ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

飲むのが当たり前、飲まないのが当たり前

2006年02月11日 | ノンジャンル
お酒を習慣的に飲んでいた頃は、飲むのが当たり前の
生活であり、飲まない時があるとすれば、風邪で体調が
悪いとか、おいしく飲めない時ぐらいであったろう。
それでも、確かに、「飲まない」時もあったのである。

それとは、全く逆に、飲まないのが当たり前の、現在の
断酒生活において、「飲めない」という意識でいる間は
まだしも、普通に飲まないという状況は、一見、芳しい様に
見えるだろうが、実は最も危険な状況であると思われる。
飲まない事が当たり前という事は、反面、意識の上では
自然体である故に、何らかのはずみや、気にも留めないような
状況で、飲んでしまうリスクが大きいともいえるだろう。

こうして、書き留めておく事も、読み返す事も、自然体と
なってしまう意識をお酒に関しては常に原点に戻す為に
不可欠である。
通院にしても同じで、断酒によって回復、維持は可能ではあるが、
決して完治はしない病気を抱えている身であるという事を、
診察を受ける事によって、その都度再認識している。
当然ながら、社会生活をする上で、お酒は周りに溢れている。
それを見ない様にして、避けて過ごす事は、逆にいえば、どこかで
意識しているという事だ。
このあたりも、つけ込まれる隙となる。

お酒を避けることによって、反ってお酒を意識しているというのと、
お酒に相対して、飲まないぞと意識しているのとでは、どちらが
いいのか?
自身については、ひねくれ者の性か、後者の、相対するほうである。
コンビニや、スーパーで、お酒の棚があっても、目をそらさずに
向き合って、「おれは、もうこれが飲めない。」と自分に向かって
言っている。

しかしながら、今はもう目に入っても何とも思わなければ、
「飲めない」などと、わざわざ取り立てて意識する事も無い。
だから、余計にリスクは高くなってきているように感じる。
そう、自然体の意識下でのリスクだ。

まだまだ、断酒生活も、8ヶ月を過ぎたところで、長い回復過程から
言えば、緒についたに過ぎない。今後様々な場面や、心情の変化など
についても、冷静に考えて、素直なところを書き記して
いこうと思っている。


フラッシュバック

2006年02月11日 | ノンジャンル
年明けは何かと忙しいスタートとなり、ほぼエンジン全開で
ここまで来ている。
考えも次から次へとひらめいては、それに対応していくと
いうことで精一杯のところだ。

記憶が浮かんで、それに翻弄される事は無くなった反面、
実生活面では、なにやかやと、先を読みながらそれに対応
するべく行動を起こすのだが、察知した事をすぐに行動に
移さないと、イライラ感が募るし、仕事面でも、10を言い
聞かせて、3ほどしか出来ていない部下に苛立ちを覚える事が
頻繁になって来た。

流れを読め、その場しのぎの対応をするな、ポイントと意味を
理解しろ、相手の立場に立って言葉足らずにならずに、
交渉を進めろ、別に余計な話をするなとは言わないが、用件や
ポイントがハッキリしないままに終わらせるな、ハイハイと、
生返事ではなくて、自分のやろうとしている方向性を明確に
説明しろ。。。。等など、こちらの頭が回っている分、
相手の態度や対応が、鈍く見えて仕方が無い。 
あまり無理押しも出来ない事も分かっている分、苛立ちが募る。

そんな中、ここ2週間ほどか、夜中に寝汗をかいて起きる事が
多くなってきた。
日々の睡眠は、7時間以上は取っているが、眠り足りないという
気がしていたものの、こんな事は無かった。まるで、離脱症状の
ぶり返しのようなものである。

眠りも浅く、おかしな夢を見続けている事も多く、診察の時に
医師に聞いてみたが、どうやら、時期的にフラッシュバックが
起きているようだとの事だった。
もちろん、幻覚や幻聴は無いが、寝汗をかいて夜中に起きる、
着替えて再び床につくと眠りは浅く、奇妙な夢ばかり見る。
大体、仕事の夢ではあったが。。。そんな日が続いていた。
初期に処方して頂いていた、軽めの安定剤と、眠剤を頓服として
処方してもらい、その日は夢一つ見ず、ぐっすり眠った。
スッキリと目覚めたわけではなかったし、眠気もなかなか
ひかなかったが、気分的にはすこぶる良かった。

