ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

坐骨神経痛

2018年12月18日 | ノンジャンル
以前から、何となく左足が軽くしびれているような
自覚はあった。

また腰がヤバいなと、ストレッチやマッサージをして、
解すようには心がけていた。

土曜日に突然、左尻から脛にかけて激痛が走った。
いや、走ったというよりその激痛がそのまま
激痛として続いた。

立っても座っても、横になっていろいろ体位を変え、
少しでも痛みが和らぐポイントを探るも、
どうにもこうにもならない。

救急車をとも思ったが、とりあえず市販の鎮痛剤を
服用して、様子を見た。

今までの筋肉の深部疲労による腰痛とは明らかに
違う痛みで、どうしてもこうしても痛みが
止まらない。

そのまま動けず、日曜日は寝たきりとなり、
ひたすら痛みに耐えていた。

筋肉を引きちぎられるような激しい痛みが
延々と続く。

丸二日、何も口にできす、月曜になって病院へ
文字通り這うようにして行った。

診断は坐骨神経痛。レントゲン写真を見ると
確かに腰椎の一部が他と比べて変形している。

変形自体は問題ないが、それが神経を
圧迫すれば、しびれや痛みとなる。

処方してもらった薬で、少し楽になり、
ようやく食べ物を口にできたが、薬効が
切れると、再び激しい痛みで動けなくなる。

恐らくこれまでの人生で最も激しく長い痛みを
経験することになったが、泣きたいほどの痛みに
助けを求めたのは、亡くなった母親であった。
「母ちゃん、助けてくれ!」

今日は何とか出社し、在宅でもある程度のことが
できるように準備して、明日は精密検査である。

もう本当に助けて欲しい。
人の痛みを知ると言えば聞えは良いが、
年の瀬になんで自分がこういう目にという
思いの方が強い。
私が何をしたというのかと。

ともかくも、気持ちだけ若くいても身体は
年相応のガタがきていることを思い知らされた。

気力だけでは何ともならないこともある。
だが、気力を失えば、余計に何ともならない。

痛いまま、苦しいまま、できることを
していくまでなのである。