玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*内田樹の文体

2022年03月31日 | 捨て猫の独り言

 近ごろわりと内田樹の本を読むことが多い。コミュニケーションが上手で多くの交友があるようで、いろいろな方との共著・編著が多い。大学教授にして武道家というのもユニークだが、発想とその論理の道行も独特だ。たまたま読んでいる、2010年バジリコ出版の「邪悪なものの鎮め方」から語彙を拾ってみた。

 ●リソース(資源)スペクタキュラ―(あっというような)スルー(気にしないこと)ブレークスルー(突破力)イノセント(無邪気な)オープンマインド(多くを受け入れる心)センチネル(見張り)プラシーボ(偽の薬)ゼロサム(合計するとゼロ)ディセンシー(礼儀正しい)ナラティブ(物語)、レディメイドのストックフレーズ、ベストのソリューション、フラッシュバック、知的パフォーマンス。

 ●理路(道理、筋道)、理非(道理にかなっていることと外れていること)、知見(知識や見識)、骨法(奥義)、身体感度の高さ、幸福な全能感、弁疏(べんそ=弁解)、信憑(しんぴょう=信頼)、疚しさ(やましさ)、瘴気(悪い空気)、蝟集(いしゅう=寄り集まる)、閾値(しきいち=境目となる値)、荒誕(こうたん=おおげさ・でたらめ)、訓詁(解釈・説明)、満腔(からだ全体)の賞賛、不羈(束縛されない)の血のたぎり。【鷹の台駅前整備計画】

 内田語録 ◯過去の一点に釘付けされることが「トラウマ」的経験である ◯私はどんなことを訊かれても即答することでお鳥目(銭)をいただいている身 ◯霊的経験などのように「収まりの悪いもの」がそのへんにごろごろしていても私は別に気にならない ◯「どうふるまってよいかわからない場面で適切に振る舞うことができる」というのが人間知性に求められていることである 〇情報と情報化は違う。たとえて言えば「情報」を「大福」とすると「情報化」というのは小豆や砂糖やもち米から「大福を作り出す工程」のことである。

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*高校野球観戦記

2022年03月28日 | 捨て猫の独り言

 甲子園球場で行われる大島高校の試合を見とどけるために、予定通り春分の日(21日)に3泊4日の旅に出た。宿泊は甲子園球場のごく近くにある友人宅である。友人は独居生活で高校の同窓だ。2010年の夏に沖縄興南高校が優勝した。その時も彼の所の泊まってその決勝戦を観ている。12年前のことだ。

 到着の翌日の22日は朝から雨で、試合開始は12時半に変更された。もしこの日の試合が順延になったら私のチケットでは大島高校の試合が見られなくなるところだった。甲子園球場駅周辺は驚くほど変わっていた。駅自体も新しくなり、球場周辺には大型商業施設などが完成している。

 この日の第1試合の時間帯は新しくなった球場周辺の見学にあてた。そして3試合のうち第2試合の星稜VS天理の1試合を集中して観戦。つぎの23日は雨の心配はなく2試合を堪能した。第1試合の花巻東VS市和歌山の好カードのあと、第2試合に待ちに待った大島の登場である。

 

 白のユニフォームに赤のストッキング姿で大島の選手たちが登場した。アルプス席は薄緑色で埋め尽くされてゆく。応援では明秀日立に負けてはいなかった。しかし試合は8対0で完封負け。夏には球速140㌔代の大野投手を中心に鹿児島県大会を制して再び甲子園の土を踏むことができるだろうか。それまで期待しつつ待ちたい。

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*たまご

2022年03月24日 | 捨て猫の独り言

 年が改まって、朝の食卓にタマゴ1個を追加することにした。年とともに体重が減るのは人体の自然のなりゆきだろうが、もう少し体重があった方がいい。それには蛋白質を摂取すべしと料理担当者が言い出してそれは始まった。ねらい通り体重はちょぴり増え始める気配だ。

 ネットには「ゆで卵」とか「半熟卵」とか「温泉卵」とか「とろとろ卵」などの作り方が紹介されている。しかしどの方法もイメージ通りの卵の状態にならない。あつあつとろとろを目指して、たどり着いた方法はつぎの通り。まず2個の卵が収まるぐらいの蓋のついた陶器のうつわを用いる。

 沸騰したポットのお湯を2個の卵の上に注ぐ。これを10分おきに3回行う。あるいは15分おきに2回。日々でき具合は微妙に異なる。卵の殻にへばりついている白身をスプーンでそぎ落とす。とろとろになっている白身と黄身に甘口の醤油を少していただく。翌日のための卵を冷蔵庫から取り出して室温で過ごさせる。(小平霊園にて)

 

 余談だが、最近は「たまごを立てる」練習をしている。まだ一度も成功していない。コロンブスがゆで卵をこつんとたたいて立てて見せたという話があるが、こつんとたたかなくても立つという。最近読んだ板倉聖宣著「科学的とはどういうことか」に書かれていて、挑戦することになった。いい暇つぶしになる。

