ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

月例会

2006年02月20日 | ノンジャンル
「記憶の跡」(体験記)のなかでも述べたが、集団療法とされる
自助グループについては、現在のところ、いずれのグループにも
参加していないし、唯一、月に一度病院で開催される「月例会」に
参加した経験があるのみである。

毎日通院から開放され、職場復帰して週に一度の通院となってから、
この月例会にも参加し、断酒1ヶ月、3ヵ月表彰を受けたが、
その後少し足が遠のいている。

結局、6ヶ月表彰も、月例会で授与される機会を失い、ある日の
診察後に表彰状を頂いた。
週末に掛かる出張や、接待などの後の休日に外出というのが
辛かった時もあり、仕事と重なった時もあり、出席するつもりで
あったのに、家の片付けなどで機を逸してしまったりということも
あったが、現在の心境としては、正直、どうも気が進まない。

間が空いてしまって、何となく行きづらいという事もあるが、
正直なところ、時間が勿体無いという事と、発言するのが億劫
という事が主たる原因のようだ。

通院となれば、たとえ前日まで出張であったとしても、仕事先から
直接病院へ行く事も多々あるので、基本的な心構えというか、
気合がまるで違っている。
まあ、理屈では参加した方が良い事は解っているのだが、
聞いてもらっているのかどうかもわからない、いわゆる「言いっぱなし」の
発言がどうにも苦痛だ。

聞くばかりでは、ずるいともいえるが、人間、誰しも、自分の話を
聞いてもらいたい、自分を解ってもらいたい、自分を認めて欲しい
という願望があるわけで、別な言い方をすれば、他者によって初めて
自分を認識できる事も少なくない。むしろ、他者が無ければ、
自分の存在は無いのである。「言いっぱなし」というのは、
自分にとっては大変な事である。

逆に「聞きっぱなし」というのは、別段何ともないし、余計な
詮索をする気も無い。
だが自分の発言となると、俄然あれもこれも、どれもそれも
一切合切話したくなる。
普段、必要以上のことを喋らない方ではあるが、自分の存在を
認めて欲しいという願望は人一倍強いのであろう。

こうして、文書にまとめた内容だけでも、膨大な量であるのに、
それを簡潔にまとめて、限られた時間内で体験発表をするなど、
とてもではないが、おぼつかない。他の方もおっしゃるように、
語り出せば、何時間あっても、足りないし、発表できるのは自身の
思いのほんの少しの部分でしかないのだ。しかも言いっぱなしによって、
それが人にどう伝わったのか、共感されたのか、反発されたのか、
右から左に流されたのか、聞いてもらっていたのかどうかさえ、
解らない状況というのは、非常に辛いものがある。

後は、時間的なものだ。2時間の会合に参加するとなれば、休日の
4時間以上を費やす事になる。非常に勿体無いという感が拭えない。
土曜日が通院の日である以上、連日となると更に物憂い気が
してしまう。
参加当初は、もちろんそんな風には思っていなかったが、回復の中、
頭の回転に行動が追いついてくるようになると、途端に、周りが
めまぐるしいほど忙しくなってくる。
仕事にしても、家庭内の事でも、休日の過ごし方にしてもそうだ。
その中で、土曜日、日曜日と続けて、4時間以上の時間を取られる
ということが、理不尽な事のようにも思えてくる。
「何を、どう話しようか。」ということに煩わされる事と、
物理的に時間を取られることで、反って自分の余裕を狭めてしまう
ような気がしているというのも、正直なところだ。
それでは、療法というものの、自分にとっては、本来の目的から
はずれてしまうのではないか?とさえ思えてくる。

。。。と、ここまでつらつらと書いていながら、結局、言い訳や
愚痴である事を、醒めた目で見ている自分もいる。二重人格とは
異なると思うが、どうも、あの幻覚と幻聴とに正面から向き合った
経験から、自分の本音というものを、違う面から至極冷徹に見ている
自分がある。そして、愚痴や、言い訳も、人間らしさである事も
容認している。

気が付いたこと、察知した事に対して取る行動が、迅速になってきた
にもかかわらず、どうも、行動を伴わない、観念ばかりが堂々巡り
していた頃の歯切れの悪さというか、うだうだしたものが、
この月例会参加ということに関しては、残っているようだ。

