月例会で、院長先生が興味深い話をされた。
医師の立場で、患者に対し、NOと言い続ける事の難しさと、
大変さを強調されていた。
アルコール依存症という、不治の病と闘っているのは、
患者ばかりではない。 看護士、ワーカーさんも含め、
この病気に携わる関係者もまた、日夜、闘いを続けている。
「少しなら、飲んでもいいですよ。」
「もう、抗酒剤を、飲まなくてもOKです。」
どれほど口にしたい言葉であろうか?
しかし、それを言えば、患者は必ず病気を再発、悪化させて、
病院へ帰ってくる。
だから、常にOKとは言えないのである。
これほど大変な事は無いかもしれない。
特に、医師、看護士、ソーシャルワーカーの職においても、
このアルコール依存症に関わる医療に就くことは、避けられている。
いや、嫌がられていると言っても過言ではない。
それだけ、回復する病気だと言う認識が、未だに広まっていない。
だからこそ、月例会、自助グループのミーティング等、
回復している人たちの集う場所に、医療関係者が積極的に
参加して、認識を新たにして欲しいと言うのが、院長先生の
望みであるそうだ。
40年近く、この病気に対峙してきた、先生のお言葉であるだけに、
感慨深いものがある。
かと言って、今の私に、何が出来るという訳ではない。
一実体験の証人として、娘を連れてミーティングに参加し、
自分の話はもちろんの事、娘の話も聞いて頂く事ぐらいしか、
さしあたっては、思いつかないのである。
医師の立場で、患者に対し、NOと言い続ける事の難しさと、
大変さを強調されていた。
アルコール依存症という、不治の病と闘っているのは、
患者ばかりではない。 看護士、ワーカーさんも含め、
この病気に携わる関係者もまた、日夜、闘いを続けている。
「少しなら、飲んでもいいですよ。」
「もう、抗酒剤を、飲まなくてもOKです。」
どれほど口にしたい言葉であろうか?
しかし、それを言えば、患者は必ず病気を再発、悪化させて、
病院へ帰ってくる。
だから、常にOKとは言えないのである。
これほど大変な事は無いかもしれない。
特に、医師、看護士、ソーシャルワーカーの職においても、
このアルコール依存症に関わる医療に就くことは、避けられている。
いや、嫌がられていると言っても過言ではない。
それだけ、回復する病気だと言う認識が、未だに広まっていない。
だからこそ、月例会、自助グループのミーティング等、
回復している人たちの集う場所に、医療関係者が積極的に
参加して、認識を新たにして欲しいと言うのが、院長先生の
望みであるそうだ。
40年近く、この病気に対峙してきた、先生のお言葉であるだけに、
感慨深いものがある。
かと言って、今の私に、何が出来るという訳ではない。
一実体験の証人として、娘を連れてミーティングに参加し、
自分の話はもちろんの事、娘の話も聞いて頂く事ぐらいしか、
さしあたっては、思いつかないのである。