玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*地名論

2011年11月28日 | 無断転載

 30歳台の頃に日本の現代詩人たちに興味を持ち愛読した時期があった。たとえば黒田三郎、石垣りん、谷川俊太郎、茨木のり子、清岡卓行などである。いつのまにやらそれらの詩人たちの本を手にすることはほとんどなくなっている。いまでは私の関心はむしろ短歌の方に移ったようだ。つい最近のこと、知人からメールで「難解駅名」というリストが届いた。読めるかどうかお楽しみくださいとのことである。

 一部だがそのリストのJRの駅を列島の北から南に見ていくことにする。五能線の風合瀬(かそせ)艫作(へなし)、山形県にある左沢線の左沢(あてらざわ)、奥羽本線の及位(のぞき)、飯田線の為栗(してぐり)大嵐(おおぞれ)、北陸本線の石動(いするぎ)動橋(いぶりはし)、片町線の放出(はなてん)、山陰本線の温泉津(ゆのつ)特牛(こっとい)、肥薩線の大畑(おこば)というぐあいである。

 これらの駅名はよほどの鉄道ファンか、またはその土地を訪れたことのある者にしか読めないものばかりだと思う。この地名の羅列をながめながら、ある詩の一部を思い起こした。ところが詩の作者が誰であったかを思い出せない。そこで手当たりしだいに本棚を探すと、まもなくその懐かしい詩に再会することができた。その「地名論」という詩の作者は大岡信だった。その詩の中で「名前は土地に 波動をあたえる 土地の名前はたぶん 光でできている」というフレーズに魅せられた記憶がある。めずらしく余裕もユーモアもある馴染みやすい詩だと思う。私たちは各駅停車の旅において、車窓につぎからつぎに見えてくる駅名には感興を覚えるだろう。それに通底している詩ではないだろうか。

 「水道管はうたえよ お茶の水は流れて 鵠沼に溜まり 荻窪に落ち 奥入瀬で輝け サッポロ バルパライソ トンブクトゥーは 耳の中で 雨垂れのように延びつづけよ 奇体にも懐かしい名前をもった すべての土地の精霊よ 時間の列柱となって おれを包んでくれ おお見知らぬ土地を限りなく 数えあげることは どうして人をこのように 音楽の房でいっぱいにするのか 燃えあがるカーテンの上で 煙が風に 形をあたえるように 名前は土地に 波動をあたえる 土地の名前はたぶん 光でできている 外国なまりがベニスといえば しらみの混じったベットの下で 暗い水が囁くだけだが おおヴェネーツィア 故郷を離れた赤毛の娘が 叫べばみよ 広場の石に光が溢れ 風は鳩を受胎する おお それみよ 瀬田の唐橋 雪駄のからかさ 東京は いつも 曇り」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

房総サンマつかみ獲り

2011年11月24日 | ねったぼのつぶやき

 久しぶりにバス旅行に出かけた。さる会社が半額負担するお得な旅行だった。数年前まで参加していた職場の慰安旅行のような雰囲気である。コース名には「魚介類の浜焼き食べ放題・サンマの片手掴み獲り・ミカン狩り」とある。千葉館山まで片道3時間(4時間以上の人も)はチトきつい。着いた先はハルバルやってきた割には、田畑の一角に作られたプレハブ仕立ての興ざめな建物だった。軽い車酔いもあってサザエ、ホタテ、ハマグリ各2ケと野菜でもう満腹となりデザートさえ欲しくない。

001

 満腹の後はサンマのつかみ獲り。氷水に浸かったサンマを片手でつかむ。冷水に長くは手をつけていられない。要領としては指を目一杯拡げ、シッポ付近を掴んで一気に引き上げるといいようだった。私が6匹をつかみ、合計11匹を発砲スチロールの箱に梱包してもらい、冷凍エビ一箱買い足して持ち帰る。海産物店も回ったがモハヤ買う気は起きない。ミカン狩りはくねくねと山の中腹まで行くと、木には支えきれない程に実をつけて枝がたわんでいた。その場で2個も食べられず、500円の袋に詰め放題を持帰る。ソレニシテモ〇〇放題とは何と巧妙な営業用常套句であることか。