おかしな屁理屈をこねていないで、きっぱりと参加すれば
良いということなのだ。


ソーシャルワーカー

2006年02月18日 | ノンジャンル
この日、点滴処置を受けて、診察待ちをしている時に、椅子で
うとうとしていると、ワーカーさんに起こされた。寝入りっぱなで
あったので、一瞬よく分からなかったが、普段は後ろで束ねている
セミロングの髪を、ばっさりとカットして、さっぱりした
ヘアスタイルになっていた。「どうしたん、振られたんか?」と、
またしても言わずもがなのことを私は言ってしまう。

詳しくは聞かなかったが、老若男女の相手だけでも大変だろうに、
ましてや、相手は依存症とは言いながら、様々な精神状態と、
生活環境におかれている各々多様な人達ばかりである。
(もちろん、私を含めての話なのだが)
普段、お会いする時は常に笑顔でいらっしゃるが、精神的にも、
肉体的にも、並大抵のお仕事ではないし、その大変さを推し量る
事はできない。
何かあったのかなと、瞬間、頭を様々な推測がめぐるが、
余計な詮索をするのも無粋と考え、禿げ上がった自分に、分けて
くれれば良かった、もったいない等と冗談で済ませた。

私の見るところ、この病気回復に携わる仕事は、ハッキリいって
体力と忍耐の勝負だ。患者の状況を医学的、生活環境的、心理的、
あるいは、折々の精神状態的な面を把握する事は、自ずと限界がある。
比較的若い方々がワーカーとして働いておられる事も納得が行く。
しかしながら、患者とワーカーとのトラブルも時に耳にする事があるし、
文献で目にする事もある。特に多いのが、女性ワーカーと男性患者の
パターンであろう。

男性患者は、唯一親身に話を聞いてくれるワーカーさんに、
妄想を抱く場合も多いに違いない。ある意味、これは避けられない
事ではないか?避けられない可能性であるが故に、そのあたりの
けじめというか、一線というものが厳しく引かれているようだ。

以前、体験談をまとめた物をフロッピーで先生と担当ワーカーさんに
お譲りした私は、この時、折々にテーマに沿って書き記している
考察についても、参考となればと思い、ワーカーさんのPCの
メールアドレスを不覚にも聞いてみたが、以前に、似たような事で
問題があったらしく、それは医師の許可が無ければ不可との事であった。

考えれば、私はあまりにもその事を安易に考えすぎていた嫌いがあるが、
個人情報という点では、至極当たり前の話である。
少なからず、自分の軽率さに反省しきりであった。

商社勤めで、いわゆるSECURITYについては、レベルの高い認識を
持っていると自負していたのだが、あまりにもお粗末な失態に、
後になって冷や汗ものであった。

ただ、私の担当となった頃は、まだ経験も浅く、俗に言う、
ペーペーのワーカーさんであったので、その初担当の一人という事に
敬意を表して、実患者の体験、その後の回復過程においての、
折々の考察を提供する事で、必ずそのワーカーさんにとって、
何かプラスとはなっても、マイナスとなる事は無いという、驕りも
少々あったようだ。

現実的には、断酒を開始したばかりといえる私と、その担当となった
ワーカーさんということで、今後、お互いに勉強もしながら、
経験を分かつという点では、互いに納得できる事であろうと考える。

少しくお話をして、私にとっては断酒を継続する一つの糧として、
ワーカーさんにとっては、実際の患者の考えや、経過、変化などを
考察する材料として、私が記したものを都度、お渡しする事にした。
現代のメールでのやり取りではなく、私が通院して、お会いした折に
お渡しするという、古式豊かな、ラブレターという格好だ。

もっとも、色気もくそも無いラブレターではある。


お酒を飲めない人、お酒を勧める人

2006年02月18日 | ノンジャンル
昔は、お酒を飲めない、口にしないと言う人を、どうしても
理解出来なかった。祝い事などで、乾杯の為の一杯ぐらい、
どうって事は無いとも考えていたし、第一、女性ならともかく、
お酒の飲めない人と同席しても楽しくなかった。で、ついつい、
一杯ぐらいという事で、無理に勧めてしまっていた。

今は、反対に勧められても飲めない事をその都度説明して、
丁重にお断りしている。
そのことで、相手を不快な気分にさせないよう、あの手この手で
場を盛り上げるのは、結構骨が折れる。仕事上、お酒の場というのは
非常に多く、接待する側であっても、接待される側であっても、
非常に気を遣う。

