ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

痺れを切らす

2011年03月03日 | ノンジャンル
一般に、我慢や忍耐ができなくなることを指して
「痺れを切らす」と言う。

あるいは、正座などで足が痺れ、なかなか立てない状態を
「痺れが切れた」と言う。

さて、肉体的に言えば、痺れが進むと麻痺となり、
感覚が失われる。 血行が阻害され、同時に神経系統の
伝達物質の流れも阻害されるので、感覚がなくなり、
動かせなくなる。

この痺れの状態が「切れる」と、一気に血液や電解質などが
奔流のように流れ込むので、あの痛いとも痒いともなんとも
言いがたい不快なジンジンとした感覚となる。

アルコールで永年にわたり神経を麻痺させてきた者に、
回復の過程でこの後遺症とも言うべき状態が現れるのは
至極当然である。

私も数年は指先やつま先に痺れ感が残り、今でも書類などの
ページを繰るときにもどかしさを感じることがある。
もっとも、これは年のせいで指先が乾燥しているせいも
あるだろう。

この病気は精神科の病気であると共に、神経科の
病気でもある。

いずれにせよ、その回復にはかなりの長い時間が必要である。
そして、回復のひとつの重要な要素として睡眠がある。

睡眠というのは、安定した状態で各器官の正常化をはかる
という点で最も有効なもので、だからこそ、不眠という
問題があれば、まずそれに対症することが重要である。

断っておくが、少しのお酒なら血行を促進する効能が
あるので、就寝前に飲むことはより良い睡眠につながるが、
酩酊してしまっては睡眠を大きく阻害する。

酔っ払って寝ているのは、いわば気絶しているのと
同じことである。
神経を麻痺させて気絶しているのであるから、
諸機能の回復はまるで望めない。

断酒仲間にも、薬のことで悩む人もいるが、
主治医と症状について相談して処方されたものなら、
一向に差し支えない。

回復と共に、その量も減らしていけるであろうし、
いずれ必要がなくなるかもしれない。
その「いずれ」の時期を早くと焦ったところで仕方がない。

薬は毒になるし、毒は薬にもなる。
適量ならアルコールはれっきとした薬効があり、
処方を無視して勝手に量を増やして服用すれば、
薬も毒となる。

永年、アルコールで精神も神経も痛め続けてきたのである。
断酒したからといって、すぐに回復するものではないし、
そんな都合の良いことは普通でもありえない。

処方される薬は、安定剤であろうと、睡眠導入剤であろうと、
神経に働きかける物質で、麻痺させるものではない。
アルコールは、神経を麻痺させる物質である。

回復に必要な睡眠を得るのに服用する薬は、
確実に回復に寄与する。
神経を麻痺させて気絶させるアルコールとは
まるで意味が違うのである。

アルコール依存から、薬依存にスライドしただけと言う
人もいるが、これは根本的な誤解と言わざるを得ない。

神経の麻痺ということさえなければ、長い時間はかかろうとも、
回復は進む。 そして、その分、薬の必要性も
徐々にではあるが下がっていくのである。

睡眠と気絶。 この雲泥の差を理解することが肝要である。

ただし、抗酒剤はまた別である。
これは肉体的回復とは直接関係がない。
回復の歩みを止めないために、必要最低条件の断酒を支える
ために、自らの意志で服用するものである。

我々は、麻痺した状態から、痺れが切れた状態である。
あの不快なジンジン感が、徐々に取れていく過程の中にある。
そして、それは長い時間のかかる過程でもある。
だからこそ、初期の強い不快感を軽減する薬も必要となる。

焦らず、ゆっくりというのは、そういうことである。
一気にその不快感を無くしてしまおうと思えば、
それは、再び神経を麻痺させるしかないのである。
そして、それは回復とは裏腹の、自らの死期を早めることに
つながるのである。