11月12日夜チリを出航し日本まで1ケ月を残すのみとなった。大陸を離れ南太平洋の島(イースター島、タヒチ、フィジー、パプアニューギニア)に寄港することになる。そこでBoat側と旅行社が3つに区分された島々の歴史などのレクを行った。(島の玄関、港に居並び島を守っているとされるモアイ像)
一番大きなポリネシア(多数の島々に意)は、チリに属しモアイで有名なイースター島、フランスに属するタヒチ、ニュージーランドを含んでいた。メラネシア(黒い島々の意)はフィジー、パプニューギニアが含まれていて確かに肌の色は黒かった。訪問はしなかったが面積の広いミクロネシアの(小さい島々の意)3諸島であった。広い洋上にあるこれらの国々は西洋諸国や日本の植民地支配の歴史、多民族社会の困難、核実験の被災など苦悩を抱えている事を学ばされた。(ゴーギャン美術館。残念ながら本物は一つもないという すべてレプリカ)
船友の一人が核実験は決して白人の住む界隈では行われなかった。決まって有色人種の住む南太平洋上だった。これ以上明らかな差別はないと同類である日本人の立場で怒っていた。(フィジー古来の生活、文化、ダンスを紹介するための村が山の中腹に作られていた。常時そこに住んでいるのではないが、バンガローなど宿泊施設もできていた)
太平洋に於ける核実験はアメリカ107回。イギリス21回。フランス199回と300回にも及んでいるという。そこで当然のこととして「反核ナショナリズム」が起きている。ごく一部ながら1986年制定のミクロネシア連邦の憲法前文を抜粋すると「平和と調和のうちに共に生き、過去の伝統を守り、未来への約束を果たすべき共通の願望をここに確認する。我々は先住者を押しのけてここに住んだのではない。戦争を知るがゆえに平和を願い、分割されたがゆえに統一を望み、支配されたがゆえに自由を希求する。平和・友好・協力・人間愛を全ての国に広げたい」と全文を紹介したいほどにいい文章だ。(メラニアア諸島に属するフィジーの子供達)
通り一遍のレクではあったが多くのことを学ばされた。各寄港地ではいつも以上に心に沁みるものがあった。とりわけ最後の訪問地ラバウルは事前学習の段階から囚われていたのだが、風化を待つばかりのような戦闘機の残骸とは反対に、錨につながれたような思いが今も尾をひいている。(触ると崩れ落ちそうな残骸)