玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

美容院で数独する

2007年02月28日 | ねったぼのつぶやき

 何?それって何のこと?もしピンとこないなら未だ大丈夫。貴方は病気ではない。ピンときたらヒョットシテ既に病気にかかっている?昨年の長引いた風邪はインフルエンザでなくホッとしたのですが、今年はナンプレエンザにかかってしまい、又も長引きそうな予感。

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 美容院での2時間は苦痛。時間つぶしに女性むけの雑誌、週刊誌が置いてあるが、1冊も見れば間に合う。表紙、目次のオドロオドロシイお題目の割には大したこともない。かといって美容師さんを相手にお喋りに花を咲かせるのもチョット。手持ちの本を持参してもカット、ヘアーマニュキアでは眼鏡なしでは最早お手上げ状態となった。ナンプレ。これなら眼鏡なしでもいける。グッド・アイデアだ。

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 時間短縮のためパーマは止めて久しいが2時間はかかる。ナンプレ本から書き抜いた1題に挑戦。「ヤッタ!!」に思えて最後の2~3コマで合わない。5段階まである最難問からの挑戦だからムリもない。そこでは2~3分のマサージを最後にしてくれる。学生さん風の助手と思しき口数の少ない男の子が、シャンプーしたり、マッサージしてくれた。525円の追加で15分のマッサージを頼んだら『凝り性ですね』とニッコリして言った。肩?ナンプレ?どっち?どっちも? (今年4回目の蕗の天ぷら、カボチャはこげすぎ)

 

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*紙面での挨拶

2007年02月25日 | 捨て猫の独り言

 他の高校を四年間経験した後に○○に来ました。顧みますと、その時から三十三年の月日が流れています。教員としての希望や意欲は満々でしたが、教えることに十分な自信があったとは言えません。着任早々に驚いたことがありました。数学科の教員に 「日々の演習」 というプリントが毎週配られているのです。教師に出された宿題でした。切磋琢磨とはこのことでしょう。前の職場と比べて身の引き締まる思いでした。しかしこの問題を解くか解かないかはあなたが決めることですという雰囲気でした。強圧的なものは全くありません。

 中学で三回、高校で五回の担任を務めました。やはり楽しい思い出が多いのは、三十代での中学の担任のときでした。特色ある宿泊行事では、生徒も教員も懸命に取り組んでいました。私がいちばん夢中だった時と呼んでみたいぐらい仕事で幸福な充実感を味わいました。

 ○○独自なものの一つに瞑想法である凝念があります。例えば冬の朝の冷気の中を、誰一人として私語する者もなく凝念が行われます。心静かに心臓の鼓動を感受して、まずは自己の存在を確認するのでしょう。おごそかで、心が引き締まるような瞬間を持ちたいと思います。その意味でも、私のこれからの生活の中で凝念の習慣は大切にしていきたいと考えています。

 教科の枠をこえて数多くの同僚諸氏から無言の教えをいただきました。その背中を見て、私は情けないほど感激ばかりしていました。また、生徒諸君に教えることは私が学ぶことでした。生徒諸君の中にも、友人に教えることで自分の理解が進んだという経験をした人は多いのではないでしょうか。わかるから教えるのではなく、教えるからわかるということがあります。ほんとうにありがたいことでした。また寛大で理解ある多くの保護者の方々に出会いました。貴重な提案や助言をいただきました。万人が私の教師を肝に銘じる日々でありました。

 この一年間に特に視力の衰えを感じるようになりました。なるほど定年制というのは私にどんぴしゃりの制度だと妙に得心しているところです。私がこれまで勤めることができましたのも多くの皆様のお力添えによるものです。長い間ありがとうございました。心から感謝申し上げます。

 (季刊のPTA通信から要請があって書いた。タイトルは「教えることは学ぶこと」。配布はこれから)

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お琴の出前演奏会

2007年02月24日 | ねったぼのつぶやき

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 多摩地区に住んでいても、わざわざ都心まで出向いて行かなくても、市民ホールを使って多様な芸能などを楽しめる時代になり、いつも盛況のようだ。プロ級、アマチュアなど各種のボランティア団体が出前公演をしてくれる制度も整いつつあり、とりわけ小施設に対するボランティアの出前公演は有難い。

