玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*チクラノ岩屋

2022年12月30日 | 捨て猫の独り言

 朝日歌壇で(霧島市)久野茂樹の名に、最近になって二度も出会った。11・27「一度だけ当たって砕けた青春の夢のかけらが落ちてる京都」12・18「田仕舞の煙幾すぢ薩摩へとジャンボジェットは機首下げはじめる」それ以前には7・3の歌壇に(垂水市)岩元秀人の名があった。

 

 東京で長年暮らしても望郷の念が消えることはない。その反対に故郷への思いは募るばかりだ。前回鹿児島に帰ったのは20年の10月だった。めずらしく2年も経過したことになる。暮れには毎年のこと同郷の友人が鹿児島銀行の一枚カレンダーを届けてくれる。

 この一年は星降る加計呂麻島(夜景)のカレンダーを眺めて暮らした。来年は種子島の「千座(チクラ)の岩屋」である。種子島といえばただ一つ「宇宙センター」を見学というしたという記憶がある。おそらく船で渡ったのだが、港や途中の景色などの記憶はまったく残っていない。

 調べると「千座の岩屋」は太平洋の荒波による種子島最大の海蝕洞窟で千人が座れると伝えられ、洞窟に入れる時間は干潮時刻の前後2時間に限られるという。所在地は宇宙センターと同じ熊毛郡南種子町にあり、北の西之表(にしのおもて)市の西之表港から約60分だ。ちなみに話題の「馬毛島」は西之表市に属する。

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*「バカの壁」の復習

2022年12月26日 | 捨て猫の独り言

 ふと養老先生をおさらいしておくのも無駄ではなかろうと考えた。脳の中で理解の邪魔をするものが「バカの壁」である。その壁の構造を考えると脳の中での「情報量の重み」がゼロのときは人は情報を得ても「バカの壁」が邪魔して何か新しいことを考えようとはしない。この状態は「無関心」と呼ばれる。

 「重み」が無限大に近いときのことを「原理主義」という。「自分は絶対正しい」と思う人はちょっと危ないと思ったほうがいい。そういう人は他人の話を聞こうとしない。近年このような人を世界中によく見かけるようになった。また「バカの壁」は「思い込み」あるいは「勘違い」の別名と考えることもできる。

  

 現代人は「情報」は常に変化し、「わたし」は変化しないと勘違いしている。文明が進んでいくうちに「からだ」を使わなくてもいいようになっていき、多くの人が自分の「からだ」のことがわからなくなった。たとえば8時間眠る人ならば人生の三分の一は「無意識」のうちに過ごしている。自分が100%正しいと思ってもそこに寝ている間の自分の意見は入っていない。

 「周りのひととのつきあい」が密接だった田舎がどんどんなくなって都市化していきました。この「周りの人とのつきあい」も「からだ」や「無意識」と同様に現代人が考えなくなってきたことのひとつです。「自分は絶対正しい」と思っている人は自分が変わらないと思っている人です。変わらない自分はとても素晴らしいと思っているのでしょうが、そういう時点で新しくものを考えなくなっているのです。

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*日展2022③

2022年12月19日 | 捨て猫の独り言

 日展では入選・特選を複数回授賞する作家がいても不思議ではない。「入選」の中でも「新入選」という表示に出会うこともある。新入選の喜びは格別なものがあるのだろう。また喪章がついた作品もある。今年の鹿児島からの入選者数を調べてみたら洋画5、日本画0、彫刻1、工芸4、書18だった。

 数ある「特選」の中から無作為に洋画4点、日本画2点を選んでみた。

 洋画だけになったが「入選」6点を選んでみた。「実験室22」「今を生きる」「木漏れ日の庭で」「蝉時雨」「僧」「バラを描く」

 

 洋画部門に、今回は「阿蘇新緑の頃」はあったが「桜島」はなかった。(了)

 

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*何度も読み返す

2022年12月15日 | 捨て猫の独り言

「アベノミクスの功罪」と題する朝日のインタビュー記事(11・25)を読んだ。答えるのは外交・安全保障も含め「近年これだけ仕事をした政権はない」と安倍政権を評価する保守論客の佐伯啓志氏である。何度も読み返してみたが、腑に落ちる箇所がなかなか見い出せなくて困った。

 

 「アベノミクスの批判はいくらでもできますし、私自身もかなり批判的です。だが他にどんな政策がありえたか。すくなくともかなり世の中のムードは変えました」「安倍さんが登場したとき、デフレ克服と経済再生は最大の論点でした。安倍さんはなんとか動かせると思ったのでしょう」

 「大事なのは経済の背後に我々の社会生活があり、おカネに変えられない何かがあるということです。それを維持するのが保守。問題は〈カネを超えた価値〉を認めるかどうか」「近代主義的な価値観の表面的なところだけを受け入れ、家も地域社会も宗教の支えもなくなってしまった。保守はそれを立て直すべきでした」

 「ただ本当の問題は日本社会が何をやってもうまくいかないところまで来てしまったところにあります。その認識を前提に、やれることをやろうという以外にない。我々の本当の幸せはなにか、文化や地方生活はどうあるべきか、そういう問題設定をすればよかった。しかし野党もメディアも安倍政治の批判ばかりやっていた」

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*電気工事

2022年12月12日 | 捨て猫の独り言

 真ん前にある電柱で工事があるという予告があった。当日の午後に大型の工事車両が2台と小型運搬車1台が到着して停車した。関係者から我が家に挨拶があった。道路はやっと自転車が1台通り抜けるスペースだけが確保されていた。