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*いざ甲子園へ

2022年03月21日 | 捨て猫の独り言

 センバツ高校野球で優勝候補に挙げられていた京都国際高校がコロナウイルスの集団感染が起きて開幕前日に出場を辞退し、補欠校の近江高校が繰り上げとなった。また開会式が雨のため30年ぶりに順延になるなど思いがけないことに見舞われている。

 前売り券は日付指定券なので順延は影響が大きい。私のお目当ての大島高校の試合は22日が23日になった。こういうこともある程度予想していたので23日のチケットも購入していた。さらなる順延がないことを祈るばかりだ。

 3泊4日の予定で大阪に出発する前日、つまり昨日の20日は玉川上水沿いに金毘羅橋まで歩いた。ついでに金毘羅さまに大島高校の必勝祈願をするつもりでいたが神様は不在という。この日の第2試合に登場する近江高校の試合に間に合うように急ぎ帰宅した。2時間半歩くと15000歩である。

 

 近江高校に私はなぜか惹かれる。薄水色のユニフォームがいい。副校長でもある多賀監督はオープンギャラリーの鈴木さんにそっくりだ。「たっぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江と言えり」これは64歳で没した河野裕子の代表歌だ。この日の第2試合は最後まで目の離せないいい試合だった。

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*二つの慶事

2022年03月17日 | 捨て猫の独り言

 毎日のように私が覗いている著名人のブログが二つだけある。1960年沖縄県今帰仁生まれの芥川賞作家・目取真俊(島袋正)のブログ「海鳴りの島から」と、1976年千葉市生まれの囲碁棋士・高尾紳路のブログ「たかお日記」だ。

 「海鳴り」は連綿と続く辺野古新基地反対運動の写真満載の日報というべきものだ。「キャンプシュワブ前の座り込み」が始まって2800日余りになるというが、「海鳴り」のカテゴリー「米軍・自衛隊・基地問題」は2600回の多くを数える。海が荒れてカヌーでの抗議活動ができないときはゲート前の座り込む。彼の冷静沈着かつ持続する闘争心に深く敬意を表したい。

 「海鳴り」の、最近3月12日の記事はつぎのようなものだった。「昨年の夏、イタリアで小説集『水滴』が翻訳・出版された。表題作のほかに「魂込め」「風音」が収録されている。 以前、『魂込め』『風音』がフランスで翻訳・出版されたことに続く出版となる」 ずいぶん遅れた報告ではなかろうか。翻訳出版されていることを初めて知って、わがことのように喜んだ。(盛りを過ぎた梅と河津桜)

 

 「たかお日記」の、3月13日の記事のタイトルは「NHK杯・決勝」というもの。この日の正午過ぎに放送された決勝戦を、私はかたずをのんで見守っていた。敗れたものの、勝負を決めたのは「運」というしかないと解説者が言うほどの大接戦だった。NHK杯は放送より前に結果が外に出るのは厳禁。だからブログの公開は決勝戦が放映された日の21時になった。その中で「本人もまさかまさかの快進撃で決勝戦」と謙虚に記して、いつものように対局のポイントを碁盤で解説していた。祝・準優勝!

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*チケット購入奮戦記

2022年03月14日 | 捨て猫の独り言

 スマホにようやく少し慣れてきた。固定電話の破棄でスマホの電話機能は欠かせない。つい先日は耳が遠いというのに、着信音量が知らぬ間にゼロになっていてあわてたことがある。よく利用するのはメール、マップ、歩数計ぐらいだ。写真はまだデジカメに頼っている。それにしても便利な世の中になった。

 センバツ高校野球のチケットはWEBのみの販売という。申し込みから受け取りまでの過程をイメージできない状態だったが、ともかく自力でやってみることにした。まずローソンチケットに会員登録する。発売初日、予告時刻より早く受付は始まっていた。そして受付完了まで順調に進んだ。

 奄美の大島高校は22日に登場する。そこで22日と23日のチケットを申し込んでその予約に成功した。ところが翌日のコンビニの機械の前で22日の分が、開会式18日の申し込みになっている。初歩的なミスである。そこで18日分はキャンセルし、すぐに22日の分を申し込んだがすでに完売、それなら23日の分は不要になり権利放棄した。計画はすべて水泡に帰した。意気消沈。

 

 しかし翌々日になって、不思議なことに22日の分が予約ができたのである。そして初めてコンビニでチケットを手にした。営利目的の輩がいて完売状態がしばらく続いたのだと思う。それではとばかり23日の分を再度申し込む。しかし営利目的を防ぐためだろう同一日の複数回申し込み不可という。あわてて同居人の名で会員登録して、そこからめでたく23日のチケットも手に入れることができた。とんだ回り道をしたものである。

