玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*食の改善

2013年11月25日 | 捨て猫の独り言

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 玉川上水に「ヒイラギ」の数はそれほど多くはない。そのヒイラギには密生した白色の小花が咲いている。似たような形だがヒイラギにくらべて葉が大きく縁にあらい鋸歯があるのはヒイラギとギンモクセイの雑種である「ヒイラギモクセイ」だという。ヒガンバナは葉だけが生い茂り、その後を継ぐように庭ではヒガンバナ科のネリネが薄紫の花を開いた。フキノトウはすでに黄色の花を咲かせている。この花に蝶が訪れるのを心待ちしているがその姿を見ることはない。サルスベリはすっかり葉を落とした。今はハナミズキに遅れまいと、カキが葉を落とし始めている。

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 今月は近くの医院に耳の治療で通うことになった。診察券が1枚増えた。気になって調べてみると手持ちの診察券は合計6枚だ。内訳は総合病院2枚、近くの内科2枚、眼科1枚、それに耳鼻咽喉科1枚が加わった。これまで総合病院の1枚で済ませていたつもりだったがいつの間にやらこんなにも貯め込んでいた。今月はそのうちの3枚も使っている。大げさに言えば私が通院することは国家の医療費の増大につながる。先ず健康であることが理想だが、今の私にできることは安いジェネリック医薬品を使うことぐらいだろうか。

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 内科でもらった2枚の印刷物には説得された。症状のあるときに避けたい食べ物として「甘いもの」「牛乳」「酒」「フルーツ」「キムチ」「めんつゆ」「塩麹」が挙げられている。これを2週間も続けると変わりますと医者は断言した。「これらの食品に共通するのは糖分がたくさん含まれているということです。糖や人工甘味料の摂りすぎは、腸内細菌叢の悪化を招きます。異常発酵により発生したガスは、門脈という肝臓に行く大きな血管の圧迫を引き起こし、肝臓に負担をかけます。気血の流れは悪くなり、免疫力の低下やあらゆる不調の原因となります」酒の蒸留酒は可だが醸造酒は不可とあった。

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 医者がインタビューの後で私に手渡したこの印刷物には、思い当たることが多かった。この指針に従ってまず2週間は食に気配りをしてみよう。血圧の不安定さが解消できることだろうと思った。2週間の病院食で体が軽くなり気分もすっきりとの友人の体験談が思い出された。もう一枚の印刷物は食材の分類表だった。体を冷やす(寒涼)、平、体を温める(温熱)が縦軸に3つで、余分な水分をとる(燥)、平、体の潤いを増す(潤)が横軸に3つの、「食材の寒熱燥潤」という9枠に分類されたものである。あなたは冷え症だと医者は私に告げた。私にとっては予想外なことだった。その一方で減塩についての言及はなかった。(写真は小平アートサイトの作品)

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干し野菜とズイキ炒煮

2013年11月22日 | ねったぼのつぶやき

 10日余り留守にして普段の生活に戻った後ハタと気がついた。確かこの時期「芋がら」を入手してズイキを作ってたんだと。早速いつも購入している農協に入荷状況を問い合わせた。「見かけませんね~」と。翌日再度試みると「天候不順もあって~」と入手困難の風。どうしても欲しいと申し出ると、農家に当たった後、折り返しのの電話で「10束取り置くから〇曜日来るように」とあった。霜にやられた農家が多かったらしい。

004 当日売場に5束出ており、買い増した2束と取り置いた10束計12束を車に積んで帰った。皮を剥き6本組にして干す作業に3時間は要したろうか。1~2日干すと茎は細くシンナリとなるが剥きたての茎はズングリして逞しく、一列に並べると壮観だ。ズイキ作りは私の恒例の家事作業の一環になっているので、今年はダメかと半分観念していただけに殊のほか嬉しい。「ズイキ」はマーケットでは先ず見かけず、デパートではなくもないが探すのはかなり難しい。同世代以下の人達は恐らく実物を見ても、物事態も料理法も解るまい。乾物にすると保存できて通年使用可能な貴重な食材である。

