ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

けじめ

2014年10月02日 | ノンジャンル
一年を通じて、様々な節目があり、その折に自身のけじめを
付けていくことは大切なことである。

5年、10年という長い年月の中でも、大きな節目はあり、
その節目を漫然と迎えるか、新たな決意と覚悟で、
自身の成長の契機とするかで、その後は大きく変わる。

ただし、これはまともな頭と理性に負うものであって、
本能的なものはこのけじめをつけることを欲しない。

つまり、現状が楽で心地よければ、その状態を限りなく
維持しようとする。

依存症患者は、アルコールによって、理性が
正常ではない状態である。

つまり、けじめがつけられないということになる。
むしろ、このけじめというものを逆手にとって、
断酒すると言いながらそれを先延ばしにしてしまう。

この節目を期に断酒しよう。今の問題が片付いたら
断酒しよう。最後に飲むだけ飲んで終わりにしよう。

素面で考えればすぐわかるのだが、これは言い訳に
よって断酒を避けているに過ぎない。

いわゆる最後の祭りを設定して、現実にそれを最後に
したためしは滅多にないし、それが最後になったのは
その人の人生の最期となってしまった例も少なくない。

口で言うのは簡単だが、節目も切りも関係なく、
断酒はたった今、思い切って開始するしかないのである。
その思い切りがなかなかつかないところに、
厄介な問題がある。

思いきらざるを得ないところまでいかないと、
なかなかそれができない。
それが、いわゆる底をつくということでもある。

少なからず理性が残っているなら、断酒はいつでもない、
たった今から始めるしかないのである。
そして、その決断をせざるを得ない時に、
命だけは取り留められんことを願うのみである。