玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*映画「滑走路」

2020年11月30日 | 捨て猫の独り言

 11月20日の夕刊には「本日公開、3連休は劇場へ!」と映画「滑走路」の広告が大きく出ていた。32歳で命を絶った若き歌人・萩原慎一郎については、これまでその名を聞いたことはあった。今調べると、1984年生まれで私と同じ小平市に住み、1997年に練馬区にある私立男子中高一貫校の武蔵中学に入学している。

 そこで同級生からのいじめに会い、そのいじめは中学から高校と長期間続いた。高2の頃短歌に出会う。俵万智さんの短歌を読んで「これなら自分も書ける」と勘違いしたそうだ。夕刊の広告には「若くして突然世を去った非正規歌人、多くの共感を集めた、唯一の歌集が奇跡の映画化!」とある。

 

 そして俵万智の「萩原慎一郎が残した言葉が、これからも多くの人の翼になることを確信させてくれる映画だった」のコメントも添えられている。同じ夕刊に載った映画紹介には「不安や葛藤を携え、抑圧されながらも、懸命に前を向いて生きていこうとする歌集のトーンが映画でも貫かれている」とある。

 「屑籠に入れられていし鞄があればすぐにわかりき僕のものだと」「きみのために用意されたる滑走路きみは翼を手にすればいい」ところで歌人・穂村弘は、石川啄木と俵万智の共通点として、①一首内の情報量を過剰に増やさず、限定的なものにしている、②反論の余地のない、ある意味身も蓋もないことを言っているのにそこに詩情を発生させてしまう特異性、を指摘している。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*新聞歌壇

2020年11月26日 | 捨て猫の独り言

 自分で詠むことはほとんどないが、短歌への関心は今でも続いている。その証拠に新聞の歌壇は毎週目を通している。大相撲と同じで、いつのまにやら郷土の投稿者をさがしている。そして鹿児島県の2人の常連に気づいた。霧島市の久野茂樹さんと垂水市の岩元秀人さんである。

 一度壁を突破すると、つぎつぎに一首詠めるようになるのだろうか。それとも恵まれた感性の持ち主だからなのか。選考は、選者には氏名を伏せて行われるのだろうが、この二人は頻繁に全国紙に掲載されている。鹿児島だけでなくこのような常連さんはほかにも多いことだろう。

 二人の最近の作品。久野さん「する方とされる方とに分けられず老いの介護はおぼろな補完」「小売店を散々つぶしたスーパーがぷいと村から撤退はじめる」岩元さん「秋の日の波打ち際にうつむけばまぎれなくわがつま先のあり」「何もかも去りてしまいし青空に夏の証をのこす百日紅」(写真は都立国分寺公園にて)

 

 どういう風の吹き回しか、そろりそろり短歌に挑戦してみる気になった。趣味を広げるのも悪くはない。一日一首のノルマは厳しい。とりあえず一週一首を目標にしようか。「雪はなく 静まりかえるジャンプ台 金メダルの絶叫 目をとじて聞く」「枯れて立ち 倒れて苔むす 木々ありて 神垣内には 生と死のあり」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*小雪の頃

2020年11月23日 | 捨て猫の独り言

 小雪を迎えると、玉川上水の黄葉が加速し、見る見るうちにイエロー一色に包まれ、頂点に達すると「黄金の路」が出現する。新田開発当時から入植した人々によって落葉樹が植えられ、雑木林として大切に管理されてきた歴史が受け継がれている。玉川上水の黄葉を担うのはコナラ、クヌギ、イヌシデ、ミズキ、エノキ、エゴ、ムラサキシキブ、ヤマブキなどだ。(鈴木忠司・玉川上水の四季より)

 

 庭のカキ、ハナミズキ、サルスベリはいさぎよく葉を落とした。それらにくらべて、ウメはよれよれの病葉を残している。早春に清楚な花を咲かせるのが信じられないほどだ。そして、いつもの場所には薄いピンクのネリネが咲いている。今年、初めてニンジンの種をまいたが大失敗。葉は繁ったものの収穫はゼロだった。畑ではチンゲン菜が虫食い状態の無残な姿を見せている。しかしシュンギクには虫は来ない。

