玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*早稲田松竹

2017年10月30日 | 捨て猫の独り言

 小平市報で、家庭ごみ有料化・戸別収集の実施計画(素案)を策定との告知があった。1年半後の2019年4月からの予定で、多摩地域の26市のうち24市が実施しているという。主な理由として、ごみを出す人が明確になることによる、ごみ出しのマナーの向上、集積所の管理に関わる市民の負担のばらつきを解消するなど4点があげられている。枝木などの剪定ごみは原則無料になる。(食べられるきのこ・タマゴタケ)

  

 ところで高田馬場駅から早稲田通りを早稲田大学の方に向かって5分ほど歩くと右手に「早稲田松竹」がある。二本立てで上映している今では数少ない名画座映画館だ。いつかはここに入場することもあると思いながら、これまで数回その前を通り過ぎていた。「男と女」「愛と悲しみのボレロ」の上映を知って出かけることにした。ダバダバダのスキャットとバレー音楽のボレロは私もよく知っている。

 ボレロの上映時間はなんと185分だ。あさの10時40分に始まり昼の2時少し前に終わり、外のコンビニで軽食を調達して劇場内で頬張る。ダバダバダは104分で二本を見終えたのは5時に近かった。特にボレロは3時間も同じ姿勢で我慢できるか心配したが、二つの作品とも時の経つのを忘れて見入っていた。50年も前のフランス映画だが、私はどちらも見ていなかった。

 毎度のことだが、見終えた後でいろいろ調べてみた。二つともユダヤ系アルジェリア人のクロード・ルルーシュ監督の作品だ。1966年の「男と女」は監督の出世作品という。浜辺を散歩する老人と犬など印象的な映像が多い。1981年の「愛と悲しみのボレロ」は2世代4つの家族の人生を描く。モデルとなったのはレドルフ・ヌレエフ(ロシア)、ヘルベルト・フォン・カラヤン(ドイツ)、エディト・ピアフ(フランス)、グレン・ミラー(アメリカ)だ。「より縄形式」の代表作と言われる。

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*沖縄スズメウリ

2017年10月23日 | 捨て猫の独り言

 初めて見たつる性の植物だった。その名を知ったのは町田市にある武相荘(旧白洲邸)を尋ねた時で、係りの女性は「オキナワスズメウリ」と教えてくれた。グリーンカーテンになっていて、そこには2×3㎝サイズで、緑に白の縞入りの実がぶら下がっていた。あまりの愛らしさに、こっそり2個持ち帰ったところ、しばらくしてその実が真っ赤に色付いたことを思い出した。

 思い出したのは、この10月中旬に家人の古い友人がスズメウリのリース飾りを届けてくれたからである。彼女は以前に我が家に寸法を測りに来て、布で長椅子のカバーを巧みに作ってくれた人だ。それから家族連れで映画館で会い、簡単に挨拶を交わしたことがあった。家人は最近彼女を誘って観劇に二人で出かけている。静かな人で玄関先で言葉少なにリースをおいて帰られた。私は3度お会いしたことになる。

 

 しばらくして彼女の思いが理解できたような気がした。スズメウリはつるから自然に実が落ちることはがないので、ハロウィンリースやクリスマスリースなどの飾りつけになる。今やアメリカの民間行事になっているハロウィーンは10月31日である。リースの縞入りの実は日ごとに一つ二つと色づきつつある。孫たちのアトランタではかぼちゃで、小平ではスズメウリでハロウィーンという粋な計らいと思えた。

 スズメより大きいカラスの名がついているカラスウリはよく知られている。冬枯れの景色の中で5×7㎝サイズの朱色の実がよく目立つ。調べてみるとカラスウリは夏の夜だけ開く花で知られていて、それはレース状の白いきれいな花だという。一度は見てみたいものだ。「琉球おもちゃ瓜」の別名のあるオキナワスズメウリは一年草だがカラスウリは多年草だという。

