玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*関心高まる台湾史

2015年05月25日 | 台湾のこと

 台湾に旅行してから、当然のことだが台湾に関する新聞記事に目が止まるようになった。記事といっても私が目にするのは現在購読している毎日新聞のそれに限られている。5月2日は「台湾総統選 米中が注視」とあった。東アジア情勢に影響を与えそうな台湾総統選挙は来年の1月16日だ。8年間の国民党の馬英九政権の任期が終わり、民進党への政権交代が現実味を帯びている。

 中台の経済的な結びつきは飛躍的に深まったが、急速な経済統合に対する警戒感も高まっている。軍拡を進める中国との軍事バランスは崩れ、安全保障上は米国に頼らざるを得ないのが現実だという。民主政治の成熟化で対中政策でも国民党と民進党の差は縮まりつつある。 3日は「台湾与党主席が訪中 国共トップ6年ぶり会談へ」、4日は「中台の連携を強調 国共フォーラム開幕」とある。(写真は浅草三社祭、ヤマボウシ、ジャガイモ、白糸草)

  

 5日は見出しの活字も大きくなり「国共トップ会談 台湾の政権交代懸念 習主席が朱氏基盤固め後押し」とある。国共とは台湾与党・国民党と中国共産党のことである。国民党主席の朱氏は次期総統選の不出馬を表明しているものの、今回の国共トップ会談の成果を糧に出馬を表明する可能性もある。習氏は会談で「両岸関係は重要な節目にあり、どこに向うべきかはすべての政党や社会各界が直面する重要な問題だ」と指摘した。

 19日は「過去を探り、未来を考える若者ら」と題した鈴木玲子記者の台北からのレポートだ。昨春の中国とのサービス貿易協定反発して立法院を占拠した「ヒマワリ学生運動」を通して若者たちの間に「台湾史」への関心が高まった。運動に参加した若者が起業した新メディア「台湾Bar(バー)」が制作したアニメ「動画台湾史」がユーチューブで配信され反響を呼んでいる。台湾人としてのアイデンティティーを求める流れはもはや後戻りしないだろうという。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*「たかお日記」より

2015年05月18日 | 捨て猫の独り言

 昨年と同じように二人の孫が母親と一緒にアトランタからやって来る。5月末に羽田に到着し、今年は3年生と2年生として日本の公立の小学校に通う。1学期の終業式を終えて、ババ(祖母)の付き添いで7月末に帰国する。ひらがなを書くこともおぼつかない二人が教室でカタカナや漢字に見舞われる。担任の先生には余分な負担をおかけするが、保護者としては放課後の子供同士の交流が眼目と考えている。

 棋士の高尾紳路のブログ「たかお日記」をパソコンの「お気に入り」に入れている。カテゴリーは自戦解説がある「囲碁」のほかには、「馬」「野球」「酒」「習字」がある。馬とは競馬のことで高尾は一口馬主として投資している。馬とビールは生に限ると競馬場にも顔を出す。野球とはプロ野球のことで千葉出身だから地元球団のロッテのファンである。はしご酒の機会も多く肝機能は優秀のようだ。習字とは書家の柳田泰山に直接指導を受けて展覧会に出品することもある。(写真はナデシコ、ガマズミ、雲南百薬)

  

 高尾は「最後の無頼派」と呼ばれて死去した藤沢秀行名誉棋聖門下である。酒やギャンブル、女性関係、借金などすべてが規格外であったことから師匠は「無頼派」と呼ばれた。しかし癌を3度も患いながらも克服し、日本にとどまらず来るものは誰でも拒まずと「秀行塾」で多くの後進棋士を育てた。高尾はそんな師匠の弟子だが女性関係や借金は今後とも無縁だろう。

 藤沢秀行の絶筆の「強烈な努力」が刻まれた記念碑が台東区の小野照崎神社に建てられている。サッカーの日本代表入りした武藤善紀選手の座右の銘が「強烈な努力」だという。同じく代表入りした川又堅碁選手の名は囲碁の競技性から「先を見通せる人になって欲しい」という願いを込めて親がつけたという。また藤沢秀行を支え続けた妻モトさん(85)の人生が「華と石」として舞台化され、5月6日~10日に新宿で演じられた。これらのことを「たかお日記」で知った。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*早稲田通り

2015年05月14日 | 捨て猫の独り言

 防衛省正門前の抗議集会は5月の第一月曜日の4日は祝日のため11日になった。どうせ出かけるならあちこち見て回りたい。今回は高田馬場駅から早稲田通りを東へ行き、右に折れて外苑東通りを歩くことにした。午前中に家を出て集会時刻の18時30分まで早稲田大学の周辺で半日を過ごすことにした。高田馬場から5分ほど歩くと名画座の早稲田松竹がある。初めての映画館だが、また来てもいいと思った。

 何が上映されるているかも知らず、また2本立上映とは思っていなかった。時間はたっぷりあったので2本とも見ることにした。邦題を「薄氷の殺人(中国語)」「トム・アット・ザ・ファーム(仏語)」という映画だった。週ごとに2本の映画が決り、朝の10時から10分の休憩をはさんでテンポよく交互に上映される。観客の数は私の予想を上回っていた。つぎは狙った映画を見るために訪れることになるだろう。

 早稲田大学の西門から初めて構内に入る。目指すは会津八一記念博物館である。陽光の中で木製のベンチで談笑する学生の姿を眺めるのはいいものだ。年輩の男性に場所を教えてもらって大隈銅像のすぐ近くにある記念館にたどり着いた。早稲田で東洋美術史を教えた会津八一が私財を投じて収集した数々が2階の常設展示場に並んでいた。構内には坪内逍遥の演劇博物館もあり、そこも見学した。(写真はエゴノキ、ノイバラ、マルバウツギ)

  

 4時過ぎに西門近くにある「牛めしの三品食堂」で早めの夕食にした。ガイドブックで知った名物の「カツミックス」を注文する。牛めし、カツ、カレーが一つのプレートに盛られている。学生相手に夫婦で切り盛りしている店だ。腹ごなしに防衛省まで歩くことにしたが、時間調整のため、さらに遠回りして四ツ谷駅まで足を伸ばした。前回も今回も帰りは四ツ谷駅からだ。集会はこれまでの中で一番多くの参加者がいた。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*向島百花園

2015年05月11日 | 捨て猫の独り言

 立夏の玉川上水をオープンギャラリーの鈴木さんは、つぎのように紹介している。「低木のユキノシタ科のウツギに加えて、ノイバラが法面から側壁までを白色に塗りつぶします。さらには小高木のエゴの花が頭上に白一色を覆いかぶせてきます。この季節に緑道は白の世界に変身するのです」 鈴木さんの展示を見た後で注意深くあたりを見回すと、指摘にある通り景色はどんどん変化している。くりかえされる確実な移り変わりに驚く。

 墨田区の向島百花園は、北千住駅で乗り換えて東武伊勢崎線の東向島駅で降りると徒歩8分のところにある。この界隈は永井荷風の「墨東綺譚」などの舞台となった色街であったそうだがその面影はない。百花園は江戸の骨董商が造り上げたもので、大名庭園とはひと味ちがって親しみやすい花園だった。広さはおなじ隅田川左岸にある清澄庭園の三分の一ほどだ。みどりの日ということで入園料70円は免除された。

 我家の庭にカエデがある。百花園にも同じものが植えられていて、ぶら下がった名札でその固有の名を知ることができた。私事ながらこの機会にカエデとモミジの違いが明確になった。モミジは秋にカエデ、ツタ、イチョウなどの葉が赤や黄色に変色する現象で植物分類上の言葉ではない。庭の楓は「たむけやま」と言う名であり、細長ぎざぎざの葉の色は春の芽出しから紫色で、さながら秋の紅葉を春から見ているような楓である。

  

 我家の庭にウツギがある。これも百花園の名札で我家のウツギは「はこねうつぎ」と言う名であると知った。枝が中空の樹を一般にOOウツギと呼んでその数は多い。ウツギの代表はユキノシタ科である。ウツギ、ヒメウツギ、マルバウツギがユキノシタ科ウツギ属の御三家である。「はこねうつぎ」はスイカズラ科タニウツギ属で、六月に咲く花ははじめ白色で次第に紅色に変わる。墨堤の葉桜の下を吾妻橋まで行くとビルの屋上に「金の炎」のオブジェが見えた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*清澄庭園

2015年05月07日 | 捨て猫の独り言

 今年も土を掘り起こしてトマト、キュウリ、ゴーヤの植え付けの準備をした。年金生活の身でもこの時期はどうにも落ち着かない。いつも大型連休はどこか見知らぬ街に出かけることにしている。私の場合それは遠いところではなく、東京近辺のどこかである。東京に住みながらあまりにも東京を知らない。出かけなくても玉川上水ほど素晴らしいところはないと主張するオープンギャラリーの鈴木さんのような方もいる。

 出かける前日になって5月2日は江東区にある「清澄(きよすみ)庭園」、4日は墨田区にある「向島百花園」とそれぞれ決めた。両日とも快晴で気温はぐんぐん上昇して身体に堪えた。歩くコースは図書館のガイドブックを参考にする。清澄庭園は半蔵門線の清澄白河駅から徒歩3分のところだ。つい先日のこと六義園を見学した時に見知らぬ人から清澄庭園を薦められたことがあった。

 園内の無数の巨石は岩崎家(三菱財閥)が自社の汽船を用いて全国の石の産地から集めたものだという。芭蕉は日本橋から深川の草庵に移り住んだ。園内には「古池や かはづ飛び込む 水の音」の石碑もある。食事の後、あまりの暑さに深川江戸資料館で一休み。その玄関ホールでは横綱大鵬の名勝負の場面がくり返し上映されていた。また1955年に開館した東京都現代美術館のロビーでも一休みする。