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*鹿児島の歴史

2022年03月10日 | 捨て猫の独り言

 隼人とは、日本古代に現在の鹿児島県に居住した人々とされる。奈良時代初めまで朝廷の支配の外にあり、南方との交易によって生活していた。なにせ古代のことなので諸説あるらしい。平清盛は対外貿易の中心である大宰府を押さえたのちに、弟の忠度を薩摩守に任命、さらに大隅の有力者の建部家を家臣にした。

 平氏滅亡のあと、鎌倉幕府は南九州支配のため島津家を送り込む。彼らは隼人の馬術や武術を取り込んでゆく。中世の薩摩では禅僧の手による朱子学が広まる。島津家は京都の文化に高い関心をもち、禅宗を保護した。それによって福昌寺(鹿児島市)などの禅寺が栄えた。1543年種子島に鉄砲伝来、1549年ザビエル鹿児島上陸、1571年信長延暦寺焼討、1587年秀吉九州平定(島津氏服従)、1609年島津氏琉球王国征服。

 戦国動乱のなかで、島津家は九州の大半を勢力下におさめた。しかし島津家は豊臣秀吉に敗れて、その領地を薩摩、大隅と日向の一部とされた。さらに関ヶ原の戦い(1600年)で敗者の側に着いたことによって江戸時代を通じて幕府から敵視され、薩摩藩はきわめて閉鎖的になってゆく。島津家はキリシタンと一向宗(浄土真宗)を禁止したが、農村では一向宗の「かくれ念仏」がさかんであった。

 

 江戸時代の薩摩藩領内では土地の守り神信仰ともいえる「タノカンサァ(田の神様)」と呼ばれる石像を祀ることが流行った。明治維新の神仏分離、寺院の廃止により薩摩藩では寺院のほとんどが破壊された。福昌寺は島津氏の菩提寺のためしばらく残されていたがまもなく取り壊され、現在は歴代島津家当主の墓地群だけが残っている。このとき寺宝の多くが破壊されたり行方不明となり鹿児島県が文化財過疎県となる一因となったとされる。

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*原発施設で出火

2022年03月07日 | 捨て猫の独り言

 冷たい外気の中を、庭に出て陽の光を浴びるのが至福であった頃は過ぎ花粉症の季節になった。鼻紙がどんどん消費されてゆく。日向ぼっこは恐る恐る外へ出ることになる。2月24日にロシアがウクライナに侵攻するという事態が起きた。

 この世には普通にあり得ないことが起きることがある。3月4日に「原子力発電所の施設で出火」の速報には肝を冷やした。IAEAは3日、ウクライナに15基ある原子炉が紛争に巻き込まれると、深刻な結果になりうると警告していた。(3月6日小平市平櫛田中館)

 

 今でも戦争はいたるところで起きているけど、核戦争だけは起きていない。起きれば核兵器の応酬によって人類が滅亡するというのが正常な判断であるからだ。いま起きている事態は通常兵器による原子炉攻撃という危機だ。

 かつて吉本隆明は、日本など核を持たない国々がつぎのような「条約の締結」を「国連」に積極的に提案したらどうかと発言していた。核兵器はその気になればどの国でも作れることを前提に、「核保有国に対し数量と期限を示して段階的に核を廃棄してもらう。その代わり日本を含めたその他の国も核を持たないと約束する」

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*沖縄ファイル(4)

2022年03月03日 | 捨て猫の独り言

 【2017年】3月18日威力業務妨害罪などに問われていた、キャンプシュワブ・ゲート前の座り込みのリーダーの山城博治氏が約5カ月という長期の拘留の後に保釈される。3月25日ゲート前の大規模集会に翁長知事が就任後初めて参加。私はこの年の4月と11月に馴染みの瀬嵩の民宿からゲート前の座り込みに参加している。参加はこの3回で終わっている。

 6月12日元沖縄県知事を2期務めた太田昌秀さん死去・92歳。90年に琉球大を辞め知事へ、95年米兵3人による少女暴行事件が起き、抗議集会で8万余の大衆に少女の人権を守れなかったと謝罪した。

 

 【2018年】1月名護市長選挙で翁長知事が支援する現職の稲嶺氏が敗れる。4月翁長知事は膵臓に腫瘍が見つかり、月内に手術すると記者会見し発表。8月8日翁長知事死去・67歳。10月30日急逝に伴う知事選で、名護市辺野古に基地を造ることに強く反対してきた翁長知事の遺志を継ぐ玉城デニー氏が当選。12月14日防衛省は埋め立て区域全体の4%にあたる海域に土砂投入を開始。

 

 【2019年】政府が埋め立て予定海域に軟弱地盤が存在し地盤改良が必要と表明。埋め立てが始まる3年前の2015年の段階で沖縄防衛局は把握していた。隠蔽に不信募るばかり。軟弱地盤の改良は本当に可能なのか。2月の県民投票で埋め立て反対票が7割超(投票率53%)。COVID19出現してじわり広がる。(ひとまず了)

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