2011年3月11日に発生した東日本大震災から12年が経過している。たとえば北上川河口から4㎞の川沿いにあった石巻市大川小学校の生徒108人中74名が死亡などは広く報道された。しかし広域にわたる大災害の全貌を知ることは不可能に近い。そして原発の処理はいまだに見通せないでいる。
高校の同級生5名で南三陸町へ2泊3日の旅をした。女子3名と男子2名というのは珍しい構成だろう。宿泊は石巻市と気仙沼市の間に位置し志津川湾を抱いた南三陸町の「南三陸ホテル観洋」だ。仙台駅から無料送迎バスは約100分を要してホテルに到着する。しばし5階のフロントのソファで広々とした志津川湾に見とれていた。
二日目の朝はまず「震災を風化させないための語り部バス」で見学に出かけた。南三陸町の被災状況は死者620名、行方不明者211名という。語り部はホテルの渉外部長の伊藤さんだ。自らのあの日の体験を昨日の出来事のように訥々と語る。ホテルは名物女将の阿倍さんのもとで、震災経験の情報発信拠点になっているようだ。
この日は予約していた観光船が中止になり、「南三陸さんさん商店街」に行くことになった。予定変更は思わぬ有益な結果をもたらす。「震災伝承館」で南三陸町の被災状況を知ることができた。約10m嵩上げしてできた商店街には佐藤信一常設写真展示館もある。天皇皇后は1914年にホテル観洋に宿泊しこの商店街を訪れている。