲碁のリーグ戦が終了した。4か月の期間中に大震災の影響で2回の休会があった。参加者26名の成績が集計され、表彰式のあとは懇談会があった。優勝者は22勝12敗で、私は11勝16敗と負け越して勝率順位は24位だった。つぎの4か月にわたるシリーズでは必ず巻き返しを図るつもりだ。近くの緑道を歩くと「穀雨」の節気にフデリンドウやチゴユリが可憐な姿をみせている。キンランが見頃になるのは、今年は例年より遅れて大型連休の頃になるという。5月6日は「立夏」である。
つい最近のことだが、ある本で湯布院の観光戦略を称える記事を読み、ラジオでオーストリアが反原発の国であることを知った。温泉と原発、そして全く異なる場所での二つの事柄に人間の叡智というべきか、持続する意志というか、なにやら共通するものを私は感じた。勇気づけられるものがあると思った。そして2年以上も前に初めて訪れた湯布院で青空にくっきりと浮かぶ由布岳を仰ぎ見たことを思い出した。また100人のウィーン少年合唱団が大震災のチャリティーコンサートで「赤とんぼ」を日本語で歌ったとラジオは伝えていた。
1955年由布院町と湯平村が合併して湯布院町となった。湯布院町は2005年に挟間町・庄内町と合併し由布市となっている。70年代に溝口薫平(玉の湯)、中谷健太郎(亀の別荘)の宿の主人を中心に「人」が考えたのは「何もない」ことをテコにすることだった。映画館がないから映画祭を催し、ホールがないから音楽祭を催しつぎつぎにイベントを作る。一方で「何もないこと」を保つ努力もした。芸者衆、ネオン街といった温泉につきものの歓楽装置を排した。「手作りともてなし」「洗練された田舎っぽさ」で大規模・画一化、通俗化した温泉に飽きた客を集めるようになった。その頃1979年に一村一品運動を提唱したのは大分県知事の平松守彦だった。
オーストリアには核の番人といわれる IAEA の本部が置かれているが原発は1つもない。1978年の国民投票ですでに完成していた原発の稼働開始が否決されたという。先頃オーストリアを訪れたスイス大統領が脱原発を示唆したのに対して、オーストリアの大統領は性急な原発廃止には慎重を期すべきだとして、現在稼働中の原発の安全確認が優先課題だと応じている。そしてオーストリア政府は自国内に原発を持たないギリシャ、ポルトガル、アイルランド、キプロス、マルタに参加を働きかけ、欧州の全ての原発に対してストレステストを実施し不合格となった原発は廃止されなくてはならないことを目指すEUレベルでの会議を提唱している。