 先日の朝方、長いお琴が2筝運び込まれた。午後演奏会が催されるという。小さな施設で行われる小演奏会とは贅沢この上ない話だ。今までもかなりの頻度でピアノ、弦楽4重奏、大正琴などの演奏会や手品を楽しみ、更に自分達も参加するピアノ伴奏での合唱会、小楽器を使っての合奏会などの機会も持てた。

Bulob_030 この手の公演の他にも、感染症の多い季節には、保健所から手洗いの大切さの話とか、消費生活センターからは、押し売りや振り込め詐欺に騙されないよう実話や実演までやってくれる。これらも出前であり、見渡せば色々な社会資源が活用できる仕組みが整いつつあって嬉しい。勿論いずれもツテや情報を生かし当方もそれなりの受け入れ態勢を作っての話である。

 利用者さん、職員共々限られた日々の中で、いろんな方々の力を借りて日常に変化を取り入れることは大事なことである。催し物は昼食後に始まり、終了後は栄養士さんが手作りしてくれた「お3時」を戴きながら一緒にお喋りを愉しむ。社会との接点、生活の変化が乏しくなりがちの利用者さんにとっては嬉しい企画だと思う。

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にっぎゃかメール

2007年02月22日 | ねったぼのつぶやき

 出っ来い。出っ来い方言メール。わっぜ(沢山)ひこ、やかましか(煩い)程、にっぎゃか(賑やか)だ。こげん(こんな)方言があったけ(あったかな)?とおめ(思う)ほどわっ(湧き)でてくる。

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 近じか(といっても1ヶ月も先のことなのですが)、年に2~3回は集まっている高校のクラス会を、メンバーの1人方のお宅にお邪魔して(恒例になってしまって申し訳ないというか、有難い話なのですが)行うことになったのです。そのクラス会はいつも好評で関西はもとより、ハルバル鹿児島、はてはカナダからも馳せ参ずるとあって事前のメールはもう白熱。忘れかけていた方言が次々に自然と湧き出て激しく飛び交っているのです。

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 恒例になったとはいえ、新たなメンバーも加わって1点に集まるわけですから情報交換は必須なのですが、これがもう全て方言。方言メールの味わいが楽しくて心を弾ませてPCを開くのです。集合、解散の方策が決定したら今度は「私は○を持参します」といった情報が方言で行き交うことになります。そうやって事前交渉の段階からあらゆる情報やエネルギーが蓄えられ本番はマックスに達するのです。方言を持てなかった我が子に、こんな楽しみ方は伝えられないのは残念。

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蕗の薹のてんぷら

2007年02月19日 | ねったぼのつぶやき

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 小人数の家での天ぷらは面倒この上なしで、余程のことがない限り食卓には上らない。ただし蕗の薹の芽生える今頃と、秋口のみょうがの花がつき始める頃だけは例外である。我が家の主婦も天ぷら鍋との格闘を厭わない。

 前庭に芽生える蕗の薹は、未だ固いように思われ摘み時を思案していたのだけれど、裏に回ってみたところ、こちらはもう咲き始めていた。慌てて摘み取り早速天ぷらにした。蕗の薹、エンリギ、人参、南瓜と大皿一杯になり、ほんの少し手伝った娘は「美味い、有難い、幸せ」とかなんとか言いながら平らげた。

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 蕗の薹は次々と芽吹き大きくなるので、あと2~3回は天ぷらで食卓を賑わしてくれよう。大きな天ぷら鍋、材料の下ごしらえ、台所周りの油汚れ、後始末の面倒さを考えると天ぷらはどうしても大人数向きの料理といえる。これで当分娘は大きな顔をして我が家の敷居を跨ぐことになるだろう。そして猫殿も密かにそれを期待していよう。残念ながら、離乳食中の孫にはまだまだ早い。

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*自転車通勤

2007年02月16日 | 捨て猫の独り言

 今年になって通勤途中の公園でいつものゲートボールが行われていない。ときどき見かけていた世話好きの親父さんのことが気になっている。今になって思うのだが、これが最後と去年の暮れ仲間のために献身的に競技の準備作業をしていたのだろうか。どこかで元気でいるものと信じる。それとも今は中断しているだけで暖かくなったら再開するというのだろうか。