それで、こちらが接待する場合は、なるべく自分の状況を
理解していて、お茶を出してくれる店を食事、二次会などで使い、
気分的な負担を軽くする事で、多少は凌いでいるが、
お酒を同じように飲みたいという気持ちはさらさら無いものの、
長時間に渡ると、辛いものがある。とにかく、眠いし、
飲んでいた頃と違って、疲れが大きく翌朝に残る。

しかしながら、昔と変わらず、私を誘って、食事や、話や、
カラオケや、店の女の子との話やと、楽しい時間を過ごさせて
くれる方も多い。

今お世話になっている会社の社長などは、このパターンだ。
専務などは逆に、私をそういった機会から、なるべく遠ざけようと
腐心して下さっている。
お酒に囲まれて、飲んで当たり前の場所で一滴も口にしない自分を、
密かに「なかなかやれるやん。」と、自尊心を満足させていた事も
あったが、よくよく考えると、その大事な場面に必要な人間で、
且つお酒は一滴も飲ましてはならないという、難しい注文を
しっかり受け止めて誘ってくださる社長や、逆に、心配して頂いて、
極力お酒の場には出ないで済むように苦心されている専務。
ある意味において、それも大変なことであり、自分としては、
感謝しきれないほどのご厚意である。

今にして、気付く事が出来たというのも、自身の独善性が、
強かったせいもあるだろうし、自分の感情を中心に考えていた
せいであろう。今、それを恥ずかしく思うのである。

今年に入って、大きなイベントは、1月に東京で商談があり、
かなり大掛かりな物件であった為、社長、専務も同行の上、
3人で交渉の打合せに入った。結果は上々で、その日は、
日帰りの予定であったのだが、金曜日という事もあって、
社長が泊まっていくようにと、私に投げかけた。
私は快く請けたのだが、予定があって、帰阪しなければならない
専務は心配して、社長に私がお酒を飲めない事を念押しして
下さった。
「そんな事は充分以上に解っている。」という社長の言葉で、
専務は安心されたようだ。その夜は、祝杯となった。もちろん、
私はウーロン茶で乾杯だ。

周りの人の気遣いと、思いやりに支えられて、楽しい一時を
過ごさせてもらった。
今や、東京でも、大阪でも、お酒無しで心置きなく楽しめる
店が増えた。

もう一つ、この2月に再びドイツのお客さんが来日し、
2日間の予定で、出張、会議を行い、二晩連続で東京、大阪の
夜を楽しんだ。外国人の場合は、特に楽だ。こちらも、心置きなく
楽しめる。東京では社長と3人で、大阪でも、部下と3人で、遅くまで
過ごした。ミナミから関空までは遠いし、夜遅くなってしまうのは
目に見えていたので、東京からの帰りに、自宅に寄って、荷物などを
車に積み、そのまま私の運転で、ミナミへ向かった。大阪は初めての
夜だったので、大いに盛り上がり、夜中まで過ごした後、部下を自宅へ、
お客さんを関空のホテルまでお送りした。

久し振りの真夜中の運転だったが、もちろんの事、幻覚も何も無い。
ただ、送った後に、自宅へ帰る道中、ちょっとした不安はあった。
疲れもあったし、何にも増して、幻覚の出ていた時に、妻の運転で
夜の道路を走っていた時に走馬灯のように見えた幻覚の印象がまだ
ハッキリと脳裏に焼き付いている。街灯や、カーブの向こう側、
他車を追い越す時などに、「ひょっとして」という不安がよぎる。
幸い、何事も無く、無事に家にたどり着いた。まあ、離脱症状の
ピークの時のような事はもう無いかと、安堵した。

いずれにせよ、断酒を継続している私は、酒酔い運転とはもう
無縁となった。つまり、車で繁華街に出掛けて、いくら遅く
なろうとも、車で帰って来れるのだ。これは、飲めないのに繁華街に
いる淋しさもあるが、別の意味で安全に人を送る事が出来るという
喜びもある。

