お酒を習慣的に飲んでいた頃は、飲むのが当たり前の
生活であり、飲まない時があるとすれば、風邪で体調が
悪いとか、おいしく飲めない時ぐらいであったろう。
それでも、確かに、「飲まない」時もあったのである。
それとは、全く逆に、飲まないのが当たり前の、現在の
断酒生活において、「飲めない」という意識でいる間は
まだしも、普通に飲まないという状況は、一見、芳しい様に
見えるだろうが、実は最も危険な状況であると思われる。
飲まない事が当たり前という事は、反面、意識の上では
自然体である故に、何らかのはずみや、気にも留めないような
状況で、飲んでしまうリスクが大きいともいえるだろう。
こうして、書き留めておく事も、読み返す事も、自然体と
なってしまう意識をお酒に関しては常に原点に戻す為に
不可欠である。
通院にしても同じで、断酒によって回復、維持は可能ではあるが、
決して完治はしない病気を抱えている身であるという事を、
診察を受ける事によって、その都度再認識している。
当然ながら、社会生活をする上で、お酒は周りに溢れている。
それを見ない様にして、避けて過ごす事は、逆にいえば、どこかで
意識しているという事だ。
このあたりも、つけ込まれる隙となる。
お酒を避けることによって、反ってお酒を意識しているというのと、
お酒に相対して、飲まないぞと意識しているのとでは、どちらが
いいのか?
自身については、ひねくれ者の性か、後者の、相対するほうである。
コンビニや、スーパーで、お酒の棚があっても、目をそらさずに
向き合って、「おれは、もうこれが飲めない。」と自分に向かって
言っている。
しかしながら、今はもう目に入っても何とも思わなければ、
「飲めない」などと、わざわざ取り立てて意識する事も無い。
だから、余計にリスクは高くなってきているように感じる。
そう、自然体の意識下でのリスクだ。
まだまだ、断酒生活も、8ヶ月を過ぎたところで、長い回復過程から
言えば、緒についたに過ぎない。今後様々な場面や、心情の変化など
についても、冷静に考えて、素直なところを書き記して
いこうと思っている。
生活であり、飲まない時があるとすれば、風邪で体調が
悪いとか、おいしく飲めない時ぐらいであったろう。
それでも、確かに、「飲まない」時もあったのである。
それとは、全く逆に、飲まないのが当たり前の、現在の
断酒生活において、「飲めない」という意識でいる間は
まだしも、普通に飲まないという状況は、一見、芳しい様に
見えるだろうが、実は最も危険な状況であると思われる。
飲まない事が当たり前という事は、反面、意識の上では
自然体である故に、何らかのはずみや、気にも留めないような
状況で、飲んでしまうリスクが大きいともいえるだろう。
こうして、書き留めておく事も、読み返す事も、自然体と
なってしまう意識をお酒に関しては常に原点に戻す為に
不可欠である。
通院にしても同じで、断酒によって回復、維持は可能ではあるが、
決して完治はしない病気を抱えている身であるという事を、
診察を受ける事によって、その都度再認識している。
当然ながら、社会生活をする上で、お酒は周りに溢れている。
それを見ない様にして、避けて過ごす事は、逆にいえば、どこかで
意識しているという事だ。
このあたりも、つけ込まれる隙となる。
お酒を避けることによって、反ってお酒を意識しているというのと、
お酒に相対して、飲まないぞと意識しているのとでは、どちらが
いいのか?
自身については、ひねくれ者の性か、後者の、相対するほうである。
コンビニや、スーパーで、お酒の棚があっても、目をそらさずに
向き合って、「おれは、もうこれが飲めない。」と自分に向かって
言っている。
しかしながら、今はもう目に入っても何とも思わなければ、
「飲めない」などと、わざわざ取り立てて意識する事も無い。
だから、余計にリスクは高くなってきているように感じる。
そう、自然体の意識下でのリスクだ。
まだまだ、断酒生活も、8ヶ月を過ぎたところで、長い回復過程から
言えば、緒についたに過ぎない。今後様々な場面や、心情の変化など
についても、冷静に考えて、素直なところを書き記して
いこうと思っている。