 ツアーは目的を一にする団体が、効率的な行動をとることにより割安な料金設定が可能となる。とりわけバス旅行はムダを省ける。たまの旅行となればアレもコレもと欲張りがちもなる。しかし” 団体旅行はなぁ~” の感は常につきまとう。今年は何かと多忙だった。来る年はユッタリ旅行をしたい。例えツアーでも小人数で、手間・ヒマをかけた気の利いたプランもある筈だ。アクアライン途上で立ち寄ったパーキングエリアの「海ホタル(写真)」はまるで巨大客船のようで、かつて経験した100日余の船旅が偲ばれた。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*身近な自然観察

2011年11月21日 | 捨て猫の独り言

003

 庭にはツワブキの黄色の花に続いてピンク色のネリネの花が咲いている。一方ヤツデの花はまるでカリフラワーのようで、花と呼ぶには抵抗がある。しかし近づいて観察してみると固いつぼみが花開いて微小な無数の突起が集合してみごとな球形を形成している。思いがけなくも自然の造形美の発見である。そこには小さな虫たちも寄ってきている。この冬に「ヤツデの花」と呼ぶことを覚えた。

 遠近両用のメガネは度数が弱くなり、眼科医院では読書専用のメガネ(老眼鏡)を勧められている。だが新しいメガネの購入に踏み切れないでいる。読書からは遠ざかるばかりの中でめずらしく手にした本がある。副題が「童謡・唱歌を科学する」で本題は「赤とんぼはなぜ竿の先にとまるのか?」という本である。これを拡大鏡を片手に目をしょぼつかせながら読み始めた。最近の私の興味に応えてくれる本である。つぎにごく一部だが本の内容を紹介したい。

005

 唱歌「ちょうちょう」のひみつの章につぎのようなことがあった。モンシロチョウが菜の葉にとまるのは、葉に卵を産みつけるためである。植物にとって、旺盛な食欲で葉をむさぼり食う昆虫は大敵である。植物は毒物質を体内に用意して防御する、昆虫は植物の防御策を破る方法を発達させる。両者の軍拡競争によってライバル関係の組み合わせが作られる。特定の種類の植物しか食べない狭食性の昆虫が多いのはそういうわけである。

 童謡「あかとんぼ」のひみつの章につぎのようなことがあった。日本のことを、古くは秋津島と言った。秋津とはトンボの古名である。神武天皇が大和の国を一望して「秋津がつながっている姿のようだ」と口にされたことに由来しているという。いったいどんな姿なのだろうか。トンボの交尾は少し奇妙である。生殖器はオス、メスとも尾の先にあるがオスは生殖器で作られた精子を腹部へ移す。オスは尾の先でメスの頭部と連結し、メスは尾の先の生殖器をオスの腹部につけて精子を受け取るのである。こうした間接的な精子の受け渡しによって、円のような形がつくられる

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Loveletterをくれました?

2011年11月17日 | ねったぼのつぶやき

 前になり後になり20Kmに及ぶ長い道中、私は意を決してその人に尋ねた。「もしかして高校時代、貴方は私にラブレターを下さいました?」 その人は私をつくづくと見て「エッ? いいえ覚えていませんね」 「御免なさい。 人違いだったようですね」 と並んで歩きながら笑い合った。

Ssimgp4634

 私は高校2年の夏休みに田舎から転校してきた転入生だった。1学年3クラスしかなかった高校から都会の10クラスの進学校に転入したばかりで、緊張した日々を過ごしていた。それから程ないある日、クラスの隣りの屋上でイキナリ手紙を手渡され、ドギマギしてにべもなくお断りした。突然のことで、驚きの余りブキッチョが過ぎて以来トゲのように刺さったままだった。妙円寺参りの名簿にその方の姓?を見て、その方だったらかっての非礼を詫びようと思っていたのだった。