 2台の電気工事用高所作業車が電柱をはさんで両側からアームを伸ばして作業が始まった。電線と庭木をたくみに避け、前進や後退や回転を繰り返しながらアームがのびてゆく。こんな熟練の技を飽きずに眺めるのは昔から男の子ときまっていた。

 まず電柱の下のほうに大型のポリバケツほどのものが固定された。こんな圧迫感があるものを取り付ける工事だったのかと内心ざわついた。続けて見たこともない太いケーブルが6本ほど電柱にぶらさげられ、もうどうにでもしてくれという気持ちになった。

  

 しばらくして気づいたのだが、これら作業は停電を発生させないための電流のバイパスを作っていたのだ。その後、電柱の高いところで本来の接続作業が行われた。ポリバケツも太いケーブルも撤去され、ほぼもとの景色に戻った。作業車が去ると、インフラが破壊され続けているウクライナのことを思い浮かべていた。

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*ことばの変遷

2022年12月08日 | 捨て猫の独り言

 最近よく目にする「宗教二世」よりも「カルト二世」のほうがことの本質を的確にとらえているという意見に私は賛成したい。さて「我が事のように喜ぶ」「よそごとと聞き流す」「ひとごとではない」は耳慣れた言葉だ。鹿児島弁で、よく「わがこっ(我が事)じゃが」などと諭されることがあった。それを今日では「自分事」「他人事」と表記し「じぶんごと」、「たにんごと」と読むようになってきた。

 私は「自分事」より「我が事」のほうを使いたい。もっとも「我が事成れり」とまで気取ることはないけれど。ことばは時代とともに変化すると言われる。またことばの乱れなどが指摘されることも多い。「他人事(ひとごと)」の例は、乱れとまでは言えないのかもしれない。(ネリネ)

  

 「癌」という病名はほかに、いい呼び名がないものかという意見を聞いたことがある。医療関係では、その呼び名には十分な配慮が求められるようになりつつある。かつて糖尿病や痛風は「ぜいたく病」と呼ばれていた。それに「成人病」などをふくめて、「生活習慣病」とひとくくりで呼ばれるようになった。

 精神分裂症は「総合失調症」に、らい病はらい菌を発見した医師の名前から「ハンセン病」になった。最近では学習障害は「学習症」などのように障害を症に、つまり「言語症」「パニック症」などのように変えた。また万歩計とはある会社の商標であって、スマホなどには一般に「歩数計」と表示されている。

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*日展2022②

2022年12月05日 | 捨て猫の独り言

 彫刻家・中村晋也は歴史上の人物の全身像を得意としている。今回出展の「俊才・高見弥一」は私が初めて知る名だった。高見弥一は幕末の志士で高知の出身である。土佐藩の吉田東洋を暗殺した三人の刺客のうちの一人で、脱藩後に薩摩藩士奈良原繁の養子となり薩摩藩に属するようになる。そして薩摩藩遣英使節団の15人の留学生の一人に抜擢される。五代友厚ら3人の視察係と通訳1人の計19人で1865年に鎖国の禁を犯して串木野の港から渡英した。

 鹿児島市の依頼で、中村は56歳のとき「若き薩摩の群像」を鹿児島中央駅前の広場に建立している。これは日本の開花期に大きな役割を果たした薩摩藩英国留学生を主題にした彫刻である。ところが19人のうちなぜか高見弥一と堀孝之の2人は除外されて群像は17人だけだった。留学生の高見弥一は高知、通訳の堀孝之は長崎出身というのがその理由だった。(気になる彫像)

 長い年月を経て、中村94歳の2020年に「若き薩摩の群像」に堀孝之と高見弥一の2人の像を加えて使節団19人が揃うことになる。除幕式に2人の子孫も招かれ、「やっと仲間に入れてもらい感無量」などと喜びを語ったという。今回日展会場で観た、ステッキを手に立つ「俊才・高見弥一」に始まりいろいろ知ることができた。

 制作済みであるはずの堀孝之像を、ネットで捜すとすぐに見つかった。椅子に腰掛けたその像には「架け橋の人・堀孝之」と名づけられていた。なるほど堀孝之は通訳だったことから架け橋というわけだ。中村晋也は三重県亀山市の生まれで23歳のとき鹿児島大学の講師に赴任している。鹿児島市と亀山市の名誉市民である。

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*日展2022①

2022年12月01日 | 捨て猫の独り言

 日展は東京展のあとは京都、名古屋、神戸、富山の4か所で巡回展が開催される。最終日にやっと見学を果たした。五部門が一緒に、入選や特選にあわせて無鑑査出品の約3000点もの新作が会場に並ぶ世界にも類をみない公募展だ。まず日本画を駆け足で観て回る。動物を題材にした作品が多いという印象だった。

 日展見学はどうしても郷土意識が出てしまう。そして彫刻部門には鹿児島の作家が多く出品していて誇らしく思った。文化勲章受章者の中村晋也、「ふくよかなおばさん」をテーマにすることが多い丸田多賀美の二人の名を私は覚えてしまっている。

 中村晋也(96)の作品には「俊才・高見弥一」、丸田多賀美(42)のそれには「いたずらっこ見つけた」という作品名がついていた。(素材はいずれも樹脂)

 

 他の鹿児島勢を今回初めてメモしてみた。上床利秋、井上周一郎、楠本香代子、脇園奈津江、屋田光章、野添浩一など多士済々だ。(写真は氏名列挙順)

 

 

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