1錠を半分にして調整し、目覚めもましになった頃、
そろそろいいかと、その夜は服用せずに床についた。
夜中に一度トイレに起きた後、またぐっすり眠れるはずであった。
その夜は、眠気がひどく、薬無しでも十分眠れると思っていたのだ。

確かに眠りにはすぐに落ちたが、同時と言っていいくらいに
リアルな夢を見出した。
少しややこしいのだが、夢を見ている自分の夢を見始めたのだ。
なぜか中学時代の友人と冗談を言いあっている楽しい夢が始まり、
一通りふざけた後で席につくと、缶ビールとジョッキが
置かれている。なんの躊躇も無く、それをジョッキに
なみなみと注ぎ、いざ飲むという段になって、何がしか、
うしろめたい気持ちになり、おかしい事に、ストローで
隠れる様に飲み始める。ストローでは、なかなか思うように
飲めないもどかしさに、必死で吸い込むのだが、ジョッキの半分も
飲んだ頃に、部屋の出入り口付近で、友人達がこちらを見て、
指を差しながら、驚いたような顔をしている。ハッと気がついて、
「飲んでしまった!」との思いでそこに居たたまれなくなり、
教室を飛び出した。

場面は、家で寝ている状況に変わり、私は、飲んでしまった
罪悪感に打ちのめされ、布団にもぐりこんでいた。
妻が、起きるように促すが、もう会社へも行く気がしない。
せっかく8ヶ月以上も断酒を継続し、断酒という事すら意識する
暇の無い毎日を慌しく過ごしてきたのに、何たる事か。
しかし、反面、また一から出直しだと、自分を励ましもするのだが、
何故に飲んでしまったのか、全く理解できないのと、現実的に
飲んでしまったという痛恨の極みに翻弄されていた。
妻が再び起こしに来て、
「あ、お酒の匂いがする。こっち向いて。飲んだでしょう。」
と更に追い討ちをかけるように責めて来る。「飲んでないって。」
と嘘をつくが、妻は「本当?」と疑いの声で問い詰める。
もう、どうしたらいいのか解らない。飲んでしまった。振出しに戻って
しまった。何という馬鹿な事を。。。。と泣き出してしまうほど
悶え苦しんだ。

これが、夢の中で夢を見ている自分が見た夢だ。なんともややこしい。
今までは、自分の夢の内容がこのような内容に近いもので、
目覚めた時に夢であった事に、ほっとする事が多かったのだが、
今回は至極複雑だ。この夢を見た夢の中の自分は、それが夢であった
事にほっとする。そして、そのほっとしている自分を、夢の中で
私は見ているのだ。

「本当に」目覚めた私は、しばらく呆然としていた。全身の脱力感、
ずうっと起きていたような疲労感。そして、あらためて、夢の中の夢は、
現実に起こった事ではない、一滴も飲んでいないという事を認識して、
泣けて来そうになるほど安堵した。

そして仕事へ。。。忙しくも、長い1日となった。その晩から、
再び寝る前の薬を半錠飲み、夢も見る事無く眠った。
恐ろしい気がした。幻覚も幻聴も無いが、『彼』は、忘れた頃に
心身の状況という常に一定でない、流動的なものの隙を突いて
頭をもたげてくる。
寝汗や、夢などのフラッシュバックが始まってから、多少の
手先足先のつっぱり感など、断酒初期の傾向を感じるようになったが、
例えば断酒1年、3年、5、10年という継続の中でこんなふうに、
一定の周期でこの断酒を始めた頃の症状がぶり返す事があるらしい。

もちろん、お酒を飲みたいという感情にしてもそうであろうし、
飲んでしまう危険性が高いのもその時期であろう。
これは、厳に戒めておくと共に、注意を怠ってはならない。