 その夜歩いたメンバーに倍する旧友が加わり「おやっとさぁ~ご苦労さん会」が催された。末席の方でその話がぶり返されていたので、私は割って入り「いいえ、アレは私の勘違いだったの!」と言訳をした。そこへ当の人が加わって「〇〇さんと聞いていたから解らなかったケレド、旧姓を聞いてジャッタ。ジャッタ・・・」 と又大笑いになった。それから後日談で、おはら祭りのランチタイム時(2回ももてなしを受けて感謝)、同業である私の実兄の名前をだすと、「〇〇さんなら良く知ッチョツ! 大学では2年先輩に当たり同じ県庁職員ジャッタ」と親しかったらしい。なんという縁であろうか。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*霜降から立冬へ

2011年11月14日 | 玉川上水の四季

 玉川上水オープンギャラリーでは春夏秋冬と年に4回の展示案内が出る。A4サイズの半分のA5サイズ1枚に両面刷りされて無料である。今年の冬の展示案内の表面の写真は木の実をくわえたツグミである。そして鷹の台駅からギャラリーまでの案内地図およびギャラリー友の会の開催案内がある。友の会についてはギャラリーのスタッフによる玉川上水の自然と展示内容の解説を行いますとある。それは毎月2回節気の最初の日曜日午前10時から12時までとなっている。裏面は冬の6節気の立冬、小雪、大雪、冬至、小寒、大寒それぞれの東展示の内容が予告されている。

 西展示は毎回鈴木さんが担当する。「歩こうよ」という鈴木さんの素朴な詩の通りに鈴木さんの写真が展示されている。たとえば現在の立冬では「ヤツデ咲き出した 黄葉だ歩こうよ チャノキの花人気だね アオジ出合ったかい シメ ツグミ来たね コゲラ働き者だよ ツタ紅葉だね 歩こうよ ゆっくり歩こうよ」となっている。この節気で見られるものがタイムリーに展示されている。東展示には鈴木さん以外の人達の参加もある。子供の絵画が展示された場合もあった。ギャラリーは広く開放しようという方針のようだ。現在の東展示も鈴木さんの作品ではない。「草もみじ」をテーマとした宮元伸也氏の写真が展示されている。

 ギャラリーの企画・展示・運営は「花のアトリエ」で行っていますとある。花のアトリエとは鈴木さんの自宅庭先にある看板を掲げた小屋のことである。私が知る花のアトリエのスタッフには先ほどの宮元伸也氏の他に新津啓一郎氏がいる。宮元氏は鈴木さんの小学校の後輩だと聞いている。この男性2人より強力なスタッフは鈴木夫人かもしれない。先日私は鈴木ご夫妻に広大な小金井公園の中で偶然お会いした。ご夫妻はそれぞれ重いカメラを抱えてチャノキに来るヒメアカタテハを待っていた。その日私は白雲木の木の実を拾うために公園に立ち寄ったところだった。スタッフとは鈴木さんと、鈴木夫人に男性2人が加わる総勢4人のことだろう。

 「草もみじ」の写真にはヤマゴボウ、イヌタデ、ヤマノイモ、タカトウダイ、ヤマゴボウ、ヒヨドリジョウゴなど私の知らない草花の名が並ぶ。宮元伸也氏はつぎのような言葉を添えている。「カエデやツリバナやニシキギなどの紅葉、ミズキ、イヌシデなどの黄葉は誰でも気付きます。でもちょっと目を下に向けると足元の野草たちも、やや控えめにひっそりと紅や黄に色づいているのに気付きます。これらは草もみじといわれています。この時季、草花の多様な色を探し緑道を歩いてみませんか」昔の人々の生活の中には「草もみじ」という優雅な呼び名があったことを知る。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*ある新聞広告

2011年11月08日 | 捨て猫の独り言

 このところ暖かい日が続いているのはありがたい。晩秋の庭にはツワブキの黄色の花が目立つ。素朴な花だと思う。花よりも葉の方が堂々として立派だと思う。そして8日は立冬である。肝臓の定期検査の結果が出た。半年に一度の指示を無視して一年後の検査にしたのでずいぶん久しぶりですねと担当医に言われた。結果は何の問題もなかった。ウイルス退治が可能な新薬が出たばかりだがどうしますかとの提案はお断りした。副作用が大きいらしい。これから半年間の臨床データの集計後に考えても遅くはない。