 かつて主婦達は、味噌・醤油を手始めに色んな行程・工夫を凝らして食に限らず、生活をヤリクリしていた。手間を承知でやっている私すらも、セイゼイ干し野菜や、それらの味噌漬け、酢漬け程度である。私が手伝っているディサービスは、かって主婦業を張っていた方々の集団の様なものだ。私は折々、今何をどうやっているといった話題を出す。そしてそれらを使い、手作りした漬物や差し入れを持参すると、皆さん喜んで召しあがって下さる。利用者様とのこの種の付き合いは、若い職員には真似できまいと少々自負もしている。ズイキが完成したらアク抜きして、千切りした人参・白滝・薄揚・干しシイタケと炒め煮にして皆さんと共に愛でよう。

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*津田塾と武蔵美

2013年11月19日 | 捨て猫の独り言

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 私の家から東と西の隣り町に特色のある二つの大学がある。それぞれ津田塾大学と武蔵野美術大学である。徒歩15分の距離でいずれも玉川上水沿いにある。津田塾には昨年度は学生が主催する週に一回の公開講座に熱心に通った。今年はその講座から足が遠のいているが再び出てみようかと考え始めている。私が先月末の10日ほどの旅行で疲れが出て、ぼんやりした気分で過ごしていたとき、チラシで知った津田塾祭に出かけた。9日の土曜日の3時から「塾生コンテスト」が目当てだった。これは塾祭が始まって以来初めての企画だという。

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 夢に向かって輝く津田塾生に登場してもらい、同じ津田塾生に刺激を与えるのが狙いだという。「塾生コンテスト」の標題の下には「All-round woman contest」とある。出場者は4年生1名と1年生2名の合計3名だった。第一審査は主催者から出場者への個別の質問、第二審査はそれぞれの津田塾での学生生活、第三審査は私の大切な一品である。冷え込む中会場を訪れた人たちはつぎのようなことがらを知ることになる。津田塾の特徴の一つは「都会は遠い教授は近い」である。ゼミで新書を週に1冊のペースで読んだ。夏休みの課題で50人にインタビューした。夏休みにメキシコを一人旅した。キャンパス内には津田梅子の墓がある。

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 「小平アートサイト2013」が15日から24日まで開催中である。これは小平市と武蔵美が共同で行う美術展示会である。今年で27回目を迎える。今年はその規模が飛躍的に拡大した。これまでのような中央公園の野外彫刻展示ばかりではない。展示の場所が地域センター、公民館、カフェなどの屋内も加わり、中央公園の範囲を超えて上水緑道や地域の小公園にも広がった。油絵科の展示も増えた。出展者も多摩美、東京芸大、パリ国立高等美術などと広がりをみせている。7日のちびっこ参加のワークショップの作品は継続して展示され、打ち上げの23日と24日には2団体によるパフォーマンスが中央公園で行われる。

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 武蔵美術大学芸術祭2013「武蔵美ロマン街」は10月26日から行われた。私が台風接近の情報で予定を1日繰り上げて25日に羽田から鹿児島に向かっていた時のことである。さんざん気をもませた挙句に台風の列島への影響は回避された。3日間の合計の来場者数は37,240人だったという。大学の公式サイトでイベント情報を見たがこの長い名のつく学園祭の記載はない。大学は関知せず、完全に学生が主体となっているからだろう。別のサイトでロマン街の内容紹介を見た。絵画、デザイン、彫刻、映像などの学生の作品展示があり、手づくり雑貨やアクセサリー、名物料理を取りそろえた屋台、フリーマーケットがあり、屋外ステージでのオープニングとフィナーレがありと興味深い。来年の秋にはぜひ訪ねようと思う。(写真は小平アートサイトの作品・上から順に伝達、植林地、平穏、ひとりあそび)