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*野川公園の柳橋③

2017年10月16日 | 捨て猫の独り言

 新聞連載小説を読み始めてから、髙村薫の単行本の一つでも読もうと図書館で手にしたのは新潮社の「太陽を曳く馬」の上・下二冊だった。読み始めてすぐに、これは歯が立たないと思った。ただでさえ眼の疲労はなはだしく拡大鏡なしには読み進めない。投げ出したくなるのを何とかこらえて上巻を読み終えた。返却期限が切れて下巻は読むことなくひとまず二冊とも返した。(深川界隈)

 

 刑事の合田雄一郎が登場して、事件に立ち向かうのだが、彼は作者や読者とともに年を重ねる。大阪府東住吉区生まれ、趣味は登山と読書 (ドストエフスキーを愛読)、特技はヴァイオリン、協力者は別れた妻・貴代子の双子の兄で学生時代からの親友・加納祐介検事である。小説の中の合田刑事は作者の分身と考えてもよさそうだ。作者は住吉区生まれで、吹田市在住である。

 「我らが少女A」の執筆に当たって作者はつぎのように述べている。「いわゆる大事件を書くことに興味が持てなくなった。単純に見えて実は複雑、複雑に見えて実は単純な一般の人びとの暮らし、価値観をありのまま書きたい。一回または二回ごとに人物の視点を変えて書き、それを重ね合わせて最後に一枚の大きな絵が出来上がるように書いていきたい」そして私は欠かさず読んでいる。

 つぎの投書には驚いた。「・・・おごる首相に他国との不穏な関係を払拭する能力もなく、政治はワイドショー化した。・・・確かなものは何かあるのか。それともないのか。日々模索し、路頭に迷うような気持になっていた。そんなところに登場した〈我らが少女A〉。時代を超えて再度、思考せよ、と迫られた気がする。・・・」吹田市に住む63才の再任用教員で、髙村作品の熱心な読者と思われる。(完)

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*龍勢祭り

2017年10月12日 | 捨て猫の独り言

 毎年10月の第2日曜日に秩父市吉田にある椋神社で「龍勢祭り」が開催される。龍勢は農民ロケットとも言われている。朝の8時40分から15分おきに30本の龍勢が豪快に秋空高く舞い上がる。日本の祭りの中で異彩を放つ祭りの一つだと思う。今年の第2日曜日は季節外れの気温上昇が心配されるほどの上天気だった。出かける決心をしたのは朝食後だった。

 私の龍勢祭り見学はこれで3回目だ。かなり前に秩父市在住の友人に招待してもらったのが初回だった。それはよく晴れた日だった。家人を初めて案内した昨年の2回目は、残念なことに開催が危ぶまれるほどの空模様だった。やはりいい条件の祭りを記憶に残すべきだと思い3回目を決心した。暑すぎたなどと言うのは贅沢というものだ。

 

 プログラムには順番、点火時刻、径寸、奉納者、龍名、製造流派・製造責任者が記載されている。吉田龍勢保存会長のあいさつ文の中に「龍勢は、吉田は元より国内では草薙、朝比奈(静岡県)、海外ではタイ、ラオス、中国に伝承されています。いずれもバンブーロケットと云われ、竹筒に火薬を詰めて打ち上げます。吉田の龍勢は江戸末期には現在の木製筒の形になったようで、これが他所との大きな違いです」とあった。

  

 私が東京に移住してきたのは昭和44年だ。この年に正丸トンネルが開通して西武鉄道が秩父へ延長されている。西武秩父線の開通で、東京から直に爆発的な人の流入が起き、秩父札所巡りも観光を兼ねた一般参拝者が急増したという。私が初めて秩父盆地に足を踏み入れたのは、この西武秩父線の開通の後まもなくの頃だった。先に述べた友人の結婚式に参列するためである。今から45年ほど前のことだが、それ以来秩父を数えきれないほど訪れている。

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*クロガネモチ

2017年10月09日 | 捨て猫の独り言

 庭木の三大名木とはモチノキ、モッコク、モクセイだそうだ。おもしろいことにすべての名がモで始まる。国分寺駅の近くにある殿ヶ谷戸庭園は年に何回か訪れる。そこで一番多い木はモッコクで、その数は300本を超える。モチノキの仲間にはクロガネモチがある。モクセイにも種類があり一般には銀木犀のことだというが、私はすべて、あれは金木犀ですませている。(清澄庭園にて)

