ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

穏やかな朝

2007年04月23日 | ノンジャンル
出張が重なって、慌しかった今月も、一応の落着きを見て、
今朝は気分的にもかなり落ち着いた、穏やかな朝となりました。

今日は母親の命日です。もう丸7年となります。
思えばこの7年間は、波乱万丈の歳月でした。
人が一人亡くなるというのは、大変な事なのだと実感します。

ただ、その実感が自身の中で落着きを見せ始めた時が、
亡くなった人と共に、生きていく。。。いや、、生かされていく
ということを自然に胸に納める事ができるようになる
時かもしれません。

しかしなんとなく、地に足がついた感じのしない7年間だった
ように思えます。いろいろな意味で、波に翻弄されながら、
気がつくとそれだけの年月が経っていたというのが、
正直な感慨です。

これからが、本当の意味で自分の家庭というものを根本とし、
しっかり守っていきながら、一日一日を精一杯生きていく、
地に足をつけた、社会復帰というものになっていくような
気がしています。

社会復帰という事は、回復へと繋がる一つの道程で、単に仕事に
復帰するというようなものではなく、自分自身を取り戻す事、
家庭生活、社会生活を含めて、不可欠な人との関わりあいの中に
飛び込んで行くという事だと思います。

確かな一滴である自分自身ですが、大河の中で、悠久の流れに
身を転じている事を認識した時、それが社会復帰の第一歩だと
思っています。

そして、流されていると感じているうちは、復帰できて
いないのです。自分らしく、自在に、自分の意志で、
流れていけば良いのです。



見えない変化

2007年04月18日 | ノンジャンル
ドイツのお客様と共に出張に出て、会議、食事、接待と、
連日忙しくスケジュールをこなし、ようやく、今日、
帰国の途に着かれる彼を見送った。

半年に一度は来日されるので、慣れたものではあるが、
それなりに緊張感はあるもので、無事に見送った後は、
どっと疲れを覚える。
ただ、少し振り返ると、復職したあの頃と比べると、
多少の余裕が出来てきた様だ。

一月半の休職後、復帰してからすぐに、同じような出張が
あったのだが、何せ復帰直後の出張で、しかも海外の
お客様と同行ということで、まともな対応が出来るのかどうか
という不安と、緊張で、前日はあまり眠れなかったように
思える。

自分の体の状況も、精神面での状況もしっかりとした把握が
出来ておらず、長時間の移動や会議、その後の会食、接待などの
一連のスケジュールが、こと自分自身に対して、どういった
影響をもたらすのか、想像も出来ないでいた。
まして、お酒の飲めない体で臨む、初めてのお酒の場でもあった。
今考えれば、大変な時に、大変な仕事が入ったものだと思う。
会議はともかく、会食、接待では、飲めない事の説明をする
必要もあれば、飲まない決意をその都度固める必要もあった。

帰国された後は、確かに疲れが一気に出たことも覚えているが、
それよりも、何とか責任を納得できる形で果たせたという、
何とも言えない安堵感というか、ホッとした気分の方が遥かに
大きかったような気がする。

その後、同じような場数を踏んできたせいか、今では、
出張自体の実質的なところで疲れることはあっても、
メンタル的な面での疲れが、肉体面にまで大きく影響することが
無くなった。むしろ、早く疲れを取って、明日からの仕事に
注力しようという意識の方が強いともいえる。
これも、気分的に余裕が出来てきたことの証拠であろう。

一日一日を積み重ねていく中では、回復の度合いというものは
なかなか自分では認識することが出来ないのだが、同じような
条件化での、過去の自分と現在の自分とを見る時、その状態が
どうなってきているかを、多少なりとも感じることが
できるのです。



キャッチボール

2007年04月15日 | ノンジャンル
このところ、休日には息子とキャッチボールをしている。

中学に入ってから、まだ慣れない新しい環境のなか、かなり
緊張しているのか、帰宅してもあまり表に出ないようなので、
外に連れ出そうと考えて、誘っては、汗を流している。