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密度の高い帰省だった

2013年11月15日 | ねったぼのつぶやき

 在外の日本人柳田孝子さんが、心をこめて歌った「日本の抒情歌コンサート」から3週間が過ぎた。それを発案し、同郷である枕崎市長及び市の文化担当者と共に企画し、成功裡に導いた人も2ケ月ぶりに帰国した。「帰ったら慰労会の計画が用意されてるの」と言っていたけれど、この週末辺りだろうか。その人は大仕事を遂げて一休みしたら、マタマタ次なるプランを打ち出しかねない人なのだが、事実次なる腹案を洩らして帰って行った。

035 今回の帰省は幾多の行事参加を重ねて密度濃い物だった。両親の墓参は当然として、コンサート、関係者様方との懇親会への参加、砂風呂始め枕崎名所巡り、鬱蒼とした樹木に囲まれた城山遊歩道の散策、木造駅舎嘉例川駅~霧島神宮巡り、卒後50周年の同窓(期)会出席、おはら祭前夜祭参画、小雨もよいの本番の見学・・・等々。桜島の噴火は健在で、資料館の板書によると既に800回近かった。風向きの加減で、直接の降灰には合わなかったが地面から舞い上がっていた。

 3大イベントのもう一つはこれで最後(5年毎に挙行)になるという大同期会。500名卒業中158名の参加者は全国から参じた事だろう。事後いくつかのメールによると翌日・翌々日と交歓もあったらしい。私はさる人によりブログのコメンテーター氏と会った。恐縮の方は私なのにその人の方が後じさりされていた。ブログ(要クリック)といえば先の懇親会「五条」の若い女将さんは、枕崎から人や食を連日発信されていて、懇親会当夜の様子も10/28日掲載(下線クリックで表出)されていた。柳田さんは美声もさることながら、笑顔の美しい柔和な人だった。この写真からも見てとれますね。

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*夕日

2013年11月14日 | 捨て猫の独り言

 NHKプレミアムアーカイブスの「永六輔の日本の夕焼け紀行」を見た。01年の放送というから永さん68歳の時の番組である。寄せては返す波打ち際で波と戯れながら永さんが夕日に向かって叫ぶシーンで番組は始まる。「入り日入り日まっかな入り日 何か言え 一言言うて落ちてゆけかし」これは大正から昭和にかけての歌人の今井邦子の歌という。永さんはまるで少年のように一度ならず二度もこの歌を叫んでいた。永さんはいつまでも少年の心を持ち続ける方であるようだ。

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 自称夕焼け評論家の永さんは世界中の夕焼けの絵葉書を30年で2万枚も集めたという。「人はなぜ夕焼けに魅せられるのでしょう」と語りかけてくるのは、私にも馴染みの遠藤泰子アナウンサーだ。まず青森岩木山、新潟佐渡、栃木中禅寺湖、北アルプスの夕日の紹介があった。その中の一つ佐渡は私がいつか夕日を見に行きたいと前々から思っていた場所である。来年あたりには実現できるような気がしている。番組は視聴者参加型で2時間もの長時間番組である。全国各地から寄せられた便りの中から永さんが直接投稿者に会いに出かけたり、永さん抜きの取材が行われたりする。

 視聴者の便りとは別に永さんが自ら選んで訪れたのは東京の日暮里と愛知のモンキーセンターだった。日暮里とは日の暮れるのも忘れてしまう里という夕焼けにちなんだ地名だ。永さんの地元でもあるらしい。この地で漂泊の俳人種田山頭火が夕焼けの句をいくつか残していた。永さんはそれらの句を色紙に書いた。そして夕暮れの谷中の町の随所に色紙を置きながら句を紹介してゆく。たとえばつぎのような句である。「蚊帳の中まで夕焼けの一人寝ている」「山のあなたへお日さま見送りご飯にする」「朝焼け夕焼け食べるものがない」「夕焼けうつくしく今日一日はつつましく」「今日いちにちのおだやかに落ちる日」