 これまで私の通勤手段に変遷があった。マイカーの期間が最も長い。それほど長くはないが電車通勤もあった。電車通勤のきっかけは明確には思い出せない。思い出したくないのかもしれない。車ではよく事故を起こした。家の近くで電柱やブロック塀にこすりつけたり、T字路で横のドアに衝突したり衝突されたりした。自動車保険の適用はたしか2度で、幸い人身事故は無い。運転者として気質的に欠陥があるということは自他共に認めている。きっかけは自動車運転に対する自信の無さだったのか。こんなわけで勤務の最後の5年が自転車通勤であったことは真に喜ばしいというべきだろう。

 自転車通勤の一つのきっかけは自ら招いたあるトラブルのためだ。情けない自分に喝を入れようという気持ちであった。恰好悪いことに動機が健康のためでも地球環境のためでもなかった。ちょうど長男が愛用していたスポーツタイプの自転車が放置されてそこにあった。中学の入学祝に彼が祖母から贈られたものだ。5年前私はこの自転車を乗り潰して廃棄することを自らに課した。慣れてしまえば片道13kmの約50分も苦にならない。玉川上水緑道というコースにも恵まれた。チェーンやペダルは磨耗し、タイヤを支える心棒も折れるなどして3年かけて乗り潰した。長男を知る家の近くの自転車屋さんの協力もあった。ここまで乗ってもらえれば自転車も本望ですよと誉められた。

 その後に新しい自転車を買って2年近くになろうとしている。最近、前のタイヤが細かいガラスの破片によってパンクした。その修理のとき後のタイヤの磨耗に気付かなかった。最近の朝、職場の近くまできて突然ペダルが重くなり後のタイヤがパンクしていた。道の半ばでなくてよかった。よく見るとタイヤは完璧なまでに磨耗していてのっぺらぼうのゴムからは白い繊維がのぞいている。このような場合これまでならパンクする前にタイヤを交換していた。仕方なく職場の近くの初めての自転車屋さんでタイヤを交換した。これ方がまたいい方で、前のタイヤは交換しなくても大丈夫かと聞くと、パンクするまで乗るのがいいでしょうと言った。家の近くの自転車屋さんは私と違い前のタイヤのパンク修理のとき後ろのタイヤの磨耗はとっくに気付いていたと思った。

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女王様のお出まし

2007年02月15日 | ねったぼのつぶやき

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 女王様がお出ましになりました。車の後部座席で運転席に背を向けてお座りになり、お休みのまま。車のドアーはソッと開けられ、持ち物は運び出されましたが、未だお眠りになったままです。その内、気配を感づかれたのかお目覚めになり、しばし眺め回したのちニッコリ笑みを浮かべられました。

 おとなしの構えからジイジ、バアバを認知したトタンに戦闘開始です。戦闘は始まったら最後お昼寝の小休止を除いて、夜の眠りに就くまでひたすら続きます。女王様は丸で疲れをお知りになりません。また、何でも口に入れて味見をしないと気が済まないようです。ハイハイでかなりのスピードで突っ込んでゆかれます。油断がなりません。こちらの都合もへったくれもありません。戦闘要員の交代をするしかないのです。

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 離乳食が進んできてママが居なくても大丈夫になったのですが、そこはヤッパリbaby。夜眠りに就く時はママの匂いやオッパイが恋しくて泣き止まずジイジ、バアバを困らせます。泣きつかれてそのまま眠りに落ちていくしかないのです。

 カッ飛びだった娘も女王様には最高の母親のらしく、自分の娘に対しては「らしく」しているらしい。成人した娘の我儘は苦かったけれど、無辜の女王様の我儘は全面的に「かわゆい」ばかり。言語をもたない、駆使しえない乳幼児は特ですね。ひょっとして、コミニュケーション能力を獲得するほどに人は可愛さとは程遠くなってゆくのでしょうか? では終末に向かうにつれそれが衰えてゆくのは、可愛さに回帰していくということなのでしょうか?

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ながら族で上の空

2007年02月12日 | ねったぼのつぶやき

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 家族4人が忙しく動いていた頃、我が家のカレンダーは画用紙でズーッと手作りしていた。縦列に日付と曜日を土曜日は青、日曜日は赤字で書き、横列に名前を列記。其処に各人が自分の予定を全部書き入れて、冷蔵庫に固定していた。私の日常はそれを見ながらフル回転していた。カレンダーは丸で我が家の歴史のようで捨てるのも勿体無かったが思い切って捨てた。

 その必要がなくなって何年経つだろう。今では多少書き込める既成のカレンダーですっかり間に合うようになり、たった1~2人分を気にかけるだけでいい。気楽になりすぎて見逃したり、Peace_boat_089 忘れたりはショッチュウの事となった。さして多くない会話の中で「言っていたでしょう」「書いていたでしょう」の類が多くなった。勿論私が浴びる方である。

 忘れたりしていても生活に大して支障のないことも事実だ。そんなこんなで「大事な事」は私が・・・ながらの時は・・ながらを中断させ、振り向かせ、書類などの時はわざわざ見せて「念押し」をしてくれるので、そうでない口頭でのことは前より一層失念してしまいそう。本人はあくまでもボケではなく「上の空」のせいと自覚しているのですが・・。(常夏のセイシェル島で)

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*何か小話を

2007年02月10日 | 捨て猫の独り言

 大きな声では言えませんが、本日2月10日は高校入試で忙中閑これを書いています。明日も日曜出勤ですぞ。さて3月17日の終業式には生徒に挨拶をしなければならない。そのとき卒業式は終わっていて高校3年生はいない。この教師が定年で辞めるということが伝わればいいだけである。授業とは勝手が違う。何を話すか考えがまとまらない。何らかのヒントを誰かがコメントしてくれたらそれに飛びついてしまおう。ブログ頼みです。

 この手のスピーチは短いほど喜ばれる。なになにオマエは生徒に話すべき何の言葉も持たないのかと飲み友達の先輩教員の顔が浮かぶ。まさしくその通りでございます。思い悩みつつ 「目的と手段」 をキーワードにつぎのような小話が浮かんだ。

 精神集中法を凝念と呼び、集会があればまずこの凝念で始まる。朝礼や合宿の食事時に凝念の合図でピタリ静寂が訪れる。合図は両手を2回打ち合わせて鳴らす。終わりは1回だ。当初は私にはまるで魔法のように思えた。凝念の目的を忘れて凝念を手段に使ってはならない。手は親指をあわせちょうど桃の形になるようにする。目的を忘れた状態とは口は開かないが隣の人と肘のぶつけ合いをしてふざける。最近では口を閉じることもできない場合もある。

 赤ちゃんがこの世に生まれるのは愛すべき者だからだ。すべての赤ちゃんの0歳時代はまた格別である。この1年間だけは溢れるほどの愛情で包み込まれねばならない。これが基本であるという説に同意します。赤ちゃんを未来の労働力と見たり、年金保険金納付者と見なしてはいけない。赤ちゃんを手段にしてはいけない。人口爆発問題ではないから政治の介入は不要に思う。

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要人の発言は慎重に

2007年02月09日 | ねったぼのつぶやき

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 要人の発言は慎重を期される。だから安倍氏の発言はあんなに回りくどくて、要点がぼける。それに比べれば石原都知事の発言はハラハラするほどにハッキリしているが、解り易い代わりに傲慢だ。最近(恐らく一時的だろうが)少々風向きが変わってきたけれど。

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 朝に夕に柳沢発言が取りざたされている。もうイイヨと言いたいほどだ。更に次なる発言もいただけない。「若い人たちは結婚したい。子供を2人以上持ちたいという極めて健全な状況にいる」と来た。不評を取り戻すべく極めて丁重に言葉を選んだつもりだろう。しかしヤッパリ違和感は否めない。案の定問題視された部分もあった。本人はそんなつもりは毛頭ナイ。そんな年代の方々が政治のいわゆる”長老”というのが日本の現状で淋しい。

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 一方厚生労働省の諮問機関の委員である人材派遣会社社長の奥谷礼子氏は、「経営者は過労死するまで働けとは言わない。過労死は自己管理の問題だ」と言い切っている。娯楽番組「TVタックル」でもかなり過激な発言をしている人だが、これはもう確信犯に近い。概ね活躍している女性にはエールを送りたいのだけど、このタイプにはチョット。それにしても先進国に数え上げられる日本。色んなトップか、そこへ近い人に女性を登用しなければ変わりようがないと思うけれど。(ピラミッドの周辺で)

 

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