 それよりも私の場合は視力が問題だ。最近陽射しがやけにまぶしく感じられる。サングラスをかけると少しは楽になる。サングラスといっても取り外し可能な装着タイプのものだ。読書も億劫で最近は囲碁関係の本しか目を通すことがない。眼鏡のレンズの度も適正なのかどうか。レンズを新調するとすれば濃い色つきのものにした方がいいような気がする。近々悪い方の目の視野検査を受ける予定があるので担当医に相談してみよう。

 視力の衰えは風景の見え方に影響を及ぼしている。しかし若い頃はまわりの風景をじっくり観察する意志がなく健全な視力も機能していない場合が多かった。見れども見えずである。心あらざれば何も見えてこない。大げさにも「心眼」という言葉を思い出した。いい例が玉川上水の風景と私との関係である。私がその気になり鈴木さんという導き手を得て、身近な玉川上水の四季の風景が見え始めた。視力の衰えを受容しつつ、これからは見たいものをできるだけ絞り込んでいく必要がある。

 先月の12日に復興に関連した新聞広告が出た。紙面の3分の1のスペースを使い、30行ほどのメッセージの最後に小さくヤマト運輸のロゴマークがあるだけの簡潔なものだ。「宅急便ひとつに、希望をひとつ入れて」というのが太字だ。「被災地の水産業・農業の再生と生活基盤の復興に向けて1年間、宅急便1個につき10円を寄付すると、いう私たちの活動は続いています」とあり、4月から9月末までの寄付金が68億円以上になったという報告である。創業者の一人小倉昌男(故人)が宅配便の規制緩和を巡り、理不尽な要求に毅然と立ち向かう様子は注目を集めた。この組織がこのような寄付金のシステムを編み出したのも、そんなことも影響しているのではなかろうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

謝!故郷・長老・恩師・旧友

2011年11月07日 | ねったぼのつぶやき

 故郷で2つのイヴェントに参加するため2週間に及ぶ長滞在をした。実家は無いに等しいが、学生時代や出産時のように長滞在が実現したのだ。先ず中学時代まで過ごした故郷を訪ね、長老達とユックリ語らった。彼等は両親の名前を出すと一様に驚き、語らう内に「じゃった、じゃった」と私を思い出してくれた。80才後半ながら買物には欠かせないと運転してるらしい。田畑に働く人影は見えても歩く人の姿は見かけなかった筈だ。

029

 麓にUターンしていた旧友と共に入来小学校も訪ねた。142周年と明示された横断幕が校舎に掲げられており、少ない小学生が校庭を走り回っていた。清色城の跡に建てられた校舎は、120周記念年に再建され、寄付者に城郭を模した校舎を染め抜いた手ぬぐいと、採用された寄稿文も載った記念誌が届けられた。当時2クラスづつあったが現在77名だという。下校児を迎える車にも出会った。城下は麓と呼ばれ石垣で組まれた武家屋敷がず~と連なっている。90才を超えた恩師は一人住まいだが、石組みの庭は整えられ車で外出中であった。BS放送で今春放送されて以来見学者はボツボツ増えているらしいが、国の伝統的建造物保存地区として91ケ所(県下では他に出水麓・知覧)指定された地域の中で最も観光客の少ない地区として紹介されている。

 いきなり訪ねた別の恩師は両手で私を抱え込み喜んで下さった。当日遠慮がちに電話した兼業農家の旧友は、夫君の手伝いのある内にと獲り込み中だったが、「湧水町という名の通り水が美味しいから米も美味しいの。獲れたら送るわ」と言った。さる用件があって自宅に電話を入れると、千葉の旧友から芋と落花生が届いているよという。何とも有難い故郷、旧友達である。(写真は入来小学校」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする