ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

断酒のことば

2011年03月05日 | ノンジャンル
今月は断酒のことばを毎日アップして、それに対して
自分なりに感じたコメントを寄せている。

自助グループにおける誓いのことばや、ステップ、
例会での本人のことば、家族のことば、そして
カレンダーや日めくりのことば等は、いずれも現実の
血の滲むような体験がその背景にある。

人が現実を生々しく生きていく中で、自ら体験、
経験したことから発せられることばは様々である。

だがそれは、主体を自身においており、他者に対して
教条的に発せられたものではない。

ひとつのことばに対しても、共感できる場合もあれば、
そうできない場合もあるだろう。

自分自身に対する戒めともいえることばが多いのだから、
共感できることばにはそれを共有し、自身の糧と
していけばよい。

これは例会でもよく言われることだが、発言内容は少なくとも
真実ではあるが、共有できないものはそのまま置いて
帰ってくればよい。
共感し、共有できるものがあったなら、持って帰って、
自らの宝とすればよい。

その人にとって真実であることばを批評したところで
詮がない。 それもまた真実として明らかであるから、
言いっ放しの聞きっ放しという大原則が生まれたのである。

特に断酒のことばは、命がけの体験から生まれたものが多い。
謙虚にそのことばを受け止めた上で、そこに置いて
帰ってくるか、心に刻んで持ち帰るかを自身で判断すればよい。
そしてそれは、まったくその人の自由なのである。

他者に対して、体験の共有の可能性がある以上、伝えていく
という発動はあっても、ああしなさい、こうしなさいと
令する意図は、そこにはまるでないのである。