玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

78)隣人による殺戮の惨

2006年11月08日 | ピースボート世界一周

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 「メディアが人を殺す時」と題して、チリから乗船してきたBoatのスタッフがビデオを映しレクチャーをした。彼は1973年生まれの33才。ルワンダに於けるフツ族とツチ族間の大虐殺は私にも遠い所でのnewsとして記憶されていたのだが、12年前の事件だから古い話ではない。’94年春から夏にかけておよそ100日間で、10人に1人の割で80万人が殺され、ホロコーストの3倍、広島長崎の原爆以来の効率的な虐殺といわれている。(講師の高橋氏)

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 ルワンダは元々農耕を主とする多数派のフツ族の土地に、牧畜を主とする少数派のツチ族が進入して出来た国家であった。以来他民族の駆逐のため小競り合いもあったが同一言語、文化、宗教、混血化も進んでいた。しかし富のシンボルとされる牛を持つツチの方が農耕民族のフツより優勢であった。第一次世界大戦の前はドイツに、大戦後はベルギーの植民地となった。それらの国は身体的な特徴からツチ族をよりヨーロッパ人に近い「高貴」、フツ族を「野蛮人」と蔑視し、対立をあおり「民族の証明書」などを発行してフツを封じ込めようとした。

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 ところが’62年には少数派のツチ族を中心とした国家が独立して以来立場が逆転した。ツチ族はベルギーと距離を置き権力を維持しようとしたが、独立以来ツチ族に支配されてきたフツ族がベルギーの支援を得て’73年クーデターを起こした。ツチ族はウガンダに拠点を移しルワンダ愛国戦線を組織し反政府運動を開始し、'90年には内戦も勃発したが、国際世論に押されて'93年に和平合意をした。(職員による出し物 おてもやん)

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 そんな折’94年フツ族の大統領の乗った飛行機が撃墜されて内戦は再燃した。ルワンダで唯一のメディアであった「千の丘ラジオ」がツチ族過激派の仕業だと断定して放送し煽動したのだ。ラジオはツチ族を異民族として意識させツチ族の人々を「ゴキブリ」と呼んで蔑んだ。積年の恨みから煽動に乗じて、市民は手に手に鍬やナタ、鎌を持ち隣人や親戚のツチ族を見つけ次第次々と虐殺を繰り返したのだ。

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 世界中を震撼させたのはこの大量虐殺は軍隊ではなく、隣人同士が行ったことであった。今回の講座は「虐殺は民族の対立を利用したメディアの犯罪」として取り上げられた。元アナウンサーは「千の丘ラジオは武器だった。刀ではなく言葉で人を殺した」と語っている。私達も戦時中同じような経験をした。イヤ平時の今も、日々の暮らしの中でメディアに引きずられそうになるまいと思うのは私だけではないだろう。(いずれもフィジアンの村との文化交流。上は土地の人にネックレスや冠の作り方を教わる。下は村へ向かうバスの中)

コメント
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