  

 木場は昭和50年に新木場に移転した。跡地には防災拠点の役割も担って緑豊かな木場公園が整備された。家族連れの子供たちの歓声を聞きながらあまりの暑さに木陰で寝ころんでしばらく休む。公園の中央には仙台堀川をまたいで木場公園大橋が架けられている。深川は富岡八幡宮の門前町として発達したという。その富岡八幡宮や深川不動堂の見学をあきらめて木場公園南口にある東西線の木場駅から高田馬場経由で帰宅した。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*台湾(完)

2015年05月04日 | 台湾のこと

 都市の幹線道路を轟音を響かせて疾駆するスクーター群には圧倒された。中国における自転車のように台湾ではスクーターが道路を席巻していた。交差点の赤信号の停止線に、後ろから横からヘルメット姿のスクーターがぎっしり集結し、乗用車をしり目に一斉にスタートする様子は迫力がある。あちこちの歩道にスク―ターが整然と並べられている。それにしても北京、バンコクについで大気汚染が深刻のようだ。

 二つの弾圧事件を知った。1939(昭和5)年の中央山岳地帯で起きた霧社事件と、1947(昭和22)年のニニ八事件である。前者は日本統治時代に原住民のタイヤル族が蜂起して日本人入植者134名が殺害され、日本当局は爆撃や毒ガス弾で50日あまりかけて鎮圧した。後者は日本統治が終わった直後の混乱期に、まだアメリカの援助があった国民党軍により2.8万人の台湾民衆が犠牲になった事件である。民主化の台湾では現在でも二二八事件と白色テロ時代の調査が続いているという。 

 道路に沿って頭上には競い合うように看板が突きだしている。漢字だからどれもおおよその見当がつく。南部の観光地の周辺の道路で「法輪功」の日本語のパンフレットを手渡された。パンフの文字を追いながらここは台湾であることを一瞬忘れる。法輪功とは太極拳と同様の気功動作の他に「真善忍」に基づいて、常に自分自身を厳しく律することで心性を高めるという。同時に中国で迫害を受けている法輪功学習者を助けてくださいと訴えていた。

 観光の間に民芸品店、健康寝具店、茶芸館に案内されない日はなかった。台北では茶芸館から抜け出して、近くの街並みを散策していると小学校の正門があり子供たちが迎えの保護者と下校する様子を見学できた。日本の地質学者によって台湾の北投温泉で発見されたラジウムを放射する鉱石が「北投石」と命名され、後に秋田県の玉川温泉の鉱石も同じものであることが認定された。民芸店で健康グッズとして台湾北投石のブレスレットを買う人もいた。幸運なことに旅行中に雨具を使うことは一度もなかった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*非戦の誓いを破る日

2015年05月01日 | 無断転載

 つぎは毎日新聞付録小冊子の月刊「毎日夫人」2015年5月号の巻頭エッセイです。筆者は諏訪哲史氏(1969年生まれ)で、その前半部分を転載します。私はその中の「幼稚で愚かなプライド」という表現にことさら共感しました。

 ●非戦を誓った史上最高の平和憲法、憎悪の連鎖である戦争(テロ)から長く僕らを守ってきた日本国憲法第九条が、かつての空爆の地獄を忘れた、または頭でしか知らない世代の多数決によって今まさに葬られようとしている。他国の戦争に加担し、同盟と見做され、憎悪の連鎖に陥った反撃者に街を火の海にされる。

 ●戦争を知らぬ子孫を再び戦争に行かせず、敵国を作らないためには、今の時代に一票を持った僕らが非戦の誓いを守り抜かなければいけない。沖縄を見よ。戦争体験者が次々に没し、戦争を直に知らない世代が来て、国から金を積まれても、戦争・戦場・基地を放棄する非戦・平和への強い意志に貫かれている。

 ●幼稚で愚かなプライドのために、憲法を改変し非戦の誓いを破棄せんと企む者たちがいる。好戦的な政治家とその政党の支持者たちだ。しかし支持者の多くは改憲に無自覚で、日銀の作為的な金融緩和に演出された偽の好景気に満悦させられて、非戦の誓いを破る政策までを一緒くたに支持してしまっている。

  

 上のエッセイとは別に、琉球新報によると4月9日に設立された「辺野古基金」は24日現在で8978万円の寄付が集まったという。大半が個人の寄付で1件当たりの寄付額は2万3千円余。28日にはすでに9千万円余が集まっており、この日地元沖縄の金秀グループの寄付で1億1千万円近くになったという。私も27日に平均額を少し上回る額を郵便局で振り込んだ。(写真は26日の観察会にて、イヌザクラとキンラン)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする