ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

断酒道

2018年04月18日 | ノンジャンル
時折見かける言葉ではあるが、妙に違和感がある。

断酒とは、お酒を断つという事で、つまりは、
お酒を飲むことをしないという事だ。

「しない」というのは、無論行為ではない。
行為ではないことに、「道」という字が付くのに
違和感がある。

武道ならともかく、しないことに極めることも
なければ免許皆伝もないだろう。

断酒の道を行くといっても、道を歩むのは
行為である。断酒は行為ではない。

では、断酒してどんな道を行くのかが問題となる。
単にお酒を断っているだけなら、それは道を行く
とは言わない。

自助グループでよく見かける言葉である以上、
それは自身の断酒ではなく、他の酒害者に寄り添い、
断酒へと導く、あるいは啓蒙活動を通じて、
酒害そのものが起こらないようにする。

こうした対外的な行動こそが、断酒道と呼べる
のではないか。

自身が断酒によって自身の望む道を行く。
それはその人の道であって、断酒道ではない。

道というなら、それを極めていくべきであり、
つまりは、酒害者や家族との関わりが無ければ
断酒道もあり得ない。

かくいう私は、一断酒者であり、決して
断酒道者ではない。

よって、仮にそういった関りがあったとしても、
専門医や自助グループの紹介、自身の体験を
一例として紹介するのみである。

自身の例を普遍的なものとして押し付ける気は
毛頭ないし、押し付けて良い方向に行くとも
思えない。

断酒道を行く人には敬意を表するが、
その人達は単にお酒を飲まない人達ではない。
酒害に対し、具体的な行動を日々重ねている
人達なのである。