ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

スリップ

2018年04月23日 | ノンジャンル
断酒を継続している者が、再飲酒をすることを
スリップという。

酒害に苦しみ、周りを苦しめてきた者が、
断酒によって立ち直ろうとする中で、滑って転ぶ
ことである。

身近な家族や周りの者は、再び期待と願いを
裏切られ、まだ新しい傷口を更にえぐられる
ことになる。

事実は、自分が滑って転ぶので、最も痛い思いを
するのは自分自身である。

だが滑ったのは自分だが、転ぶのは支えてくれて
いる人達を巻き込んで共に倒れるのと同じ
なのである。

そこを分かっているかどうかで、その人の
「次」が決まってくる。

自分の痛みにばかり囚われる人は、再び自己嫌悪、
自己憐憫、諦めに囚われる。
それはいわばもとの木阿弥に戻ることになる。

誰の為でもない、自身のための断酒である。
しかし、それが独りよがりの断酒であれば、
飲んでいた頃と大して変わりはない。

自分は滑った時に、それなりの意識をもって
転ぶ。 周りは不意に転ばされる。
どちらのダメージが大きいのか。

済んでしまったことは仕方がない。
自身の痛みよりも、周りの痛みに思いを馳せる
ことができるなら、くよくよしている暇はない。

今一度立ち上がって、痛い身体を引きずり
ながらでも、また新たに歩みを進めていくしか
ないのである。

私にはスリップの経験はないが、飲んでしまいたい
という局面は数えきれないほどあった。
そこで滑らず、踏みとどまったのは、グラスを
手にした時に浮かぶ家族の顔であった。

守るべきものがあるという強みによって、
滑る寸前で何とか持ちこたえてきたという事だ。
とはいえ、それも自身にとっての幸運というべき
ものであろう。

断酒は自分の為である。
だが、自分の「生きる」を支えてくれている
人達がいることも事実である。
その人達を、転ばせて傷つけるようなことは、
これからもあってはならないと思うのである。