 先の信州旅行で手に入れた20個ほどの渋柿を皮むきして軒先に吊るした。カキの数はささやかだが、なかなかいい景色である。さて新聞に、記事ではなく写真の訂正が出ていた。この訂正写真を見て、確認のために何度か鏡の前に立っていろいろと確かめることにした。私は右の目が悪いのに、こちら向きの鏡の中の私は左の目が悪いことになっている。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*それぞれの姿

2020年11月19日 | 捨て猫の独り言

  牛島満は鹿児島市出身の陸軍大将である。温厚な性格で知られ教育畑を歴任し、沖縄戦において第32軍を指揮し57歳で自決した。これにより日本軍の組織的戦闘が終結し、6月23日は戦没者を追悼する「慰霊の日」となっている。牛島がいつも通り黙って裁可した最後の命令に「生きて俘虜の辱めを受けることなく、悠久の大義に生くべし」が付け加えられたことで犠牲が拡大した。

 その孫の牛島貞満さん66歳のことを知った。東京生まれ、小学校の教員の現役の頃からこれまで20年以上沖縄に通い、各地で平和授業をしている。穏やかで優しい人だったという祖父が「最後まで敢闘」するように伝え、住民の被害を増やしたことを示し、「人が人でなくなるのが戦争です」「軍隊は住民を守らない。これが沖縄戦から学んだことです」と子供たちに伝えている。

 

 三島事件」から11月25日で50年がたつ。事件で三島と共に自決した森田必勝(まさかつ・享年25)は66年に早稲田大学に入学。戦後右翼の親米反共路線とは一線を画し、戦勝国による世界秩序の打倒を掲げた民族派運動に加わった。自衛隊の体験入隊などを通じて三島と交流が始まり、やがて三島の私兵組織「盾の会」で学生長を務めるようになった。

 その実兄で91歳になる治さんのことを知った。必勝氏は、5人兄弟の末っ子だった。生後2年半で父が、少し後に母がともに病死。16歳上の治さんに育てられた。治さんは三重県教職員組合に担がれる形で三重県議を6期務めた。非武装中立を持論とし「憲法9条の理念を発信しようと今でも思っていますよ」と話す。日朝友好を訴え、北朝鮮を4回訪ねた。治さんは三島の資料にも目を通した。米国追従に異を唱え、独立国としての日本を憂える言葉は荒唐無稽ではない。現代に通じると話す。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*白馬村から上高地へ

2020年11月16日 | 捨て猫の独り言

 3泊した五竜館は、白馬八方尾根スキー場を仰ぎ見る場所にあった。窓からは、乗り継いで尾根に向かうリフトが見える。それに東京の水道水と比べると、ここで飲む水は格段に美味い。そして1998年の冬季オリンピックのジャンプ競技の会場となったジャンプ台も見えている。3日目の朝食後に近くを散策する時間があり、なにはともあれジャンプ台の見学に行く。

 

 観光客はジャンプのスタート地点までリフトで上がって見学できる。この日は選手たちが練習でつぎつぎに飛行していた。それを間近に見ていると、オリンピックの当時のテレビ映像が思い出されてくる。舟木和喜の金と銀、原田雅彦の銅、そしてクライマックスはジャンプ団体の金だ。五竜館にはメダリストたちの寄せ書きが飾られていた。あの時、オリンピックは心から歓迎されていた。

 バスは朝8時に出発して2時間半で上高地に着いた。本来の漢字表記は「神垣内」だという。途中、雪を抱いた北アルプスの山脈や、麓の黄葉などの景色に心が浮き立つ。そして梓川は松本市内で犀川となり、長野市で千曲川と合流し、新潟県で信濃川となる。いわゆる信濃川水系である。梓川をさかのぼると、稲核(いねこき)、水殿(みどの)、奈川渡(ながわど)の3つのダムがあった。

 

 標高1500mに、これほどの広さの平坦地は他に例がないという。この日は、ときおり粉雪がちらついた。河童橋近くの観光センターからタクシーで大正池まで行き、そこから再び上流の河童橋を目指すこと60分、アップダウンはほとんどない。焼岳の噴火で大正池が出現し、やがて池は土砂で埋められて湿原となる。途中、倒木が朽ちて苔むしている姿が印象に残った。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*新聞を交代

2020年11月12日 | 捨て猫の独り言

 今月から新聞を朝日から毎日に変えた。この2紙を1年毎の交代で購読する。契約更新時の景品(洗剤)は家計の足しになる。最近メディアの権力への迎合が気になることが多い。たとえば琉球新報や沖縄タイムスのように、むしろ地方紙の方が健全だと思うことがある。また我が家には、赤旗日曜版と週刊金曜日が届く。

 松尾貴史の「ちょっと違和感」の連載は継続中だった。新聞がなくても松尾のコラムはネットや図書館で読むこともできるが、それも骨のおれることだ。机の上に置かれてあれば、かならず目を通す。あるとき松尾は「親は子どものもんやけど、子どもは親のもんやない」という親父さんの言葉を紹介していた。

 

 毎日夕刊に囲碁の王銘琬(めいえん・58歳)九段のコラムがあった。TV番組などの解説で見せるユーモアあふれる語り口で人気が高い棋士だ。11月5日のコラム「どんな棋力であれ、囲碁は観るのが一番面白い。観戦者は時に自分で打っているつもりになりながら、何も心配することなく、刻々と変わる物語を満喫できます。(中略)一局の碁は対局者にとってしばしば悲劇になりますが、観ている方にとってはいつも喜劇なのです」

 今回のコラムは王銘琬九段のつぎのようなエピソードを知っていればなお興味深い。《2000年の本因坊戦挑戦手合第1局(対趙善津)で、シチョウアタリを見落として中央の種石を取られるという歴史的大見損じを演じた。59手での投了は挑戦手合史上最短記録。二日制の碁が一日で終わってしまうという珍事となった。なおその後盛り返して見事本因坊を奪取した》ついでながら囲碁で最初に教わるのがシチョウアタリです。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*北アルプス・五竜岳

2020年11月08日 | 捨て猫の独り言

 この日曜から3泊4日で格安のパック旅行に出る。宿は白馬八方温泉「ホテル五龍館」とある。当社基準Bランクホテルというのがいささか気になる。格安なのでどんなことも受け入れてゆくつもりだ。一日は終日自由行動でもう一日はバス(走行距離は約172㎞)で上高地に行きたっぷり4時間滞在のプランだ。

 宿のホームページにはつぎのように記されていた。《昭和8年、創業者の中村實が大好きな五竜岳から名前をもらい「ホテル五龍館」と名づけました。「おらほの家から 五竜岳のモルゲンロートが見えるんだ」と朝焼けの景色を自慢したそうです》登山は全く未経験の私が、モルゲンロートという山岳用語を知った。

 この機会に地図を持ち出してきて調べることにした。飛騨山脈(北アルプス)は北から南へ白馬岳、唐松岳、五龍岳、鹿島槍ヶ岳、槍ヶ岳、穂高岳などが連なる。黒部峡谷をはさんで富山県側には剱立山(つるぎたてやま)連峰がある。白馬三山とは白馬鑓(やり)・杓子・白馬である。富山と長野の県境にあるが「後立山連峰」と呼ばれるのは長野県側としては悔しくないか。

 上高地の梓(あづさ)川にかかる河童橋から北の方角(上流)に見えるのは西穂高、奥穂高、前穂高の穂高連峰だ。その後方に位置する穂高はおそらく河童橋からは見えない。標高1500mの上高地の開山期間は11月15日までだから最後の週に行くことになる。なんと、こんな偶然もあるものだ。10月26日放送のNHK「日本百名山」は「▽北アルプス・五竜岳▽天空の縦走路をゆく」だった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*11月場所の注目点

