出張が重なって、慌しかった今月も、一応の落着きを見て、
今朝は気分的にもかなり落ち着いた、穏やかな朝となりました。
今日は母親の命日です。もう丸7年となります。
思えばこの7年間は、波乱万丈の歳月でした。
人が一人亡くなるというのは、大変な事なのだと実感します。
ただ、その実感が自身の中で落着きを見せ始めた時が、
亡くなった人と共に、生きていく。。。いや、、生かされていく
ということを自然に胸に納める事ができるようになる
時かもしれません。
しかしなんとなく、地に足がついた感じのしない7年間だった
ように思えます。いろいろな意味で、波に翻弄されながら、
気がつくとそれだけの年月が経っていたというのが、
正直な感慨です。
これからが、本当の意味で自分の家庭というものを根本とし、
しっかり守っていきながら、一日一日を精一杯生きていく、
地に足をつけた、社会復帰というものになっていくような
気がしています。
社会復帰という事は、回復へと繋がる一つの道程で、単に仕事に
復帰するというようなものではなく、自分自身を取り戻す事、
家庭生活、社会生活を含めて、不可欠な人との関わりあいの中に
飛び込んで行くという事だと思います。
確かな一滴である自分自身ですが、大河の中で、悠久の流れに
身を転じている事を認識した時、それが社会復帰の第一歩だと
思っています。
そして、流されていると感じているうちは、復帰できて
いないのです。自分らしく、自在に、自分の意志で、
流れていけば良いのです。
今朝は気分的にもかなり落ち着いた、穏やかな朝となりました。
今日は母親の命日です。もう丸7年となります。
思えばこの7年間は、波乱万丈の歳月でした。
人が一人亡くなるというのは、大変な事なのだと実感します。
ただ、その実感が自身の中で落着きを見せ始めた時が、
亡くなった人と共に、生きていく。。。いや、、生かされていく
ということを自然に胸に納める事ができるようになる
時かもしれません。
しかしなんとなく、地に足がついた感じのしない7年間だった
ように思えます。いろいろな意味で、波に翻弄されながら、
気がつくとそれだけの年月が経っていたというのが、
正直な感慨です。
これからが、本当の意味で自分の家庭というものを根本とし、
しっかり守っていきながら、一日一日を精一杯生きていく、
地に足をつけた、社会復帰というものになっていくような
気がしています。
社会復帰という事は、回復へと繋がる一つの道程で、単に仕事に
復帰するというようなものではなく、自分自身を取り戻す事、
家庭生活、社会生活を含めて、不可欠な人との関わりあいの中に
飛び込んで行くという事だと思います。
確かな一滴である自分自身ですが、大河の中で、悠久の流れに
身を転じている事を認識した時、それが社会復帰の第一歩だと
思っています。
そして、流されていると感じているうちは、復帰できて
いないのです。自分らしく、自在に、自分の意志で、
流れていけば良いのです。