昔、罰則が今ほど厳しく無かった頃、お客さんの帰る方向と同じで
あった事から、お客さんの車で、自宅まで運転した事がある。
夜中の2時を回っていたであろうし、私自身も、かなりの酒が
入っていた。大き目のセダンであったから、ある程度は安定して
いたであろうが、自分では普通のつもりでも、お客さんは少なからず
恐い思いをされたようだった。他にも、自損で車に少々傷をつける
事もあったが、酔っていると気分が大きくなるので、どうしても
スピードがあがってしまう。よくもまあ、事故を起こす事が
無かったものだと感心する。目が据わった状態で運転していた時も、
検問では饒舌に飲んでいないと言い切り、笑顔で警官に問われるままに
すらすらと受け答えをし、なんらお咎めが無かったという事も
しばしばあった。

今考えれば恐ろしい限りだ。



飲むのが当たり前、飲まないのが当たり前

2006年02月11日 | ノンジャンル
お酒を習慣的に飲んでいた頃は、飲むのが当たり前の
生活であり、飲まない時があるとすれば、風邪で体調が
悪いとか、おいしく飲めない時ぐらいであったろう。
それでも、確かに、「飲まない」時もあったのである。

それとは、全く逆に、飲まないのが当たり前の、現在の
断酒生活において、「飲めない」という意識でいる間は
まだしも、普通に飲まないという状況は、一見、芳しい様に
見えるだろうが、実は最も危険な状況であると思われる。
飲まない事が当たり前という事は、反面、意識の上では
自然体である故に、何らかのはずみや、気にも留めないような
状況で、飲んでしまうリスクが大きいともいえるだろう。

こうして、書き留めておく事も、読み返す事も、自然体と
なってしまう意識をお酒に関しては常に原点に戻す為に
不可欠である。
通院にしても同じで、断酒によって回復、維持は可能ではあるが、
決して完治はしない病気を抱えている身であるという事を、
診察を受ける事によって、その都度再認識している。
当然ながら、社会生活をする上で、お酒は周りに溢れている。
それを見ない様にして、避けて過ごす事は、逆にいえば、どこかで
意識しているという事だ。
このあたりも、つけ込まれる隙となる。

お酒を避けることによって、反ってお酒を意識しているというのと、
お酒に相対して、飲まないぞと意識しているのとでは、どちらが
いいのか?
自身については、ひねくれ者の性か、後者の、相対するほうである。
コンビニや、スーパーで、お酒の棚があっても、目をそらさずに
向き合って、「おれは、もうこれが飲めない。」と自分に向かって
言っている。

しかしながら、今はもう目に入っても何とも思わなければ、
「飲めない」などと、わざわざ取り立てて意識する事も無い。
だから、余計にリスクは高くなってきているように感じる。
そう、自然体の意識下でのリスクだ。

まだまだ、断酒生活も、8ヶ月を過ぎたところで、長い回復過程から
言えば、緒についたに過ぎない。今後様々な場面や、心情の変化など
についても、冷静に考えて、素直なところを書き記して
いこうと思っている。


フラッシュバック

2006年02月11日 | ノンジャンル
年明けは何かと忙しいスタートとなり、ほぼエンジン全開で
ここまで来ている。
考えも次から次へとひらめいては、それに対応していくと
いうことで精一杯のところだ。

記憶が浮かんで、それに翻弄される事は無くなった反面、
実生活面では、なにやかやと、先を読みながらそれに対応
するべく行動を起こすのだが、察知した事をすぐに行動に
移さないと、イライラ感が募るし、仕事面でも、10を言い
聞かせて、3ほどしか出来ていない部下に苛立ちを覚える事が
頻繁になって来た。

流れを読め、その場しのぎの対応をするな、ポイントと意味を
理解しろ、相手の立場に立って言葉足らずにならずに、
交渉を進めろ、別に余計な話をするなとは言わないが、用件や
ポイントがハッキリしないままに終わらせるな、ハイハイと、
生返事ではなくて、自分のやろうとしている方向性を明確に
説明しろ。。。。等など、こちらの頭が回っている分、
相手の態度や対応が、鈍く見えて仕方が無い。 
あまり無理押しも出来ない事も分かっている分、苛立ちが募る。

そんな中、ここ2週間ほどか、夜中に寝汗をかいて起きる事が
多くなってきた。
日々の睡眠は、7時間以上は取っているが、眠り足りないという
気がしていたものの、こんな事は無かった。まるで、離脱症状の
ぶり返しのようなものである。