時には、泳ぎに行く事もあるが、キャッチボールというのは、
なんだか父親と息子の無言のコミュニケーションのような
気がして、楽しい。

飲んだくれて潰していた休日に比べれば、遥かに意義深い
だろうし、何より息子の大事な時期に、まともな自分であれた
事に、胸をなでおろす思いである。

今はゲームが氾濫しているので、お互いの家で遊ぶという事が
多いようだが、やはり、特に男の子は、友達と外で身体を動かして
遊ぶのが一番だと考えている。

ボタン操作や、卓上で遊ぶ事よりも、もっともっと大切な事を、
走ったり、投げたり、蹴ったり、打ったり、捕ったりと、
自分の身を持って遊ぶ事で、学べると思える。

息子も含め、今の子供達に何よりも必要な事ではないかと
思えるのである。

懐かしいコマーシャルを思い出した。

「腕白でもいい。逞しく育って欲しい。」

父親なら、誰もが息子に願う事では無いだろうか。。。


どうでもいい事

2007年04月12日 | ノンジャンル
日々の変わらない生活の繰り返しのようでも、一日として
同じ日はなく、具体的に大きな出来事がなくとも、その
折々の心情というものは変転している。

その変転の中で、物事に囚われたり、振り回されたり、
気に病んだり、不安になったりという負の要素というのは、
実はどうでもいい事であることが多い。

自分自身の努力によって、どうにか出来る事であれば、
悩んでいる時間があったらさっさと努力するという
行動に出る事ができるが、そうでない場合は、どうしても
思い悩む事になる。

どうにも出来ないから、どうにかなって欲しいと思うなら、
祈るしかないし、他者にどうにかしてもらえる事であれば、
お願いするしかない。ただ、祈りもお願いも、具体的な
行動に繋がっていく以上は、どうでもいい事には入らない。

自分自身が大切にし、機軸としていることを最優先して、
それを根本に、日々を精一杯生きていけばそれで良い。
人間、あれもこれもと欲張ってみたところで、一人が
出来る事というのは、高が知れている。

「これだけは」というものを、しっかりと持っていれば、
何があろうと、そうそう振り回されることもなく、
その機軸に対してどういう位置に自身があるかを、
見極めた上で、軌道修正も出来るのである。

そして、その中で、たかが一人ではあるけれども、大きな
可能性を開いていく事も出来るのである。

自身の機軸に、直接的影響のない事というのは、極言すれば
些末なことで、どうでもいい事なのである。
これを、どうでもいい事と鳥瞰できればいいのだが、実際は
難しいところである。

根本たる機軸に関することに対しては、鋭敏で繊細であって
良いと思うが、もっとも大切な事は、どうでもいい事に
対する鈍感さを養うことである。
どうでもいい事に対して鋭敏であればあるほど、根本の
機軸に対する鈍磨が進む。

これとは逆に、私の志向するところは、機軸に鋭敏にして、
どうでもいい事には、意図的に鈍磨を進めるという事
なのである。




無事に戻りました

2007年04月11日 | ノンジャンル
月、火曜日と、鹿児島へ出張でした。

覚悟はしていたものの、各酒蔵のロケーションはあまりにも
辺鄙なところで、移動だけで、想像以上に大変でした。

しかし、薩摩といえば、焼酎一色です。空港に着いてから
というもの、ここかしこに、焼酎の宣伝広告、見本、展示、
看板が目に入ります。
そんな中、本場の老舗を廻ってきたのですから、飲まない
までも、焼酎まみれにされたような感覚でした。

とはいえ、現場での打合せが殆んどでしたので、無理に
試飲を勧められる事も無く、無事に戻って参りました。

嬉しかったのは、宮崎から、わざわざAlex様が訪ねて
来て下さり、夕食をご一緒させて頂いて、結構長い間
お話が出来た事です。
断酒仲間とのこういう機会は初めてだったのですが、
話を聞き、自分の体験や意見を話し、また相手の話を聞き
という事をしているうちにあっという間に時間が
過ぎてしまいました。

お互いに健闘を誓い合って別れた時には、なんだか
清々しいものを感じました。
やはり、実際に顔をつき合わせて話しをする事には、
キャッチボールのように手応えがお互いにあって、非常に
意義深いものがあります。

言いっぱなし、聞きっぱなし、書きっぱなしというのも、
一助ではあるのですが、やはり、人と実際に会って、
話しをする、話を聞くという事が大切なんだと改めて
実感しました。

かなりハードなスケジュールではありましたし、
家に帰り着くと、ぐったりでしたが、それでも、かけがえの
無いお土産を持って帰る事が出来たように感じています。

次の機会には、週末に予定を組んで、最終日には、
霧島あたりまで足を延ばし、温泉でゆっくり出来ればとも
思いますが、なにぶん貧乏性なので、また忙しい
スケジュールにしてしまうかもしれません。

いずれにせよ、その折には、ぜひともまたお会いしたいと
思います。
今回は、Alex様のご厚意に、本当に感謝しています。

また来週も、出張であちこちへ行って参ります。
そんなこんなで、4月もあっという間に過ぎていきそうです。