ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

2015年09月11日 | ノンジャンル
おそらく、人として最も安らかな場所は
母親の胎内であろう。

その宝浄世界から、下界へ出されるとき、
すでに不安や不快で、泣き出すのも無理はない。

生まれる時にすでに人は涙する。
生きることは、楽しい事も、嬉しい事も、
悲しい事も、苦しい事も、それが極まれば
涙なくしてはやりすごせない。

歳をとれば、それまでの様々な経験が、
心の琴線を多くし、敏感にさせる。
感じやすくなる分、涙もろくなるのである。

人は泣きながら生きていく。
喜びにあふれたなら涙する。
悲しみに包まれても涙する。

恥じることはない。泣きながら
生きていこうではないか。

どうせ泣きながら生まれてきたのである。
何を今さら、恰好をつける必要もない。

死ぬときもまた、泣きながら逝くのである。
ただ、それが満足の涙なのか、後悔の涙なのかは、
今をどう生きるかにかかっている。