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 私たちは沈む夕日に手を合わせてその日一日に感謝、太陽に感謝、自然に感謝、感謝の気持ちをもう一回とりもどそうと番組は呼びかける。サルが夕日を見て涙ぐむという話を聞いた永さんはサル専門の動物園であるモンキーセンターを訪れて専門家に尋ねた。サルは本当に夕日を見つめるのか。その日はぼんやりした夕日だったが、小屋から外に出ていたサルは夕日が沈みはじめると静かになり、それをじっと見ていた。傍らの専門家はサルたちは暖かさの感じられる方向を見ているのでしょうと答えていた。ところで春分と秋分の日は真東から朝日が昇り、真西に夕日が沈む。大阪の四天王寺では春と秋のお彼岸に「日想観の法要」が行われ鳥居の向こうに真西に沈む夕日を見る人たちでにぎわうという。

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*立冬

2013年11月12日 | 玉川上水の四季

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 残念なことにあれから三ヶ月にもなろうとしているのに新堀用水の流れは復活していない。この秋は庭の柿の木がたくさんの実をつけた。10日ほどの旅に出かける前に色付いた柿を収穫しておくことにした。それを新聞紙をひろげて廊下にならべて出かけた。帰宅してみるとその一部は完熟して果汁が溶けだして新聞紙をぬらしていた。つぎつぎに熟していくトロトロ柿は食するのが追いつかないほどだ。今年の秋の異変はあと一つある。上水の緑道に落下するドングリの数が多いことだ。緑道は避けて通れないほどドングリで敷きつめられている。

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 オープンギャラリー立冬の東側展示は「玉川上水の蝶~初冬に舞う」である。鈴木さんの関心事として最近は蝶が大きな割合を占めているようだ。冬でも蝶が飛んでいますよと鈴木さんは教えてくれる。蝶たちの多くは蛹になって冬を越すが、蝶の冬の越し方は成虫越冬、幼虫越冬、蛹、卵に分かれるという。成虫越冬するものとしてヒメアカタテハ、アカタテハ、キタキチョウ、テングチョウ、ウラギンシジミ、ムラサキシジミの写真が並んでいる。蜜源の花はキク、ツワブキになる。暖かい日の午前中に上水の南側の右岸を歩くと蝶に出会えるという。初冬の頃は活動しているが12月の大雪の頃には休眠に入り葉の陰などでじっと春を待つという。

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 これらの蝶は春を迎えると休眠から目覚め、3月の啓蟄になると活動が始まる。食草が新芽を出すのを待って卵を産みつけ、厳しい冬を越した蝶は大切な子孫を残して一生を終える。蝶の命は普通は2週間と言われているが、このように成虫越冬する蝶も存在する。つぎに幼虫越冬するものとしてウラナミシジミ、モンキチョウ、ツマグロヒョウモン、ヒメジャノメ、ベニシジミ、ヤマトシジミの写真が並ぶ。これらの蝶は初冬の頃までに産卵を済ませてその一生が終わる。食草に産み付けられた卵は孵化して幼虫で冬を越し、春を迎え蛹になり羽化するという。そういえば昨年の冬に鈴木さんがギシギシという野草の葉の裏にベニシジミの幼虫を探し出して私達に見せてくれたことを思い出す。

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 西側展示の鈴木さんの立冬の詩はつぎの通りだ。「キヅタ黄緑色の花が盛りだ。フユノハナワラビ穂のようだね。ルリタテハ、クヌギで日光浴だ。コゲラ、マユミの実を食べはじめた。シメ、イルカ、ムクの実に来たよ。ツタ、真っ赤に色付いた。歩こうよ、ゆっくり歩こうよ」立冬の観察会は10日の日曜日でこの日は津田塾大の学園祭の最終日でもあった。それを横目に下流の一位橋へ向かう。ツタの紅葉、イヌザクラの黄葉、キタキチョウの食草であるハギの黄葉、コゲラの好物であるマユミの実、シロダモの雄の木に黄白色の花、白ダモの雌の木に紅い実、保存樹林の中に黄色のヤクシソウ、ミズキやゴンズイの実などを見て回った。この日の新聞に「ムクの実の甘みは遠い昔に」と題した徳島市の70歳男性の投稿記事があった。「子ども時分、今のように甘いお菓子などなく、クワやマキ、ムクの実はおやつだった」とある。(写真は日展の作品)

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