2020年11月05日 | 捨て猫の独り言

 場所前の稽古がそのまま本場所の成績に反映するという過酷な格闘技が大相撲である。一門系統別総当たり制から、現在は部屋別総当たり制になっている。個人別総当たり制が話題になったこともあるという。8日に始まる11月場所の大方の注目はもっぱら新大関の正代だろう。両横綱はともに35歳、優勝は3人の大関の中から出ると予想する。なかでも朝乃山に期待。(鷹の台駅前・銀行の解体工事)

 

 立浪部屋は、つくばみらい市にある出羽の海一門の部屋である。親方は元小結「旭豊」で松平健に似る。幕内の定員は42人だが、明生(25歳)、豊昇龍(21歳)、天空海(29歳)の3人の幕内力士が誕生して立浪親方は、「嬉しい限り。いい弟子を持った」と喜ぶ。新入幕で活躍した翔猿(28歳)に続いて注目されるのが、今場所新入幕の天空海(あくあ)だ。

 出身地の茨城・大洗町の空と海をイメージしたしこ名だという。キラキラしこ名の天空海は「三役に最初に誰が上がるか競い合いたい」と部屋の年長者が三人の出世争いをけしかける。豊昇龍は朝青龍の長兄の次男として生まれ、レスリング選手としてスカウトされて日本に留学した。叔父の朝青龍から「強くなるには、親方の言うことをちゃんと聞きなさい」とのアドバイスをもらったという。

 活気にあふれ注目される佐渡ケ嶽部屋は、松戸市にある二所ノ関一門の部屋である。親方は元関脇「琴ノ若」で女性に人気の力士だった。ここは琴勝峰(21歳)、琴恵光(28歳)、琴ノ若(22歳)、琴勇輝(29歳)の幕内力士4人だ。十両に転落した元大関の琴奨菊(36歳)は引退はしないという。別の部屋だが、十両11枚目まで番付を下げている元関脇「寺尾」の錣(しころ)山部屋のやんちゃ者の阿炎(26歳)の再起ぶりも気になるところ。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*辺野古新基地問題

2020年11月02日 | 捨て猫の独り言

 芥川賞作家の目取真俊氏は連日のように辺野古新基地建設反対の抗議行動に参加し、それを「海鳴りの島から」で発信している。不屈の抗議行動を粘り強く続けている沖縄の方々には、ただただ頭の下がる思いだ。最近の目取真氏のブログ記事をいくつか皆さんに見ていただきたい。

 ●20日「辺野古の海の埋め立てを止めるには、多くの人が安和(あわ)や塩川に集まって、土砂の搬入を止めるしかない。これが現実だ。沖縄の民意や地方自治、民主主義の尊重を訴えても、それを平然と踏みにじる日本政府に対し、何の幻想を抱けようか」つぎの目取真氏の指摘で私の甘い認識をは反省させられた。

 「軟弱地盤の問題があるからいずれ工事がとまると思ったら大間違いだ。難工事で工事が長引き、予算が投入されればされるほど笑うやつがいる。米軍にしても辺野古新基地工事が行われている間、公然と普天間基地を使い続けることができるから何も困らない」

 ●12日「カヌーは1艇に1人が乗り、広範囲に広がって行動している。海上は風もあるので、人との距離が十分に取れる時は声をあげて抗議している。海保のゴムボートに乗せられるなど狭い場所ではなるべく声を出さないようにしている。当然マスクや布で、口鼻を覆っているし、海に出る前は全員検温をして感染予防をおこなっている」抗議行動には細心かつ十分なコロナ対策がとられている。

 ●19日「この日は野党国会議員でつくる〈沖縄等米軍基地問題議員懇談会〉が辺野古を訪れ、抗議船3隻に分乗して海上から工事の状況などを視察していた。カヌーチームはK8護岸前で待機し、短時間だが議員の皆さんと交流した」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする