玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*「村上春樹研究」

2024年05月27日 | 捨て猫の独り言

 図書館の新刊本コーナーで手にした横道誠著「村上春樹研究」を読んだ。この偶然の出会いが、その直後の私の暮らしを大きく左右した。長編「ねじまき鳥クロニクル」を10日以上かけて読む羽目になった。ぜひやり遂げねばならないことなどもたない自由な(不安定な)身であれば、気の向くままに生かされているというところだ。熱烈な村上ファンもいるが、アンチファンも多いようだ。私は流行に遅れて「ノルウェイの森」を読み、そのあと遠ざかった。この本は村上春樹に関するかなりの資料が集められた分厚い本だった。

 村上は大江健三郎のファンであり、筒井康隆は好きな作家だったと、この三者の緊密性を指摘する。読書量の少ない私は、大江や筒井の作品をほとんど読んでないことに気づく。著者は村上を自閉スペクトラム症の特性が強い作家だという。つまり臨機応変な対人関係が苦手で、自分の関心、やり方、ペースの維持を優先させたいという本能的志向が強いのだという。村上はひとりで自由気ままに過ごす時間を大事にし、音楽などの趣味に耽り日本の文壇から距離を置き、海外に好んで居住し、マラソンなどによって体を鍛え、創作に没頭する。

 村上のつぎの発言を知って、私はおおいに驚いた。《総合小説と聞いて最初に思い浮かぶのはドストエフスキーの「悪霊」であり「カラマーゾフの兄弟」です。それが僕の到達点ー到達できないかもしれないけどーそこに向かって進んで行くための北極星みたいな定点です。それが「ねじまき鳥」を書くあたりからようやく定まってきた。それまでは想定外の位置にあったものがだんだん目標とすべき想定内に入って来た》この心意気たるや慶賀すべきことだろう。

 村上は「ノルウェイの森」のようなリアリズム(叙情)の長編を書いてほしいと願う読者の声に応えることができないという。《僕の考える「リアリズム」(つまり僕にとってリアルである世界)はいわゆる世間的な「リアリズム」からどんどん逸れていく傾向があります。これは僕にとってどうしようもないことなのです。なにしろそちらの方が僕にとってはよりリアルな、より切実な世界ですので申し訳ありませんがご理解ください》そして三つの代表作で言えば、「ノルウェイの森」=リアリズム・抒情、「世界の終わり」=非リアリズム・象徴、そしてメイントラックに「ねじまき鳥」という構図になるだろう。

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