 

 我が家の庭にはクロガネモチ、サルスベリ、ハナミズキ、柿、松、梅、シラカシなどの木がある。現在の庭木の配置は近くの植木屋さんが考えたものだ。時々庭木の消毒にも来てくれていた彼は若くして亡くなった。かくして、剪定を素人で行うことが多くなった。男の私はもっぱら作業で出る枝葉の後始末に回り、高い所での剪定は女が行うため、いつも通行人の注目を集めた。樹形が変わらないのは松だけだ。他は放置するとどんどん枝そして樹高を伸ばしてゆく。

 電動のこぎりを購入していくつかの木の芯止めを行った。中でもクロガネモチは幹回りもどんどん大きくなっていく。そのクロガネモチをいかに虐待していたかを今年になって思い知ることになった。クロガネモチは春4月に新芽を吹き、葉が交代する。今年は4月の落葉がはなはだしく後始末に追われた 。しかしこれが本来の姿なのだ。これまで木の生理を無視して秋口の青い実、あるいは初冬の赤い実とともに枝葉を切り落とし丸坊主にしていた。そのせいか4月の落葉が無くて助かっていた。

 葉が乾くと鉄色になることからクロガネモチと名付けられた。イチョウが色づくころ真っ赤な球形の果実をつける。赤い実がクロガネモチの最大の価値だ。昨夏はプロにクロガネモチの剪定を頼んだ。赤い実をつけ、前述の通り4月には落葉があった。ところが素人剪定の習慣でこの9月に青い実のクロガネモチを丸坊主にしてしまった。本来の剪定時期は5月だという。やはりそこに立ち返るべきだろう。

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*市民集会

2017年10月02日 | 捨て猫の独り言

 ブログ「チョイさんの沖縄日記」で知った9月27日の東京での市民集会に参加した。チョイさんとは辺野古新基地反対運動の知恵袋といわれる北上田毅(つよし)さんのことだ。招かれたメインゲストは、この北上田さんと沖縄平和運動センター議長の山城博治(ひろじ)さんだ。山城さんは26年1月に工事用ゲート前で、コンクリートブロックを積み上げたとして威力業務妨害の罪に問われ公判中の身である。

 たまたま私が初めて辺野古ゲート前の座り込みに参加したのがブロックパフォーマンスの頃で、県内外から連帯のブロックが送られてきていたのを目撃している。またこの時に北上田さんのブログをの存在を知った。それから東京にいてブログを毎日のようにチェックするようになった。辺野古の現場の様子を詳しく知ることができる。集会の場所は北区の王子駅前の「北(ほく)とぴあ」で18:30からだった。

 

 その日は早めに出て王子駅周辺を散策した。先日乗ったばかりの都電荒川線を利用することにした。池袋四丁目から王子駅を経由して荒川遊園地前で下車した。そこから徒歩で王子駅に戻ることにして遊園地の横から荒川の支流である隅田川に出て上流に向かって遊歩道を歩く。しばらくすると石神井川の合流地点に出る。石神井川に沿って歩けば王子駅に着く。飛鳥山公園では高校生たちがアクロバティックな縄跳びの練習をしていた。王子神社にも出会う。帰宅は23時だった。

  

 集会で右隅の三列目の席に座ると、目の前の二列目に北上田さんが座っている、後姿だけですぐに判った。先ずは北上田さんの辺野古の工事の現状とこれから工事はどう進められるのかの話があり、防衛局は県民の諦めを誘うために、当面浅瀬での工事を進めているに過ぎないとした。毎日ゲート前で200名の座り込み態勢確立を訴えた。山城さんは遅れて到着して、北さんの横に座った後で三人目として登壇した。そしてゲート前での司会進行そのままに歌も交えて山城節は炸裂した。翌日は防衛省交渉が参議院議員会館で開かれたが、残念ながら私は自宅で静養した。

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