玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*台湾2・28事件

2017年03月06日 | 台湾のこと

 市場価格の半額以下の紙芝居用枠をネット通販で購入した。購入先は岐阜県加茂郡東白川村だが、世界遺産の白川村とは遠く離れている。下呂温泉に近い東白川村は廃仏毀釈後に再建が行われず、日本で唯一の地域内に寺のない自治体として有名?という。地域内には神棚を製造する工場が多いらしい。その材料であるヒノキ材を使って作られた紙芝居舞台が届いた。その木肌は息をのむほど白かった。

  

 さて毎日夕刊に、鈴木玲子記者による「台湾2・28事件 真相を求めて70年」が2月23日から4日連続で掲載された。それを切り抜き、つぎに要約してみた。◇昨年5月に国民党から政権を奪還した民進党の蔡英文政権は事件の真相究明に本腰を入れる決意だ。事件は長らく台湾社会のタブーとされてきた。45年の日本の敗戦後中華民国(国民党政権)が台湾を接収、当初「祖国復帰」を歓迎していた台湾住民たちも次第に腐敗した一部官僚の横暴に不満を募らせてゆく。

 日本敗戦から2年後の47年2月28日に抗議集会への当局の発砲をきっかけに、デモが台湾全土に広がる。蒋介石が中国大陸から派遣した軍隊が3月8日に台湾北部の基隆から上陸、抵抗する住民らを次々と拘束し、殺害した。国民党が狙ったのは日本統治時代のエリート層だった。日本留学組の被害者は約100人に上がる。大学別では、法曹界に逸材を輩出した中央大学の卒業生が最も多く十数人が巻き込まれた。この2月28日に台北で行われる追悼式には、同大の酒井総長が初めて出席し、犠牲になった卒業生らに哀悼の意を伝える。

 基隆港に近い和平島には最盛期には沖縄出身者約500人が暮らしていた。島には2・28事件の無縁仏の遺骨を納めた霊廟「万善公廟」がある。昨年2月28日その霊廟前で与那国島出身の徳田ハツ子さん(79)=那覇市=が自作の歌詞をつけた民謡を与那国方言で歌った。事件に巻き込まれた父の遺骨を見つけるために何度でも台湾に出かけるつもりだ。ハツ子さんらは昨年11月に台湾当局に犠牲者として被害認定と損害賠償請求を申請した。事件では少なくとも沖縄出身の日本人4人が犠牲になったとみられている。

 3月1日の毎日新聞は「事件の被害者に名誉回復証書を手渡す蔡英文総統」という写真を添えて、台北での今年の追悼式典の様子を伝えている。

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