眠りも浅く、おかしな夢を見続けている事も多く、診察の時に
医師に聞いてみたが、どうやら、時期的にフラッシュバックが
起きているようだとの事だった。
もちろん、幻覚や幻聴は無いが、寝汗をかいて夜中に起きる、
着替えて再び床につくと眠りは浅く、奇妙な夢ばかり見る。
大体、仕事の夢ではあったが。。。そんな日が続いていた。
初期に処方して頂いていた、軽めの安定剤と、眠剤を頓服として
処方してもらい、その日は夢一つ見ず、ぐっすり眠った。
スッキリと目覚めたわけではなかったし、眠気もなかなか
ひかなかったが、気分的にはすこぶる良かった。

1錠を半分にして調整し、目覚めもましになった頃、
そろそろいいかと、その夜は服用せずに床についた。
夜中に一度トイレに起きた後、またぐっすり眠れるはずであった。
その夜は、眠気がひどく、薬無しでも十分眠れると思っていたのだ。

確かに眠りにはすぐに落ちたが、同時と言っていいくらいに
リアルな夢を見出した。
少しややこしいのだが、夢を見ている自分の夢を見始めたのだ。
なぜか中学時代の友人と冗談を言いあっている楽しい夢が始まり、
一通りふざけた後で席につくと、缶ビールとジョッキが
置かれている。なんの躊躇も無く、それをジョッキに
なみなみと注ぎ、いざ飲むという段になって、何がしか、
うしろめたい気持ちになり、おかしい事に、ストローで
隠れる様に飲み始める。ストローでは、なかなか思うように
飲めないもどかしさに、必死で吸い込むのだが、ジョッキの半分も
飲んだ頃に、部屋の出入り口付近で、友人達がこちらを見て、
指を差しながら、驚いたような顔をしている。ハッと気がついて、
「飲んでしまった!」との思いでそこに居たたまれなくなり、
教室を飛び出した。

場面は、家で寝ている状況に変わり、私は、飲んでしまった
罪悪感に打ちのめされ、布団にもぐりこんでいた。
妻が、起きるように促すが、もう会社へも行く気がしない。
せっかく8ヶ月以上も断酒を継続し、断酒という事すら意識する
暇の無い毎日を慌しく過ごしてきたのに、何たる事か。
しかし、反面、また一から出直しだと、自分を励ましもするのだが、
何故に飲んでしまったのか、全く理解できないのと、現実的に
飲んでしまったという痛恨の極みに翻弄されていた。
妻が再び起こしに来て、
「あ、お酒の匂いがする。こっち向いて。飲んだでしょう。」
と更に追い討ちをかけるように責めて来る。「飲んでないって。」
と嘘をつくが、妻は「本当?」と疑いの声で問い詰める。
もう、どうしたらいいのか解らない。飲んでしまった。振出しに戻って
しまった。何という馬鹿な事を。。。。と泣き出してしまうほど
悶え苦しんだ。

これが、夢の中で夢を見ている自分が見た夢だ。なんともややこしい。
今までは、自分の夢の内容がこのような内容に近いもので、
目覚めた時に夢であった事に、ほっとする事が多かったのだが、
今回は至極複雑だ。この夢を見た夢の中の自分は、それが夢であった
事にほっとする。そして、そのほっとしている自分を、夢の中で
私は見ているのだ。

「本当に」目覚めた私は、しばらく呆然としていた。全身の脱力感、
ずうっと起きていたような疲労感。そして、あらためて、夢の中の夢は、
現実に起こった事ではない、一滴も飲んでいないという事を認識して、
泣けて来そうになるほど安堵した。

そして仕事へ。。。忙しくも、長い1日となった。その晩から、
再び寝る前の薬を半錠飲み、夢も見る事無く眠った。
恐ろしい気がした。幻覚も幻聴も無いが、『彼』は、忘れた頃に
心身の状況という常に一定でない、流動的なものの隙を突いて
頭をもたげてくる。
寝汗や、夢などのフラッシュバックが始まってから、多少の
手先足先のつっぱり感など、断酒初期の傾向を感じるようになったが、
例えば断酒1年、3年、5、10年という継続の中でこんなふうに、
一定の周期でこの断酒を始めた頃の症状がぶり返す事があるらしい。

もちろん、お酒を飲みたいという感情にしてもそうであろうし、
飲んでしまう危険性が高いのもその時期であろう。
これは、厳に戒めておくと共に、注意を怠ってはならない。